日本の仏教 極東における大乗仏教

日本は天然資源に恵まれていないが、印象的な発明品、独特な文化、それにとても便利な生活様式を備えた驚くべき国である。時速320 キロの高速列車が走り、生魚を(安全に)食べることができる。雪の中、猿たちが温泉に入って“ノンビリくつろいでいる”のが話題になり、500 年も経った古城の前で花見(桜)を楽しんだり、相撲の勝負を観戦したり------こんなことを一体どこの国で経験することができようか?ニンジャ、サムライ、カラテ、カラオケ、カワサキ、ヤマハ、キャノン、トヨタ、スシなどの言葉も、この国が発祥の地だ。また、日本は日の出る国として知られていて、とても興味深い歴史がある。その歴史の多くは様々な宗教上の信念によって形成され、影響を受けた。

この稿では日本仏教の歴史を概観し、現在もっとも有名な形態(殆ど大乗仏教に分類されている)に的を絞ってみたい。日本における様々な仏教勢力の人気を示すものとして、付録A の人口を参照して頂きたい。日本の仏教を見ていくと、幾つかのテーマが浮かび上がってくる:法華経(経は仏教典)の人気、先祖崇拝、読経と数珠の使用、汎神(多神)論、神道(日本における仏教以前の信仰で時には仏教と混合した)、阿弥陀仏、観音菩薩、大日如来などの救済者像、それに歴史的に証明された真実と対立する超自然的なお告げなどである。

 もちろん日本仏教の様々な宗派には、時には互いに全く反対の教義を唱えながら以上のようなテーマについて強調したり否定したりする差異は認められる。この研究の目的は、人の手で作られた組織との比較において聖書の確かな基盤を示すことにある。日本仏教の組織自体はとても興味深いものではあるが、現世の人々を天国へ導いてくれる究極の救いとなる力は持っていない。

 日本仏教に関連する歴史年代区分

 

古墳時代(西暦250~538)

織豊時代(西暦1568~1603)

飛鳥時代(西暦538~710)

江戸時代(西暦1603~1868)

奈良時代(西暦710~794)

明治時代(西暦1868~1912)

平安時代(西暦794~1185)

大正時代(西暦1912~1926)

鎌倉時代(西暦1185~1333)

昭和時代(西暦1926~1989)

足利時代(西暦1333~1568)

平成時代(西暦1989~現在)

 

古墳時代(西暦250~538) 基盤

この時代は、当時造られていた大きな埋葬塚「古墳」に因んで名付けられた。日本の伝説による国の始まりは紀元前660 年とされているが、現代の歴史家は古墳時代を日本国の始まりとしている------現代の歴史家はやや控え目な表現で、西暦3 世紀の終わりか4 世紀初頭に大和地方に興った政治勢力が国の出発点だ、としている。彼らは、国の創始を紀元前660 年とするのは約1 千年早過ぎる、と見ている(メーソン&ケイガー,25)。

 

仏教以前の日本人の宗教と言えば、神への崇拝であった。神とは生きもの(魂、人間、動物)、物体、それにカリスマ的な力を持つ場所であった。このカリスマ性は宗教的な側面だけでなく、政治的また芸術的な側面でも認められた(ロビンソン,241)。のちに、この仏教以前の日本の宗教は神道として知られるようになった。霊魂信仰と呼ばれるように、「神道」にはその創始者も聖典も存在しない(メーソン&ケイガー,33)。

 

「紀元前660 年に日本の初代天皇が即位したわけではないが、日本皇室の組織は、なお世界最古の世襲制度である。」(メーソン&ケイガー,32)現天皇がその子孫である大和朝廷一族の首長は太陽の女神(天照大御神)の直系だとされている(メーソン&ケイガー,32)。「1946 年、天皇は公式に自らの神性を否定し、1947 年には伝統的な家族の組織は廃止されたので、各個人はその家系の宗教によって束縛されることはなくなった」(ロビンソン,264)。

 

「---神は無数に存在し、本質的に道徳とは無関係であり、彼らの間に確立された序列はなかった---国として日本を統一するための基本的な課題の一つは、様々な一族が一つの階級制度に組み込まれるように、神々の間の階層制度を説明するしっかりした一連の物語を創りあげることであった。この物語の真実性は戦いの場で正否が問われ、勢力バランスが崩れるとそれに反応して物語は改作されていった(ロビンソン,242)。

 

仏教が主張したことは、“不確かな物語よりも普遍的な原理原則”に基いているということだった (ロビンソン,242)。この稿の終わりで、仏教は不確かな物語に救いを求めており、結局のところその原理について確実な基盤を持たないことが判明するだろう。

 

飛鳥時代(西暦538~710) 逡巡

「恐らく、仏教はまずその最初は朝鮮(韓国)からの移民によって移入された-----ただ、皇室段階での接触記録は西暦552 年である(ロビンソン,243)。百済の聖明王(当時の朝鮮における三大国の一つ)は、仏像と経典を添えて仏教を紹介しながら、政敵への軍事支援を日本国王に依頼した-----それは最も賢明な行動で、嘆願が盛り込まれていた(ソーンダース,92)。10 年後(562 年)に、日本へ仏教を紹介したこの朝鮮の国王は「-----結局、殺害され、その国は新羅に滅ぼされてしまった」(ソーンダース,92)。

 

一方、国内ではこの新しい宗教に対して多くの者が疑いの目を向けた。中臣氏と物部氏は新宗教に反対したが、蘇我氏はこれを受け入れ一族の家を朝鮮から受け入れた仏像を収めるための寺院に建て替えた。しかし、その直後に伝染病が発生し、この仏像がその原因だとされて非難の声が上がった。中臣氏と物部氏は「------寺院を焼却し、その仏像を水路に投げ入れた」(ソーンダース,93)。数年後に別の仏像が建てられ、また悪疫が発生した。この度も仏像は川に投げこまれたが伝染病が治まる気配はなく、仏像は川から探し出され、元に戻った。

 

物部氏は「-----我らは美しい天国の石舟に乗って降りてきた神(神道の神)の末裔である」と主張した(メーソン&ケイガー,39)。朝鮮移民の子孫である蘇我氏は西暦587 年に物部氏の軍隊を破り、仏教はさらにその地歩を固め始めた。

 

「のちに日本仏教の創始者とされた聖徳太子(573~622)は、寺院を建設するために朝鮮人職人を受け入れ、彼らのために朝鮮人僧侶と尼僧をも配置した」(ロビンソン,244)。聖徳太子は、朝鮮移民の子孫である蘇我氏の一員であった。他の注釈書によれば、大使は法華経の注釈書を書き、それは日本における重要な経典となった。

 

「仏教経典は総て漢字で書かれていたので、朝鮮の仲介を得なくても、日本人にとって、直接中国と接触することを容易にした(ロビンソン,244)。

 

奈良時代(西暦710~794) 実験

710 年に飛鳥から奈良へ遷都が行われた。奈良時代には六つの仏教宗派(俱舎くしゃ、成じょう実じつ、三論さんろん、法相ほっそ、華厳けごん、律りつ)があった。「俱舎、成実、三論は教義を学ぶ学問宗教の域を出るものではなかった----」(ロビンソン,245)。法相宗、華厳宗、律宗のみが現代に至るまで活動を続けているが、日本総人口の0.5 パーセントを占めているに過ぎない。以下に、生き残った三宗派の信仰について概要を説明しておく。

 

法相宗ほっそしゅう:法相の教えは、あらゆる物には実体がなく、外の世界は心が写す幻影に過ぎないとする----」(ソーンダース,121)。「----法相宗は、あらゆるものが内部に仏性を持っているとは考えない」(ソーンダース,123)。

 

華厳宗けごんしゅう:「華厳宗の世界観は、太陽仏の大日如来をその氏(種族・氏族)が太陽の末裔であるとされる天皇と同一視する政治的イデオロギーによって構成された」(ロビンソン,245)。-----奈良時代に栄えた華厳宗は、すべての現象は基本的に一つで、相互に関係しあい、重なりあっていると唱えていた」(メーソン&ケイガー,239)。「華厳宗の基礎となっている華厳経は、また、禅とつながっている。彼らは宇宙の様々な相は完全に相互依存の関係にあるという一種の宇宙汎神論を教えていた-----さらに、仏性は、人間にとってチリの一かけらほどのものでも、総ての物の中にあるとした」(ソーンダース,204~205)。仏性に関する法相宗と華厳宗の考えの中に見られるように、日本仏教の多くはお互い同士、相手を否定する。

 

律宗りっしゅう:「中国の「LU」 またはヴィナヤ 伝承に因んで名付けられた律宗は、ヴィナヤ(仏教徒の僧院内における規律)の評釈に当たっていた。この宗派はまた、日本では僧侶に規律を授ける(授戒)の儀式にも関っていた」(Noriyoshi,163)。

 

平安時代(西暦794~1185) 融合

西暦784 年に奈良から長岡へ、さらに794 年に平安(現在の京都)へと遷都が行われ、その名は少なくとも1868 年まで残った」(ソーンダース,134)。この時代に二つの新しい仏教が出現した。天台宗と真言宗は「----両者とも、神道の神は実は広大無辺な宇宙仏から由来したものであると主張した」(ロビンソン,246)。

 

「----天台宗、真言宗とも再生(カルマ)、禁欲生活(修道院生活)、自己努力というヒナヤーナ(小乗仏教)の基本理念を維持した」(メーソン&ケイガー,100~101)。

 

天台宗てんだいしゅう

最澄さいちょう(757~822)は中国へ渡り、多くの宗派で学んだ後、天台宗を創始した。彼は総本山を比叡山に置いた。「比叡山は日本最大級の僧院の中心地となり、16世紀末に破壊されるまで存続した。最盛期には3 万人の僧を抱え、3 千以上の建物があった----。寄進されたその莫大な富を盗賊から守るため、僧の一部を武装させなければならなかった。この武装僧団は派閥争いを生み、やがて総本山首長の地位を巡っての論争に発展していった」(ロビンソン,247)。「----次代の寺院改革者たち(栄西えいさい、道元どうげん、法ほう然ねん、親鸞しんらん、日蓮にちれん)は、すべて比叡山で修業の初期を過ごしたが、そこで腐敗を目にしたことが改革への大きな動機づけとなった、とされている----」(ロビンソン,248)。

 

「天台宗は、すべての存在について最終的な救いがあるという信仰である----すべての生命(それは人間の生命にとどまらないが)は基本的に同じであり、それは存在の根本的な統合という概念である---この教義は大乗仏教の重要な経典である法華経に基いている。法華経は釈迦が涅槃ねはんに入る直前に最後の説教として述べたとされているが、実は釈迦が死んだのち随分経ってから作られたものである---(メーソン&ケイガー,102)。上記5 名の改革者たちは、全員がある程度法華経によって影響を受けていた。

 

「最澄は普遍的な救済を述べた天台宗の考えを信奉した。それはすべての存在における絶対的な悟りの境地の存在を意味する」(Michio,270)。2004 年に天台宗は日本総人口の2.7 パーセントの信者を抱えていると言明した。「天台宗は、太陽神仏陀をダルマカヤ(仏教の根本真理)の実現者だと理解している---」(ソーンダース,144~145)。

 

真言宗しんごんしゅう

真言宗の創始者、空海(774~835)もまた、中国へ渡って学んだ。日本には高さが16~21 メートルもある彼の像が4つ立っている。空海はカシミールの僧プラージャから経典と数珠を渡されたと言われているが、その様子はよく日本式の表現法で描かれている(ソーンダース,154)。祈りに際して数珠を用いるのは、西暦数百年前にヒンドゥー教で行われていたものである。

 

「また、真言宗を創設した彼は日本語の読み書きが容易にできるように音節文字表を考案した」(ロビンソン,248)。「真言宗は、全宇宙は中心的な太陽神、大日如来の顕現・流出であるとする一種の汎神論を展開した」 (ソーンダース,161)。「大日如来の明白な太陽神としての性格(太陽神像)は、いとも容易にこれを日本で生まれた太陽女神・天照大御神(神道との二重システム)に結びつけることができた----」(ソーンダース,168)。

 

「真言宗はチベット又はタントラ教と強く混合した大乗仏教で、儀式での説教や神性との神秘的な統合といった点が顕著である」(メーソン&ケイガー,105)。真言宗が基礎を置く経典には「-----純粋な仏教徒ではない無数の神々がいてヒンドゥー教の影響を強く受けている」(ソーンダース,161)。真言宗の修業は弟子たちに要求する「----マハヴァイロカナ から教えられたムドラー(神聖な踊り)とマントラ(神聖な言葉)を使って身体と言葉を調和させよ。そうすれば、高尚で色彩豊かな曼荼羅(聖画)を目で確認しながら、身体で発現する中で自分の心を吸収することによって完全な調和が得られるだろう----」(ロビンソン,248~249)。これらの修業の目的は現実にマハヴァイロカナになることであり、それは真言宗の汎神論と合致する。「真言宗はヨガ社会のタントラ経典に基いている------そのような偉大な存在に成りきれるよう、マハヴァイロカナ(偉大な太陽)の身体、話法、心を手本とした訓練を積むことである」(ロビンソン,248)。

 

紀元前590 年、イスラエルの神殿がバビロンによって破壊される前に預言を行ったエゼキエル(預言者)は、イスラエルの神への不信を記録している。彼らは太陽を崇拝した。「彼はまたわたしを連れて、主の家の内庭にはいった。見よ、主の宮の入口に、廊と祭壇との間に二十五人ばかりの人が、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた。時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているこれらの憎むべきわざは軽いことであるか。彼らはこの地を暴虐で満たし、さらにわたしを怒らせる。見よ、彼らはその鼻に木の枝を置く エゼキエル書8:16~17」。“枝を鼻のところへ”持ってくるという表現は、現代でもまだ使われているが、これは多分、崇める動作の中で香りのする棒を捧げる慣行を意味している。

 

真言宗の汎神論に関する考えは美術にも反映されている。「真言のいう真実(即ち宇宙仏)は、人生の楽しい一面とともに不愉快な面も含んでいる」(メーソン&ケイガー,115)。同様に、大日如来の不愉快な側面は「----明王と呼ばれる第二群の神々----動かないシバの形をした不動明王----は常に手に剣と綱を持つ姿で描かれている;彼は、刀でこの世の悪魔を倒し、綱でそいつらを縛る------牙を突き出した恐ろしい形相をしており、その背後には炎が燃え上がっている」(ソーンダース,176)。不動明王が由来するヒンドゥー教では、シバは破壊者である。「不動明王はすべての明王の中で中心的な神であり------現在、主に真言宗で崇拝されている-----明王は明らかに大日如来の姿をしており、大日如来の悪と無知に対する怒りを表している」。(https://www.onmarkproductions.com/html/fudo.html)

汎神論では、人生の悪の側面も“神”の一部である。倶く利り伽羅からが唱える呪いの経典では「不動は炎に包まれた蛇か、垂直に立てた剣の周りに巻き付いた龍の形を表している。」(https://www.onmarkproductions.com/html/dragon.shtml)

 

真言宗は日本の多くの人々を支配し続けた。蛇か龍の化身かも知れず、破壊者シバに由来する不動は大日如来の顕現とも考えられる。聖書ではこの蛇ないし龍のような存在について明確に示されている。「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経た蛇は、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された ヨハネ黙示録12:9。」2004 年現在、真言宗につながる信者の数は総人口の9.9 パーセントである。

 

鎌倉時代(西暦1185~1333) 再編成

西暦1185 年、天皇は権力を奪われ、将軍の権威が台頭して新政治体制が出現した。皇室の中心は京都に残り、天皇はその尊称を保持することができたが、政治の中心は将軍の住む鎌倉へと移った。この時期、京都に近い比叡山には、天台宗派から別れて日本仏教の改革者となった五人の傑出した人物が居た。即ち、栄西、道元、法然、親鸞、日蓮である。

 

栄西えいさいと道元どうげん:禅宗ぜんしゅう

2004 年現在、禅宗の信者は総人口の2.6 パーセントを占めるとされる。その比率はかなり低い数字であるが、恐らく日本仏教集団で最も国際的によく知られている宗派は禅宗である。「明庵みんなん栄西えいさい(1141~1215)が1202 年に初めて京都に禅寺を建てた----栄西の折衷主義に不満を抱いて次世代の多くの僧侶たちが、不純な要素の少ない教義を日本へ持ち帰ろうと自ら中国へ渡った。それを初めて実行したのが道元希玄(1200~1253)である----彼は述べている:禅は基本的には、“思考を止める”ことである。考えるべき不思考とは何か?“超思考”である」(ロビンソン,251)。

 

意識の変化した状態

禅は悟りに至る方法として瞑想に集中する。禅という言葉はパーリ聖典の“jhana”とサンスクリット語”dhyana”に由来する。四つの禅定 はエンスタシーの段階が高まったことによって特徴づけられる意識の変革段階としてよく知られている。エンスタシーの文字通りの意味は、“内に立つ”である。そしてエンスタシーの修業は訓練者の感覚と思考を外界との接触から引き離し、その意識の内容を低めることにある(グリフィス,38)。「道元の考えと初期の仏教思想の間には、多くの類似点を見ることができる:不思考という内部思考は、視界を超越した正しい観察方法につながる---道元は禅の曹洞宗派の創始者として認められた」(ロビンソン,252)。

 

小乗仏教の伝承に即して実行された初期の仏教は、瞑想の目的や手法などの点で禅に似ている。初期の仏教では「禅定 は----瞑想の主題は別として、すべての知覚が集中した忘我の状態は、意識を完全に追放していることを示した。より高い禅定のレベルでは瞑想者は言葉を発したり動くことはできず、最高レベルに至ると注意力は平常心を失い思考中止の忘我状態に到達すると言われる。パーリ聖典によれば、釈迦は、彼が選んだ(明記されていない)瞑想主題に注意力を集中して得られた四つの古典的禅定によって、悟りの境地に達した」(キング,88)。

言語と論理を超えて

日本ではダルマ(達磨大師)の名で知られるボーディダルマ(470~534)は中国における禅の開祖である。達磨の教えは、説教するとき、花を手に持ち微笑んだ釈迦自身の教えに戻っている。釈迦がその教えの真髄を言葉では正確に表現できないことを象徴的に示したことをカシャップだけが理解していた。これが達磨が中国へ持ち込んだ‘無言行の伝統’であり、それ以後、絶対者(神)を直観的に理解する伝達方法となった(ソーンダース,208)。西暦952 年に書かれた“総大司教十字本部のアンソロジー”によれば、達磨は無言で9 年間、壁に向き合っていたという。それは伝説かもしれないが、これは無言の哲学である。この合理的思考に異議を唱える傾向は、現代の禅にも生きている。

 

禅では、実際、誰も悟りの境地にまで内省することはできないとし、他人との論理的な議論に頼ることもしない。理性は結局、直観的な洞察に道を譲り、人が自然に生活し自発的に生きられるよう自由を与える----」。(メーソン&ケイガー,169)。道徳と宗教へのこの種のアプローチは現実の世界にはマッチしない。もし教師が生徒に対して、テストの点数や合理的な要素を度外視して「直観的に」合格点を与えたとすれば、生徒から「それは不公平だ」と言う抗議の声が上がってくるだろう。もし医者が「直観的」、「思うまま」に 薬を処方したら、患者は死んでしまうだろう(メーソン&ケイガー,169)。もし、このようなことが経済的な決断、運転や道徳的な決定について適用されたら、同様の混乱状態が惹き起こされるであろう。「視界を超え」「想像力を超えた」悟りの境地は明らかに真実を抑圧するものだ。合理的な思考の自由の代わりに経験が過度に強調され、真実から遠去かる結果となった。我々が日常生活で用いる合理的精神は、精神的な真実を理解する上でも有用である。

 

公案(修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題)は禅宗における合理性に“打ち克つ”一つの方法であり、例えば「片手で鳴らす音とは何か?」といった質問について黙考する。公案に加えて、時には“気合”が用いられる。公案は、言うならばテーマを発展させず、しばしば知性を非論理的に混乱させ直観的に理解力に訴えることである。“喝”を入れるように、それらは抑制的な知的プロセスを回避しながら、直接的な直観理解力を得ようとするものである(ソーンダース,212)。「---可能な限り様々な角度からこのような質問(公案)を投げかける目的は決定的な解答を求めることではなく、ダイナミックな“超越思考”に親しもうというところにある---」(ロビンソン,252)。ある宗派で用いられた他の思考超越の方法は、杖などでピシャリと叩くことだった(現在も同様)。「----杖は喝と同じように(肉体を通じて)心を刺激して悟りに至らせるものである」(ソーンダース,213)。

 

より長い公案の一例は、中国における修道院である。「南泉普なんせんふ願がん修道院南

北寮の僧たちは一匹の子猫の扱いについて激しく論争した。南泉普願が猫を捕まえ、僧たちの前に持ってきて言った:「もしお前たちの中の誰かが、なぜ私がこの子猫を殺したりしないかを当てたら、その命を助けてやろう」。誰も答えなかったので、南泉普願は子猫を地面に叩きつけて殺してしまった。趙州じょうしゅう従じょうシンしん(J.Joshu,778~891)という僧が一日の外出から僧院に帰って来ると、南泉普願が話しかけてきて、「もしお前がそこに居たら何と答えたか」と質問した。趙州従シンは藁のサンダルを脱いで頭の上に乗せ南泉普願から離れて行った。そこで、南泉普願南泉普願はこう言った:「もしお前がそこに居たら、猫は助かっただろう」。趙州従シンの行動は肯定でも否定でもなかった。言い換えれば、それは、ある問題に対する唯一の解答は空(欠如)であることを意味し、彼が指摘した問題の不存在が無言の救いの言葉となったということである(ソーンダース)(212~213)。「現在、禅宗の僧院で般若心経が学ばれており、究極の空(間)の概念は禅の考えに影響を与え続けている)(ソーンダース,204)。このような社会に対する反抗的な哲学がたくさん存在する。趙州従シンが子猫について興味を示さなかった反応は“すべては無である”とする大乗仏教の教義につながる古典的な仏教の孤立を示している。「完全な無」は、すべての事物に仏性が存在するという信仰(4 ページの華厳宗の宇宙即神論参照)と対照をなしている。ただ、これまで見てきたように、禅では理路整然としたものが重視されることはない。

 

禅についての有名な著述家・鈴木大拙だいせつが述べている:「禅は一神論でも汎神論でもない。禅はこういった定義を無視する----禅は概念の規定を無視する。そのことが禅を理解するのを難しくしている」(鈴木,41~42)。鈴木は密雲圓みつうんえん悟ご(1566~1642)を引用して禅を“定義”している:「禅のもっとも重要なところは、誰もが禅を持っているということだ。自分自身の存在を研究し、他人を通じて探究するな。その光の中ですべてが吸収される。主観と客観の二重性を洗い出せ。双方を忘れよ。知性を超越せよ。理解から自分を引き離せ。そして仏心との同一化を深く貫け。この外部に真実は存在しない(鈴木,46)。鈴木は、圓悟の論理構成と、禅は無視するという禅の定義を引用することで、自分自身が矛盾に陥った。その引用の中で汎神論の記述を見ることができる:「禅の光の中に於いてすべてが吸収される」。禅の信奉者は“知性を落とすよう”求められ、人を論理と常識を置き去りにしてしまう危険な場所へ連れて行かれる。

 

上記の子猫についての公案の中で、もしそれが人間の身体に関わるものだったら、無関心な態度や頭にサンダルを乗せるようなことがあっただろうか?キーオンは1996 年に出した本の中で述べている:「日本では人工中絶が適法とされ、毎年100 万件の中絶が行われている。これを数字で比較すれば、人口で2倍を超えるアメリカでは150 万件となる(キーオン,102)。民族としてのアメリカはすっかり神と子宮内の赤ん坊への思いやりを失ってしまった。無関心な態度というものは、ある事は実に悪であり、ある事は実に善であるとする問題を引き起こす。もし人々が人生に対して無関心で距離を置いて進むならば(皮肉にも冷淡な考えに対しては密着しているが)この人生へのフィルター(運命に対する平静の中庸とも呼ばれている)は、完全に善である神を見失わせ、明らかに悪である事を避けられないようにしてしまう」。

 

法ほう然ねんと親鸞しんらん 浄土じょうど真宗しんしゅう

これは現在、日本国内の仏教の中でとりわけ人気の高い宗派である。2004 年の時点で日本国民の15.3 パーセントが浄土真宗の信者だと自己認識している。「阿弥陀仏(浄土仏教)は他力、すなわち阿弥陀仏を通しての救済を主張するが、禅では自分自身による救済を強調する。すべての人間が仏性を持っており、この性質は「自己認識」を通じて認知される」(ソーンダース,228)。「天台宗と真言宗においては、阿弥陀仏の存在を深遠な神格として宣言する。かくて、他の深遠な神々のように阿弥陀仏は瞑想の対象となった----ただ阿弥陀仏の名(念仏)を唱えるだけでは充分ではなかった----」(ソーンダース,189)。このように天台宗と真言宗が強調したこと(禅のような自分努力)は、法然と親鸞に影響されて変わったものである。

 

法然(1133~1212)は浄土宗を創始した。これは、人々は死ぬ間際に阿弥陀仏の名を呼んで浄土へ導いて下さるよう祈願できるという考えに基づいている。「カリスマ的なリーダーの彼は、1 日に7 万回念仏を唱えるよう説教し、自ら実行することで、この世のあらゆる階層から門弟を引き寄せた」(ロビンソン,254)。親鸞(1173~1212)は法然の弟子だった。「彼は夢の中で観音から法然について学ぶように導かれ1201 年に学び始めた」(ソーンダース,198)。親鸞は、のちに劇的な構想を得て、最終的に真宗(浄土真宗として知られる)を創設することになった。

 

「比叡山で20 年を過ごしたのち、親鸞は禁欲主義の制限と戦いながら、夢の中で将来結ばれるであろう若い女性の姿となって現れた観音から救いを受けた」(ロビンソン,254)。親鸞は結婚はせず、新しい救いを得た。「-----この救いの神、阿弥陀仏は、ただ一回念仏を唱えればよいと告げた」(ロビンソン,254)。

 

親鸞の教義は法然のものと似ており、それ自体は権力の乱用や誤解に対して突破口を開いた。彼の息子、善鸞ぜんらんは罪への誘惑をかきたてるような扇動的な説教を行ったので、結局、親鸞は息子とは一切関係を断ち切った(ロビンソン,255)。

 

「法然は念仏を唱えれば唱えるだけ浄土へ到達する道が開かれると考えた」(メーソン&ケイガー,164)。何年もかけて、「阿弥陀仏を一回唱えるだけで十分か、繰り返して唱える必要があるか」という論争がなされた。今日でもこの二つの宗派は現存している。真宗(1 回)の方がより人気がある。「中国、韓国、それにベトナムでは、阿弥陀仏と禅の瞑想(韓国ではSon ベトナムではThien)とが結びついたものが定着し、日本では浄土宗と禅の二つの系統に分かれた」(コーレス,263)。

 

中国の道綽どうしゃく(562~645)は、「浄土宗の儀式において、平信徒も修道僧も数珠の刻み目を利用して[念仏]の回数を数えられる方法を紹介し、功績をあげた」(コーレス,253)。これと対照的なイエスの言葉がある。「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている マタイ書6:7。」

 

親鸞が重要視したのは、第一に阿弥陀仏であったが、彼は観音(日本で高い仏像の数が最も多い)をも敬っていた。浄土宗の経典の中に出てくる絵画には「阿弥陀仏の両側には彼が敬愛してやまない菩薩(とても思いやりのある観音)と大変力強い勢至せいし菩薩が居る」(コーレス,253)。しかしながら、これらの人物(阿弥陀仏と観音)はキリスト以後に現われている。しかも彼らは歴上実在した人物ではなく、聖人伝作家が創作したものである。

 

法然は説教の中で瞑想と功徳については一切触れず、信心と念仏だけに絞ったが、親鸞はさらにこれを推し進め、自力信仰を全く認めず他力信仰を信じた」(ロビンソン,255)。タイの有名な仏教学者P・A パユットは述べている:「仏教がどこまで広がっても、その教えが曲解されても、この人間的努力を重視することは決して変わらない。もしこの原則が失われたらもはやそれは仏教ではないと断言する」(38)。パユットによれば、真宗仏教は仏教と呼ぶべきではない。それは自己努力を強く求める態度が全く欠けているからである。

 

唯一の救済者

一見したところ、阿弥陀仏はキリスト教における神の役割を果たしているようだ(恩恵によって救済し、業[わざ]によって救済しない)。しかし、万能の神と阿弥陀仏の間には大きな相違点がある。「阿弥陀は------総括して宇宙の中で唯一の存在ではなく多くの仏の中の一人でしかない-----総括して宇宙を創り、支え、破壊したりはしない-----存在論の支持者でもない-----総括して宇宙のために存在論的な“高度の力”として崇拝者たちの上に立っているわけではない-----彼は仏陀ではない時代もあったので、その人生は無限というものではない」(コーレス,247~248)」。

 

法然と親鸞が浄土宗の教義を変えた唯一の存在ではない。「以下の二点、即ち瞑想に代わる念仏朗唱と悪人も阿弥陀仏誓願によるご利益に与れるとしたことは、インドの阿弥陀教義からの中国式逸脱である」(ロビンソン,196)。年とともに浄土宗の教義は多くの点で変わってきた。真宗はただ浄土宗教義から迷走しただけでなく、人を救う権威を持たない架空の人物を追い求めて現実から遊離し迷走した。我々が医者を探す時はその人物の資格と信頼性を調べるし、同様に保険会社を探すときは信頼性と確実性を調べるものだ。

 

救済者を求めるとき、我々は期待度が小さくてはならない。実際、多くを望むべきだ。「ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる イザヤ書45:22」「わたしは神であって、ほかに神はないからだ イザヤ書43:11」「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである ルカ書2:11」。唯一の万能の神が居る!神の言葉:「私の他に救い主は居ない」だから、イエスは「救世主」と呼ばれたのだ。それが、イエスが万能の神である所以だ。

 

イエスの救いは遠くまで及ぶものだ。イエスと共に十字架に付けられ、その時に信仰を持った盗人にまで救いは約束されている。それは空約束ではない。イエスが復活したとき、その力を証明した。イエスが死から蘇った復活に関する歴史的な記録は多くの法律家をイエスに信仰を持たせた価値を持っている。「十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互いは自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。:イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう ルカ書23:39~43」。 イエスは人生の至るところで人を救い出すことができる。真宗の僧侶の娘の孫娘がどのようにしてキリスト教信者になったか、巻末の付録B をご参照願いたい。

 

日蓮にちれん 日蓮宗にちれんしゅう

2004 年現在、日蓮宗の信者は日本総人口の約13 パーセントを占めている。

日蓮(1222~1282)も天台宗の出身であるが、法華経を彼の宗教集団のものとすべく集中的に取り組んだ。「法華経だけが純粋な真実のダルマ(仏教の教え)を述べている。他のすべての仏教宗派は間違っている-----」と日蓮は信じた(ロビンソン,256)。「日蓮の布教活動は、仏教の指導者というよりも神道祈祷師の形を追った。彼は主に勇気と-----時には霊媒のように見えた自分の個性によって信奉者を惹きつけた」(ロビンソン,256)。「------彼が勧めた修業は極めて単純なもの:即ちお題目「南無妙法蓮華経」を繰り返すことだった-----後日、彼は自分の信仰を表現した御本尊と呼ばれる曼荼羅まんだら(聖画)を創ったが、人々は称名を繰り返す間、それに注目しなければならなかった」(ロビンソン,256)。

 

日蓮は彼の本名ではなく太陽と蓮を意味する彼自身の命名である。「日(太陽)は真実の信仰である日光のみならず、日本そのものを意味している。蓮はハスである」(ソーンダース,231)。日蓮はまた多くを書き残している。「それらは他の宗派とくに阿弥陀教と禅、それに後には真言と律の誤りを指摘することに集中している。実際、これら4 つの宗派についての敵意に満ちた批判が日蓮宗の特徴となった」(ソーンダース,233)。「日蓮は宇宙的な救済の教義を推進したが、彼の宗派は日本の宗教史上、最も排他的で好戦的なものへと発展した」(Michio,273)。日蓮はこのように述べたことがある:「彼らが無実のモンゴル人の首をはねながら、日本の敵である念仏(浄土)、真言、禅、律の僧を無傷に終わらせたことは残念至極だ」(メーソン&ケイガー,165)。

 

「日蓮は、原始仏教の性格を教えながら、法華経について深い内省を加えて彼の教義------永遠の存在である釈迦、経典の真実の教え、そしてすべての存在は根本的に一つであること-----を示した(ロビンソン、256)。この信仰は日本仏教の他の宗派(華厳、天台、真言、禅)と同様に汎神論的に見える。

 

例えば、天台宗では「------すべての生命(人の命は別として)は基本的には同じでありこの世にあるものは基本的に統一されているとするなど、この教えは法華経に基いている(メーソン&ケイガー,102)。このように、「存在物の統一性」、釈迦の最高の独自性、それに“すべての生き物”ということになれば、善と悪の間に区別がつかなくなる。すべてのものは一つで善と悪を包含すると言えば、それは多神教である!日蓮は法華経に基いて「善」と「悪」を判別しようとしたが、その拠って立つ基盤を持たなかった。日蓮は彼の考えの善悪について考えることに無関心というわけではなかったが、彼の体系の中に、権威を備えこの宇宙の悪と手を切る基準というものを持ち合わせていなかった。万能の神のみがそのような基準を持つことができる。

 

観音

京都には1000 を数える観音像がある。それらの像の周りには28 の「護衛者」が居て、多くは頭や腕に蛇を巻き付け、悪魔の形相をしている。この28 の護衛者の多くは、ヒンドゥー教の教えに従って日本へ持ち込まれたものだ。このことが、“神”が悪魔の姿をした者に守られていた時代を示していないだろうか?悪魔が真実を推し進めようと思わないのは確かである。ダライラマは男性ではあるが観音の生まれ変わりだと言われており、通常、観音は女性の姿で現れる。「中国では、観音は最終的に女性として表現された」(ロビンソン,108)。ところで、Canon(カメラ・プリンターのメーカー)の商品名は観音に因んで名付けられたものだ。(https://www.canon.com/about/history/outline.html)

 

観音は聖しょう観音かんのんの名によって法華経の中でとくに注目されている。法華経の中で観音は女や少年あるいは少女、ガルーダ(鳥)、蛇にさえ姿を変えることができたと記録されている-----

(www.bdkamerica.org/digital/dbet_t0262_lotussutra_2007.pdf)

 

「観音経は3 世紀の終わりに法華経に編入された(ロビンソン,108)。「---弥勒菩薩みろくぼさつや文殊菩薩もんじゅぼさつ、それに観音、これらの偉大な存在は歴史上の人物ではない。そのうちのどれも、人間の英雄を神格化したものと言う証拠はない---。奇妙なことに、3 世紀までは天空の菩薩について述べた経文はない---」(ロビンソン、105)。

 

日本にはアメリカの自由の女神像より高い観音像が10 個もあり、32 の観音像は高さが17~100 メートルもある。悲しいかな、何百万円もの金がこの歴史上の人物ではない偶像に投じられている一方で、真に称賛と注目に値する我々の創造主は無視されている。しかし、神は偶像なみに崇拝されようとは望んでいないが、イエスの教え通り「精神と真実」のなかで崇められるべきである。イエスの存在は歴史上充分確認されている。イエスは奇蹟を起こし、完全な人生を送り、死から蘇り、彼が生まれる数百数千年も以前に、旧約聖書の中で数百項目の詳細な預言がなされている。イエスの言葉:「---わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない ヨハネ書14:6。」

 

足利~江戸時代(西暦1333~1868) 停滞

この時期、「曹洞宗そうとうしゅうと臨済宗りんざいしゅう(ともに禅宗)以外のすべての仏教徒は、自らの利益を守るため武装社会を形成したが、数百数千人も虐殺される結果となり、国家統一のための手段としての仏教の威信を落した」(ロビンソン,257)。この時代に国家の中枢は江戸(現東京)に置かれ、鎌倉時代(1185)から明治の初め(1868)まで、日本は殆ど将軍(幕府)によって統治された。「---長期の平穏無事な体制が続き、海外からの新しい知識や課題がもたらされなければ、結局、仏教の組織は活気を失っていくしかない。徳川時代の終わり(1868)までのこのような状況は“無感動”と呼ぶにふさわしい(ソーンダース,247)。

 

明治時代の初期(1868)、仏教は最低の状態だった。徳川将軍に統制されてきた空虚の時代は、宗教の統一という形で将軍の権力とともに終わりの日を迎えた---。1867 年に幕府は倒れ、その翌年に仏教は廃止されてその財産の殆どを没収された(ソーンダース,255)。

 

明治時代(1868~1912) 改革

明治維新は社会の多くの面を変革したが、もちろん藤原氏とそのあとに続く征夷大将軍によって奪われた天皇の正統な地位を復活させる契機となった(メーソン&ケイガー,258)。天皇の昇進と相まって神道の地位が上がった。「1870年、政府は大教、つまり偉大な教義の名のもとに神道を国家的宗教として採択したと宣言した。激しい布教活動が始まり神官たちが日本中に派遣されたが、彼らの任務は儒教と仏教の誤りを正し、神道の思想を守り抜くことにあった」(ソーンダース、257)。

 

大正~平成時代(1912~現在) 革新

第二次世界大戦後、「---天皇は公式にその神格を否定し、国民は家の宗教の束縛されることがなくなり、土地収益配分(農地改革)政策が法制化された。これらの国家による指令の複合効果はまず、日本史上初めての宗教に関係のない政府を創り出し、個人には完全な信教の自由をもたらした」(ロビンソン,264)。新興宗教が続々と現れた。その一方で、「世論調査では日本人の多くは自分たちが特定のグループに所属しているとは思わない」ことを示した」(ロビンソン,265)。

 

創価学会

創価学会の仏教は、日蓮宗の分派である。1938 年に始まり、日蓮の教えに基いている。「この宗派は伝統的な詠唱の修練を勧める------ただこの詠唱の目的は、現世の目的(利益)を得るためである:即ち、職場での昇進、経済的な成功、家内安全、身体的・精神的な病いの平癒などである」(ロビンソン,265)。「御本尊読本が創価学会宗教の中核をなしている」(デュムラン,259)。

 

「この宗教の人間的特性は現代表池田大作の霊的権威が明確に反映されている。彼は「御本尊、どうか本日これをやり遂げられますように」と毎日熱心にお祈りするよう信者に説いている(デュムラン,259)。日蓮が自分の教えの全体内容を解りやすく示すために作った曼荼羅(聖画)の中に法華経の理想像をリアルに表現しているものがある。ある「御本尊」は日蓮正宗と創価学会にとって特に重要な意味を持っている。ある巻物は縦書きの表意文字である-----(デュムラン,258~259)。デュムランは総本山の大石寺を訪れて次のように述べている:「---私はそこに居合わせた若い人たちの恐れを知らぬ深い信念に心を動かされたが、同時に彼らの気質が間違いなく御本尊にピッタリつながっているのを感じた」(デュムラン,259)。

 

デイビッド・ヘッセルグレイブは創価学会と日蓮正宗(当時の上部組織)との争いについて述べている:「1925 年に1 億ドル(現在の交換レートで優に2 倍以上)をかけて建てられた正本堂(日蓮正宗総本山の中心建物だが殆ど創価学会から寄進された)は仏教界では最も印象的な建造物だった。しかし、有名な建築家、政治家、様々な宗派の宗教指導者たちの嘆願や抗議があったにも拘らず、日蓮正宗の僧は3,500 万ドルをかけてこれを取り壊してしまった!1991 年、法王阿部日にっ顕けんが池田大作(創価学会代表)とその弟子全員を除名するという思い切った処置を下したことで、権力闘争と派閥争いは頂点に達した」。www.emsweb.org/images/stories/docs/bulletins/hesselgrave_nichirenists_2

_2000.pdf

 

日蓮正宗と創価学会との間の衝突は、遠く第二次世界大戦直後まで遡る。1952年、当時の創価学会の代表戸田城聖が、ある日蓮正宗の僧に罪を認める文書に署名するよう強要した。「名指しされたこの僧は戦時中に創価学会を抑圧したことと、牧口常三郎(創価学会代表)が獄中で亡くなったことについて責任を追及された。その理由は彼がリーダーとして身延山から分かれた他の日蓮宗分派との合併を図るとともに、国教とされた神道にすり寄ったというものである(デュムラン,258)。この紛争は別として、創価学会のメンバーは御本尊に熱心に取り組んでおり、デュムランは「---日蓮上人ほど偉大なお方は居ません---」という話を聞いた」(デュムラン,259)。既に亡くなっており、“時には霊媒に似た個性を持っていた”(ロビンソン,256)日蓮の再来を招くような巻物と関わることは、言うまでもなく精神的に危険なことだと言わざるを得ない。このことについては”親密な魂“のところで議論したい。

 

レイキ(霊気)

レイキはヒンドゥ―教の教え(チャクラの七霊の中心)の日本版である。1922年、臼井甕男(ミカオ)は仏教の修練に参加した後で、レイキというものから啓示を受けたと語った。それは“超自然の影響“を通じて癒しをもたらす方法である。「---多くの看護師、カウンセラー、とりわけマッサージ療法士が仕事の補助としてレイキを用いている」(ユンゲン,95)。「レイキは1970 年代半ばに日本からアメリカへ渡った。この特殊な療法は約20 年のうちに実践者50 万人に達した。---2005 年までに、この数字はアメリカ合衆国だけで従業者100 万人という驚異的な数字にまで急上昇した!」(ユンゲン,13)。レイキは、世界中に500 万人の信者がいると言明している。(https://www.reiki.ne.jp/reiki_japan/en.html)

 

「----多くのレイキ実践者は、霊的世界と言葉のやり取りでつながると報告している」(ユンゲン,95)。レイキでは「レイキガイド」と呼ばれる霊魂によって指導がなされる。あるレイキマスターが、その経験を述べている:「自分の場合、レイキガイドは「調和」が通り過ぎる時に一番レイキ(霊気)を感じさせる。それは私の背後に立ってすべての過程を導いてくれる。私は、すべてのレイキマスターが同じ経験をしていると思う。私は調和を感じた時に、彼らの存在を強く、持続して感じる。時にはそれを見ることもできる(ユンゲン,95)」。

 

霊れい友会ゆうかい

霊友会は1925 年に日蓮宗の分派として創設された。1963 年、会員数は日本総人口の3.6 パーセントを占めると発表した。現在、世界中に500 万人の信者がいる(https://reiyukaiglobal.org/introduction.php)。「それは法華経に基いており、先祖へ敬虔な尊敬と義務を求めている」(ソーンダース,281)。「----祖先への崇拝がその教えと修業の中心である。それは、一般人が簡単に理解することができ、祈祷師の共同創始者が媒介して信者たちを導いた心と魂の世界へ接触させる」(デュムラン,241)。

 

葬儀と魂

「---伝統的な仏教は、日本文化の過去の遺産を除けばその魅力の殆どを失った。多くの僧侶たちの手から離れた役目に光を当てると、「葬式仏教」というのが、多くの人々がこの伝統的宗派について述べる時の呼び名である(ロビンソン,265)。「多くの寺が葬儀を扱う施設と化し、その管理者たちはまず何よりも、死者に対する儀式についての謝礼を気にした(デュムラン,217)。彼ら(地方の武士と小作農民)の支持を取り付けるために、曹洞宗(禅の一派)はいくつかの人気の高い信仰と儀式を吸収し、とくに死者の葬いと会葬行事を考案したが、それは日本全国の仏教宗派の中でも際立つ特色を持つに至った(Noriyoshi,169)。

 

「写経という伝統的な儀式は浄土、真言、天台各宗派の信者の中で今も人気があるが、これは死者の魂を鎮め、実践者の功徳を高め、写された経典への信仰を深める」(Unno,323)」。同じく、“死者の魂を鎮める”ものに、お盆の行事がある。「----盂蘭盆会うらぼんえ(日本ではお盆とよばれる)は6 世紀に中国で始まり、直ちに日本へ紹介された。「盂蘭盆会の行事の始まりは、無間むげん地獄じごくで苦しむ母を神がかりの幻で見た目連もくれんの伝説の中に見られる。母を救うために彼は釈迦の助言に従って何百人もの僧に食事を寄贈した」(Unno,320)」。この話は随分後になって創作されたもので、何かと多くの伝説を含んでいるパーリ聖典には載っていない。それは中国由来の経典で「盂蘭盆経」と呼ばれている」(ロビンソン,215)。盂蘭盆会の行事内容は当初、非仏教徒のものであった(Unno,320~321)。「---お盆行事の主な目的は死者が害悪を及ぼしたり危ない目に遭ったりしないよう、死者に正しい旅をさせることにある(ロビンソン,215)」。

 

多くの日本仏教の目立った特徴は魂(精霊)の存在である。霊魂の宗教である神道も魂をなだめ、お恵みを求める儀式を持つ。聖書では「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように へブル書9:27」とある。すでに死んでしまった人々に対して、我々は何もできない。生きているときに何かをしたとしてもそれは神によって判定され、その判定は完全で公平である。

 

この世の精神世界にある魂は死んだ家族メンバーではなく、天使か悪魔である。もし我々が神の教えに従わずに神の家族に迎え入れられたら、慈悲深く強いもののふりをした悪魔から騙される恐れがある。彼らは人々の注意を神からそらし、精神的に偽りの絆を作ろうと努める。クリスチャンや神の家族の一員でさえ用心するよう求められる。「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。 1ヨハネ4:1、」。「ためす」という言葉は裁判にかけるように調べるという意味である。我々が彼らのメッセージと聖書の基準とを比べるとき、そのことを行っている。神は、我々が神の言葉から離れて精神的指針を求めるべきではないと、明確に示された。「あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである 申命記18:10~12。」

 

紀元前約700 年に生きたイザヤは、万能の神の代わりに死んだ魂を探し求める人々を非難した。「人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない イザヤ書8:19~20」神はすべての霊に超越しており、私たちは力無い霊によって惑わされる必要はない。万能の神へ単純に服従すればよく、神は我々の人生を導いてくれる。

 

万能の神

もしコンピュータのマウスが道端に落ちているのを見たら、それを製作したものがいることを誰も疑わない。コンピュータマウスはひとりで出来上がったのではない。我々がそのメーカーを確かめなくともコンピュータマウス自体が生産者の存在を示す証拠である。人間はコンピュータマウスを製造する工場を持っている。コンピュータマウスはその「尻尾」を通じて、種類によっては尻尾を持たず“離れて”コンピュータへ情報を伝えることができる点で素晴らしい。しかし、本物のネズミは自分の脳を持ち、自分の身体へ命令を伝達できる。

 

我々は通常、人間がこんなものを創りだしたのを見てコンピュータマウスは「ハイテク」だと思うだろう。しかし、本物のネズミを作り出すことはできず、我々は実のとこころ、コンピュータマウスは「ローテク」であり本物のネズミを「ハイテク」と呼ばざるを得ない。神だけが本物のネズミを造り出せるのだ!我々に神の姿は見えないが、ネズミ自体がその造物主の存在を証明している。それはコンピュータマウスよりはるかに複雑で、偉大なデザイナー(神)の力なくして、ひとりで生まれたり、ひょっこり現れるものではない。神はまた、自分とそっくりの姿をして他の動物とは違う人間を創り出した。猿は猿社会の警察官、裁判所、図書館、哲学者を持たない。彼らは本能に従って生きている。人間には善と悪を選ぶ自由がある。人々はいつの日か、その人生において何をなしたか、また造物主・神に対してどのように応えたか、神によって責任を問われることになる。

 

現在のところ、地球上でもっとも高い偶像は中国にある菩薩像で、その高さは128 メートルである。万能の神と比較すれば、その彫像は塵の一片のようなものだ。どうしたら人の手で万物を創造した万能の神にふさわしい偶像を造れるだろうか。人々が頭を雲の中に隠す8 千メートルの高さの偶像や頭を雲の上に突き出す1 万2 千メートルの像を造れたとしても、万能の神に比べればまだまだチッポケなものだ。「主はこう言われる、天はわが位、地はわが足台である。あなたがたはわたしのためにどんな家を建てようとするのか。またどんな所がわが休み所となるのか イザヤ書66:1」。

 

日本の仏教では大日だいにち菩薩ぼさつは太陽の神として賛美され、神道では天照大御神は太陽女神として崇められている。太陽は我々の崇拝に値するものだろうか?宇宙はそれ自体、大日菩薩の霊の出現だと言われている。宇宙は我々の崇拝の対象となり得るだろうか?太陽は確かに巨大で、驚くべきものである。しかし、宇宙全体からすれば、同じく取るに足りないものだ。太陽と宇宙は神の信じられないデザインを指し示す。万能の神はその創造物とは別の存在で、遥かに偉大だ。この宇宙は罪によっていまだに呪いのもとにあり、神の力を完全に反映しているわけではない。我々は創造主を敬うべきで、創造物を敬うべきではない。

 

ジェイソン・ライルは太陽と我々の宇宙について識見を述べている。太陽は月よりも400 倍離れている。明らかにそれは400 倍も大きいということだ。同じ角度で測ると太陽と月は同じ大きさに見え、空の同じ部分を占めている(月食で月は太陽を完全に覆い隠してしまう)---もし太陽が空洞だったら、100 万個の地球を収容できる---1000 億個の星を抱えた銀河の大きさを考えた時、創造主の圧倒的な力を見せつけられる。しかも、我々の銀河は唯一のものではなく、少なくとも銀河系にある星(1000 億個)と同数の銀河系外星雲があると見積られている。https://www.answersingenesis.org/articles/tba/splendor-of-creation#fnMark_1_1_1

 

宇宙が信じられないほど大きい(太陽を小さく見えさせる)ように、万能の神はご自身が作り出した宇宙よりも偉大である。「主は言われる、「人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか エレミア書23:24」。

 

結 び

大乗仏教(Mahayana)は日本、中国その他の地で、様々な変わったやり方で表現され実践された。大乗仏教ではお互いに完全に反対の考えを持つ宗教もあるが、それらはなお大乗仏教の分派だと考えられている。それは、悟りの境地はごく少数の人間が得られるとする小乗仏教に反対する大きなグループに属するからである(上座部仏教が小乗仏教宗教の唯一の生き残りである)。大乗仏教は歴史的に遅れてスタートしたが、多くの新しい霊感的な考えを既存の無価値な体系(小乗仏教)に付け加えた。この稿では日本仏教の欠陥のいくつかを検討してきた。

 

我々が、もしすべてが包括されると(真言はとくにこの点でハッキリしており、他の宗派はそれとなく暗示する)、悪もまた“仏性”の中に取りこまれてしまうと考えれば、汎神論的な観方を強調する真言と他の宗派は内部崩壊する。禅は、他と交流する試みを避けながら無言の説教と超論理的なアプローチに依存する。真言仏教は、自己努力(自力)の無力を認めるが、限られた想像上の存在に助けを求める信仰を暗示している。様々な日蓮宗の宗派は、等しく法華経に基いているが、その基盤はあまり信頼できない。法華経は西暦200 年頃に作成されているが(ロビンソン,85)、釈迦の最終的な説教だと言われている。死後600年では遅すぎて、信頼できないそうもない。さまざまな宗派が「死者の霊」を呼び起こしていると考えているが、それも限定的で闇に包まれており、実際は欺きの霊を呼び起こしていることを知らない。それは別として、私たちが永遠の救いを見出すのに、力無い霊は何の役にも立たない。神は万能である。万能なるが故に、神と神以外の存在を半々にといった態度ではなく、全幅的に信仰されることを求めている。

 

もし我々がこれらの宗派の考えを、我々を救い天国へ連れて行く「乗り物」に喩えるなら、彼らはガソリンもタイヤも持たないただ想像上のもので、我々をどこかへ連れて行く能力はない。人間はこの地球上の道路を走る乗り物を造る工場を持っているが、天国へ連れて行く乗り物を造る工場は持っていない。万能の神だけが人を天国へ連れて行ける。そして、それはイエスキリストを通じて聖書に述べられている神の言葉の中にある。

 

1946 年、元犯罪者の石井藤吉はキリスト教徒になった。彼は次の言葉を書き残している。「また、僧侶や牧師など人の死に立ち会う人たちは、“死の直前の言葉はその人の魂の底から出てくるもので、ウソは口から出てこない”と言います。イエスの最後の言葉“父よ、彼らは自分たちの行ないがどのようなものか分からないのですから、彼らをお許しください”私はイエスの最後の言葉は真実の心から出たものと信じます。その箇所は何を意味するのだでしょうか?それをキリストの愛の心と呼ぶべきでしょうか?それは彼の思いやりなのでしょうか?何と呼んだらいいのか分りません。私はそれを口では言い表せない偉大な心だと信じました。この簡単な文章によって、私はキリスト教というものに導かれていったのです。」

 

キリスト教はただ単なる良い思想ではなく、歴史的に、また預言的な証拠によって確認されている。このことは重要である。経験、夢、あるいは幻といったものは霊的な現実の証拠にはならない。このような“証拠”は法廷ですぐ退けられる。我々がキリスト教の中で手にしているものは、人生の転換やイエス・キリストや神の教えの素晴らしい真実だけではなく、法廷で証明できる種類の証拠である。我々の救世主である神は、すべて我々の礼拝と信仰に値する。いますぐイエスの許に来て、イエスへ信仰を置きませんか。「そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない ヨハネの第一の手紙5:11~12 」。

 

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www.bdkamerica.org/digital/dbet_t0262_lotussutra_2007.pdf

www.emsweb.org/images/stories/docs/bulletins/hesselgrave_nichirenists_2_2000.pdf

https://www.reiki.ne.jp/reiki_japan/en.html

https://reiyukaiglobal.org/introduction.php

https://www.answersingenesis.org/articles/tba/splendor-of-creation#fnMark_1_1_1

 

付録A

人口と心

日本の国土はカリフォルニアよりも小さいが、人口はその3 倍である。アメリカ合衆国の全人口は日本のおよそ2.5 倍しかない。言い換えれば、合衆国国民のおよそ半分がカリフォルニアへ移住すれば、ほぼ日本並みの人口密度となる。他の国と比較すれば、かなり小さな国(但し多くの大変勤勉な働き手がいる)であるにも拘らず、日本は立派に経済成長を成し遂げ、全般的に安定した年間生産量増加は日本の地位を高め、唯一アメリカ合衆国に次ぐ2 番目の経済大国となった。最近、中国が2 番目に上がってきたが、日本はなお世界で3 番目に位置している(GNP による算定)。

 

このような強い経済力の状況下で、日本、中国それにアメリカ国内では、多くの人々の心が万能の神の代わりに金を追い求めるようになってきた。しもべは二人の主人に仕えることはできない。一人が嫌いになったら、他の一人が好きになるからだ。あるいは、一人を守り一人を見放すかだ。人は神と富の邪神に仕えることはできない。「どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。 そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる ルカ書16:13~15。」

 

デール・サンダースの著書「日本における仏教」の中で、彼は1960 年と1963 年に刊行された本を引用しながら日本の様々な仏教宗派の信徒数を示した。1960 年から1963 年にかけての日本の人口は約9,585 万人であった。その本の統計を用い(但し全人口との百分比で)、当時の7大仏教宗派の数字を示せば、浄土真宗(真宗とも呼ばれる)14.9%、創価学会10.4%、禅9.6%、浄土宗(浄土真宗の前身)3.7%、霊友会(日蓮宗の分派)3.6%、真言宗3.1%、それに日蓮宗2.3%である。この真宗の人気を示すものとして、1918 年に発行された「獄中の紳士」の中では、すべての刑務所教戒師は真宗僧侶であったと述べている(石井藤吉,49)。

 

1960~1963 年の統計では、日本人の約56.77%は仏教徒であった。1995 年の統計では、人口の69.6%が仏教徒で神道の信徒が93%であった。キリスト教徒は1.2%を数え、他の宗派が人口の8.1%(ブリタニカ百科事典)であった。明らかに、自分が仏教徒でありまた神道の信者であると考える人々の間には重なる部分がある。多くの人々は、自分は仏教徒であり神道信者であると考えている。この二つの宗教には、時には強制的な区別がなされたが、相互に統合された歴史がある。

 

これらの統計を最近2004年現在のものと比較すると、人口1 億2,760 万人の中で約44%が自分を仏教徒であると考えている。奈良宗教は人口比0.56%、禅2.6%、天台宗2.7%、真言9.9%、日蓮13%、浄土15.3%である。創価学会、霊友会それに日蓮は、日蓮宗の名のもとにまとめられ、同様に浄土と真宗は浄土真宗に含まれているようだ。要約すれば、浄土真宗と日本の法華経につながる分派が最も人気が高く、真言宗、天台宗、それに禅も信者数で高い比率を示している。

 

現在世界で最も高い仏像は中国にある大日如来で、高さは128メートルある。日本には合衆国の自由の女神像(46 メートル)より高い観音像が10 個ある。日本で一番高い仏像は「阿弥陀仏」で高さ110 メートルである。日本にある高さ13~110 メートルの総ての仏像は、次の4 つのタイプに大別される。即ち大日如来(3 個)、空海(4 個)、阿弥陀仏(4 個)、そして観音像(32 個)である。これらの像に投入された莫大な資金は、人々の心がどこにあるかあるかを物語っている。「あなたの宝のある所には、心もあるからである マタイ書6:21。」

 

様々な仏像の人気を様々な仏教宗派の人気と比較すれば、いささか食い違った様相を示している。真宗の人気については、我々はもっと阿弥陀仏があってもよいと考えられる。観音像にはズバ抜けた人気があるが、それは独自の宗派を持つものではない。しかし、観音像は法華経の中で目立っており、創価学会、日蓮、霊友会それに天台宗は、すべてこれを崇めている。真宗と浄土宗はまた観音像を阿弥陀仏の次に置いている。大日如来は真言宗の中心仏である。空海(774~835)は真言宗の創始者だったことから、この統計比率については納得できる。 以上

 

(日本語訳 外本唯幸 2013.10.28)

 

付録B

川崎あき子の物語 兵庫県出身90 歳 (2013.7 月)

主のみ名を讃美いたします。

今から30年前のころ、息子の高校の時の先生が学校の子供達の心があまりにもすさんでいるのを見て、学問ばかり教えていてもだめだ、魂を学ぶことが大切だと思い、教師をやめ神学校に行き牧師になり、教会で牧会しておられました。

 

私の子供もその先生にみちびかれて教会に行っていました。ある日その先生が私の家にこられ、聖書をひらき、

 

『人はパンだけで生きるのではなく、神のことばの一つ一つによる。』

 

という所を読んで下さり、お母さんも教会へ来ませんか、とさそって下さいました。しかしわたしは自分はぜったいにだめだと思っていました。実は私の祖母が寺の娘だったので [浄土真宗]、子供の頃には近くのお寺の日曜学校に行かされ、お経を習ったり、仏様のお話を聞いたり、朝夕お経をとなえたりしていました。また戦争で家も焼け、すべてのものを失った時、おばあさんの田舎のお寺に疎開して一家がたすけてもらい、命びろいし、そこで住ませてもらっていましたので、そのご恩を忘れ宗教の背信することはできないと思い、いつもパウロのように反対していました。

 

その頃の日本は終戦の焼野原で、物資もすべて失われた状態からやっと何とか生きられるような状態になっていましたが、私は子供の事、家族の事などで、毎日悩みの連続でした。何とか解決法はないかと、禅の本を買って読んだりしましたが何も解決はありません。

 

一度教会に行って見ようかしらと思い、子供に連れて行ってもらいました。はじめて行ったのが西宮バプテスト教会でした。そこにはクレイグ先生という、アメリカから来られたすばらしい宣教師のご夫妻がおられ、聖書のすばらしさをいろいろと教えてくださり、皆様の明るいえがおと親切でよろこびいっぱいのふんいきで、とてもたのしい気持ちになりました。又、罪にみちた人間の世界に神様がイエスキリストを与えてくださり、私達の罪のために犠牲になって死なれたことを知り、自分が今までなやんでいた、せまい、小さい心が180度かわり明るい気持ちになりました。

 

又、多くのみことばを私達にのこして下さった事はどれだけ人々の心を救って下さったか分かりません。

 

日本は敗戦により宗教が個人の自由をみとめる新憲法をさだめられたので、私のようなものでも自由に教会に行けるようになったことを喜んでいます。毎週毎週たのしみに教会へ行っているうちに、いつのまにか月日がたち、90歳となりおどろいています。でも神様にまもられながら、毎日健康で楽しく暮らさせていただいていることをとても喜んでいます。ふりかえるとずい分逆境もありましたが、「聖書のみことば」がいつも解決して下さったように思います。すべてを感謝し、主のみなによってお祈り申し上げます。

 

日本の仏教 極東における大乗仏教

 

スコット ノーブル著(2013年7月25日)

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