死者は人の魂を救えない  

 死者の力が及ばない事は多い。その最たるものが死者は人の魂を救済できないことだ。

以前に書いた「仏教徒の道しるべ」という研究論文のなかで、私は少しばかり仏教教義について考察した。もし我々の人生を旅に喩えるならば、仏教徒の地図は目的地を明確に示さず、地図の作成者は案内人の役目を果たせず、地図そのものが主観的で限られた人間の経験に頼りきっていて、その道案内は精神的に危険なものに満ちている。

 

 私がこの種の研究論文を書く目的は中傷ではなく、人々に仏教の限界を考えてもらい、我々の創造主、神(イエス)とともに平和を分かち合おうというものである。この報告文で、私は5つのテーマを掲げた。すなわち、①不正確な歴史記述②拠り所は自分自身③満たされない心の隙間④支えのない道徳心⑤イエスキリストからの逃避である。またこの研究文では、文芸作品の中で釈迦と最も関わりのある“動物”は何かを明らかにしたい。

 

  1. 仏教の歴史記述の誤り

 

教法(仏教徒の経典)

まず、仏教徒の正典であるパーリ聖典は(釈迦の時代から)随分と遅れて作成されており、他の仏教宗派の経典はさらにその後に作られたものである。パーリ聖典はおよそ紀元前70年にスリランカで作成された(Veidlinger,23):

「最近の多数説では、パーリティピタカ経典は彼らの創始時代から紀元前1世紀までの約400年の間に口伝で伝えられたとされている(Veidlinger,2)」。 

また、書かれた時点から現存する最古の稿本までの間に大きな時間差がある。Veidlingerによれば: 

「小乗仏教(テーラヴァーダ)における伝統的な手書きパーリ聖典は19世紀の稿本の中に多数現存する。これまでに発見された最古のパーリ聖典は6世紀まで遡る------それは選ばれた1節1句の集まりである。スリランカから発見され現存する最古の稿本は1411年に発見されたSamuttanikayaだ。」(14-15)

これは、二つのウェブサイトからの引用でも確かめられる:

「現存する最古の有形遺物(経典)はネパールで発見されており時代は8~9世紀である。独立した経典で最古の完全稿本は15世紀のものである。そして18世紀以前の完全な経典写本はない。

https://dharmastudy.net/the-pali-canon

「ネパール以外、インドの何処からも現存する稿本は出ていない。PTA(パーリ聖典協会)発足以後、学者が利用している稿本の殆どは18~19世紀の時代のものである。

https://www.palitext.com/subpages/lan_lite.htm

 

同様に、Hinuberはこの状況について次のように確言している:「完全な経典を継続的に書き残すという伝統はせいぜい15世紀後半に始まったばかりだ。そこで、小乗仏教派が文献としてすぐ利用できる原典資料は、釈迦から約2000年もの時間的な隔りがある」(4)。ここで“完全な経典”という言葉はパーリ聖典から独立した経典を意味する。もし最近の学説に従って釈迦の死を紀元前410年だとすれば、釈迦と完全なパーリ聖典稿本との時間差は2000年以上となる。

 

そこで、釈迦の時代からパーリ聖典完成まで400年、最古の独立稿本まで約2000年(それ以前にもいくらかの断片は見られる)、そして釈迦の時代から最古の完全なパーリ聖典に至るまでには2000年以上の時間的隔たりがある!

 

これに比べ、我々にはイエスキリストが死から生き還ってから約150年後に独立した新約聖書の稿本(それ以前にもいくらかの断片は見られる)があり、キリスト復活300年後の完全な聖書の原稿がある。死海の洞窟から発見された紀元前約200年の旧約聖書がある。

  

19世紀に、パーリ聖典はビルマで石に刻まれた-----

「ミンドンが初めて機械で刻印された硬貨をビルマに紹介した。そして1871年にマンダレーで第5回仏典結集を開いた。彼はすでに1868年に世界最大の書籍を発行していたが、それはTipitaka(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵)と呼ばれる729頁もの仏教パーリ聖典で、大理石に刻まれ夫々の石板は小さな仏舎利塔の中に納められていた------。」 

https://en.wikipedia.org/wiki/Mindon_Min

 

「石に刻まれた」というのは、絶対・忠実なものに対する慣用句であるが、トレバー・リングはミンドン王の事業について述べている:「経典を刻む際の誤りは訂正されなければならなかった」(124)。この訂正は1954~1956年のビルマにおける第6回仏典結集で行われた。

 

スリランカ [ここで最初(紀元前70年)にパーリ聖典が書かれ注釈本(西暦500年)が作られた] の歴史記述の中では、この経典は12世紀に追放されている。

「ParakkamabahuⅠ世(1153~1186)が12世紀にセイロンで仏教を改変したとき、AbhayagiriとJatavana寺院の僧侶たちは、Mahavihara(大乗仏教)の流儀に従って再任された。その結果、彼らの経典は次第に消失し、一つだけ現存する小乗仏教経典は唯一の大乗仏教寺院Mahavihararaのものである(Hinuber,22)。 

パーリ聖典の記述は石に書かれたものとは遠くかけ離れている(それが意図されたものだとしても)。いわゆる釈迦自身の言葉(パーリ聖典のVinaya Pitaka)も、彼の教えがいつも正しいと伝えるべきではないと指摘している。

 

 

「アーナンダよ、もし女性たちが真実の発見者によって宣言された教えと規律について道を外れることがなければ、バラモンたちの修行は永続し仏教の真理は数千年長続きするであろう。しかし、アーナンダよ、女性たちは真実の発見者によって宣言された教えと規律から道を外れたので、いまやアーナンダよ、バラモンの修行は永続せず、仏教の真理は500年しか持ちこたえられないであろう」(356)。

 

女性たちは“道を外れ”すでに500年がすでに経過したので、彼自身の言葉によれば、その教えは期限を超えた。もし我々がそれは誤った預言だと言えば、パーリ聖典の権威は傷つけられ、釈迦は偽りの預言者となる。もし我々がそれは真実の預言であると言えば、それはやはり偽りとなる。なぜならば、すでに500年が経過しており、結局、「真実の教え」(それが真実であるかどうかの預言も含む)はもうどこにも存在しないからである。

 

自身は献身的な仏教徒であるが、Shravasti Dhammikaは小乗仏教について手厳しい批判をしている。彼は何度か、その著作の中でキリスト教の力を認めている。

「キリスト教徒はタイの総人口の中でごく少数派であるが、彼らはかなり幅広い非政府社会活動を行っている。他の小乗仏教の国においても同様だ。小乗仏教徒のささやかな社会活動への原資は地域社会の枠を超えてもたらされ、このような社会活動は通常、西欧ないしキリスト教の影響を受けている------それはキリスト教社会活動の模倣か、キリスト教徒が行う社会活動に対応したものだ。キリスト教において、愛を人生の中心に向かわせ、信者に実践させるものとは何か?小乗仏教宗派において、これを実践から阻んでいるものは何か?」

https://www.buddhistische-gesellschaft-berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf

 

しかし、それにも拘らず、彼はパーリ聖典そのものが不完全なものとは考えていない。彼はさらに断言する:「悲劇的なのは、たぶんパーリ聖典に於ける釈迦の教えが、他の古い教えよりも我々と同時代の問題やニーズを提起できることである。」

https://www.buddhistische-gesellschaft-berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf

 

これは実に皮肉なことだが、とくにその数ページ後で彼はパーリ聖典の権威を傷つけ、同時代的な問題に言及するティピタカ以上に彼自身の意見を述べながら、自己矛盾に陥っている:

「釈迦の教えがどうであろうとも、仏教徒たちは(女性たちを僧院から締め出すのは良くないこと)で、(21世紀の今日、彼女たちに必ず男性に席を譲らせるのは間違って)おり、(彼女たちは伝染病を持っていると疑うのは失礼だ)と解っている。彼らはこのことや他のいくつかの問題点について、次のように釈迦が語っているカラマ経典を彼らなりの指針とすることだろう:  

「伝統に従って進むな------聖典に従って進むな------しかし、自分自身である事

 

 

柄が正しく善いことで道理にかなっていると分かったとき、また結果的に幸せで恩恵を受けたときは、それらに従え」。(A.Ⅰ,188)  

https://www.buddhistische-gesellschaft-berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf

 

まず彼は釈迦の教えを称え、次に「釈迦の教えがどうであろうとも-----」と述べてその権威を傷つけ、そして女性の役割に関して釈迦の言葉に従わない(“-----はどうであれ”の教え)。この事例では、まさに西暦5世紀の仏教評論家Buddhaghosaと現代小乗仏教徒の行いについて批判したことを、彼自身が実行している:「多くの小乗仏教徒は、それが釈迦の教えに反するものであっても、Buddhaghosaの解釈に同意するだろう」(上記ウェブサイト参照)。

Dhammikaは釈迦の教えに反する現代解釈を持ち出して、同じことを行っている。そして彼は自らの権威を傷つけるだけの釈迦の教えに帰ってくる“聖典に従うなかれ”。「なぜ聖典に従わないのか?」「理由は聖典がそう語っているからだ」-----これは自滅的な論理である。それは、彼自身の意見以外に全く権威を持っていないことを示すものだ。彼は自分の目で物事の是非を判断できるはずなのに。

 

ここで本当に問題なのは、適当な解釈を見つけたりパーリ聖典の文字に厳格に拘るようなことではない。問題は、その源が不完全なもので、人々の最も深い精神的な要求に答えられないことである。パーリ聖典の信頼に足りない記述もさることながら、さらに重要な疑問はこうだ:「釈迦は第一義的に精神的な事柄について教える権威をもっていたか?」 単なる一人の人間として(知識も不十分で)、そして現在では死者として、彼は「人はどこに永遠の時を過ごすのか?」「人生の目的は?」「人はどこから来たのか?」といった究極の議論に対して助言を行うには余りにも相応しくない人物である。

 

 実際、釈迦はしばしば永遠の問題よりも現世のことに人々の注目を集めるだけで、これらの重要な題目から人々の注目を逸らせている。もちろん改革を求める現代の僧侶たちに釈迦以上の権威を求める余地はない。すべてを知り、死をも超える力を有し、この世を創造・所有し、人々に精神的な真理を教えるに足りる権威を持っているのはキリストだけだ。パーリ聖典の中に、極端な事例を述べた二つの物語がある-----

 

「パーリ経典のVinaya(律)の中に、僧侶になろうとする者は必ず「お前は人間か」という質問を受けることになっているが、その理由について説明する驚くべき話がある。その話はこうだ:ナーガ(鎌首をもたげてあたかも釈迦を雨から守るように見える大蛇)が姿を変えて、僧侶になった。

「そしてある日、仲間の僧が夜中に起きて明け方まで瞑想歩行の修行を行うため外出した。大蛇は同室の仲間が出かけたことを確かめて深い眠りに就き、眠っているうちに元の姿に戻ってしまった。蛇は部屋一杯にふくれ上がり、そのトグロは窓から外へ突き出た。しばらくして、その同僚が自分の部屋に帰ろうと

思ってドアを開けると、部屋中が大蛇で一杯にふさがれていた------彼はその光景を見て仰天し、叫び声をあげた(Strong,19995;P62)。」 

 

パーリ聖典の中にもう一つ信じられない出来事がある。それは現在も(さらにこの世のある限り)存在すると思われているが、屋根がないのに雨が降りこまない家である。

「Majjihima-Nikaya(中篇の物語)の中に、寺院を修理するため陶工の家の屋根を“借りた”僧侶の話がある。ただ、この陶工と盲目の両親は屋根を人に貸すことになって怒るでもなく、7日間、言葉にならない喜びに包まれた。このとき「因果関係」の法則に従えば実に奇妙な現象が起こったのだ。ものすごい豪雨で村中、国中が水浸しになったが、この屋根のない家には一滴の雨も降りこまなかった。そこでこのGati Karaの家屋敷はそのまま永久に保存するように命じられた(King,121)。

著者は以上の現象について今日的な説明を加えている:

「この場所は永遠の都市Benares周辺のどこかであろう。インド政府はそれを突き止めるべきである-----とくにネール氏は敬虔な仏教徒のようだから。いとも簡単なことだ。Benaresから半径100マイルそこらの範囲内で村の首長の家を詳しく調べる必要がある。そして、この素晴らしい場所を探し出すことだ。それが発見されれば仏教の人間性に与えるインパクトは大きく、インドの旅行業者も大きな収益を得ることができるだろう(King,121)。 

 

Milindapanha(「Milinda王の問い」)に、いま一つ歴史の記述で正確性を欠く事例があり、ビルマ人はそれに正統性を与えている。Hinuberはこう述べている:「Menandros(ギリシャ王)は歴史上の存在であるが、Mil(Milindapanha)は歴史と無関係な経典本である:Milindaは6人の異教徒と語ったが、それは何と釈迦と同時代の人物である!(83)」。Menandrosは歴史上250年以上もの間、釈迦から隔離されていた。このほか、歴史上不正確な事例としては、アショーカ(Asoka)王に関する巻末の資料を参照願いたい。

 

 これに対してLuke王という人物を見てみよう。彼に関する説明はこのような反対意見による詳細な歴史的、考古学上の精査も経た上で聖書の中で確証されている。これに関するやや専門的な本としてはColin Hemerの「古代ギリシャ歴史創設の記録」がある。いわゆる仏教経典の歴史と呼ばれるものには不正確なものが多い。パーリ聖典には多くの伝説部門がある。こられの経典は「物事の道筋」を示す科学的な報告文という点では正しくないが、それでは、永遠の魂といったことになればいったいなぜ人はそれを信じ ようとするのだろうか。永遠の魂も同様に仏教経典の中では否定されているが、史実に反した本の中に精神的な誤りを見出してもさして驚くには当たらない。まことに残念で皮肉なことだが、仏教徒の経典には権威がなく、その代りに仏教徒に神を見出させようとすれば彼らはより自分自身に頼ろうとする-----これが、彼らは自らの教えに従い、恒久的でなく常に変化している特徴である。

 

  1. 拠り所は自分自身

 

パーリ聖典と史実に相関関係がないことについては仏教徒もある程度承知しているので、仏教の経典は重要視されていない。この経典への熱意がなくなると、代わって自分自身の中へ意識が集中する。しかし、それでも問題は解決されず、魂は存在しない(Anatta)という釈迦の考えからすれば、このことは問題の解決を難しくするだけだった。ウオルドルフ・ラフーラは「釈迦の教え」の中で述べている:「------釈迦は、一度ならず、アートマン、魂、自分自身、或いは人の内外または宇宙のどこかにあるエゴの存在を、明白な言葉で、きっぱりと否定している。」(Rahula,56―57)

 

仏教における三つの伝統的な避難所(心の拠り所)は、釈迦、教義、僧侶社会である。一般に避難所へ向かうという考えは、我々が外部から助けを求める状況を想定している。人は制約を受け限定された存在だから、無限の信頼できる隠れ家を欲しがるものとされる。これらの避難所は三つとも荒廃して役に立たず、さらに悪いことに、第4番目の避難所が提案されている。それが自分自身である。パーリ聖典Dhammapadaの教え(Kumarakassapaの母の話)は、「自分自身」を前面に押し出してくる:

「Bhikkhus とbhikkhunis、他人に頼りきる彼らは人生の進歩も繁栄も得ることができない。だから、人は自分自身が避難所か主君であり、他人は誰も我々の避難所にはなれないのだ。」

https://www.buddhapadipa.org/plinks/MHAR-6ELBY2

 

 この三つの避難所は釈迦の本生話(説話集)の解説で重視されている。“自分自身”は最高に重要な避難所として強調されているのだ。しかしながら、結局のところ、これらの避難所は四つとも信頼に値しない:

 

  1. 「教義」を避難所とすることは、全般的にその教えが指し示す方向として避難所を自分自身の中に造ることだ。しかし、その教えが史実として信頼できないことは明らかであり、又その教えは釈迦の教え“聖典に従って進むことなかれ”と矛盾する(A.Ⅰ.188)。もし人がこの訓戒を無視して聖典に従えば、人は途中で再びそれによって進むのを阻まれてしまう!現在多くの仏教徒は仏教経典を超越的、不変の権威として捉えておらず、それは人々の現代的意見(経典に優る自己依存)に従って修正されてもよいと考えている。
  2. 「釈迦」を拠り所とすることは、救いの手を差し伸べることができない死者に頼るということだ。伝説と信じられない歴史に満ちている彼の伝記で人々を救うことはできない。
  3. 「サンガ」(僧侶社会)に救いを求めることは、自らの苦しみを抱え、一時的で、変わりやすく、永続性のない自己に依存することである。上記の説話の中にも「他人に頼る者は人生の繁栄、進歩は得られない」との記述があるが、それは僧侶への依存をも意味している。
  4. 自分自身の中に拠り所を持つということは、まさに限られた避難所に身を置くことである。これでは人の限界を超えた問題は解決しない。自己は一瞬のうちに無視され(魂の不在)、次にそれは逃避の場所と化してしまう。

 

本当に独立した人物という者がいるだろうか?言い換えれば、自分というものに本当に頼ることができるだろうか?誰しも他人から何も受け取っていないし、神からも授かっていないと言えるか?どんな人物が、本当に一貫して“人は自分自身が拠り所である”という信条で生き抜くことができるだろうか?

 

一例として、理由があってこれを信条としている仕立屋を採り上げてみよう。まず彼は衣服をすべて自分で作らなければならない。他人が作ったり買い与えたものを着用することはできない。しかし、彼が使えるものは自分が木綿畑や蚕室などで作った織糸や布地だけだ。また、彼は自分で作った鋏やミシンしか使えない。さらに、彼は自分で鉱山から鉱石を掘り出し精錬しなければ、仕立の道具を作ることはできない。しかし、他人が作った装置を使わないで彼はどうして鉱石を掘ることができようか?そして、自分で植え付け料理したものでなければこの仕立屋は何も食べることができない。調理具にしても自家製でなければならない。そして、彼の家も自分で造るしかないのだ。

 

もしこの哀れな人物が、全く他人に頼ることを拒み一人暮らしをする中で時間と労働力が足りないと痛感したら、きっと彼は森へ行きそこに住みたいと思うだろう。しかし、そこでも彼は自分自身の避難所は不十分だと悟ることになる。森の中(街の中でも同じだが)で彼は神が創造した多くのもの-----食用の植物、避難所のための樹木、命を支える水などに頼らなければならない。また、神が与えた口がなければ食べられないし、手足がなければ物を作ることができない。同様に、神から授かった頭脳と魂が無ければ物事を考えたり選択することは不可能だ。いかに彼が自分自身の避難所になろうと思っても、究極のいや現実的な意味で、それを許さない彼の限界、厳しい現実に直面しなければならない。

 

  1. 心の隙間

 

仏教国においてさえ、一つの仏教で満足している仏教徒を目にするのは珍しいことだ。立派な身分で自分自身が仏教徒であると考えている人の多くは、ありとあらゆる種類の非正統派の教えで自分の仏教を補っている。

 

タイでは想像上の鳥ガルダ(ガルダはヒンドゥー神話に由来しているが仏教の神話としても用いられる)が国の守り神として通貨や公式書類に使われている。ナーガ(蛇神)は釈迦の保護者的存在である(例えば釈迦がトグロの上に座っていた時、コブラのような鎌首の庇が彼の頭部を雨から守っていた—また大蛇の銅像が多くの仏教寺院を不気味に飾っているのをよく見かける)。この神話のなかで、蛇神はガルダの敵であるが、

 

それはタイ、バンコクの民主主義記念碑でも展示されている。奇妙なことに、ここではタイの保護者が仏教保護者の敵となっているのだ。

 

人々に「神に関わる必要はない」と告げることで、釈迦は「考えることは重要でない」と語ったかのようだ。それはすべての人類にとって生まれつき重要なものである。なぜなら、神は「神を知り、崇める強い欲求を持つ者」として我々を創造したからだ。しかし、この欲求を他のものに振りむけようとしても、研究はうまく進まない。それはちょうど飛んでいる鳥は重要ではないと言って、次にそれらの鳥の羽根を切り取ってしまうようなものだ。次代の鳥たちの羽根は正常に成長するであろう。しかし“飛ぶのは重要なことではない”と言われる状況では、鳥たちは羽根を地面の上で使い、飛ぶことには用いない。しかし、彼らは依然飛ぶことに飢えているはずだ。鳥たちが飛ぶように作られているように、人々は神を愛し崇敬するように造られている。仏教は、人々の心に彼らの創造主を知ろうとするよう働きかけないし、研究もそのように進む。しかし、残念ながらそれは神へと導く真実と正義探求の研究ではなく、個人的な繁栄の研究となってしまった。

 

リチャ-ドS.エールリッヒの記事(2007年)はこう述べている:

「エコノミストによればJatukamお守りの過去2年間の売れ行きは5億ドルに達した-----。現在タイ国内の店頭に100種以上のこのお守りが並べられ、業者間の競争が激しい。中には人の気を惹く名前、例えば「百万長者への道」「お金が舞い込む」と言ったシリーズものがある。

(https://www.globalpolitician.com/22711-thailand)

 

欲に目がくらみ借金して大きな投資をしたものの需要が落ち込んでしまい、多額の負債を抱え込んだ寺院もある。これは皮肉だ。人は、「百万長者への道」「お金が舞い込む」という神秘的なメダルを置いた店が沢山あれば、富を保障するものと考えたことだろう。 現実はそうではなかった。真実の神を求める代わりに、人々はいわゆる神、つまり彼らの欲望の実現を約束する力を求めた。この「役に立つ」神を求める態度が問題の中心にある。Art Katzは、偶像崇拝は“神の崇拝”よりも“自己への奉仕だ”と語って、人間の心の問題を言い当てた。

 

人類起源の問題と何に集中すべきかとの問題について、古くから仏教徒が引き合いに出されるのは、矢を射られた者の話である。その男は、矢がどこから飛んできたか、誰が射たのか、その弓の種類などは問題とせず、矢を抜くことに集中する!そのように、人々は世界の初めとか、釈迦の運命とかその他「抽象的な質問」に煩わされる必要性はないと思っているようだ。しかし、残念なことに、神をないがしろにすることで、真の(永遠に続く)信仰の源も失われてしまった。ちょうど傷ついた男が医者を「あっちに行け」と追いやるように、神は看過ごされ、拒絶された。

 

釈迦の遺物は多くの仏教徒にとって重要な関心事である。今日はDNA検査の時代だから、すべての遺物が同じDNAを持っているか調べてみるのも一興だろう。なぜこのようなテストが行われず、公表もされないのか?そして、いったい何故、遺物を持つことが重要なのか?釈迦は人間であったし、物質的なものへの執着心は邪魔ものだ、とされている。明らかに、現在仏教徒によって行われているのは非仏教徒の行いである。理由は明白で、人々の心の隙間は満たされず精神面の探求が多様な表現を通じて続けられているからだ。神による真の解答について考えようとしていないのは残念である。

 

 多くの仏教集会は釈迦の分骨を持っていると主張し、中には彼の歯を持っていると言うところもある。彼らは釈迦のどんな歯でもいいから欲しがる。しかし、彼らは歯をどうしようというのか?ここで、ちょっと語呂合わせを許して欲しい。彼らは神をないがしろにし、創造主に代わってものを創り出そうとしている(この場合は歯の創造)。釈迦の40本の歯(パーリ聖典によれば釈迦は子供の頃40本の歯を持っていた)から1本を探し求めそのような歯を崇める代わりに、神の栄光をこそ与えられるべきだ。遺物を探し求め神をないがしろにすることは、歯をきしませるだけに終わるだろう:「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするであろう。(ルカの福音書1328)

 

  1. 基盤のない道徳心

 

自我を高めた多彩な哲学がある。その主な論旨はこうだ:「自分自身に集中し望むところを実行せよ」又は「自己に集中し支配者に従え」。仏教はその基本を「自己努力によって善を行え」とする点でこれと異なる。ただ、そこには「善」を定義する卓越した権威がなく自己に集中すべきと定める飛びぬけた権威もない点で変わりはない。言い換えれば、これらの哲学の中に“いったい誰が命じるのか?”という質問に論駁できる所説があるか疑問である。

 

ミュンヘンで、アドルフヒットラーが正面切って自己努力を強調した:

  「我々自身の中にのみドイツ国民の将来がある。我々自身の働き、産業、決心、豪胆、そして忍耐を通じて我々ドイツ人が立ち上がった時こそ、我々は再起できる。」

https://www.earthstation1.com/Hitler.html

彼が自己集中を強調した結果、彼が引き起こした戦争で600万人のユダヤ人が殺され600万人以上の死傷者が出たことを万人が知っている。

 

仏教は「人は自分が拠り所だ」と唱え、異なってはいるものの、この自己重視については類似している。1950年、セイロンのソロモン・バンダラナイケがまだ首相になっていなかった時、仏教徒世界大会を前に、「人間は、何が正しくて何が間違っているかについて、神の意に関係なく自分自身で決める自由を持ち得ている」と言明した。

     釈迦は、人の心が神の意に従う必要のない時、そして物事の成否を自分で自由に決める時、人間の究極の自由があると説いた...(Swearer 117)

このような哲学があるので、首相に選任されてから3年後に、何者かが射殺することが

正しいと決め、彼に致命傷を負わせた(1956年に首相に選出され1959年に暗殺された)ことを、彼は驚かなかったはずである。その何者かは、ヒンドゥー教のタミル人ではなく、同志の仏教僧だった。彼は、バンダラナイケの意見に従い、自分で決定したのだった。そして、究極の自由はセイロン(1972年からスリランカと呼ばれている)に何をもたらしたか? 論文には、「スリランカの過激派僧にとって中庸は無い」と2007年に書かれていて、武力行使に反対しない仏教僧がいることは明らかある。

     25年間スリランカに荒廃をもたらしている戦争が、新たな恐ろしい局面を迎えるので、Rathanaとその同志強硬派の僧侶たちは、2005年に政権の座に就いたマヒンダ・ラジャパクサ大統領に、公約を守るよう、軍事力で強敵を打ち負かすよう強く要求した。

https://www.theage.com.au/articles/2007/06/15/1181414556706.html?page=fullpage

 

内戦の原因はバンダラナイケ政府がヒンドゥー教徒のタミル人や他の少数派を排斥した当時に始まった。

しかしながら、バンダラナイケが仏教徒市民宗派を支持したことは、スリランカ島においてのシンハラ族多数派とタミール人少数派間での集団間闘争をシンハラ族の熱狂的な仏教徒が激化させることになった。1983年、その闘争は、未だ未解決の同胞相争う内戦に突入する。(Swearer,117-118)

歴史的に見てその内戦は、更にDutthagamini当時までさかのぼる。彼は、BC101年にセイロンから仏教徒でないタミル人を打倒しようとした。Dutthagaminiは釈迦の遺品を彼の槍につけ、彼の闘いは自分の利益のためではなく宗教の振興のためであると主張した。(Dhammikaの書、ウェブ参照) Dutthagaminiと共にやって来た仏教僧でさえ、袈裟を脇にやり、闘争に加わるよう促され、釈迦の直弟子arahatsのようになろうとした幾人かは、まさにそうなった。(Dammikaの書、ウェブ参照)

 

仏教は通常、それ自体、暴力や不道徳を支持しないが、人々に空虚な状態を作り出す。そこでは心の拠り所が捨て去られ”自己“が中心となる。実際、有名なタイの仏教学者P.A.パニットは述べている;「仏教がどこまで広がっても、その教えが曲解されても、この人間的努力を重視することは決して変わらない。もしこの原則が失われたらもはやそれは仏教ではないと断言する」(38)

 

「小乗仏教と大乗仏教を結ぶ基本的接点は1967年の第一回世界仏教徒僧侶集会(WBSC)でなされた世界的な重要声明である」とされるが、その中の三番目で仏教教義は創造主、神を持たないことを明確にしている:「我々はこの世界が神によって創造され支配されたとは信じない」。1981年にこれは次の通り改訂された:「小乗であれ大乗であれ、我々はこの世界が神の意思によって創造され支配されたとは信じない」。1981年にも声明が出た:

   「------すべては関係があり、相互に依存し、相関関係にあって、この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない。釈迦の教えに従って、我々はすべての条件付きのもの(samkhara)は永続せず(anicca)、不完全で満足できず(dukkha)、またすべての条件付き・無条件のもの(dhamma)に自我はない(Anntta)と判断する」。

https://en.wikipedia.org/wiki/Basic_Points_Unifying_the_Therav%C4%81da_and_the_Mah%C4%81y%C4%81na

 

「この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない」と宣言することで、それは結果的に道徳の仕組みを支える基盤をかなり軟弱なものにした。宇宙の起源に関する質問について釈迦は回答を控えたが、パーリ聖典は絶対不変な人間としての創造主・神の存在を否定した。そこで我々は興味深い難問にぶつかる。この世界に人間は存在するが、一人の人間を我々の宇宙の起源とすることを仏教は許さない。何か人間でないものから人間性というものがもたらされるのだろうか?例えば岩石だ。岩石に人間性はない。この人格のない岩石から人間的な存在が生まれる可能性があるだろうか?

 

 さらに、道徳は属人的なもので(岩石は道徳を持たない)、カルマ(業)は非人格的な力だと言われる。ジョン・ジョーンズはこの矛盾点を要約している:

「業の結末に関する道徳性(倫理性)は、業の過程についてのきびしい非人格性に対して疑問を呼び起こす。それは、もしこれらのことが道徳の過程であるとす

れば、我々が経験によって真偽を立証できる道徳のタイプは唯一その人格に関わるものだからだ。このように、業の非人格性と道徳性の性質の間には緊張関係がある」(37)。

個人的な道徳心がどのようにして非人間的なものから始まったのだろうか?これは無神論者が抱える問題と同じである。言うまでもなく、無神論者や仏教徒は善人になる道を選ぶことができる。ただ、いとも易々と、無神論者は悪人にもなれる。神がいなければ、これはただの意見でしかない。問題は「無神論者は道徳的になれるか?」ではなく「無神論者は道徳的になるべきか?」である。神がいなければ無神論者はある種の偶発的に出来上がった化学製品に過ぎず、「なるべき」は人の行動に関する考え方の問題である。

 

タイには仏教徒僧侶の2~3倍の売春婦がいて(僧侶300,000~400,000人に対し売春婦

800,000~1,000,000人)、これは95%が仏教徒と推定される国の話である------売春婦の多くも自分は仏教徒だと思っている。Dhammikaは、タイの僧侶に関してこう述べている:「2002年の調査によれば、タイ仏教徒僧侶の死の主因は喫煙に関連した病気である」。これは、「四つの尊い真実(生・老・病・死)」のなかで欲望は抑えよと教える宗教にとっては皮肉な現象である。喫煙は“欲望”をコントロールする典型的な例である。ここで問題なのは、仏教の教理にふさわしくない暮らし方をしている仏教徒がいる、ということではない。キリスト教徒でも他の宗教の信者でも、その教えに従わないで暮らしている者はいる。

 

私が明らかにしたいのは、釈迦の教えそれ自体が無意識のうちにこういう結果へと導

くということだ。業という非人間的な考え方や、来世で生まれ変わるといった考え方で自己へ集中すれば、多くの人々が先延ばしの態度に走ったり目先の欲望に心を奪われる現実的な考えになるのも驚くには当たらない。そして非人間的な仕組みの中で人々が精神的な世界へ個人的に接触しようとする。不幸なことに、多くの場合これは偶像崇拝へとつながる。しかし皮肉なことに、この偶像崇拝は物事を非人間的に推し進めようとする。偶像崇拝は聖書の中で売春に喩えられている。売春は個人的なものでちょうど二人がお互いを利用する商取引のようになる。同様に、偶像崇拝は個人的な関係以上に相手を利用しようとする。結局、人間である聖書の神が求められておらず、それは“お互いが損をする”だけの状況である。「わが民は木に託宣を求め、その枝に指示を受ける。淫行の霊に惑わされ、神のもとを離れて淫行にふけり、山々の頂で生贄を捧げ、丘の上で香をたく。樫、ポプラ、楡などの木陰が快いからだ。お前たちの娘は淫行にふけり、嫁も姦通を行う。」(ホセア書412-13)  

 

このことで仏教は改造されなければならないと言っているのではない。Dhammikaは小乗仏教を手厳しく批判しているが、仏教の改革を望んでいる。彼は自分の改革努力がかつての釈迦ほど制限されているとは思わない。彼が現代仏教を釈迦やそれを超える基準にまで引き上げることができたとしても、すべての仕組みは人間の考えに基づいて

 

おり絶対の権威に欠けるものとなろう。彼は自分が満足する改革に成功するかもしれな

いが、神の業を無視することで、結局、その努力は現在の仏教の限界を示すことになるだろう。

 

 我々はセイロンの元首相が宣言したようには、何が善で何が悪であるかを自ら決めることはできない。ヒットラー時代のドイツ法律のように、時として国の法律は非道徳である。この場合、国の法律は不道徳で思うままに事を運んだり、道徳行為を禁止する悪徳警官のように作動する。仏教はまさに悪徳警官のようだ。なぜならそれにふさわしい権威もないまま、自分で規則を造りあげているからだ。

 

 仏教の倫理観が到達した結論は常に清浄であるとはいえない。チベット仏教が採用した非道徳なことの興味深い事例として、ここにダライ・ラマに対する辛辣な質問がある:

www.trimondi.de/EN/deba03.html

 

神をないがしろにするいかなるシステムでも、その道徳心は必ず人間の考えに基づくべきである。ここが仏教の難点である。多くの指導者は高尚で人道的な理想を支持するだろうが、それらは支えとなる権威を持たない単なる意見でしかない。他の教師はこの権威がないために道徳を強調することはない、少なくとも絶対的なものについては:

「彼が禅修行様式の必要性を強調したにも拘らず、道徳は文化につながるという原理に基いて鈴木老師は弟子に対し倫理規約を確立することを断念した。彼はこのような規約は試行錯誤を通じて徐々に発展させられるべきだと述べた------彼の一般倫理相対性理論は、米国の性的革命を推進した世代に強くアピールした (Robinson,304) 。

この禅指導者のように、チベット仏教の教師も道徳の重要性をさして認めなかった:

「Trungpaは、瞑想は精神を乱すものであり倫理規範は“自我のお役所仕事”の一部だと展望した-----Trungpaの著述-----は人気を集め、彼がはっきりと道徳規範を拒絶したことが大きな評判を呼んだ」(Robinson,304-5)。

 

上記の二つの事例で、その結末は予想外のものだった:

    「鈴木老師は1971年に亡くなりChogyam Trungpaは1987年に死去した。二人の死後まもなくアメリカのDharma(仏法)相続人が指名され;その相続人たちはすぐセックススキャンダルに巻き込まれ、その組織から除名される結果となった。まもなく、アメリカ人教師・アジア人教師を含め他の禅宗派、ソン(韓国の禅)、チベットの中枢でも同様のスキャンダルが特別な事例でなく一般的なパターンであったことが明らかとなった(Robinson,306)。

 

 魂(自我)というものはない (行いの賞罰を受ける永遠の人間存在はない) が再生はある、というその教えにも拘わらず、釈迦は依然、宇宙は超道徳的なものではないと確信していた。これは道徳的な宇宙である、という釈迦の確信に関してジョーンズはこう

結んでいる:「彼は合理的かつ分析的な点において、自らの信念がしっかりとした基盤を持っていることを主張できなかった;実際のところこれらの二つの間には容易に妥協を許さない絶対的な矛盾があると言っても過言ではない。」(Jones,306)

 

   キリスト教徒哲学者のフランシス・シェファーは述べている:「もし非人間性から始めたら、いかにその非人間性について語ってもそこに道徳の意味はない」(37)。また、プラトーを例に採りあげ、シェファーはこう書いている:

   「我々はこの点でプラトーの説は全く正しいと言うべきだ。彼は絶対というものがなければそこに道徳はないという立場だ。ここにプラトーの矛盾点に対する完全な解答がある。彼は絶対的なものの基盤を見つけようと時間をかけたができなかった。それは彼の神が不十分だったからである。しかし、ここにすべての悪魔を追い払う力を備え、宇宙における道徳の絶対的な存在である永遠の人間・神がいる。」(42)

プラトーの立場は釈迦のそれと似ている。釈迦は絶対的、人間的な神の存在を拒否し、道徳のような存在を正当化することができなかった。非人間的なカルマ(業)で人間的な道徳を説明することはできない。仏教徒たちは釈迦の限られた教えに信仰を深めたが、彼は業のようなものが存在し、それは不変で、絶対的に機能すると説明した。どうして、限られた存在で、自己というものを認めず、永続せず、絶対とはいえない精神でこの教義を説く釈迦の考えが絶対的なものだと信じられようか?

 

 仏教徒は自らの信仰をある人物の推論に置くに違いないが、時にはそれは同じように瞑想から生まれた、絶対的ではなく主観的で神秘的な推論により強化されたものである。もしある人が瞑想して自分が(恐らくは過去の人生で)まだ誰も名乗り出ていない財産の真の相続人であることを“発見”したら、裁判所はこの瞑想の啓示を証拠として採用するだろうか?瞑想は夢と同レベルにあり、もちろん法的証拠として採用されることはあるまい。仏教徒は、物事の道理について彼らの主張を支える証拠なしに信仰の道を歩まなければならない。

 

我々の住む世界は行き当たりばったりに、人間性のない形で始まったものではなく、それ自体驚くほど住むのに適合している。木や植物は酸素を排出し二酸化炭素を摂り入れる。人間と動物はその反対のことを行っている。我々の胃袋は消化し、我々は周りにある食物を利用できる。我々には目があり、それを利用するための光がある。渡り鳥の本能は世界地図の方向に適応している。我々には人類に元来組み込まれている道徳心があり、それは進化とか非人格的存在によって説明できるものではない。人間の道徳心は動物のそれとは異なる。動物に警察や裁判所や牢獄はない。動物たちに道徳を強要するのは馬鹿げたことである。同様に人類間にあらゆる道徳を普及させる考えも非常識だ。我々は生来道徳的な存在なのだ。

 

 仏教徒の会報(ウェブサイトや本)で様々な記事を読んでいると、倫理に関する諸説が仏教徒のために提案されていた。しかし困ったことに、これらはすべて抽象的で(一貫した理論的な方法で)固定されていない。仏教徒は善き人間たるべき様々なシステムを提案できる。しかし、これらのシステムの中で善と定義されているのは、まさに人間の考えなのだ。人間の道徳は非人間的な力でもたらされることはない。これに代わって、人間存在である仏教徒は自分自身の道徳を作り上げた。しかし、これは絶対的権威をもたらすものではなく、何が善であるかを教える権威を持つ我々の創造主について、全く考えようともしない。

 

  1. イエスキリストからの逃避

 

キリストの言葉:「私は牧者である。その良い牧者は、羊たちのために自分の命を棄てる」(ヨハネの福音書1011)。羊たちが迷い込む間違った道は多い。囲いに居るためには神との関りを持つ必要がある。仏教徒は神の道から外れ、どこに迷い込むのだろうか?

 

 まず、仏教徒は神を愛さない:「するとイエスは彼に言った。(心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ)。これが大いなる、第一の掟である。第二のものがこれと同じである。(自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ)。この二つの掟に、律法と預言者たちのすべてが掛かっている。(マタイの福音書223740)

 

同様に、仏教徒は神を信仰したり信じたりしない:「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることを、必ず信じるはずであるからである(ヘブライ人への手紙116。この信仰は神が与えた証拠に基づくもので、盲目の信仰ではない。

 

神をないがしろにしながら、仏教徒は神へ正しい尊敬の念を払わない:「主を恐れることは知恵のもとである。聖なるものを知ることは悟りである」(箴言910。神を恐れる代わりに多くの仏教徒は霊魂を恐れ、色んな魂を宥めようとそのとりこになって暮らすことになる。

 

自分自身を拠り所にするようであれば、仏教徒には謙虚に神に頼る余地は残されていない。「----神は誇り高き者には敵対するが、彼は謙虚な者に対しては恩恵を与える」(ヤコブ書4:6) 。「心を入れかえて、幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう」(マタイの福音書183)

 

神を崇める代わりに、仏教徒は美化された瞑想と前世の思い出という空虚な空想に従う:「なぜなら彼らは神を知っていながら、神として崇めず、感謝せず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら愚かになり----(ローマ人への手紙12122)

 

永遠の生命、それは唯一の本物の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを(よりよく)知るようになることです」(ヨハネの福音書:173)。目的は神を知ることである。これは人間的なことだ。

 

神は人々の心を操作して精神的な冒険をするように呼びかけたりはしない。偽医者の処方箋が一時的に大成功することもある。いい加減な処方箋がたまにうまくいっても、彼らが医者として正当性を与えられることはない。釈迦はいくらか立派な道徳を処方したが、彼は人々を神から引き離すことになってしまった。瞑想が経験へと導くか否かが重要ではない。釈迦の指導者としての能力不足は明らかだ。神は我々に経験を求めず、神との関係を求めこれに従うよう呼びかける。

 

アダムとイブは神が禁じた果物を食べたが、何がそんなに悪かったのだろうか?命令違反の明白な罪とは別に、彼らは「神から教わらない知識を求める」という誤りをも犯した。これは、様々な形で現れる偽りである。その一例が占星術である。人々が新聞の占星術の欄にページをめくれば、それは一種の予言であり;神から教わらない知識を求めるものだ。これを行うため、人は神がすでに顕した真実を抑えこむに違いない。問題は物事を知らないということではない。それは真理を知らないということではなく、真理を知ろうとしないことが問題なのだ。神が顕したものを知ろうとしない態度は、それに従おうとしない意思に端を発している。それは神の存在について考えただけかも知れないが誰もが「神」についての知識は持っている。しかし、その知識が抑圧されると人々は他の解答を求めようとする、すなわち「神の教えから外れた知識」である。

 

これは釈迦が陥ったのと同じ過ちである。神からの知識を求め創造主を認める代わりに、彼は瞑想を通じて、その真実を抑えつけ、神から外れた知識を求めた。瞑想はちょうど占星術やタロットカードと同じような予言の一種である。この虚言のより深い問題は不信の明示である。神を信じ神と関わる代わりに、関係は切断され、悪魔の言葉が繰り返される“神の言葉を信じてよいのだろうか---?”。

 

釈迦は人々に対して真実の代わりに虚言を与えたが、その結果は精神面の悲劇をもたらした:「お前たちは、私が苦しめようとはしていないのに、神に従う者の心を偽りをもって苦しめ、神に逆らう者の手を強め、彼らが悪の道から立ち帰って、命を得ることができないようにしている」(エゼキエル書1322

 

結局のところ、可愛い羊の面倒を見る代わりに、仏教徒は悪魔すなわち蛇(仏教が崇めるが実際は悪魔である蛇神)に取り囲まれたままだ。

結 び

 

簡潔に言えば、死者は人生の最も重要な疑問について解答を見つけ、人を救済できないということである:私はどこから来たのか?なぜ私はここにいるか?死ぬとき私はどこへ行くのか?聖書はこれらの質問に答えることができる。イエス・キリストは生きている。彼は死から生き還った。あなたは創造主と平和を分かち合いたいと思いますか?もしそうなら、まず神に自分の罪(神をないがしろにする罪、神の名誉を称えない罪)を告白することから始めるが良い。「もし私たちが自分の罪を告白すれば、神は真実で正しい方ですから、私たちの罪を許し、すべての不義から私たちを清めてくれることでしょう」(ヨハネの第一の手紙19)。神は総ての人がイエスキリストを信じ、神との人間的関わりを持つことを望んでいる。

 

私がこの報告文で触れてきた項目のいくつかについて頭字語HOODEDで要約してみた:これは仏教徒が置かれている不安定な立場を示している。まさに釈迦自身のように、それは大きな庇を持った大蛇が彼らの頭上にいるようなものである。それはちょうど怪我をした男が医者に立ち去れと言っているように、正しい解答ができず、また人生の最も重要な問題を無視しているからである。もう一つは、頭字語CAMPERである。これはキリスト教徒が持っている証拠を示すもので、人生の最も重要な問題への解答として聖書に合理的な信頼性を与えている。私はここに多くの理由を提供したが、その判断は読者が行ってほしい。神の愛に与しますか?神に謙虚に接しますか?ちょうど子供のように、あなたの人生を神に委ねますか?

 

仏教徒の不明確性(HOODED

キリスト教徒の証拠(CAMPER

非常に人間性に乏しい起源 (Highly

 Impersonal beginning)

宇宙創造 (Creation) 

非現実的な物語 (Overblown stories)

考古学による検証 (Archeology)

釈迦と現存経典との2000年の時間差(Over a 2000 year Scripture gap)

現存する経典 (Manuscripts)

預言者的洞察力不足 (Devoid of prophetic insight)

多くの預言 (Prophecies)

経験は主観的な基準 (Experience is the subjective test)

証人による証言 (Eyewitnesses)

死せる指導者 (Dead and absent leader)

キリストの復活 (Resurrection)

 

HOODED(経験は主観的な基準)の“経験”について少しばかり付言する:「瞑想は高度に主観的なもの(瞑想によって“学習“したことは証拠として法廷で認められない)であるが、瞑想は同時に精神世界への危険な扉を開く。瞑想者は意識の変化を強制される。瞑想を通して仏教に目覚める道を説明し、ロビンソンは彼の仏教歴史紹介書の中で以下のように要約している:「覚醒の内容はこのように三分の二がシャーマニズムで、倫理観で変形されており、残り三分の一が現象学である」(19)。ロビンソンはシャーマニズムを次のように定義している:「最も単純な言葉で表現すれば、シャーマニズムは変形された意識状態の中から知識や力を得ようとする努力である(290)。」

 

バンコクにいる私の友人の家主は、数年前、瞑想の指導を受けた。ある時、彼女が瞑想をしていたとき、あるぞっとするような恐ろしいもの彼女の前に現れた。彼女は驚き、

あわてて外へ飛び出した。この後、瞑想の教師は彼女に「心配ないから、お帰りなさい」

と伝えその恐ろしいものは仏教の“平穏な”道のりなのだと悟らせた。そのようにして、その邪まな霊は彼女が何か善行をしているように思いこませ、平和について学ぶようなふりをして、実際に悪霊は彼女と同席し彼女を騙し続けた。パーリ聖典は、この記事や私の以前の論集の中にあるように、歴史的、科学的に不正確な情報を伝える。そして、この心の王国の中でその指導をすっかり信じた人は、誤った道へ踏み込むことになる。瞑想は精神的な深いレベルで心を開かせ、正しい客観的な真理に従わせることなく、人々を愛する神からは程遠い主観的な経験によって導かれるようにする。

 

Shravasti Dhammikaはスリランカにおける瞑想についてこう述べている。:「瞑想者は精神病院の長期入院者のように歩きまわる。確かにこれらの精神修養所で過ごした人々が深刻な精神障害を引き起こすことは良く知られている。1990年代にスリランカのある集団の中で広まったジョークはこうだ:「カンドゥボーダの1ヶ月はアンゴダの6ヶ月」。カンドゥボーダはコロンボにある有名な精神修養所で、アンゴダは市の代表的な精神障害者施設である。

https://www.buddhistische-gesellschaft-berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf

https://patokallio.name/photo/travel/Thailand/NongKhai/Buddha_Naga2.JPG

HOODED:写真の釈迦像は、七つの頭を持つ蛇神の庇で覆われている。パーリ聖典の中では七つの頭ではなく、七日と七つのトグロ、と記されている(パーリ聖典Udanaの中のMuccalinda経典)。

 

釈迦と蛇神についての仏典正統派の説明はこうだ:

「そして、大蛇王Muccalindaは自分の住まいを離れ、主君の体を彼のトグロで七重に巻きつけ、王様を暑さ寒さ、ハエ、蚊、風、日光、這い回る虫などから守るために自分の大きな鎌首の庇を広げて立っていた。最後の七日目に王様は精神集中から目覚めた。大蛇王Muccalindaは空が晴れ渡り、雨雲が去ったのを見届けてから、彼のトグロを王の体から外した。自分の外見が変わり若者の姿になることを感じながら、彼は腕を組み、

王様を崇めながら、その前に立っていた。」 

https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/ud/ud.2.01.irel.html

 

これまでに書いたものと今回の分を要約すれば、仏教徒は偽りの地図を手にしながら取り残され、自分自身に頼るように告げられるが、それは信頼するに値せず、頭上に庇となって留まっている蛇なのだ!代わりに、イエスキリストについてご紹介しよう。

 

聖書の記述を支える考古学上の証拠についてMark Cahillは述べている:「聖書の中で述べられている人々、表題、場所に関してこれを支持する25,000以上の考古学上の発見がある。高名なユダヤ人考古学者Nelson Glueckはこう述べている:「考古学上の発見は、聖書との関連において論争の余地はないと断定されて良い」(Cahill, 65)。

 

「Lionel Luckhoo(1914~1997)は有名な弁護士で、後に福音伝道者となった。また殺人事件で連続245件の最大無罪判決を勝ちとりギネスブックにも載った人物だが、彼はこう述べている:「私は42年以上かけて世界中で法廷弁護士として過ごしてきたし、今も現役だ。幸運にも刑事事件で多くの成功を収めてきたが、私はイエスキリスト復活の証拠は圧倒的なので、全く疑う余地のない証拠として受け入れざるを得ない。」 

https://www.conservapedia.com/Lionel_Luckhoo

 

イエスキリストは肉体を備えた全能の神だった。イエスは宇宙の創造主だ。彼は33年間人々の間で過ごし、奇跡を行い、人々を救い、悪魔を追払い、権威をもって教え、磔にされ、墓に葬られ、三日目に蘇った。彼の門人達は彼の復活を彼ら自身の血をもって証言しようとした。イエスの聖職者以前に多くの預言がなされて居て、彼によって実現された。これらの預言の多くは釈迦の生前においても行われていた。イエスキリストは他宗教のリーダーのように死んではおらず、現存する。彼こそが我々の罪を清め、我々を天国へ受け入れる権威を持つ唯一の存在である。しかし、彼を拒むことは不義に与し、真実を拒むことだ。あなたは真理を愛しますか?何はともあれ、あなたはイエスキリストに従う用意がありますか?救いの手は自由に与えられるとはいえ、イエスを我々の生命の主とするにはある程度神への負担を伴うが、“自分自身”を主とするにはさらにそれ以上の負担が掛かる。イエスは道であり、真実であり、生命である。 

   

 CAMPER:

信仰をもって、彼はイサクとヤコブとともにテントのなかに住み、同じ約束の遺産を共有して、異国人として約束の地に住んだ

(ヘブライ人への手紙1119)。

 

 

 

 

 

 

 

 

https://vormedia.com/

 

補 遺1:アショーカ王

 

 仏教の書物の中にしばしば仏教の推進者として、時には偉大な慈悲深い王として偶像化されたアショーカ王のことが記述されている。それはパーリ聖典に権威がなく、また非人間的な宇宙における道徳システムの基礎が不安定なので、あたかも仏教徒の道を具体化し王の権威をもって信頼性を与えるために、この王が指名されているように見える。しかし、神を崇める代わりに人間性や絶対的な存在を求めるなかで一人の人物が崇められるが、その人物は人の心の最も深い要求に対して満足を与えることはできない。のみならず、アショーカ王に関する歴史的な記録は仏教関係書物の信頼性の無さを改めて示すものである。

 

仏教の布告のほか、二つほど主要な源がある。一つはインド北西部で西暦2世紀に小乗仏教徒(非テーラバータ教徒)によって編集されたと見られるサンスクリット語のアショーカ伝説である(Strong、1989.Pp.xⅰ-xⅱ)。一方、大乗仏教のパーリ聖典は5世紀のある時点でスリランカに於いて編集されたものだ。これらの作品がどの程度初期の覚書に基づいているか不明である。アショーカ伝説と大乗仏教はともにアショーカ王の物語と関連しているが、大きな相違点がある。

 

その相違点は次のようなものだ:

アショーカ伝説では、アショーカ王は釈迦入滅(死去)100年後に生まれたとされるが、大乗仏教では入滅218年後に生まれ、尊敬を集めた王と言われる(Strong,1989.P21)。

アショーカ伝説によれば、アショーカは改宗した後も殺戮への強い志向は続いていた-----

「アショーカは死刑執行人の長であったCandargirikaには容赦せず、拷問にかけて殺した。またその後、怒りに駆られて18,000人の異教徒(Ajivikas人)を殺した----そして異教徒の首領に懸賞金をかけ、ジャイナ人に対し様々な大殺戮を行った。

なおもその後、自分の妻であるTisyaraksiを拷問にかけ、そして死刑を執行する

と楽しそうに発表した-----(Strong,1989.P.41)。

 

その一方で、「人々の期待に沿うよう、Sinhalse年代記(大乗仏教派)のなかでは、アショーカ王の人格を引き降ろすような記事は削除されている」(Strong,1989.P.67)。これは、大乗仏教が虐殺に全く反対しているからではない(この事例はそれに当てはまるが)。

 

大乗仏教が、紀元前101年に仏教徒のDutthagamini王子が非仏教徒のタミール人を打ち破った様子を述べたとき、Dutthagamini王子は軍隊に従軍した僧侶とともに百万人のタミール人を殺した模様を記録している。Dhammikaによれば、「8人の阿羅漢が“王様はPassim(動物)つまり無信心者という動物を殺しただけで、悪いカルマ(業)を作ったことにはなりません;またDutthagaminiの争いは規範に従い宗教戦争として認められるでしょう”と信じこませた」(Dutthagaminiの関連ウェブサイト参照)。大乗仏教徒の書物の中には、女王がライオンと共生しながら“子供”を育てていたという信じられない話もある(https://hettiarachchi.tripod.com/dipa.html)。これが歴史と言えるだろうか?仏教徒の人々は真実によって力づけられるよりも、しばしば空想によって支配され ている。

 

 アショーカの話に戻ると、いくつかの彼の碑文(彼のものと仮定して)の内容も異教徒を虐殺する彼の言動とは矛盾している:「彼(アショーカ)は、仏教徒の敵Ajivikasに対して現代のゴヤ近くのバラバーヒルにある人工の洞窟を寄贈した(Basham,468)。第3回仏典結集(パーリ聖典によればアショーカによって組織されたが、サンスクリット・アショーカ伝説はこれに触れていないので実証されていない集会)に関する記述の中で、アショーカはすべての非小乗仏教の異教徒僧侶(6万人以上)を僧侶社会から追放した、とされている。

 

アショーカの布告(勅令)について、近代に入って最初に翻訳されたのは1837年のことだった。この布告の中で、王は自分自身のことを「神に愛された王・Piyadassi」と呼んでいた。仏教徒について好意的な観方で述べている六つの布告があり、Ajivikaの宗教について好意的な観方を述べた三つの碑文がある。この六つの仏教碑文のうち二つは極めて疑わしく(Rummibndei碑文とNigalisagarhibunn碑文)、名を知られた詐欺師によって世に出たものである(Dr.Alois Anton Fuhrer)----。

https://www.lumkap.org.uk/Lumbini%20On%20Trial.htm#p1

 

そのうちの一つ(schism碑文)は仏教のことには触れず、“規律”について述べている。その七番目の中心的碑文では、仏教は多くの宗教の中で注目の的であると書いている:

「仏法を教える私の幹部たちは慈善事業で忙しく、また苦行でも家事でも総ての宗派の人間たちの間で忙しく働いている。私は何人かに仏教規律、バラモン、Ajivikas、ジャイナ人----それに色んな宗派の人間と関わるように指令した。役

人たちには広い範囲で様々な仕事があるが、私の仏法の教師たちはあちこちの

宗派の行事で忙しく活動している」。

https://www.katinkahesselink.net/tibet/asoka1b.html#Nigalisag

そういうことで、アショーカが仏教を個人的に信仰していたことを明確に述べる碑文が33あるが、そのうち現存するのは二つだけである(マスキ碑文とバブラ碑文)。“アショーカ”の名が記されたマスキ碑文が初めて発見されたのは1915年のことで、これが“アショーカ”の名前が彫られた唯一の碑文である。

 

  アショーカの人物全体像は、大乗仏教か、アショーカ伝説か、又は碑文に拠るかで大

きく異なる。碑文の中でアショーカ(?)は天国について三回語つたが、涅槃については述べていない。同じく、「四つの高貴な真実」についても語っていない。碑文における彼の姿勢態度は、宗派的というよりも普遍的である。アショーカの人生については三つ

の矛盾した像がある。         

完 (日本語訳 外本唯幸 2010.7.15) 

   

  関連資料(References)  

Basham, A.L. In Eliade, M. (Ed.). (1987). The Encyclopedia of Religion. New York:  MacMillan Publishing Company.

Cahill, M. (2005). One Heartbeat Away: Your Journey Into Eternity. Rockwall: BDM Publishing.

Frasch, T. (2004). Notes on Dipavamsa: An early publication by U Pe Maung Tin. In The Journal of Burma Studies. DeKalb: Southeast Asia Publications. 

  1. Hinuber, Oskar. (1996). A Handbook of Pali Literature. Berlin: Walter de Gruyter.

Jones, J.G.  (1979).  Tales and Teachings of the Buddha:  The Jataka Stories in relation to the Pali Canon.  London:  George Allen & Unwin.

King, W.L. (1989). A Thousand Lives Away: Buddhism in contemporary Burma. Berkeley:  Asian Humanities Press.

Ling, Trevor.(1979). Buddhism, Imperialism and War. London: George Allen & Unwin.

Payutto,P.A.(1998).Toward Sustainable Science. Bangkok:Buddhadhamma Foundation.

Rahula, W.  (1999).  What the Buddha Taught.  Bangkok:  Haw Trai Foundation.

Robinson, R.H., Johnson, W.L., Wawrytko, S.A., & DeGraff, G. (1997). The Buddhist Religion: A Historical Introduction. Belmont: Wadsworth Publishing Company.

Schaeffer, F. (1972). He Is There And He Is Not Silent.  London:  Hodder and Stoughton.

Strong, J.S. (1995). The Experience of Buddhism: Sources and Interpretations.  Belmont:  Wadsworth Publishing Company.

Strong, J.S.  (1989).  The Legend of King Asoka:  A Study and Translation of the Asokavadana.  Princeton:  Princeton University Press. 

Veidlinger, D.M. (2006).  Spreading the Dhamma:  Writing, Orality and Textual Transmission in Buddhist Northern Thailand.  Bangkok:  O.S. Printing House.

 

ウェブサイト(Websites)

Asoka’s Edicts…

https://www.katinkahesselink.net/tibet/asoka1b.html#Nigalisag

Shravasti Dhammika’s book…

https://www.buddhistische-gesellschaft-berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf

Concerning Dr Alois Anton Fuhrer

https://www.lumkap.org.uk/Lumbini%20On%20Trial.htm#p1

Mahavamsa lion legend…

https://hettiarachchi.tripod.com/dipa.html

 

死者は人の魂を救えない  

スコット ノーブル(This email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it.) 2010.6.10