エマオへの道

ジェイコブ・プラッシュ

ユダヤのカレンダーでは、今の時期、私たちは“ハグ・ハマヅォット(Hag Ha’Mazot)”と“ハグ・シャブオート(Hag Shavu’ot)”との間にいます。それは過越の祭りと週の祭り、つまり、イエスのよみがえりからペンテコステの日にかけての時期です。この時期にこそ、よみがえられたイエスは弟子たちに現れ始めました。園でのよみがえりを始まりとし、エルサレムで壁を通り抜け、ガリラヤ湖の岸辺で彼は現れました。そして有名なエマオへの道での顕現があります。それをここで見ていきたいと思います。

イエスに起こったことは、私たちにも起こる

ヘブライ人預言者ホセア――“ホシェア・ハナヴィー”――を見てみましょう。

『「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを 打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三 日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のよ うに、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」』(ホセア 6 章 1 節

-3 節)

この三節はイエスに関する預言ですが、ホセアは何らかの形で私たちにも同様に当てはまると語っています。

「主に立ち返ろう」この“立ち返る”という言葉は“テシュバー(teshuvah)”といい、ヘブライ語の“悔い改め”という単語で、神に立ち戻ることを意味します。私たちは自分たちが新生した時の悔い改めのことを考えますが、正しい教理を持ち、良い行いを持っているエペソの集会に対してイエスさまは最初の愛に戻るよう言われました(黙示録 2 章 4 節

-5 節)。

『…主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。』(6 章 1 節)

とあります。イエスに起こったことは打たれることでした。同じ概念がイザヤで使われて

います。(イザヤ 53 章 5 節)――ヘブライ語で“パガ(paga)”という言葉は切り込みを入れることを意味します。この“パガ”という言葉――“打たれた”“切り込みを入れる”――はヘブライ語の“仲裁する”という言葉、“誰かの代わりに打たれること”を意味する言葉の語源です。傷があっても、主が癒しをもたらします。十字架上でイエスは私たちの代わりに打たれ、もちろん復活において言うなれば癒されました。そして主が私たちを打たれるときも、私たちを包んでくださいます。

『主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。』(6 章 2 節)

イエスに起こったことは私たちにも起こります。この箇所はただイエスが三日目によみがえると言っているだけでなく、私たちが三日目に立ち上がると言っています。イエスの死は私たちの死です。それゆえ、イエスの復活は私たちの復活なのです。復活を多くの実を結ぶものだと考えてください。

私たちは“携挙”や復活を待っているのではありません。携挙と復活はすでに進行中です。私たちはその中での自分の役割を待っているのです。復活は初穂の祭りにおいて始まりました――イエスは復活の初穂と呼ばれています(1コリント 15 章 20 節)。彼の死が私たちの死であるために、彼の復活は私たちの復活なのです。復活はすでに始まっており、私たちは単にその中での自分の役割を待っているだけなのです。キリストの昇天のように携挙はすでに始まっています。私たちはその中での自分の役割を待っています。このためにヘブル人への手紙 1 章は『この終わりの時には』という文脈をもって語っているのです(ヘ

ブル 1 章 2 節)。それは私たちがすでに終わりの時にいるからです。携挙と復活はすでに始まっています。

これを説明するのに最も分かりやすいのは、“ノルマンディー上陸作戦(第二次世界大戦時の連合軍のドイツ侵攻作戦)”であり、1944 年 6 月の“D-デイ”と呼ばれるものです。表向きには“D-デイ”は 1944 年の 6 月 6 日です。ですが、それは実際に 6 月 5 日、アメリカとイギリスの特殊部隊がパラシュートでドイツ戦線の後方に降下し、伝達手段を断ち切っていたときに始まっていました。この行動は極秘事項で、実際に起こったことは当時知られていなかったのです。ノルマンディー上陸作戦が 6 月 5 日に始まっていても、ただ限られた人しか侵攻作戦だと知りませんでした。次の“D-デイ”になって初めて、浜辺に陸軍と海軍が上陸してから、すべての人は何が起きているのかを知りました。

これは終わりの時に関しても同じことです。終わりの時はすでに始まっていますが、ただそれに“加入した者”だけが知っています。唯一私たちだけが知っています。それはイエ

スの復活と昇天をもって始まりました――この世はそれを分かっていません。私たちはま るで、ドイツ戦線の背後にパラシュートで降下して、大きな侵攻作戦のために準備してい たイギリス人やアメリカ人のようなものです。私たちがここにいるのは、ただ来るべき時、イエスの再臨の先導役をするためなのです。イエスは確かに戻られ、その“侵攻”も実際 に到来しようとしています。この“侵攻”はすでに進行中です。私たちはただすべての人 にそれが明らかになるのを待っていますが、今もすでに起こっていることを知っています。

イエスの死は私たちの死であり、イエスの復活は私たちの復活です。続けて見てみましょう。

『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、…』(6 章 3 節)

四福音書すべてが語っているように、イエスは週の最初の日、ヘブライ人の初穂の祭り――

“ハグ・ハマヅォット”のまだうす暗い夜明けによみがえりました。そしてペンテコステの日の預言にあるように、

『大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。』(6 章 3 節)

雨が降り注ぐと地下水が形成され、そこから湧き出す“マイム・ハイーム”―― “生ける水”は聖霊の隠喩です。

『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節)

降り注がれる雨は聖霊の象徴です。それはイエスさまが聖霊と言われたヨハネ4 章、また7

章の生ける水を形作ります。このようにして読むとホセア 6 章 1 節には、まず打たれるとありますが、同様に復活もあります。その後、復活の後に聖霊が与えられることが書かれています。イエスに起こったことは私たちにも起こります。イエスの死は私たちの死、イエスのいのちは私たちのいのちであり、イエスの御霊の力は私たちのうちに現わされるものです。

バラバの集団共有

“集団共有(corporate solidarity)”と呼ばれる神学用語があります。“集団共有”とは大きな集団をひとりの人が代表するもので、その中でひとりの男性や女性が、ひとつのより

大きな集団の象徴となっています。受難物語、イエスの死と復活の箇所では多くの重要な

“集団共有”――私たちの象徴である人たちが登場します。最も重要な者のひとりが、アラム語で“バル・アバス(Bar Abbas)”――“父の子”と呼ばれる者です。私たちはルカの福音書で彼がピラトに引き出されたときに集団共有を見出します。

『しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」』(ルカ 23 章 18 節)

「バラバを釈放しろ!」ピラトはイエスを釈放することを望んでおり、この問題をヘロデに任せようとしていました。ヘロデは、イエスが見世物になっている限りは彼を放免することを良しとしていました。奇跡を行いさえすればヘロデは放免することに心を決めていたのです(ルカ 23 章 8 節)。ここで注目してほしいのはイエスが十字架に行かないためにすればいい事はただ、“ベニー”や“ケニー”のしていることを行うことでした。イエスが十字架を逃れるためにできたことは、しるしと不思議でいっぱいの奇妙な宗教のショーを行うことだったのです。

主イエスはしるしや不思議―― ヘブライ語で“セメイオン・ミプラオット( semeion

mipla’ot)”と呼ばれるもの――癒しや奇跡が、ご自分のメッセージや奉仕の中心になることを一度も許されませんでした。イエスの奉仕はそのようなものについてではありませんでした。これらのしるしは伴うものです。しるしや不思議は人が救われるための鍵だと主張する人たちがいます。これがジョン・ウィンバーの論拠です。ですが実際にはヨハネ 10 章には正反対のことが語られています。『…どのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか』(ヨハネ 10 章 32 節)

『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』(ローマ

10 章 17 節)とあるように、信仰はショーを見ることによるのではありません。反キリスト

とにせ預言者は見世物を行い、国々を欺こうとします(黙示録 16 章 13 節-14 節)。彼らはユダヤ人を欺こうとし、背教した教会を欺こうとします。(実際、この人たちはすでに欺かれているのであって、より大きな欺きを待っているにすぎません)

ヘロデがイエスを送り返したので、ピラトはこう考えました、「さて、私はこの男をどうやって釈放しよう――彼は無実だ――そうだ、あのテロリストを使おう!」

バラバは、新約聖書で“熱心党員”と呼ばれている者たちのひとりでした。ヨセフスは熱心党員たちについて広範にわたって記し、彼らが“シキーム(シキム人)”であると告げていました。彼らは基本的に殺人やテロ行為を覆い隠すものとして宗教を用いていた者たち

で、現代のアルカイダ(イスラム系武装組織)や IRA(アイルランド共和国軍)などに非常に似ており、言葉にも出来ないほどの犯罪行為を行うために、宗教を傘や宣伝道具――外側の覆い――とする者たちでした。シキム人は自分の民を餌食にしました。ヨセフスはローマ人がユダヤ人に行ったことよりも、シキム人が同胞に行ったことのほうがいかに残酷であったかを書き記しました。バラバが属していたこの“シキーム”はローマ人が行ったことよりも、はるかに悪いことを行いました。

ここで出てくるのがその“バラバ(Bar Abbas)”です。この名前はヘブライ語ではなく、アラム語で文字通りには「父の子」という意味です。「誰を釈放しようか。バル・アバスかラビ・イェシュア・バル・ヨセフか?このテロリスト、殺人犯、犯罪者、この略奪者を釈放してほしいのか、それともガラリヤ出身で愛、平安、赦しを説いたこのラビ、少女を死者からよみがえらせ、盲目の者を見えるようにし、耳の聞こえない者の耳を開き、足なえの者を歩かせた――この愛の人をか?どちらにするのか。バラバかラビ・イェシュアか?」

そして「ホサナ!」と数日前には歌っていたその同じ群衆が、今度は「十字架にかけろ!バラバを渡せ!」と叫んでいました。

勝利の入城の際、イエスが見世物になっている限り、民衆は彼の側についていました。しかし、彼らの条件に合わなくなり、ほしいものが得られないと民衆は興味を失いました。

「十字架にかけろ!バラバだ!」すべてではなくとも多くの者たちが宗教機関によって煽り立てられていました。サンヘドリン(議会)は人々に「バル・アバスを渡せ!父の子を渡せ!」と言うように煽っていたのです。

私たちはみなバル・アバス

人が新生し、罪を悔い改め、イエスを受け入れると新しい名前が与えられます。その名前とは“バル・アバス”です。私たちひとりひとりが御父の子となったからです。「バラバを渡せ!」イエスさまが私たちの罪ゆえに御父からのろわれたため、私たちが御父の子となりました。「バラバを渡せ!」いつも現実はこのようなものです。

「東ニューヨーク出身のコカイン密売人、ジェイコブ・プラッシュを引き渡しなさい」「では死者をよみがえらせ、病人を癒し、足なえを歩かせ、愛と平安と真理を教え、少女に命を与えたこのラビをどうしますか?殺してしまいなさい!ジェイコブ・プラッシュを渡して、その人を殺しなさい!」無罪であるのに私の代わりとなってイエスさまが裁判にかけられたので、私が“バル・アバス”となりました。私は実際、イエスに向かって偽って訴

えられていたことについて――扇動の罪、私が犯した反抗の罪、冒瀆の罪、他の人を騙した罪、これらのこと、イエスさまが裁判にかけられていた罪状すべてに関して私は有罪でした。

私のことを“ジェイコブ”と呼ぶのは構いませんが、ただ分かってほしいのが本当の名前は――そしてあなたの本当の名前は――“バル・アバス”、バラバであるということです。私がどうしてバラバなのでしょう?私がどうして御父の子なのでしょうか?なぜなら本当の御父の子に対して人々が「十字架につけろ!」と叫び、彼が死んだために私が神の子となったからです。これが最初の集団共有です。

クレネ人シモンの集団共有

ですが、また別に集団共有が存在します。ローマ法によると、人がローマ式の十字架にかけられ処刑されるとき(ユダヤ人たちは処刑の方法として石打ちを用いました。十字架刑は純粋にギリシア・ローマ式の処刑法です)、その人は自分の罪状を背負わなくてはならず、自分の十字架を背負うことによって罪状が公に表明され、明らかにされていました。罪過を負った者が自分の十字架を運ばなければならなかったのです。それがローマ法でした。しかしここではまた違ったことが起こります。

『彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。』(ルカ 23 章

26 節)

なぜイエスは自分でその十字架を運ばなかったのでしょうか?なぜならローマ法によって、十字架を運ぶことはその人がこれから処刑されることのために有罪であることを意味して いたからです。イエスはその後の処刑について有罪ではありませんでした。シモンが有罪 であり、私も有罪であり、あなたも有罪なのです。クリスチャンになったユダヤ人信者でリチャード・ワームブランド(Richard Wurmbrand 1909-2001 “The Voice of the

Martyrs” の創設者)という人がいますが――私の妻の家族は、彼がルーマニアでユダヤ人社会から救われる以前から、彼のことを知っていました――その人はユダヤ人としてナチスから迫害を受け、その後にクリスチャンとして共産主義者から迫害を受けました。共産主義者たちは彼を 14 年間拘留し、その妻を逮捕し、彼らに対してひどいことをしました――拷問を行ったのです。私の妻は彼にルーマニア語で話すことが出来たのですが、彼が説教でこう言っていたのを思い出します、「イエスはただ単に『わたしはあなたの代わりに死にます』とは言いませんでした。『私はあなたの代わりに死にます、ですがあなたも立ち上がって私と共に死ぬのです』と言われたのです」。『主は二日の後、私たちを生き返らせ、

三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ』(ホセア 6 章 2 節)

彼の復活が私たちの復活となり、彼の死が私たちの死となる必要があったので、シモンは彼のうしろを進みました。それはイエスさまの“うしろ”であったと書かれてあります。『自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』(マタイ 10 章 28 節、16 章 24 節)『わ

たしの荷は軽い』(マタイ 11 章 30 節)イエスさまが本当の働きをなされたので、私たちはただその十字架を負うように召されています。イエスさまがそこにくぎ付けにされなくてはなりませんでした。

十字架を取りなさい!古い性質を十字架に付けなさい!古い人を十字架に付けなさい!古い女、古い人を十字架に付けなさい(ローマ 6 章 6 節)!自分の十字架を負って、わたしについて来るのです!もし誰かが古い人に関して有罪なら、それを十字架に付けて、わたしについて来なさい。

そうです、私たちはもうひとつの名前を持っています。あなたの名前は“ジャック”であるかもしれないし、“ジル”であったり、“ハリー”や“ハリエット”であるかもしれません。しかし名前がどうあれ、あなたの名前は同じように“クレネ人シモン”なのです。もしあなたが本当のクリスチャンなら十字架を負いましょう。

盗人の集団共有

まだ三つ目の重要な集団共有の例があります。私たちはそれを十字架刑の同じ章で見ることができます。

『十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」』(ルカ 23 章 39 節-43 節)

ここは重要です。私たちすべてが盗人、私たちすべてが嘘つき、私たちすべてが殺人犯です。私は盗人であり、嘘つきであり、殺人犯です。もし誰かが他の人の物を欲しがるなら、それは聖であられ、完全な神の目からすれば盗んだことになります。もし私たちが誰かの

妻に情欲を抱き、誰かの夫に情欲を抱いたり、自分が結婚していない誰かと寝たいと思っ

たなら、神の観点からはその人がそれを欲したためにすでに姦淫を行ったと見られています(マタイ 5 章 27 節-28 節)。私たちはみな姦淫を犯した者であり、盗人であり、みなが嘘つきです。誰かを正当な理由なしに嫌ったことがあるため、私たちはみな殺人犯なのです(マタイ 5 章 21 節-26 節)。

フォックス・ニュース(Fox News)や、この世での政治腐敗や、偽善、メディア、イスラ ム教徒のことを見ているとき、私は怒らないようにしようとする霊的な闘いを経験します。私は罪を嫌っているのであって、罪人を嫌っているのではありません。イエスさまの恵み を離れては、私も同じようであったことを思い出します。私たちすべてが殺人犯なので す。

ヨブ記や哀歌で言われているように、誰にも不平を訴える権利はありません。人生で本当に悲惨な経験をした人がいるかもしれません。それについては残念に思います。つらいことです。しかし、人に何が起こったとしても、神の目から私たちが罪人であるため、自分たちの人生がどんなにひどいか文句を言うことは出来ないのです。イエスさまだけが罪を持っていない唯一の方であったにも関わらず、最もひどい扱いを受けました。彼は完全に無罪であったのに不満をもらさず、口を開きませんでした(使徒 8 章 32 節)。私たちみなはまさに文句を言い、愚痴をこぼし、不満をもらします。イエスはそうなされませんでした。ここで三つ目の集団共有の例があります。盗人たち、すなわち“良い盗人”と“悪い盗人”です。

十字架上でひとりの男は「おいイエス、あんたがメシアだろう――こんな状態から抜け出させてくれ!」と言いました。彼がイエスに望んでいた唯一のことは、この人生、この世で自分に何かをしてくれることでした。そのような人たちが今もいます。そのような人たちはクリスチャンと名乗ることやキリストのもとに来るのを好み、招きの呼び掛けに手を挙げて応答し、イエスさまがこの人生とこの世で何かをしてくれると思う限り、伝道集会で前に出ます。

私はここで、イエスさまがこの人生とこの世で何かを出来ないとか、何かをしないと言いたいのではありません。イエスさまは確かにそうなされますが、それが本来の目的ではないのです。この世界には刑務所以外のことを何も知らないクリスチャンたちがいます。私はときどき、シャリーア法の下にありクリスチャンが迫害され、殉教しているインドネシアやバンダ・アチェで聖書を教えています。イエスさまが彼らに渡す唯一のものといえば殉教の冠です。しかし、驚くことに彼らは不満をこぼさないのです。

“良い”ほうの盗人は言いました。「見てください、私に何が起こったとしても私は自分の

罪を知っています。イエスさまはひとつの罪も持っていません。あなたの御国で私を思い出してください」

ふたりともイエスに声を掛けましたが、その動機はどのようなものだったのでしょうか。 自分がただこの世での無料チケットのようなものや、この世での良い生活を欲しいがため にイエスに話しかける人がいますが、そのような人たちは全くの的外れです。一方、イエ スに声を掛けた“良い”盗人は言いました。「私は自分がどのような者か、私のうちに善が 無いことを知っています。ですがあなたがどれほど完全に良い方であるかを知っています。どうか私をあなたの御国で思い出してください」

私たちはすべてが盗人なので、問題は“良い”盗人になりたいか、“悪い”盗人になりたいかどちらなのかということなのです。その“良い”盗人は逮捕されなかった者ではありません。“良い”盗人は自分が逮捕されるべき者であることを知っていた者で、自分を赦したいとイエスさまが思っておられることを知っていた者です。

復活の後の集団共有

これらが集団共有ですが、イエスの十字架刑の後にも集団共有は存在します。イエスの復活の後にも集団共有が見られます。そして毎年この時期、私たちはルカの次の章にある素晴らしい物語を読みます。この物語は多くの面で、クリスチャン生活がどのようであるべきかをまとめているものですが、ごくわずかな人たちしかこれを本当には理解していません。

『ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。』

彼らの目はさえぎられていて、イエスだとは分かりませんでした

『イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」』(ルカ 24 章 13 節-18 節)

もう一度確認しますが、これがペサハと週の祭りの間の期間であったというのを理解する

ことが重要です。ペサハと週の祭り――過越の祭りとペンテコステ――どちらも巡礼祭でし た。ユダヤ人たちはそれらをエルサレムで祝うために他の地域から来る必要がありました。従ってユダヤ人たちはもと来た場所へ戻り、引き返し、再びやって来るよりかは、できる ならただエルサレムに留まっていました。彼らはそうすることを好んだでしょう。多くの 人がエルサレムに滞在したので、人口は膨れ上がりました。それはちょうど休暇シーズン 中に人が増え、また休暇シーズン――休日の期間――が終わると人が減少するリゾートと同 じようなものです。

『イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエ スのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある 預言者でした。それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。』(ルカ 24 章 19 節-20 節)

宗教組織に責任があったことを注目してください。気付いてほしいのが、当時のそれはサンヘドリンであり、今日のそれはローマ教皇庁や世界教会協議会(ジュネーブを本拠地とし、340 を超える教会が所属するエキュメニカル組織)であるということです――彼らは未だにイエスさまを十字架に付けています。

『しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、』

三日目とは、聖書の象徴の中でいつも何らかの形で復活の経験をほのめかしています

『また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみま したが、イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたち の幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。そ れで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」するとイエスは言われた。「あ あ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリ ストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではな かったのですか。」それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。彼ら は目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。それで、

彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおか

た傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。』

彼らがイエスを迎え入れたことに注目してください

『彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡 された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼ら には見えなくなった。そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」す ぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まっ て、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた」と言っていた。 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった 次第を話した。』(ルカ 24 章 21 節-35 節)

今日まで正統派ユダヤ人たちは過越の後の週に小さなセデル(過越の祭りの最初の晩餐) を営み、小さなセデルの食事を食べます。ですがイエスが子羊の婚礼まで過越の食事を食 べないと言われたため、使徒たちはこのように祝うことは出来ませんでした(ルカ 22 章 14 節-18 節)。使徒たちがこのパンを割いた場所にいることはありえませんでした。しかし、イエスはパンを割くことによってご自身を明らかにされ、それはホセアによって語られた ようにいつも「三日後」でした(ホセア 6 章 2 節)。

三日目

これはよく尋ねられる質問です、「三日三晩というのはどこから分かるのですか?イエスさまは水曜日に亡くなられたの?それとも木曜日?」話しを進める前に一度それを脇に置いて、次の箇所を読んでみましょう。

『そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。』(ルカ 23 章 44 節)

(原語は第六時から第九時となっている)

ユダヤ人は時間を日没から日没までという様に数え、いつも創世記の創造物語――“オール

(owr)”から“ホシェク(choshek)”、“光”から“暗やみ”――を基礎にしています。その日に何時間残っていても、太陽が一旦沈んでしまえばそれはひとつの日なのです。上の箇

所の記述が日食ではないといえる二つの理由があります。最初の理由はこれがニサンの 14日であったからです。ユダヤ人たちは太陰暦を用いていました。日食が起こるには月の周期が正反対でした。これは日食ではありません。太陽に何かが起こったのです。ホセアは三日目に主が私たちを生き返らせると書いています(ホセア 6 章 2 節)。

次のヘブル人預言者はこれが未来、また終末的な意味を持っていると伝えています。

『その日には、――神である主の御告げ――わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、』(アモス 8 章 9 節)

イエスさまが亡くなられたとき、太陽は沈みました。アモスは太陽が沈むと預言しました。聖書の中で神が時間に干渉されたときがいくつかあります。パウロによると聖書的には三 つの天が存在します。(2コリント 12 章 2 節)

第一の天――地球の大気圏第二の天――宇宙空間

第三の天――永遠など

一方、時間はいつも第二の天、惑星運動を基礎にして算出・測定されています。厳密にいえば、惑星運動によらず粒子の放出によって動く原子時計というものがありますが、この時計さえも 10 億分の一秒単位でその計算を表さなければなりません。時間は第二の天に依存しています。

イザヤ書や黙示録で“シャマイム(shamayim)”――“天(複数形)”が巻き物のように巻かれると書かれているとき(イザヤ 34 章 4 節、黙示録 6 章 14 節)、それは宇宙空間が消えうせ、永遠が地上と接するということを意味しています。それは実際起こることであって、もはやそこには時間自体が存在しません。実際、ギリシア語で時間を表す言葉は“クロノス(chronos)”と“カイロス(kairos)”のふたつがあります。“クロノス”とは物事の順序であって、永遠において順序があるということを示唆していますが、永遠に時計はありません。永遠とはもはや時計自体が無いので、進み続けるものではないのです。

神は時間に干渉されます。ヨシュア記で日を動かさなかったと書かれてあるときに、神は時間に干渉されました(ヨシュア 10 章 12 節-13 節)。黙示録 8 章 12 節で神はもう一度

それをなされます。その日は一日が 24 時間から 16 時間へと短縮されます。ヒゼキヤ王が

癒されたときは、神は太陽を戻らせました(2列王記 20 章 9 節-11 節)。

ヒゼキヤがその治世に何歳であったかを読むと、イエスさまと同じ年齢であったことが分

かります――彼が 30 代のときに時計は戻ったので、時計は進められなくてはなりませんでした。言い換えると、イエスの十字架の時に太陽が沈み、日は前に進み、ヒゼキヤの治世に起こったことの埋め合わせをしたということなのです。ヒゼキヤは時計の影が戻り――日が戻ったことによって命を引き延ばされたのであり、同じ年齢のイエスは日が進んだためにその命は縮められました。

これはヒゼキヤに対して起こり、黙示録で起こり、ヨシュア記で起こりました。神が時間に干渉された時がいくつかあります。そうです、神はここでそれをなされました。イエスが死なれたとき、太陽は二度沈みました。二度の日没があったのです。何も問題はありません。十字架刑は金曜日に行われたのでしょうか?それは聖金曜日(Good Friday)ではありません。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネは十字架刑が太陰暦の過越に行われたと言っているのであって、太陽暦のイースターではありません。イースターは異教を起源とするものです。しかしながら4世紀にローマ・カトリック教会はそれを変えてしまいました。イエスは聖金曜日に死んだのではなく、ただ私たちが言えることは彼がある金曜日に死なれたということです。

金曜日に太陽は沈み、イエスが十字架から降ろされ、3時には太陽が戻り、また金曜日の夜には太陽が沈み、土曜日には昇ってきて、土曜日の夜に沈んだので、こうすると私たちは三日三晩を数えることができます。文字通りの三日三晩です。もしイエスが木曜日に十字架にかけられていたのなら、三日の代わりに四日となるので問題があります。しかしイエスの復活までの時間は三日三晩でなくてはならず、ラザロ(ヨハネ 11 章 14 節)や二人

の証人(黙示録 11 章 9 節)、ヨナ(ヨナ 1 章 17 節)と同じでなければなりませんでした。

クレオパともうひとりの弟子の集団共有

いずれにせよ、それは三日目であり、イエスさまはエマオへの道を歩いていました。そしてこの道を進むうちにイエスはクレオパともうひとりの弟子に会われました。しかし、彼らの目はふさがれていて、見ることができませんでした。イエスは彼らと歩いておられたのに、彼らは実際のところイエスだと気付いていませんでした。「話し合っているその話は何のことですか」と聞かれると、彼らはイエスがそれを知らないかのように起こったことを全て話しましたが、彼の返事は

『…ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて…』

でした。

その者たちが聖書を理解していないことに不満をもらしていたことに注目してください。

『それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。』(ルカ 24 章 25 節-27 節)

聖書、聖書、聖書です。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち」すべてが聖書の中にあったのです。

私たちの大半はお気に入りの節や、お気に入りの聖書箇所を持っています。小さな子どもでさえ、“ダビデとゴリアテ”のような寝る前に読んでもらうお気に入りの物語がありますが、それに何ら問題はありません。しかしそのお気に入りは全てを含んだものではありません。大事なのは聖書全体です。三回にわたって(ルカ 24 章 32 節を含めて)イエスは聖書、聖書、聖書と不満をもらされました。イエスこそが肉体をとられたみことばです。彼が“ロゴス”です。聖書はイエスが文字となって表された――聖なる書物です。

イエスは彼らと歩き続けていましたが、彼らはそれを知りませんでした。聖書を彼らに説明しようとされましたが、彼らはつかめませんでした。イエスさまは実際によみがえったのに、それが真実であっても理解することができませんでした。ここでイエスご自身の弟子たちは聖書を理解をしておらず、彼と共に歩んでいるという事実さえつかめず、ほとんどイエスのことが見えず、彼の言っていることを聞いていないという状況であったにもかかわらず、それでもイエスさまは彼らと歩んでいました。イエスは弟子たちと共にいましたが、実際には弟子たちはイエスと共にはいなかったのです。

イエスさまが私と共におられることは確かですが、問題は私が本当にどれだけイエスさまと共にいるかということです。ここにおられますが、私は彼を見ているでしょうか?もし聖書を理解しそこねているなら、見えてはいません。イエスさまはここにおられ、私に話しかけておられますが、彼の語っていることを理解しているでしょうか。もし聖書の言っていることをつかみそこねているなら、理解していません。私は人をキリストに導くとき、祈ることは神に話しかけていることだと言いますが、彼らが聖書を読むときは神さまが彼らに話しかけているのです。それは双方向の会話です。

教会に来て、このような説教を聞く時、私はイエスさまと歩んでいますが、交通渋滞にはまり、片手に携帯電話を持ち、もう一方にタバコを持っているような運転手を銃で撃ちたくなるようなとき――イエスさまは私と共にはおられますが、私は彼に気付いているのでし

ょうか。

イエスさまが目に見える形で隣に座っていたなら、私は引き金を抜くでしょうか。イエスさまが目に見える形で隣に座っていなくても、実際私の隣にいるという事実は否定することができませんが。イエスさまは私の言っている内容を聞いていますが、私は彼の語っておられることを聞いているでしょうか?イエスさまは見ておられますが、私は彼を見ているでしょうか?イエスさまは私に説明しようとなされていますが、私は本当に聞いているのでしょうか?

私は復活の力にあって生き、歩んでいるでしょうか?

大事なのは、イエスさまが実際に死なれた方であるということです。イエスの十字架刑の歴史性について私は何の疑いも持っていません。彼が私の代わりとして死なれたこと、十字架にかけられたこと、私はそれらを全く疑っていません。私がここで問題にしているのは、ジェイコブ・プラッシュがどのくらい、私がどれほど、私自身がどの程度イエスさまと共に死んでいるかということです。イエスが十字架に向かわれたこと、これについて私ははっきりしています。ですが、私はシモンのようにどれほど忠実にその十字架を運び、彼の足跡に従っているのかということです。これが問題です。

イエスは復活されましたが、ある人たちはそれを疑います。彼は実際に復活したのでしょうか?キリストがよみがえったことについて私は何も疑っていません――それは問題ではないからです。イエがよみがえったことについて、疑う余地が何もないほど私は確信しています。問題としているのは、私がイエスさまと共に、復活の力にあって生き、歩んでいるかどうかということです。これが私についての問題です。彼が死んで、よみがえられたことを私は確信しています。ですが、私は死んでよみがえったでしょうか?これが問題です。聖書はここにありますが、私はそれをどのくらい理解しているでしょうか。イエスさまは共におられますが、私は彼を見て、彼に気付いているでしょうか。イエスの語っておられることを私は聞いているでしょうか。しかし気付いてほしいのが、彼がご自身の姿を明らかにされたのはパンを割いたときであったということです。イエスさまが彼らと食事を共にする必要がありました。

聖書の中で、誰かが死者からよみがえった後に物を食べたと書かれててあるのは、それが文字通りに起こったことを証明するためです。イエスが少女を呼び起こされたとき、何か食べさせなさいと言われました(マルコ 5 章 43 節)。またラザロがイエスと食事をともに

したという箇所もあります(ヨハネ 12 章 2 節)。

復活は文字通り、肉体的なものではないとエホバの証人が主張する以前から、神はエホバ

の証人のことを知っていました。霊は食べる必要がありません。イエスが文字通り食事をしておられたのは、文字通りの復活が起こったからです。イエスが食事を取ったという事実は、文字通り、肉体的な復活があったということを証明しています。一方、イエスが姿を明らかにされたのは、パンを割いたときでした。

気付いてほしいのが、イエスはまだ先へ行こうとされていたかのようでした。ただその道を進もうとされていたのです。「まだ先へ行きます、また会いましょう、私はこの道を進んで行きます」そして弟子たちは言わなければなりませんでした。「待ってください!お入りください!」「我々と一緒に泊まりましょう」「私たちはもっと聞きたいのです!」「聖書についてもっと説明してください!」「あなたのみことばについてさらに説明してください!」「イエスさまについて私たちにもっと教えてください!」「さらに聞きたいのです!」

「泊って行ってください!」弟子たちはイエスを招き入れなければなりませんでした。

イエスを招き入れる必要性

これは今日でも同様です。いまだにエマオへの道を歩き続けているクリスチャンの一団がもしいるとしたなら、その人たちはラオデキヤのクリスチャンです。そこでイエスさまは言われます、『わたしは、戸の外に立ってたたく』(黙示録 3 章 20 節)。また言われます、

「見てみなさい。あなたは私を見えていない。あなたは私の言うことを聞いていない。あなたは実際の自分の裸に気付いていない。実際の霊的な状態を理解していない。物質主義や豊かさによって惑わされている。あなたはこれらのものが祝福のバロメーターだと思うのか?」

それらは祝福ですが、祝福を測るものさしではありません。それらは試金石ではないのです。ただ聞く耳のある者を除いては(黙示録 3 章 22 節)、彼らは見もしないし、聞きもし

ない(黙示録 3 章 17 節-18 節)。これがイエスの言われたことです、

『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』(黙示録 3 章 20 節)

私と同じような人のほとんどはこの箇所を伝道の指針として用いますが、それは一向に構わないことです。私たち――私はいつもこの箇所を未信者に福音を伝えるときに用いているし、それは全く構わないことなのです。それは有効な適用ではありますが、聖書解釈の文脈において、ここで第一に語られていることではありません。この箇所が未信者の人た

ちに何らかの意味で適用できるにしても、イエスは主に未信者に向かってこれを語られま

せんでした。彼は私たちに対して語りかけています。「入って、あなたと共に食事をしよう」「あなたと共に食事を取ろう」「あなたは私と共に食事をし、私はあなたと共に食事をする」「私はこれらのことをあなたに説明しよう」

イエスさまはまだ先に行こうとされ、その道を進もうとされていました。イエスはあたかも進み続けるかのように振る舞っていました。弟子たちは彼を招き入れる必要がありました。彼らが招き入れたその時に、イエスさまはご自分を明らかにされました。その後、彼らは聖書を理解し、その後、実際のイエスの姿を見たのです。ただその後にだけ、彼らは実際に語られていたイエスのみことばを悟りました。ただその後にだけ、見ることができて、ただその後にだけ、本当に聞くことができました。

そうです、イエスさまはよみがえられましたが、私たちは復活の力にあって歩んでいるでしょうか?確かに彼は死なれましたが、私たちは死んだでしょうか?イエスのみことばは真実ですが、三度も弟子たちが聖書を理解していないことで彼らを愚かだと言われました。彼らは見ることができず、聞くことができませんでした。私たちはイエスさまとその同じ道を歩んでいます。イエスさまはおひとりでその道を進まれることに意を決し、そうしようとされていましたが、ディナーの誘いを断ることは決してありません。

神の祝福がありますように。

Copyright © 2024 Moriel - God is my Teacher. All Rights Reserved.

This Joomla Site is Maintained by Cybersalt Consulting LTD.