Sermons in Japanese

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April 3, 2025
第四章:死者は人の魂を救えない (2012 年 6 月 14 日) 死者の力が及ばない物事は多い。その最たるものが、死者は人の魂を救えないことである。以前に執筆した『仏教徒の道標』と題した論文で、仏教の教えのいくつかを探究した。人生を旅に喩えるなら、仏教徒の地図には目的地が明記されておらず、地図の作成者はもうこの世におらず、そして地図そのものも、人間の主観的で限られ た体験に権威を置いた、危険な霊言ばかりである。 私がこのような論文を書く目的は誹謗中傷ではなく、ただ単に仏教の限界を検証し創造主である神と和解することを歓迎する為である。この論文では、私が検証したい 5 つのトピックを掲げた。すなわち、1. 仏教における歴史的な不正確さ ; 2. 拠り所は自分自身 ; 3.人間の心の満たされていない 空虚 ; 4. 錨のない倫理観 ; 5. イエス・キリストから離れ迷うこと; である。またこの論文では、仏陀が芸術において最も一般的に関連付けられている “動物”についても明らかにしたい。 仏教における歴史的な不正確さダンマ(仏教法典)まず、仏教徒の正典であるパーリ聖典は(仏陀の時代か ら)随分と遅れて編纂されており、他の仏教宗派の経典はさらにその後に書き留められたものである。カリフォ ルニア州立大学のジェフリー・フェイドリンガー (Veidlinger)教授によれば、パーリ聖典はおよそ紀元 前 70 年にスリランカで執筆された (Veidlinger,23) : 「現在では多くの学者が、パーリ・ティピタカ聖典は彼らの創始時代から紀元前 1 世紀までの約 400 年の間に口伝で継承されたと考えている」(Veidlinger,2)。 2004 年版仏教百科事典のなかで定められた日付は更に遅い。ペンシルベニア州立大学のチャールズ・プレビッシュ教授は、「紀元前 25 年にスリランカのヴァッタガマーニ王のもとで上座部仏教議会が開催されました…パーリ仏教聖典の執筆によって、上座部仏教の伝統的な経典の三つの吊り篭の蓋を“閉じる”ことへの取り組みに関与する会議でした」と、記述している(188)。これはケネス・ロイ・ノーマン(ケンブリッジ大学元教授)がヴァッタガマーニ王の治世を推定した年代(紀元前 29~17 年)とも一致していて、その時代にパーリ聖典は執筆された(ノーマン,10) また、執筆された時代から現存する最古の稿本までの間に膨大な年代差がある。Veidlingerによれば: 「…小乗仏教(上座部仏教)における伝統的な手書きパーリ聖典は 19 世紀の写本の中に多数現存する。これまでに発見された最古のパーリ聖典は 6 世紀まで遡る…それは選ばれた 1 句 1 節の集まりである…1411 年にスリランカで発見された現存する最古の稿本は『相応部』(パーリ聖 典の経蔵・五部のうちの第三番目)だ…」(14-15)。 これらの年代は、2 つのウェブサイトからの引用でも確かめられる:「現存する最古の有形遺物(経典)はネパールで発見されており時代は 8~9 世紀である。独自の経典で最古の完全写本は 15 世紀のものである。そして 18 世紀以前の完全な経典写本はない。」 (http://dharmastudy.net/the-pali-canon) 「…ネパール以外、インドの何処からも現存する写本は出ていない。PTS(パーリ聖典協会)発足以後、学者が 利用している写本の殆どは 18~19 世紀のものであ る。」 (http://www.palitext.com/subpages/lan_lite.htm) 同様に、ドイツの学者ヒニューバーはこの状況について次のように確証している:「完全な経典を継続的に書き残すという伝統はせいぜい 15 世紀後半に始まったばかりだ。そこで、小乗仏教派が文献としてすぐ利用できる原典資料は、仏陀から約 2000 年もの時間的な隔たりがある」(4)。ここで“完全な経典”という言葉はパーリ聖典からの個々の経典全体を意味する。もし現代の学説に従って仏陀の死を紀元前 410 年だとすれば、仏陀と完全なパーリ聖典写本との年代差は 2000 年以上となる。そこで、仏陀の時代からパーリ聖典完成まで 400 年、最古の独自の写本まで約 2000 年(それ以前にも幾つかの断片は見られる)、そして仏陀の時代から最古の完全なパーリ聖典に至るまでには 2000 年以上の年代的な隔たりがある! それとは対照的に、我々にはイエスキリストが死から蘇られてから約 150 年後に独自の新約聖書の稿本(それ以前にも幾らかの断片は見られる)があり、キリスト復活 300 年後の完全な聖書の原稿がある。死海の洞窟から発 見された紀元前約 200 年の旧約聖書がある。 19 世紀にパーリ聖典はビルマで石に刻まれた… 「ミンドンが初めて機械で刻印された硬貨をビルマに紹介した。そしてまた 1871 年にマンダレーで第 5 回仏教評議会を開催した。彼はすでに 1868 年に世界最大の書籍を発行していたが、それは Tipitaka(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵)と呼ばれる 729 頁もの大理石に刻まれた仏教パーリ聖典で、各頁の石板はスラブ構造床の小さな仏舎利塔の中に納められていた…」 (http://en.wikipedia.org/wiki/Mindon_Min) 「石に刻まれた」というのは、永続的なもので変えることのできない絶対なものに対する慣用句であるが、トレバー・リングはミンドン王の事業について、「経典を刻む際の誤りは訂正されなければならなかった…」と、記述 している(124)。この訂正は 1954~1956 年ビルマにおける第 6 回仏教評議会で行われた。 スリランカ [ここで最初(紀元前 25 年)にパーリ聖典が執筆され注釈本(西暦 500 年)が編纂された] の歴史中では、この経典は 12 世紀に取り除かれ追放されている。 「ParakkamabahuⅠ世(1153~1186)が 12 世紀にセイ ロンで仏教を改変したとき、Abhayagiri と Jatavana 寺院の僧侶たちは、大乗仏教の流儀に従って再任された。その結果、彼らの経典は次第に消失し、一つだけ現存する小乗仏教経典は唯一の大乗仏教寺院 Mahaviharara のものである。」(Hinuber,22) パーリ聖典の歴史は石に刻まれたものとは遠くかけ離れている(それが意図されたものだとしても)。いわゆる仏陀自身の御言葉(パーリ聖典の Vinaya Pitaka)でさえ も、彼の教えの純正さを損なわれることが防がれ腐敗していないわけではないと指摘している。仏陀は彼の 10 人の主要な弟子の 1 人であるアーナンダと会話している最中に預言:「アーナンダよ、もし女性たちが真実の発見者によって宣言された教えと規律について道を外れることがなければ…バラモンたちの修行は永続し仏教の真理は数千年長続きするであろう。しかし、アーナンダよ、女性たちは真実の発見者によって宣言された教えと規律から道を外れたので…いまやアーナンダよ…バラモンの修行は永続せず、仏教の真理は 500 年しか持ちこたえられないであろう」(356)。 女性たちは(修道女になる)“道を外れ”既に 500 年がすでに経過したので、彼自身の御言葉によれば、その教えは期限切れになった。もし我々がそれは誤った預言だと言えば、パーリ聖典の権威は傷つけられ、仏陀は偽りの預言者となる。もし我々がそれは真実の預言であると言えば、それはやはり偽りとなる。なぜならば、既に 500 年が経過しており、結局、「真実の教え」(それが真実であるかどうかの預言も含む)はもうどこにも存在しないからである。 シュラーヴァスティー・ ダンミカは自らも熱心な仏教徒でありながら、上座部仏教(小乗仏教)を破壊的に批判する文章を書いている。彼はその著作の中で幾度かキリスト教の長所を告白している:「キリスト教はタイの人口のごく少数派であるが、タイの非政府社会事業ではかなりの割合を担っている。他の上座部仏教の国においても同様である。」「存在する僅かな上座部仏教徒の社会事業への資金は地域社会の枠を超えてもたらされ、そのような社会事業は通常、西洋ないしキリスト教の影響を受けて行われる…キリスト教の社会事業を模倣しているか、キリスト教徒が奉仕する社会活動に対抗する為に行われている。」「キリスト教において、愛を信徒の生活と実践の中心に据えてきたものとは何なのだろうか?上座部仏教において、このことを阻んでいるものは何なのか?」(http://www.buddhistische-gesellschaft- berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf) それにも拘らず、彼はパーリ聖典そのものに欠陥があるとは認識していない。「悲劇なのは、パーリ聖典に於ける仏陀の教えが、恐らく他のどの古代の教えよりも現代の問題やニーズに上手く対処できるということである。」と、彼は主張している。 これは実に皮肉なことだが、特にその数ページ後で彼はパーリ聖典の権威を損ない、パーリ聖典ではなく彼自身の意見を用いて現代の問題に対処する自己矛盾に陥っている:「仏陀の教えがどうであろうとも、仏教徒が女性を修道生活から締め出すのは間違いで、21 世紀の今日、男性に次ぐ地位を常に要求するのは不適切で、女性をある種の伝染病であるかのように扱うのは卑劣である、と考えるだろう。彼らはこの問題や他の幾つかの問題点に関して、仏陀が語ったカラマ経典を指針とする。「伝統に従って進むな…聖典に従って進むな…しかし、ある事柄が正しく、善であり、巧みであり、それに従ったり実践したりすると幸福や利益がもたらされることを あなた自身が知っている時には、それ従いなさい」(A. Ⅰ,188) (http://www.buddhistische-gesellschaft- berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf) 先ずパーリ聖典を高く評価し、次に「仏陀の教えがどうであろうとも…」と、その権威を否定し、そして女性の役割に関しては仏陀の教え(“…はどうであれ”の教え)に従わない、と述べている。この場合、彼はまさに 5 世紀の仏教解説者ブッダゴーサや現代の上座部仏教徒の行いについて批判したことを、彼自身がしている: 「多くの上座部仏教徒は、ブッダゴーサの解釈が仏陀の言葉と矛盾する場合でも、ブッダゴーサの側につく」(上記ウェブサイト参照)。ダンミカは仏陀の教えと矛盾する現代的な解釈を思いつくという点で同じことをしている。そして、彼は権威としての仏陀の教えに立ち帰るが、その権威を弱める為に、「…聖典に従うなかれ…」と、述べている。何故、聖典に従わないのか?何故なら聖典がそう書いてあるからだ。これは自虐的な論理である。自分の意見以外、何の権威も無いことを如実に示している。彼は自分の視点で正しいものを何でも選ぶ事が出来るのだ。 ここでの本当の問題は適切な解釈を見出すか、或いはパーリ聖典の字義に厳格に拘るようなことではない。問題なのは、その原典自体に欠陥があり、人々の最も深い精神的な必要性への答えを与えられないことである。パーリ聖典の歴史的信憑性の低さを超えて、より重要な疑問は、「そもそも仏陀は霊的なテーマについて教える権限を持っていたのか?」ということだ。仏陀はただ人間 (知識が非常に限られている)であり、現在では死者なので、例えば、「あなたはどこで永遠の時を過ごすのか?」「人生の目的は?」「人はどこから来たのか?」といった究極のテーマについてアドバイスを与える資格は全く無い。 実際、仏陀はしばしば永遠の問題よりも現世のことに人々の注目を集めるだけで、これらの重要な題目から人々の注目を逸らせている。もちろん改革を求める現代の僧侶たちには仏陀以上の権威を求める余地はない。すべてをご存知で、死をも超える力を持たれ、この世を創造し所有され、人々に霊的な真理を教えるに足りる権威をお持ちなのは神様だけである。ここにパーリ聖典で用いられる極端な誇張の幾つかを示す 2 つの物語がある… 「パーリ経典の律(Vinaya)の中で僧侶になろうとする者は必ず「お前は人間か?」という質問を受けることになっているが、その理由について説明する驚くべき信じられないような話がある。その話によると、ナーガ(鎌首をもたげてあたかも仏陀を雨から守るように見える大蛇)が姿を変えて僧侶になった。「そしてある日、仲間の僧が夜中に起きて明け方まで瞑想歩行の修行を行うため外出した。大蛇は同房の仲間が出かけたことを確かめて深い眠りに就き、眠っているうちに元の姿に戻ってしまった。蛇は部屋一杯にふくれ上がり、そのトグロは窓から外へ突き出た。しばらくして、彼の同室の僧が自分の部屋に戻ろうと思ってドアを開けると、部屋中が大蛇で一杯に塞がれていた…彼はその光景を見て仰天し、叫び声をあげた」(Strong,19995;P62)。 パーリ聖典の中にもう一つ信じられない出来事がある。それは現在に至るまで(具体的に言えば━“この世界が続く限り”)存在すると思われているが、屋根がないのに雨が降りこまない家である。「…Majjihima-Nikaya(中篇の物語)の中に、寺院を修理する為に陶芸家の住居の屋根を“借りた”僧侶の話がある。ただ、この陶芸家と盲目の両親は屋根を人に貸すことになって怒るでもなく、7 日間、言葉にならない喜びに包まれた。このとき「因果関係」の法則に従えば実に奇妙な現象が起こったのだ。ものすごい豪雨で村中、国中が水浸しになったが、この屋根のない家には一滴の雨も降り込まなかっ た。そこでこの《Gati Kara の家》の光景はそのまま永久 に保存するように命じられた。」(King,121) 著者は以上の現象について今風な説明を加えている: 「この場所は永遠の都市ベナレス(Benares)周辺のどこかであろう。インド政府はそれを突き止めるべきである …とくにネール氏は敬虔な仏教徒のようだから。いとも簡単なことだ。ベナレスから半径 100 マイルそこらの範囲内で村の首長の家を詳しく調べる必要がある。そして、この素晴らしい場所を探し出すことだ。それが発見されれば仏教が人類に与えるインパクトは大きく、インドの旅行業者も大きな収益を得ることが出来るだろう」 (King,121)。 また、ビルマ人が正典とする『ミリンダパーニャ』(ミリンダ王の議論)も、歴史的に不正確な例であり、ヒニューバーは、「メナンドロス(ギリシャ王)は歴史上の実在人物であるが、ミル(ミリンダパーニャ)は非歴史的な経典である:ミリンダ王は仏陀の同時代人である 6 人の異教徒に語りかける!」と書いている(83)。メナンドロス王は仏陀から 250 年以上も歴史的に隔たっていたのである。 一方、ルカのよう人物を例にとると、聖書の記述は、それに敵対する人々によって歴史的、考古学的に厳しく精査を経た上でも確証されている。これに関するやや専門的な著書としては、コリン・ヘマ―の…『古代ギリシャ歴史書として設定された使徒言行録』がある。いわゆる仏教経典の歴史と呼ばれるものには不正確なものが多い。パーリ聖典は膨大な伝説のセクション項目を包含している。こられの聖典は“物事のあり方”についての物理的な報告文という点では正しくなかったので、一体全体、自分の永遠の魂に関して、何故それらを信頼したいと思うのだろう?仏教の経典で永遠の魂は否定されているが、歴史的な不正確さを持つ書物の中に、精神的・霊的な不正確さが存在することは、それほど驚くべきことではない。悲しいことに、皮肉なことに、彼らの経典に権威が欠けているため、仏教徒は神を探すようになる代わりに、彼らはより自分自身に依存する傾向がある ━ 自分自身の教えによれば、それは永続せず、常に変化し続けるものだ。 拠り所は自分自身パーリ聖典と史実の相関関係が欠如している事については仏教徒もある程度承知しているので、仏教の経典は重要視されていない。この経典への熱意がなくなると、それに取って代わって自分自身の中へ意識が集中する。し かし、それでも問題は解決されず、魂は存在しない (Anatta)という仏陀の思想からすれば、このことは問題の解決を難しくするだけだった。ワールポラ・ラーフラは『ブッダが説いたこと』の中で述べている「…仏陀は一度ならず、アートマン、魂、自分自身、或いは人の内外または宇宙のどこかにあるエゴの存在を、明白な言葉できっぱりと否定している」(Rahula,56―57)。 仏教における 3 つの伝統的な避難所(心の拠り所)は、仏陀、教義、僧侶社会である。一般に避難所へ向かうという考えは、我々が外部から助けを求める状況を想定している。人は制約を受け限定された存在だから、無限の信頼できる隠れ家を欲しがるものとされる。これらの避難所は 3 つとも荒廃して役に立たず、さらに悪いこと に、第 4 番目の避難所が提案されている。それが“自分自身”である。パーリ聖典Dhammapada の教え (Kumarakassapa の母の前世物語)は、“自分自身”を前面に押し出してくる: 「Bhikkhus と bhikkhunis、他人に頼りきる彼らは人生 の進歩も繁栄も得ることができない。だから、人は自分自身が避難所か主君であり、他人は誰も我々の避難所に はなれないのだ」 (http://www.buddhapadipa.org/plinks/MHAR-6ELBY2) 。 この 3 つの避難所はジャータカ本生譚(説話集)の解説で重視されている。“自分自身”は最高に重要な避難所として強調されているのだ。しかしながら、結局のとこ ろ、これらの避難所は 4 つとも信頼に値しない: Ⅰ.「ダンマ」(仏教における法典)を避難所とすることは、全般的にその教えが指し示す方向として避難所を自分自身の中に造ることだ。しかし、その教えが史実として信頼できないことは明らかであり、又その教えは仏 陀の教え「聖典に従って進むことなかれ」と矛盾する (A.Ⅰ.188)。もし人がこの訓戒を無視して聖典に従え ば、人は途中で再びそれによって進むのを阻まれてしまう!現在多くの仏教徒は仏教経典を超越的、不変の権威として捉えておらず、それは人々の現代的意見(経典に 優る自己依存)に従って修正されてもよいと考えている。 Ⅱ. 「仏陀」を拠り所とすることは、救いの手を差し伸べることができない死者に頼るということだ。伝説と信憑性のない歴史に満ちている彼の伝記で人々を救うことはできない。 Ⅲ. 「サンガ」(僧侶社会)に救いを求めることは、自らの苦しみを抱え絶え間なく変わる(anicca)、永続性のない自己(anatta)に依存すること(dukkha)である。上記のジャカータ物語の中にも「他人に頼る者は人生の繁栄、進歩は得られない」との記述があるが、それは僧侶社会への依存をも意味している。 Ⅳ. 自分自身の中に拠り所を持つということは、まさに限られた避難所に身を置くことである。これでは人の限界を超えた問題は解決しない。自己は一瞬のうちに無視され(anatta魂の不在)、次にそれは逃避の場所と化してしまう。 どんな人でも、本当に自立しているだろうか?別の言い方をすれば、自分というものに本当に頼ることができるだろうか?他人から何も受け取らず、神からも何も授からないと言い切れる人がいるだろうか?“自分自身が拠り所である”というスローガンを一貫して実践できる人がいるだろうか? 例えば、ある仕立屋が何らかの理由でこのスローガンを掲げてしまったとしよう。彼はまず、自分の衣服をすべて自分で仕立てなければならない。他人が仕立てたものや購入したものを着用することはできない。但し、綿花畑や養蚕場などから自分で収穫していない織り糸や布地を用いることはできない。また、自分で製作したものでなければ鋏やミシンを利用することはできない。更に、その為の鉄鉱石を自分で採掘し精錬しない限り、どんな裁縫道具も製作ことはできない。だが、他人の製作した道具を用いずにどうやって鉄鉱石を採掘するのだろうか?すぐ仮説を立てる我らが仕立屋は、自分で植物を植えて調理しない限り、何も食べることができない。しかし、彼自身が製作した調理器具以外、何を用いて料理することができるだろうか?ちなみに、彼自身で建てた家以外に、果たして彼は何処に住むことができるのだろうか? もし、この哀れな人が、人間の依存から自分を切り離すことに時間と労働の極端な要求を感じ始めたら、恐らく彼は森に行って暮らしたいと思うだろう。森では(都会でもそうだが)、神が創造された多くのもの ━ つまり食料となる植物や避難所となる樹木、生命を維持する為の水など…ect. に、依存しなければならないのである。神が与えられた口がなければ食べられないし、手足がなければ何かを作成することができない。同様に、神から授かった頭脳と魂がなければ、考えることも選択することもできない。いくら自分の避難所になりたいと願っても、究極の、いや時間的や現実的にも、自身の限界が自分の拠り所となることを許さないという真実に直面しなければならない。 人間の心の満たされていない空虚仏教国においても、仏教だけで満足している仏教徒は稀である。良い仏教徒であると自認している人の多くは、ありとあらゆる種類の非正統的なアイテムで仏教の教えを補っている。 タイでは神話のガルーダ鳥が国の守護神として通貨や公式書類に使われている(ガルーダ鳥はヒンドゥー神話に由来するが、仏教神話にも用いられる)。ナーガという蛇は、仏陀の守護神の一種である(例えば、仏陀がトグロの上に座っていたと思われる時、フード[庇]のように鎌首をもたげたコブラが彼の頭部を雨から守ってい た)。また、巨大なナーガ蛇の彫刻が、多くの仏教寺院で不気味に飾られているのをよく見かける。この神話のなかで、ナーガ蛇はガルーダ鳥の敵であり、それはタイ、バンコクの民主主義記念碑にも描かれている。つまり、奇妙なことに、タイの守護神は仏教の守護神の敵となっているのだ。 「神について関心を持つ必要はない」と、人々に告げることは、あたかも仏陀が「考えることは重要ではない」と、語ったかのようだ。それはすべての人間に生まれつき備わっているものであり、何故なら神は“神を知り、神を崇拝したいという渇望を持つ者”として我々を創造されたからだ。しかし、この渇望を他のものに置き換えることで、満足できないまま探究が続いてしまうのだ。それはちょうど誰かが鳥に「飛ぶことは重要ではない」と言って、それからその鳥の翼を切り取ってしまうようなものだ。次世代の鳥の翼は正常に成長するが、「飛ぶことは重要ではない」と言われる環境の中では、鳥は翼を飛ぶためではなく、土の中で使うようになる。しかし、彼らは依然として飛ぶことを“渇望して”いるはずだ。鳥が飛ぶように創造されたように、人間は神を愛し崇敬するように創造されている。仏教は、創造主を知りたいという人間の心のニーズを満たしてはくれないので、探究も続いていく。しかし残念なことに、それは神に繋がる真理と正義の探求ではなく、個人的な繁栄のための探究になってしまっている。神を拒絶した後、人々は偶像をつくり、それを代わりに崇拝する傾向がある。 タイ仏教徒の一例としては、 ジャトゥカム・ラマテープの御守り(7~12 世紀の仏教帝国シュリーヴィジャヤ王国に実在した 2 人の王子に因んで名付けられた)がある。リチャ-ド S.エールリッヒの記事(2007 年)ではこう記述されている:「エコノミストによれば、ジャトゥカムの御守りの売り上げは、過去 2 年間で 5 億ドルに達したという…。現在タイ国内の店頭に 100 種以上の御守りジャトゥカムが並べられ、業者間の競争が激しい。中には人の気を惹く魅力的な名前、例えば「百万長者への道」「お金が舞い込む」というような大富豪シリーズものがある (http://www.globalpolitician.com/22711-thailand) 。欲に目がくらみ借金して御守りに大きな投資をしたものの需要が落ち込んでしまい、多額の負債を抱え込んだ寺院もある。それはかなり皮肉なことである。人は、「百万長者への道」 「お金が舞い込む」という神秘的なメダルで一杯の倉庫があれば、富を保障するものと考えたことだろう。現実はそうではなかった。真実の神を求める代わりに、人々はいわゆる神、つまり彼らの欲望の実現を約束する力を求めた。この“役に立つ”神を求める態度が問題の核心である。アーサー“Art” カッツ牧師は、偶像崇拝とは “神への崇拝”というよりも、むしろ“自己への奉仕” であると定義づけ、人間の心の問題を明らかにした。 我々の起源の問題や何に焦点を当てることが重要かという問題についての古典的な仏教のアナロジーは、矢で射られた者の話である。その男は、矢がどこから飛んできたか、誰が射たのか、どんな弓で射たのか…etc. などに気を揉まず、矢を抜くことに焦点を当て集中する!ですから、人間は世界の始まりや仏陀の行く末など、《形而上学的な質問》に煩わされる必要性はない。しかし残念なことに、神を傍観者に追いやることで、真の(永遠の)救いの源も見逃されてしまう。神は見過ごされ、拒絶され、まるで傷ついた人が医者に「あっちへ行け」、言うようなものだ。トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」『ヨハネによる福音書 14 章 5 節~6 節(口語訳)』。 仏陀の歯や骨の破片などの仏教遺物は、一部の仏教徒にとって重要な関心事となっている。今日は DNA 検査の時代だから、すべての遺物が同じ DNA を持っているか調べてみるのも一興だろう。なぜこのようなテストが行われず、公表もされないのか?そして、いったい何故、遺物を持つことが重要なのか?仏陀はただの人間であったし、物質的なものへの執着心は邪魔ものだ、とされている。その仏教徒によって実践されていることは明らかに非仏教徒の慣習である。理由は明白で、人々の心の隙間は満たされず精神面の探求が多様な表現を通じて続けられているからだ。残念ながら真の答えは考慮から除外されてしまった。多くの仏教コミュニティは仏陀の分骨を持っていると主張しており、なかには彼の歯を持っていると主張するところもある。彼らは仏陀のどんな歯でもいいから欲しがる。しかし、その歯を彼らはどうしようというのであろうか?ここで、ちょっと駄洒落を許して欲しい。彼らは神をないがしろにし、創造主に代わってものを創り出そうと(この場合は歯の創造)している。仏陀の 40 本の歯 (パーリ聖典によれば仏陀は赤ちゃんの頃に 40 本の歯を持っていた)のうちの 1 本を探し求めたり、又はそのような歯を崇拝することの代わりに、栄光は神に与えられるべきなのだ。遺物を探し求め神をないがしろにすることは、歯ぎしりするのを仕向けるだけであろう:「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするであろう。」『ルカによる福音書 13 章 28 節(口語訳)』 錨のない倫理観自己を促進し高める様々な哲学がある。その主な論旨はこうだ:「自分自身に集中し望むところを実行せよ」もしくは「自己に焦点を当てて集中し支配者に従え」。仏教はその基本を「自己努力によって集中し善を行え」とする点でこれと異なる。ただ、そこには“善”を定義する卓越した権威がなく自己が焦点であるべきだと定める超越的な権威かないという点では同じである。言い換えれば、これらの総ての哲学においてなされた主張は、“いったい誰が命じるのか?”という質問で反論することができる。ミュンヘンでの演説の中で、アドルフ・ヒトラーは正面切って自己努力を強調した:「ドイツ国民の将来は、我々自身にかかっています。我々自身の労働、勤勉、決意、大胆さ、そして忍耐を通じて我々ドイツ国民 が立ち上がった時にこそ、我々は再起することができ る。」http://www.earthstation1.com/Hitler.html 彼が自分自身に焦点を当てた結果…彼が引き起こした戦争でおよそ 600 万人のユダヤ人が死亡し 600 万人以上の死傷者が出たことを万人が知っている。 仏教は自己重視について似て異なる思想を持っていて、 「誰でも自分が拠り所だ」と唱えている。1950 年、ソロモン・W.R.D.・バンダラナイケがまだセイロンの首相になっていなかった時、世界仏教徒連盟を前に、「人間は、神の意志に関係なく、何が正しくて何が間違っているかを自分で自由に決めることができる」と、宣言した。:「仏陀は、人間の心が神の意志に服従する必要さえなく、何が正しか間違っているのか物事の成否を自分で自由に決定できる時、人間の究極の自由があると説いた…」(Swearer, 117) このような哲学があるので、首相に選出されてから3年後、何者かが彼を狙撃して致命傷を負わせ、何が正しいかを自分で判断したことに驚くべきではなかった(彼は 1956 年に首相に選出され 1959 年に暗殺された)。その何者かとはヒンドゥー教徒タミル族の人ではなく、彼の政府が社会的に疎外した、しかし僧侶だった同士の仏教徒であった。彼は単にバンダラナイケのアドバイスに従い、自分で決定したのだった。そして“究極の自由”はセイロン(1972 年からスリランカと呼ばれている)に何をもたらしたのか?論文には、「スリランカの過激派の僧侶たちにとって中庸は無い」と 2007 年に書かれていて、武力行使に反対しない仏教僧がいることは明らかある:「25 年間スリランカに荒廃をもたらしている戦争が新たな恐ろしい局面を迎えるので、Rathana とその同志強硬派の僧侶たちは、2005 年後半に政権の座に就いたマヒンダ・ラジャパクサ大統領に公約を守るよう、 軍事力で強敵を打ち負かすよう強く要請した」。 (http://www.theage.com.au/articles/2007/06/15/1181414 556706.html?page=fullpage) 内戦の原因はバンダラナイケ政府がヒンドゥー教徒のタミル人やその他の少数派を軽視し社会的に疎外した当時に始まった。:「バンダラナイケが仏教徒市民宗派を支持したことは、スリランカ島においてのシンハラ族多数派とタミル人少数派間での共同紛争をシンハラ族の熱狂的な仏教徒が激化させることになった。1983 年、その 紛争は依然として未解決の同胞相争う内戦に突入する」 (Swearer,117-118)。 歴史的に見てその内戦は、紀元前 101 年にセイロンから仏教徒ではないタミル人の打倒を求めたドゥッタガーマニー王の時代まで更に遡る。「ドゥッタガーマニー王は仏陀の遺品を彼の槍に装着し、彼の闘いは自分の利益の為ではなく宗教の推進の為であると主張した。」(上記ダンミカのリンク参照) ドゥッタガーマニー王と共にやって来た仏教僧たちでさえ、「…袈裟を脇にやり闘争 に加わるよう促され、仏陀の直弟子 arahats(悟りを得た聖者)のようになろうとした幾人かは、まさにそうした」(ダンミカのリンク参照)。 仏教は通常それ自体は暴力や不道徳を支持しないが、人間に空虚な状態を作り出し、そこでは心の拠り所の錨が投げ捨てられ“自己”が中心となる。実際、著名なタイの仏教学者ポー・オー・パユットーは次のように述べている、「仏教がどこに広がって伝わろうとも、その教えが歪められようとも、この人間の努力に重きを置くことは決して変わらない。もしこの一つの原則が失われたな ら、それはもはや仏教ではないと確信をもって断言する」(38)。 「上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教を結ぶ基本的接点は、1967 年の第一回世界仏教徒僧侶集会(WBSC)において作成された各宗派の違いを超えて、全仏教徒の一致を目指す重要な声明である」。その中のポイント三番目で仏教の教義には創造主である神は含まれてないことを明確にしている:「我々はこの世界が神によって創造され支配されたとは信じない」。1981 年にこれは次の通り改訂された:「上座部であれ大乗であれ、我々はこの世界が神の御心によって創造され支配されたとは信じな い」。1981 年に声明も出された:「…すべては関係があり、相互に依存し、相関関係にあって、この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない。我々は仏陀の教えに従って、すべての条件付きのもの(samkhara)は 永続せず(anicca)、不完全で満足できず(dukkha)、またすべての条件付き・無条件のもの(dhamma)に自我はない(anntta)と判断する」。 (http://en.wikipedia.org/wiki/Basic_Points_Unifying_the_Therav%C4%81da _and_the_Mah%C4%81y%C4%81na) 「…この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない」と宣言することで、それは結果的に倫理の仕組みを支える基盤をかなり軟弱なものにした。宇宙の起源は仏陀が答えられなかった質問の一つである。然るにパーリ聖典は、絶対不変な人格を持った主観的な創造主である神の存在を否定した。そこで我々は興味深い難問にぶつかる。この世界に人間は存在するが、一人の人間を我々の宇宙の起源とすることを仏教は許さない。何か人間でないものから何か人格を備えたものがもたらされるのだろうか?例えば岩石を例にとる。岩石は人間ではない。この人格のない岩石から人格を備えた存在の生まれる可能性があるだろうか? さらに、倫理は属人的なもので(岩石は倫理を持たない)、カルマ(業)は非人格的な力だと言われる。ジョン・ジョーンズはこの矛盾点を要約している:「カルマの結末に関する倫理性(道徳性)は、カルマの過程の厳密に非人格的な性質に対して疑問を呼び起こす。何故なら、もしカルマの過程が倫理的な過程であるとすれば、我々が経験によって真偽を立証できる倫理の唯一のタイプは、人格に関連するものだからだ。このように、カルマの非人格的な属性と倫理的な属性の間には緊張関係がある」(37)。個人的な倫理観がどのようにして非人間的なものから始まったのだろうか?これは無神論者が抱える問題と同じである。言うまでもなく、無神論者や仏教徒は善人になる道を選ぶことができる。ただ、いとも易々と、無神論者は悪人にもなれる。神がいなければ、これはただの意見でしかない。問題は「無神論者は倫理的になれるか?」ではなく、「無神論者は倫理的になるべきか?」である。神がいなければ、無神論者は偶発的に出来上がった化学物質の集まりに過ぎず、「なるべ き」は人の行動に関する単なる意見に過ぎない。 タイには仏教徒僧侶の 2~3 倍の売春婦がいて(僧侶およそ 30 万~40 万人に対し売春婦およそ 80 万~100 万人)、これは 95%が仏教徒であると推定される国の話 である…売春婦の多くは、まだ自分を仏教徒だと考えている。タイの僧侶について、ダンミカ(Dhammika)は「2002 年に発表された調査によれば、タイの僧侶の死因のトップは喫煙に関連する病気だった」と、書いている。これは、欲望を排除しなければならないという“四聖諦(四つの聖なる真理)”を説く宗教としては皮肉な現象である。喫煙は“欲望”が働く行為の典型的な例である。ここでのポイントは、仏教の教義と矛盾した生き方をしている仏教徒がいる、ということではない。キリスト教や他の宗教の人たちにも、その教えと矛盾した生き方をしている人はいる。私が明らかにしたいポイントは、仏教の教えそのものが、意図せずにしてこの様な結果を招いているということである。非人間的なカルマのシステムの中で自己に焦点を当て、将来何度も生まれ変わることを想定すると、多くの人が先延ばしにする態度や、差し迫ったニーズや目先の欲求を処理するだけの実際的な哲学を採用していることは驚くに当たらない。そして、非人間的なシステムの中で、人々はやっぱり霊的な世界との個人的な接触に飢えている。しかし不幸なことに、それは偶像崇拝に繋がることが少なくない。皮肉なことに偶像崇拝は、非人間的な物事の扱いを強化する。聖書では、偶像崇拝は売春に喩えられている。売春とは、非常に個人的なものを取り上げ、それを二人の人間が互いに利用しあうだけのビジネス取引である。偶像崇拝もまた個人的な関係ではなく、ただ単に相手を利用することを促進する。結局のところ、聖書の個人的な人格をもった神は探し求められなかったので、それは“お互いが損をする”だけの状況である。「わが民は木に向かって事を尋ねる。またそのつえは彼らに事を示す。これは淫行の霊が彼らを惑わしたからである。彼らはその神を捨てて淫行をなした。彼らは山々の頂で犠牲(いけにえ)をささげ、丘の上、かしの木、柳の木、テレビンの木の下で供え物をささげる。これはその木陰がここちよいためである。それゆえ、あなたがたの娘は淫行をなし、あなたがたの嫁は姦 通を行う」『ホセア書 4 章 12 節~13 節(口語訳)』。 これは仏教を改革しなければならないという意味ではない。ダンミカは上座部仏教を手厳しく批判しているにも拘わらず、仏教に改革をもたらしたいと望んでいる。彼は自分の改革への努力が、かつての仏陀の努力ほど限定的であるとは考えていない。仮に彼が現代仏教を仏陀自身の基準、あるいはそれを超える基準にまで引き上げることができたとしても、システム全体は依然として人間の意見に基づいており絶対的な権威に欠けるものとなろう。彼は自分が満足のいく改革をもたらすことに成功するかもしれないが、神の道を無視することで、この努力は最終的に現在の仏教の全ての限界を示すことになる。 我々はセイロンの元首相が宣言したようには、何が善で何が悪であるかを自分たちだけで決めることはできな い。ヒトラー政権時代のドイツの法律のように、時として国の法律自体が非倫理的な場合もある。この場合、国の法律は倫理的な立法府の議員のように機能しており、非倫理的で任意の事柄を思うままに促したり、倫理的な事柄を禁止したりしている。仏教そのものがまさに、それに相応しい権限もないまま独自のルールを作りあげているのだから、反逆の法律家のようなものだ。仏教の倫理が辿り着く結論は常に無垢ではない。チベット仏教が信奉する非倫理的なことの興味深い事例とし て、ここにダライ・ラマに対する 8 つの痛烈な質問がある: (www.trimondi.de/EN/deba03.html) 神を無視するようなシステムは、最終的に人間の意見だけに倫理観を委ねなければならない。これが仏教の苦境である。多くの指導者は高尚で人道的な理想を唱えるだろうが、それは単なる意見であり、それを裏付ける権威はない。また、権威が欠如しているため、他の指導者は倫理観を強調することはない:「鈴木俊隆-老師は、禅の修行には形式が必要性であることを強調しながらも、倫理観は文化に左右されるという理由で、弟子のために倫理規定を設けることを避けた。その様な規範は、試行錯誤を繰り返しながら時間をかけて徐々に発展させる必要があると述べた…彼の一般的な倫理的相対主義は、アメリカの性風俗の革命を推進した世代に強くアピールし明らかに魅力的であった(Robinson,304) 。この禅仏教の老師がしたように、あるチベット仏教の指導者もまた倫理観の重要性を軽視した:「トゥルンパは倫理的規範が瞑想を打倒することを意図した“エゴの官僚制”の一部と見なした…トゥルンパ(Trungpa)の著書は…非常に人気があり、倫理規範を率直に拒絶したことは悪評を呼んだ」(Robinson,304-5)。 上記の 2 つのケースにおいて、その結末は予想できたことだった:「鈴木老師は 1971 年に、チョギャム・トゥルンパ(Chogyam Trungpa)は 1987 年に死去した。両者とも亡くなる直前にアメリカ人の Dharma(法)の相続人を任命していた;彼らの相続人の 2 人ともすぐにセックススキャンダルに巻き込まれ、最終的に任命された組織から除名される結果となった。やがて、他の禅、ソン (韓国の禅)、チベット仏教センターでも同様のスキャンダルが発生し、アメリカ人指導者だけでなくアジア人指導者も巻き込まれ、これらは孤立した事例ではなく、一 般的なパターンの一部であることが明らかになった」 (Robinson,306)。 魂は存在せず(行為の報酬や罰を受ける永続的な人間はいない) 再生はある、と教えているにも拘わらず、仏陀は依然として、宇宙は倫理的ではないという信念を持っていた。これが倫理的な宇宙である、という仏陀の信念に関してジョーンズは次のように結論付けている: 「彼はこの信念が彼の教えの合理的かつ分析的な部分に根拠があると主張できなかった;実際のところ、これらの二つの間には絶望的に和解しがたい矛盾があると言っても過言ではないように思える」(Jones,36)。 キリスト教哲学者のフランシス・シェーファーは次のように書いている:「非個人的な事から始めれば、それをどのように表現しても、倫理には意味がありません」 (37)。また、プラトンを例に取りあげ、シェーファーはこう書いている:「我々はこの点でプラトンの説が完全に正しかったことを理解しなければなりません。彼は絶対というものがなければそこに倫理はないと主張しました。これがプラトンのジレンマに対する完全な解答です。彼は自分の絶対的なものを根付かせる場所を見つけようと時間を費やしましたが、彼の神々が十分ではなかったため、決して見つけることができませんでした。しかしここに、すべての悪を追い払う性質を備え持ち、その品格は宇宙における倫理的な絶対である無限を司る人格神がおられます」(42)。 プラトンの立場は仏陀のそれと似ている。仏陀は絶対的かつ人格的な神の存在を拒否したので、倫理のようなものが存在するという彼の確信を正当化することができなかった。人格を持たない非人間的なカルマ(業)で個人的な倫理観を説明することはできない。仏教徒たちは、不変かつ絶対的に機能するカルマの様なものがあると説いた仏陀の限り有る結論に依って信仰を深める必要がある。仏陀は有限であり無我、非永続的、非絶対的な心を通して、どうしてこれらの結論に達することができたのだろうか? 仏教徒は一人の人間の結論を信じなければならない。その結論は、同じく絶対的でない、主観的で神秘的な瞑想の結論によってより強化され補完されることもある。もしある人が瞑想して、自分が(恐らくは過去に生きてきた人生で)まだ誰も名乗り出ていない未請求の財産の真の相続人であることを“発見”した場合、裁判所はこの瞑想による啓示を証拠として受け入れ認めるだろうか?その瞑想は夢と同レベルであり、もちろん法的な証拠としては認められないだろう。仏教徒は、物事の道理についての主張を裏付ける証拠がなくても信仰によって歩まなければならない。 我々が住んでいる世界は、行き当たりばったりの非個人的な始まりだけでは生まれない方法で、それ自体驚くほど住むのに適合している。木や植物は酸素を排出し、二酸化炭素を摂り入れる。人間と動物はちょうどその反対のことを営んでいる。我々の胃袋は身の周りにある食物を消化して利用することができる。我々には目があり、この器官を使用する為に必要な光もある。渡り鳥の本能は、我々の世界の地形に適応している。また、人間には倫理観が備わっているが、これは進化や非個人的な始まりでは説明できるものではない。 タイのパユットーという僧侶は、上座部仏教の観点から、次「世界を創造し人間の運命を支配する神など存在しない。人は自分自身の主人である。その道は、祈りや迷信から解放された自助努力の道である」と、述べている(10)。また、日本での仏教復興について、パユットーは、「その教えがダーウィンの進化論のような近代科学の新しい発見や理論に適合することが分かり、仏教は再評価されました」と、書いている(129)。何百万年もの間、無作為に非個人的なチャンスを経験しても倫理観の安定した基盤にはつながらず、ましてや進化という科学的基盤は、ドキュメンタリー映画『進化論のアキレ ス腱』のように、かなり挑戦的なものである (https://creation.com/eah-review)。人間の倫理観は動物の世界で見られるものとは異なっている。動物には警察も裁判所も刑務所もない。動物に倫理を強制しようとするのは不条理なことだ。人間の倫理観を全て手放すことも、同様に不条理なことである。我々は生来、倫理的な存在として創造されたのだから。 仏教の雑誌、ウェブサイトや書籍などの様々な記事を読んでいると、仏教には多様な倫理論が提唱されている。しかし、これら全ての問題点は形而上学的に(一貫した合理的な方法で)固定できないことである。仏教徒は善き人間たるべき様々なシステムを提案することができるが、これらのシステムにおいて善を定義するものは、最終的には人間の見解にすぎない。個人的な倫理は、非個人的な力から生じるものではない。その代わりに、個人的な存在である仏教徒は、独自の倫理を作り上げてきた。ただし、これは究極の権威を持つものではなく、何が良いことかを教える権威を持っておられる我々の創造主を全く考慮に入れていない。 イエスキリストから離れ迷うことイエスは言われた、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」『ヨハネによる福音書 10 章 11 節(口語訳)』。羊が迷子になるには多くの間違った道がある。羊の群れの中に居るためには、イエス・キリストとの関係が必要になる。仏教徒はどの様な点で神の道から外れているのだろうか?まず、仏教徒は神を愛していない:〖イエスは言われた、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である。「自分を愛するようにあなたの隣人(となりびと)を愛せよ」。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている〗『マタイによる福音書 22 章 37 節~40 節(口語訳)』。 また、仏教徒は神への信仰や信頼を持っていない:「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神の居ますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」『ヘブル人への手紙 11 章 6 節』。この信仰は盲目的な信仰ではなく、神が私たちに与えてくださった証拠に基づいている。神を考慮から除外することで、仏教徒は神に相応しい畏敬の念を払わない:「主を恐れることは知恵のもとである、聖なるものを知ることは、悟りである」『箴言 9 章 10 節』(口語訳)。多くの仏教徒は、神を恐れる代わりに精霊を恐れて生活し、色んな霊 魂を宥めようとして束縛され囚われの身となる。 自分自身を拠り所にすることによって、仏教徒は神への謙虚な依存の余地を残さない:「…神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」『ヤコブの手紙 4 章 6 節』 。「よく聞きなさい。心を入れかえて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう」『マタイによる福音書 18 章 3 節』(口語訳)。仏教徒は神を賛美する代わりに、瞑想と想像上の前世を賛美することによって空虚な空想に従う:「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり…」『ローマ人への手紙 1 章 21 節~22 節(口語訳)』。 「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」『ヨハネによる福音書 17 章 3 節』。神を知ることが目的地である。これは個人的なものである。神は人々に、知性を駆使して霊的な冒険をするよう呼びかけたのではない。一部の偽医者の処方箋が一時的に大成功することもある。インチキ医者たちが合理的なものを処方したとしても、彼らが正当な医者であるとは限らない。仏陀は幾つかの合理的な倫理を規定したが、人々を神から遠ざける幾つかのことも規定した。瞑想が経験につながるか否かが論点ではない。仏陀の資質が著しく欠けている。神は我々に経験を求めるのでは なく、神との関係を求め、神に従うよう求められている。アダムとイブか神の禁じられた果物を取って食べることの何がそんなに悪いのだろう?不従順という明らかな罪もさることながら、彼らは“神から離れた知識を求める”という過ちに引っかかった。これは様々な形で表面化する過ちであり、その一例が占星術である。人々が新聞の占星術欄に目を向けると ━それは神から外れた知識を求める一種の予言である。これを行うには、人は神がすでに啓示した真理を抑え込まなければならない。問題は無知であることではない。それは真理を知らないという問題ではなく、真理を知りたくないという問題なのだ。神が啓示したことを知りたくないという態度は、それに従いたくないという気持ちから端を発している。たとえその知識が神の存在の認識に過ぎないとしても、誰もが神について何らかの知識を持っている。しかし、ひとたびその知識が抑圧されると人は別の答え、━“神から離れた知識”を求める傾向がある。 これは仏陀が陥ったのと同じ過ちである。神からの知識を求め創造主を認める代わりに、彼はその真実を抑圧し、瞑想を通して神から離れた知識を求めた。瞑想はちょうど占星術やタロットカードと同じような予言の一種である。この過ちのより深い問題は、それが不信感の表れであるということだ。神を信頼し神との関係を持つ代わりにその関係は断ち切られ、「神は本当に…と言った のか?」という、巧妙な蛇の言葉が繰り返される。 仏陀は真実の代わりに空言を人々に与え、その結果は霊的な悲劇をもたらした:「あなたは偽りをもって正しい者の心を悩ました。私はこれを悩まさなかった。またあなたがたは悪人が、その命を救うために、その悪しき道から離れようとする時、それをしないように勧める」 『エゼキエル書 13 章 22 節』。結局のところ、愛情深い羊飼いの庇護の下に置かれる代わりに、仏教徒は悪魔、すなわち蛇(仏教が崇めているが実際は悪魔である蛇神ナーガ)の前に置き去りにされた。 テント生活者 または フード(庇屋根)付き?簡潔に言えば、死者は人生の最も重要な質問への答えを見つけるのを助けることはできない:「私はどこから来たのか?」「なぜ私はここにいるか?」「死ぬとき私はどこへ行くのか?」聖書はこれらの質問に答えることができる。イエス・キリストは生きておられる。主は死から蘇えられた。「あなたは創造主と和解したいです か?」もしそうなら、あなたは神をないがしろにし、神に与えられた栄光を神に称えなかった罪を含め、自分の罪を神に告白することから始めることができる。「も し、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」『ヨハネによる第一の手紙 1 章 9 節(口語訳)』。神は一人ひとり誰でもイエス・キリストを信じ、神との個人的な関係を持つことを望んでおられる。 私が本書で取り上げた項目の幾つかを頭字語:HOODED で要約してみた。これが、仏教徒の置かれている極めて不安定な状況である。まさに仏陀自身の如く、それはフード(庇屋根)のように鎌首をもたげた巨大コブラが、腰かけている彼らの頭上に止まっているようなものだ。 人生の最も重要な質問に対する答えが不十分であったり、無視したりするため、まるで怪我をした人が医者に立ち去れと言っているようなものである。もう一方で頭字語 CAMPER がある。これはクリスチャンが持っている証拠を表すもので、聖書への信仰を人生の最も重要な質問に答える為の非常に合理的で信頼できる基盤にしている。ここまで多くの理由を提示してきたが、今、選択はあなた次第である。「神の愛に応えますか?」「謙虚に神の御許に立ち帰りますか?」「子供のような信仰心 で、あなたの人生を神にお委ねしますか?」 仏教の不確実性 ( HOODED ) クリスチャンの証拠 ( CAMPER ) 極めて非人間的な起源 (Highly Impersonal beginning) 天地創造 (Creation) 誇張された物語(Overblown stories) 考古学による立証 (Archeology) 2000 年以上の経典の空隙 (Over a 2000 year Scripture gap) 御言葉の写本 (Manuscripts) 予言的な洞察力の欠如 (Devoid of prophetic insight) 多くの預言 (Prophecies) 経験は主観的な試金石 (Experience is the subjective test) 自身の目で見た証人たち (Eyewitnesses) 死せる不在の指導者(Dead and absent leader) キリストの復活 (Resurrection) HOODED の“経験”(経験は主観的な試金石)についてもう少し詳しく説明する:「瞑想は非常に主観的なもの (瞑想によって“学び得た“ものは証拠として法廷で認められない)であるのに加えて、瞑想は霊界への危険な扉を開くものでもある。瞑想者は意識の変容状態に入る必要がある。仏教における瞑想による覚醒への道のりを説明した上で、ロビンソン&ジョンソンによる仏教の歴史的入門書では、:「覚醒の内容は、結果として倫理的に変容したシャーマニズムが 3 分の 2、現象学が残り 3 分の 1 である…」と、要約している(19)。ロビンソン &ジョンソンはシャーマニズムを次のように定義している:「最もシンプルな言葉で表現すればシャーマニズムとは、意識の変容状態から知識や力を得ようとする為の努力である」(290)。 数年前、バンコク在住の知人の大家さんが瞑想の指導を受けていた。ある時、彼女が瞑想をしていると、目の前にぞっとするような恐ろしいものが現れた。彼女は怖くなって慌てて部屋を飛び出してしまったそうだ。その後、瞑想の師は彼女に、「心配しないで、戻ってその醜い存在に仏教の“安らかな”道を教えなさい」と、言った。このようにして悪霊は、自分が何か善行をしていると思わせるよう彼女を騙したが、実際には安らぎについて学ぶようなふりをしながら、彼女を欺き続けて邪悪な欺瞞者の前に束縛していたのである。パーリ聖典は、この記録や私の以前の論文にあるように、歴史的にも科学的にも不正確な情報を提供していることが分かった。したがって、霊的な領域でその指示を信頼することは、同じように惑わされ誤った導きを招くことになる。瞑想は、人を最も深いレベルで開き、正確で客観的な真実によってではなく、自分を愛してくれる神から離れた主観的な経験に導美かれるようにする。写真(Photograph): (http://patokallio.name/photo/travel/Thailand/NongKhai/Buddha_Naga2.JPG) HOODED:フード(庇屋根)のように鎌首をもたげた七つの頭を持つ蛇神に覆われた仏陀 パーリ聖典では七つの頭とは書かれておらず、七日間と七重に巻かれたトグロに因んでと書かれている(パーリ語で編纂されたパーリ聖典にある無量寿経典)。以下は、仏陀と蛇神ナーガについての経典に基づく記述である:「それからナーガ王ムチャリンダは棲家を離れ、彼のトグロで仏陀の身体を七重に取り囲んだあと、鎌首をもたげて大きな庇屋根(フード)のように彼の頭上に広げて立ち、寒さや暑さ、虻や蚊、風や日差し、そして気味悪く忍び寄る這うものから彼を守ろうと考えた。その七日間の精進期間の終わりに、仏陀は精神集中の囲みから姿を現された。それからナーガ王ムチャリンダは空が晴れわたり雨雲が無くなったのを見届けてから、仏陀の身体から彼のトグロの囲みを取り去りました。そして自分の姿を変えて若者の姿になり、仏陀の前に立って手を合わせて崇めた」 (http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/ud/ud.2.01.irel.html) 。 聖書の最後の書では、悪魔は竜、蛇、悪魔、そして、サタンと呼ばれている。:「この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使いたちも、もろともに投げ落とされた」『ヨハネの黙示録 12 章 9 節(口語訳)』。タイ語、ラオス語、ビルマ語、シャン語、インドネシア語、マレーシア語、カンボジア語、ベンガル語の聖書の『ヨハネの黙示録 12 章 9 節』ではナーガという言葉がそこで使われており、ナーガを悪魔の竜と同一視している(そして聖書には、この存在が仏教美術において通常描かれている様に七つの頭があると書かれている ━『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』)。聖書は明らかに竜・蛇(ナーガ)が悪いと教えているが、パーリ聖典ではナーガは善であると教えている。エデンの園の初めから、人類を欺いたのは蛇(『ヨハネの黙示録 12 章 9 節』のナーガと同一視されている)であった。聖書は━ それが神の御言葉であることを示す歴史的、預言的な両 方の証拠を持っている。蛇は人類の友では非ず。 また、聖書の最初の書である『創世記 3 章』で、蛇の姿をした悪魔がエデンの園でエヴァとアダムを惑わすこと を指して使われている蛇の単語が、ヘブライ語で “nakash”(ナカシュ)となっているのも興味深い。これは、サンスクリット語の“naga”(ナーガ)と発音が似ている。面白いことに、サンスクリット語の最初の考古学的証拠はインドではなく、紀元前 14 世紀のシリアで発見されたものである。シリアはイスラエルの北隣国であることから、ヘブライ語とサンスクリット語の “蛇”が関連していると考えるのは、さほど不自然ではない。アーリア人(サンスクリット語をもたらした)が仏教に及ぼした影響については、付録 A をご参照ください。『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』にあるギリシャ語の “drakon”は、少なくとも8つのアジア言語の聖書で “naga”と訳されている。ギリシャ神話の“ドラコン” は、西洋の“恐竜”のようなドラゴンではなく、“蛇” のような概念である。 ダニエル・オグデンは著書『ドラゴン:ギリシャ・ロー マ時代の竜神話と蛇神崇拝』のなかで、ギリシャ語の “drakon”について次のように述べている「…“蛇”という言葉はドラコンの完全なセマンティックフィールドにより良く適合しています…」(4)。また、オグデンは“ドラコン”が、「…実に単純明快に蛇の形をしている存在(例:ラドン)…あるいは他の形態のなかで、蛇の形で姿を現すことができる(例:アスクレピオス[彼の他の形態は人間])存在にも使われることがあると指摘している。アンキペードは複合ドラゴンの最も典型的な種類で、腰から上が人型で下が蛇のような生き物です」(4)。ダニエル・オグデンによる“ドラコン”の説明では、ドラコンもナーガも半人半蛇の姿になったり、完全な蛇の姿から完全な人間の姿になったりするということで、ギリシャ神話と仏教神話との重複があることがわかる。パーリ聖典には、僧侶のふりをしたナーガなどの例が挙げられている。プリンストン大学仏教辞典によると、「ナーガは図像的には人間の頭と胴体を持つが、フードのように広げてもたげた鎌首と尾を持っている」とある(1383)。 “ナーガ”はギリシャ神話に登場する“ドラコン”という言葉の文字にぴったり適合するだけでなく、ヘブライ語の“ナカシュ”(英語では“serpent”)と音韻が似ている。『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』では、“ドラコン” を“ナーガ”と訳しているアジア言語は少なくとも8つあり、仏教におけるナーガは、人類を欺くことを目的とする、悪魔の形態の一つであるという結論に達する。当初からそうであったが、今でも人類は『ヨハネの黙示録 12 章 9 節』に登場するギリシャ語“ディアボロス (diabolos)”の影響から脱しなければならない。これは“告発者”を意味する英語“デビル”の語源となった言葉である。偽りの告発者、欺く者(ナーガ)は、仏教の伝説では悟りを開いた仏陀の傍らに一緒に座っていた者である。仏陀は誰と一緒に座っていたのか?彼らは、 「そのような友がいれば、誰が敵を必要とするだろうか?」と、言った、イエスは人類の真の友人であり、創造主である父なる神と我々が和解できるように、我らの 罪のために十字架の上でご自身を犠牲にされた。 締め括り シュラーヴァスティー・ダンミカ(Shravasti Dhammika)はスリランカにおける瞑想について、次のように書いている。:「…瞑想者たちは、まるで精神病院の長期入院患者のように歩きまわる。実際、このような瞑想センターで過ごす人の中には、深刻な精神的問題を抱えることになる人がいるのは、決して珍しいことではない。1990 年代にスリランカの或る界隈では、“カンダボダの 1 ヶ月はアンゴダの 6 ヶ月”というジョークが流行っていたようだ。カンダボダはコロンボにある有名な瞑想センターで、アンゴダはコロンボの主要な精神 病院である」 (http://www.buddhistische-gesellschaft- berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf) 。 前回(本書第 2 章)と本章で書いたことを要約すると、仏教徒は誤ったロードマップを手にし、頼りない自分自身に頼れと言われ、その頭上はホバリングしている蛇のフードで覆われている、ということになる‼ 代わりにイ エス・キリストを紹介してもよろしいですか? 聖書を裏付ける考古学上の証拠について、マーク・ケーヒル(Mark Cahill)は次のように書いている:「聖書の中に登場する人物、その肩書、場所について裏付ける考古学的発見が 2万 5,000 件以上ある。高名なユダヤ人考古学者ネルソン・グレック(Nelson Glueck)は、“聖書の記述を覆すような考古学上の発見は、これまで一度もなかった”と、断言している」(Cahill, 65)。ライオネ ル・ラックフー(Lionel Luckhoo)(1914~1997)は、高名な弁護士で後に福音伝道師となったが、245 件もの殺人事件の裁判で最も多く無罪判決を出した人物としてギネスブックにも登録されている。彼はこう言った:「私は 42 年以上にわたり世界各地で弁護を担当し、今も現役で活躍しています。そして私は、イエス・キリストの復活の証拠には疑いの余地が全くないと、はっきりと言います」( http://www.conservapedia.com/Lionel_Luckhoo )。イエス・キリストは肉体を持った全能の神である。イエスは宇宙の創造主である。彼は33 年間、我々の間で生きられ、奇跡を起こし、人々を癒し、悪霊を追い出し、権威をもって教え、十字架につけられ、墓に葬られ、3 日目に死から蘇えられた。イエスの弟子たちは、自分の流した血で復活を証しすることを厭わなかった。何百もの預言がイエスの宣教に先立ち、彼によって成就された。これらの預言の殆どは仏陀が生まれる前から与えられていた。イエス・キリストは他の宗教指導者のように死んだ人ではなく、生きておられる。彼こそが我らの罪を清め、我らを天国に受け入れる権威を持つ唯一の存在である。しかし、彼を拒絶することは、嘘を支持して真理を拒絶することだ。あなたは真理を愛していますか?どんな犠牲を払ってもイエス・キリストに従う意思がありますか?救いは無償で提供されますが、天の父なる神を人生の主とする為に神に委ねることには一定の費用が掛かり、“自分”を主として維持することには、より大きな費用が嵩む。イエスは道であり、真理であり、命である。 テント生活者 CAMPER : 「信仰によって、アブラハムは他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を受け継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ」『ヘブライ人への手紙 11 章 9 節(口語訳)』。 参考文献(References) Buswell,R.E.Jr.and Lopez,D.S.Jr.(Eds).(2014).The Princeton Dictionary of Buddhism. Princeton:Princeton University Press. Basham, A.L. In Eliade, M. (Ed.). (1987). The Encyclopedia of Religion. New York: MacMillan Publishing Company. Cahill, M. (2005). One Heartbeat Away: Your Journey Into Eternity. Rockwall: BDM Publishing. Frasch, T. (2004). Notes on Dipavamsa: An early publication by U Pe Maung Tin. In The Journal of Burma Studies. DeKalb: Southeast Asia Publications. Hinuber, Oskar. (1996). A Handbook of Pali Literature. Berlin: Walter de Gruyter. Jones, J.G. (1979). Tales and Teachings of the Buddha: The Jataka Stories in relation to the Pali Canon. London: George Allen & Unwin. King, W.L. (1989). A Thousand Lives Away: Buddhism in contemporary Burma. Berkeley: Asian Humanities Press. Ling, Trevor.(1979). Buddhism, Imperialism and War. London: George Allen & Unwin. Payutto,P.A.(1998).Toward Sustainable Science. Bangkok:Buddhadhamma Foundation. Rahula, W. (1999). What the Buddha Taught. Bangkok: Haw Trai Foundation. 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April 3, 2025
第二章: 日本の仏教: 極東における大乗仏教(2013 年 7 月 25 日) 日本は天然資源が限られているにも拘わらず、印象的な発明、独特の文化、それに見事に効率的な生活様式を備えた驚くべき国である。時速 320 キロで走行する新幹線に乗ったり、生魚を(安全に)食べたり、雪が降って猿たちが温泉に入って“ノンビリ寛いでいる”のが話題になったり、500 年もの歳月を経た古城の前で春の花見 (桜)を楽しんだり、大相撲の勝負を観戦したり、忍者、侍、空手、カラオケ、カワサキ、ヤマハ、キャノン、トヨタ、折り紙、寿司…といった言葉の発祥の国にいられる、こんなことを一体、他のどこの国で経験することが出来ようか?日出ずる国としても知られる日本には、非常に興味深い歴史がある。その歴史の多くは様々な宗教上の信念によって形成され、影響を受けてきた。 この章では、まず日本仏教の歴史的概要を説明し、次に今日で最もポピュラーな形態(その殆どが大乗仏教のカテゴリーに分類される)に焦点を当ててみたい。日本における様々な仏教勢力の知名度分布を示すものとして、付録 A の人口を参照して頂きたい。日本の仏教を見ていくと、幾つかのテーマが浮かび上がってくる:法華経(経は仏教典)の知名度、先祖崇拝、読経と数珠の使用、汎神(多神)論、神道(日本における仏教以前の宗教で、時には仏教と混合されることもある)、阿弥陀や観音菩薩、大日如来などの救済仏、それに歴史的に検証できる真実と対立する神秘的啓示の人気などである。もちろん日本仏教の様々な宗派には、上記テーマについて強調したり否定したりする差異があり、時には互いに全く反対の教義を説くこともある。この研究論文の目的は、人工的なシステムとは対照的に、聖書の確かな基盤を示すことにある。日本仏教のシステム自体は興味深いものではあるが、この 世の全ての人が必要とする天国へ導いてくれる究極の救いとなる力を持たない。 日本仏教の大部分が中国からの経典に依存していたため、中国仏教に見られるスンニャター(空)哲学はまた、日本仏教の基盤にもなった。これは例えば、空を指し示す禅の“ゼロ”芸術に見ることができる。サンスクリット語の“スンニャター”は日本語では空(ローマ字ではKū)と表記され、英語では“虚空”とも呼ばれ表記されている。日本仏教の様々な宗派に大きな影響を与えた法華経もまた、空の教義を強調している。8 世紀から 9 世紀に日本仏教・真言宗の開祖は、日本語で空(ku)を意味する中国語の漢字を用いて、自分の名前“空海”の表記によって空の哲学を披露している。 仏教に関連する日本史の時代 古墳時代(西暦 250 年~538 年) 織豊時代(西暦 1568 年~1603 年) 飛鳥時代(西暦 538 年~710 年) 江戸時代(西暦 1603 年~1868 年) 奈良時代(西暦 710 年~794 年) 明治時代(西暦 1868 年~1912 年) 平安時代(西暦 794 年~1185 年) 大正時代(西暦 1912 年~1926 年) 鎌倉時代(西暦 1185 年~1333 年) 昭和時代(西暦 1926 年~1989 年) 足利時代(西暦 1333 年~1568 年) 平成時代(西暦 1989 年~2019 年) 令和時代(西暦 2019 年~現在) 古墳時代(西暦 250 年~538 年): 基盤 この初めの時代は、その当時に造られていた大きな埋葬塚“古墳”に因んで名付けられた。日本の伝説によると日本国家の始まりは紀元前 660 年とされているが、現代の歴史家は日本国家の始まりを古墳時代に置く:「…現代の歴史家は、3 世紀後半から 4 世紀前半にかけて大和地方に政治勢力の中心地が築かれたと控えめな表現で記述をしている。彼らは日本国家の始まりを紀元前660 年とするのは約 1 千年も早いと見なしている」(メーソン & ケイガー,25)。 「仏教以前の日本の宗教は、カリスマ的な力を持つ存在(精霊、人物、動物)、物、場所などの神の崇拝を中心としていた。このカリスマ性は宗教的な側面だけでなく、 政治的および審美的側面も持っていると認識されていた」(ロビンソン,241)。 後に、この仏教以前の日本の宗教は神道として知られるようになった。「このアミニズム的宗教と呼ばれる神道には、創造主も聖書も存在しない」 (メーソン&ケイガー,33)。 「日本の初代天皇は紀元前 660 年に即位していないが、日本の皇室制度は今なお、世界最古の世襲制度である」(メーソン& ケイガー,32)。「現在の天皇がその子孫である大和朝廷一族の首長は、太陽の女神(天照大御神)の直系子孫だと主張した …」(メーソン& ケイガー,32)。「1946 年、天皇は自らの神性を公式に否定し、 1947年、伝統的な戸籍制度が解体され、もはや個人はその家族の宗教に束縛されることはなくなった」(ロビンソン,264)。 「…神々は無数に存在し、本質的に非道徳的であり、神々の間に確立された秩序はなかった…。この様に、日本という国を統一する為の主要な課題の一つは、神々の間の階層を説明する為のしっかりした一連の物語を確立し、様々な氏族が同様に、一つの階級制度に組み込まれるようにすることであった。これらの物語の真実性は 戦場で試され、勢力バランスが崩れると関連する物語は改作に反映された」 (ロビンソン,242)。 仏教の主張は、“…不確実な物語よりも普遍的な原理”に基づいているというものであった(ロビンソン,242)。仏教もまた不確かな物語に助けを求めており、結局の ところ、その原理の基盤が不確かなものであることは本論文で後述する。 飛鳥時代(西暦 538 年~710 年): 逡巡 「仏教が日本にもたらされたのは、恐らく朝鮮半島からの移民が最初であろう…し かし、皇室レベルでの最初の接触は 552 年に記録されている」(ロビンン,243)百済(当時の朝鮮における三大国の一つ)の聖明王は仏像と経典を添えて仏教が 「究極的には最高の知恵に繋がり、あらゆる祈りが成就される」と伝え、敵に対する軍事支援を日本の天皇に要請した(ソーンダース,92)。10 年後の 562 年、日本に仏教を紹介したこの朝鮮の王は、「…ついには殺害され、彼の国は新羅に滅ぼされてしまった…」(ソーンダース,92)。 一方、日本国内ではこの新しい宗教に対して多くの人が疑惑の目を向けた。中臣氏と物部氏は新興宗教に反対したが、蘇我氏はこれに賛成し受け入れ、一族の家を寺院に建て替えて朝鮮からの仏像を安置した。しかしながら、やがて疫病が発生し、その仏像がこの原因だと非難の声が上がった。中臣氏と物部氏は、「…寺院を焼き払い、その仏像を運河に投げ入れた」(ソーンダース,93)。 数年後に別の仏像が安置され、また疫病が発生した。この度も仏像は川に投げ込まれたが、それでも 疫病は治まらなかったようで、それで仏像は川から引き上げられ元に戻された。 物部氏は「…我らは美しい“天岩舟”に乗って天から舞い降りた神(神道の神)の子孫である」と、主張した(メーソン & ケイガー,39)。 朝鮮半島からの渡来人の子孫である蘇我氏は、587 年に物部氏を軍事的に破り、仏教がより大きな影響力を持つようになった。 「後に日本仏教の開祖とされる聖徳太子(573 年~622 年)は…朝鮮の職人を輸入して寺院を建立させ…彼らの為に朝鮮人僧侶と尼僧を派遣させた」(ロビンソン,244)。 聖徳太子も蘇我氏の一員であり朝鮮半島からの渡来人の子孫である。聖徳太子は 『法華経』の解説書も書き下ろし、それは日本で非常に著名な経典となった。 「仏教経典は全て中国語で書かれていたため、日本は朝鮮の仲介を通すよりも中国 との接触を直接した方が良いのではないかと考えるようになった」(同上)。 奈良時代(西暦 710 年~794 年): 実験 710 年に飛鳥から奈良へ遷都がなされた。奈良時代には仏教の六宗派 ━ 俱舎(くしゃ)、成実(じょうじつ)、三論(さんろん)、法相(ほっそ)、華厳(けごん)、律(りつ)━が存在した。「俱舎、成実、三論は教義を学ぶカリキュラム科目の域を出るものではなかった…」(ロビンソン,245)。現代に至るまで活発な支持を得て存続しているのは法相宗、華厳宗、そして律宗のみであり、これらを合わせても日本人口の約半分を占めているに過ぎない。以下、現存する三宗派の信仰について概要を説明しよう: ⒈ 法相宗(ほっそしゅう) 「法相の教えでは、あらゆる物事には実体がなく、我々の心にそのイメージを投影または反映することによって存在する…」(ソーンダース,121)。「…法相宗は、 あらゆる存在の内部に仏性があることを認識してない」(ソーンダース,123)。 ⒉ 華厳宗(けごんしゅう) 「華厳宗の世界観は、宇宙の太陽仏である大日如来と、太陽の子孫だと主張する氏(uji うじ:部族や氏族)である天皇とを同一視することによって、政治的イデオロギーに適合させた」(ロビンソン,245)。「…奈良時代に栄えた華厳宗は、全ての現象は根本的に一つで重なりあい、相互に交換可能であると説いた」(メーソン&ケイガー,239)。「華厳宗の基礎となっている『華厳経』もまた、本質的に禅と密接に結び付いている。それらは宇宙の様々な側面が完全に相互依存の関係にあるという一種の宇宙神論を説いている…しかも、仏性はあらゆる物の中にあり、一粒の塵のかけらにも人間の内部と同じくらいある」(ソーンダース,204~205)。日本仏教の多くの宗派は、仏性に関する法相宗と華厳宗の信仰に見られるように、互いに相手を打ち消し合っている。 ⒊律宗(りっしゅう) 「中国の“Lu(呂)” あるいは“ヴィヤナ(律)”に因んで名付けられた律宗は、ヴィヤナ・ピタカ(律蔵:僧侶の規律や道徳や生活様相などの法典)の解釈に携わっていた。…この宗派はまた、日本で僧侶に聖職位を授ける(叙階)の儀式を担当して いた」(Noriyoshi,163)。 平安時代(西暦 794 年~1185 年): 融合 784 年、帝都は奈良から長岡へ、794 年には平安(現在の京都)へと遷都がなされ、少なくとも名目上は 1868 年までここに留まった」(ソーンダース,134)。この時代には、2つの新しい仏教宗派が出現した:天台宗と真言宗である。「…天台宗と真言宗の両者とも、神道の神々が実は偉大な宇宙仏の応化身(応現した身体)であると主張した」(ロビンソン,246)。「…天台宗、真言宗の両者とも、再生(カルマ)、修 行(禁欲生活)、自己努力という上座部仏教の基本概念を保持していた」 (メーソン&ケイガー,100~101)。 ⒈ 天台宗 最澄(さいちょう)(767 年~822 年)は中国へ渡り様々な宗派で学んだ後、天台宗を創始した。比叡山に総本山を置いた。「比叡山は日本の主要な僧院の中心地となり、16 世紀末に破壊されるまで存続した。最盛期には 3 万人の僧を抱え、3 千以上の建物があった…。寄進されたその莫大な富を盗賊から守るため、僧侶の一部を武装させる必要があった。これらの武装した僧侶は派閥を形成し、後に総本山住職の地位継承を巡る争いに巻き込まれていった」(ロビンソン,247)。「…次世代の主要な改革僧侶たち ━栄西(えいさい)、道元(どうげん)、法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、日蓮(にちれん)━ らは総じて、初期の僧侶としての修行キャリアを比叡山で過ごしたが、そこで目撃した腐敗が彼らの寺院改革への大きな動機づけとなった、とされている…」(ロビンソン,248)。「天台宗では、生きとし生ける存在の最終的な救いへの信仰があった…人間だけでなく全ての生命は基本的に同じであり ; それは存在の根本的な統合という概念である…。この教えは大乗仏教の重要な経典のひとつである法華経に基づいている。法華経は、ゴータマ(仏陀)が涅槃に入る直前に説いた最後の説法であるとされている。 実際には、ゴータマが入滅してから長い時間をかけて編纂されたものなのだが…」(メーソン&ケイガー,102)。先ほどの上記 5 名の改革僧侶たちは、いずれもある程度は『法華経』の影響を受けていた。 「最澄は天台教義を固持し、普遍的な救済、すなわち全ての衆生に仏性の絶対性が存在することを認める帝釈天の教義を信奉していた」(Michio,270)。 2004 年に、天台宗は日本人口の 2.7% を占める信徒を擁していることを明らかにした。「天台 宗は太陽の汎仏である大日如来をダルマカヤ(仏教における根本真理)の実現者として認識している…」(ソーンダース,144~145)。 ⒉ 真言宗 真言宗の開祖、空海(774 年~835 年)もまた、中国に留学して学んだ。日本には高さが16~21mに及ぶ彼の像が4体ある。「空海は般若(カシミール地方の僧)から経典と数珠を授かったとされており、日本の空海像ではその数珠を持っている姿がよく描かれている」(ソーンダース,154)。祈りに際して数珠を用いるのは、キリスト教よりも何百年も前にヒンドゥー教で執り行われていた慣習である。 「真言宗創始者である彼は、日本語の読み書きを大幅に簡略化する五十音節文字表を考案した」(ロビンソン,248)。「真言宗では、全宇宙とは中心的な太陽神、大日如来の顕現・放射であるとする一種の汎神論を展開した」 (ソーンダース, 161)。 「大日如来の明白な太陽神としての性質(太陽神像)は、いとも容易にこれを日本土着の太陽女神・天照大御神(神道との二重システム)に結びつけることができた…。」(ソーンダース,168) 「真言宗はチベット仏教やタントラ仏教(密教)の影響を強く受け混合した大乗仏教であり、儀礼的な話術や神々との神秘的な結合などが強調されている」(メーソン&ケイガー,105)。真言宗の経典は、「…ヒンドゥー教の影響を強く受けたパンテオンを含み、純粋な仏教ではない多数の神々を含んでいる」とされる。(ソーンダース,161) 真言宗の修業では、弟子は「…大日如来 が教えるムドラー(神聖な印相ゼスチャー)とマントラ(神聖な御言葉や呪文)を介して身体と言葉を調和させよ。そうすれば、高尚で色彩豊かな曼荼羅(聖画)の視覚化とともに、これらの身体的発現に自分の心を傾けることによって完全な調和に達することが出来るであろう…」(ロビンソン,248~249)。これらの修業の到達すべきゴールは実際に大日如来となることであり、これは真言宗の汎神論と合致する。「真言宗は精神統一を旨とするヨガ行のタントラ聖典に基づき…大日如来(偉大な太陽)の身体、話法、心 を模倣し、その偉大な存在との同一性を仮定する修行を積むことである」 (ロビンソン,248)。 紀元前 590 年頃、預言者エゼキエルはイスラエルの神殿がバビロンによって破壊される前に預言をして、イスラエル民族の神への不誠実さを書き記した。彼らは太陽を崇拝した。【彼はまたわたしを連れて、主の宮の内庭にはいった。見よ、主の宮の本堂入口に、廊と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた。時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているこれらの憎むべきわざは軽いささいなことであるか。彼らはこの地を暴虐で満たし、さらにわたしを怒らせる。見よ、彼らはその鼻に木の枝を置く。」】『 エゼキエル書 8 章 16 節~17 節(口語訳)』“枝を鼻のところへ”持ってくるという表現は、現代でもまだ使われているが、これは多分、崇めまつる動作の中でかぐわしい香りのする棒(線香)を立てて捧げる姿勢を意味している。創造主である神にくるりと背を向け、神の被造物を拝むという忌まわしい行為をしたのである。 真言宗の汎神論な思想は美術にも反映されている。「真言宗では真理(=宇宙仏)とは、人生の好ましい側面だけでなく不愉快で不気味な側面も含まれると考えていた」(メーソン&ケイガー,115)。また、大日如来の不気味な側面と関連して、 「…智慧の王(明王)と呼ばれる第二群の神々グループ ━不動(サンスクリット語 で Achala) ━シヴァ神の姿をした不動明王 ━ 剣と綱を手にした姿で描かれることが多い;彼は剣でこの世の悪魔を切り倒し、綱でそれらを縛る…2つの牙を突き出した恐ろしい形相をしており、その背後には炎が燃え上がっている」 (ソーンダース,176)。不動が由来するヒンドゥー教では、シヴァ神は破壊者である。「今日、明王は主に真言宗で崇拝されている…。実際、明王は明らかに大日如来の姿をしており、悪と無知に対するその怒りを表している」 (http://www.onmarkproductions.com/html/fudo.html) 。汎神論では、人生の悪の側面さえも“神”の一部である。倶(く)利(り)伽羅(から)の呪文経典では、「不動は直立した剣に巻き付き炎を纏った蛇や竜の姿をしている」 (http://www.onmarkproductions.com/html/dragon.shtml) 。 真言宗は今日も日本の多くの人々に支持されている。不動明王は蛇や竜に変身することができ、破壊者シヴァ神に由来し、大日如来の顕現であるとされている。聖書では、この蛇や竜のような存在が誰であるかを明確に宣言している。「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経た蛇は、地に投げ落され、その使いたちも、もろともに投げ落された。」『 ヨハネの 黙示録 12 章 9 節(口語訳)』※聖書の御言葉…最終章に至るまで口語訳を引用 2004 年、日本人口の約 9.9%が真言宗信徒であると考えられている。 鎌倉時代(西暦 1185 年~1333 年): 改革 1185 年、天皇は権力を奪われ、将軍の権威が台頭して新しい政治体制が誕生した。 帝都は依然として京都に置かれ、天皇はその称号を保持することを許されていたが、政治の中心は将軍が住む鎌倉へと移された。この時代、京都近郊の比叡山には天台宗から袂を分かち日本仏教の改革者となった 5 人の傑出した僧侶たち、即ち、栄西、道元、法然、親鸞、そして日蓮がいた。 ⒈栄西と道元:禅宗 2004 年では、禅宗信徒が日本人口の 2.6 パーセントを占めるとされていた。これはかなり低い数字だが、国際的には禅は恐らく日本仏教の最もよく知られた宗派である。「明庵(みょうあん)栄西(1141~1215)は 1202 年、京都に最初の禅寺(中国語ではチャン寺)を建立した…栄西の禅の折衷主義に対する不満を抱き、次世代の多くの僧侶たちが、より不純な要素の少ない教義を日本へ持ち帰ろうと自ら中国へ渡航した。それを実行した第一号が道元希玄(1200~1253)である…《禅とは、本質的に“思考を脱-思考すること”である》と、道元は言っている。考えを止めることは、どのような手段で考えられるのか?“超-思考”である」(ロビンソン,251)。変成意識状態禅は、悟りに至る道として瞑想に焦点を当てている。禅という言葉はパーリ語の “jhana(ジャーナ)”とサンスクリット語の“dhyana(ディヤーナ)”に由来してい る。「4つのディヤーナ(瞑想には4段階ある) はエンスタシー(法悦)の度合いが増していくことを特徴とする一連の変成意識状態として理解するのが最も適切である。エンスタシーという言葉は、文字通り“内に立つ”という意味である。つまりエンスタティックな修業とは、修行者の感覚と思考を外界との接触から引き離し、その意識の中身を軽減することを目的とするものである」(グリフィス,38)。「道元の思想と初期の仏教思想との間には、強い類似性を見ることができる:脱-思考という内部思考は、視界を超越した正しい見解を用いて見解を超えていく、正しい観察方法につながる…。道元は曹洞宗の開祖として認められた」 (ロビンソン,252)。 上座部仏教に受け継がれている初期仏教は、瞑想の目的や手法の一部が禅と類似している:「ジャーナと は…瞑想のテーマ以外の全ての感覚入力が意識から完全に排除される法悦状態を意味する。より高い禅のレベルに至ると、瞑想者は言葉を発することも動くことも出来なくなる…。パーリ聖典によれば、ゴータマ(仏陀)は、彼が選んだ(特定されていない)瞑想テーマに集中して注意を向けることで得られ る4つの古典的なジャーナによって、悟りの境地に達した」(キング,88)。 言語や論理を超えて日本ではダルマ(達磨大師)の名で知られるボーディダルマ(菩提達磨 470~534)は、中国における禅の開祖と言われている。「ボーディダルマの教えは、伝統的に仏陀の教えにまで遡る。仏陀は説法中に花を手に掲げて微笑んだことがある。カシュヤパだけが、仏陀が自分の教義の真髄を表現する為の言葉の不十分さを象徴することを意図したのだと理解していた。これこそ、ボーディダルマが中国へもたらした“無言行の伝統”であり、それ以後、空域の支配者(絶対者である神)を直観的に理解する伝達方法となった」(ソーンダース,208)。952 年に編集された『祖師堂集』によると、ボーディダルマは壁に向き合い 9 年間、いっさい言葉を発しなかったとされている。これが伝説かどうかは別として、無言の哲学思想に通じるものが ある。この合理的思考に異議を唱える傾向は、現代の禅にも続いている。 「禅は、誰も実際に自分で考えて悟りの境地に達することはできないし、ましてや他人との論理的な議論に依存することは出来ないとしている。合理性は最終的に直観的な洞察に道を譲らなければならず、それだけが人を自然で自発的に生きられるよう解放する…」(メーソン&ケイガー,169)。この種の倫理や宗教に対するアプローチは現実の世界とはマッチしない。もし教師が生徒に対してテストの点数や合理的な要素を度外視して“直観的に”成績をつけたとすれば、生徒から「それは不公平だ」と言う抗議の声が上がってくるだろう。もし医者が“直観的”そして“自発的” に 薬を処方すれば、患者は死んでしまうだろう。テストの点数など合理的な要素もそうだが、経済的な判断、運転上の判断、倫理的な判断…etc.などに適用された場合、同様のカオス状態が惹き起こされるであろう。“見解を超える”“思考を超える” という“悟りの境地”は、明らかに真理を抑圧している。合理的な思考の自由の代わりに経験が過度に強調され、その結果、真理から遠去かることになる。我々が日常生活で用いる合理性は、霊的な真理を理解する際にも適用できる。 公案(修行者が悟りを開くための課題として与えられる禅の問題または問答)とは禅における合理性に“打ち克つ”一つの方法であり、例えば「片手で拍手する音は何ですか?」といった問いかけを瞑想するようなものだ。公案に加えて、時には“衝撃の雄叫び”(気合)も用いられる。「公案とは、いわば未整理のテーマであり、しばしば非論理的に知性を混乱させ、直観に訴えて理解させることである。《喝!!》を入れるが如く、それらは抑制的な知的プロセスを回避しながら、直接的な直観理解力を確立する為のものである」(ソーンダース,212)。「…可能な限りあらゆる角度からこのような質問(公案)を投げかける目的は、決定的な解答を求めることではなく、“既成概念を超えた”ダイナミックさに益々もって精通しようとするところにある…」(ロビンソン,252)。ある宗派で用いられた思考を超える他の方法は(現在も同様)、棒でビシッと叩くことである:「…棒は大声で喝を入れるが如く、━体罰的に肉体を通じて━ 思考を担う心をビクッと刺激して悟りに至らせるべく用いられたものである」(ソーンダース,213)。より長い公案の一例として、中国のある僧院においての事例がある。「南泉普願 (F.Nansen,748~795)の僧院の北堂と南堂の僧侶たちは、一匹の子猫を巡って激しく論争を繰り広げていた。南泉普願はその猫を捕まえ、論争している僧侶たちの前でそれを持ち上げて、「お前たちの中に、なぜ私がこの子猫を殺してはいけないのか言い当てる者がいれば、その命を助けてやろう」と言った。僧侶の誰も口を利かなかったので、南泉普願は子猫を地面に叩きつけて殺してしまった。一日の外出から帰って来た趙州従(J.Joshu,778~891)という僧が南泉普願に迎えられ、「もしお前がそこに居合わせたら何と答えたか」と問われた。この時、趙州従は草履(藁のサンダル)を脱いで頭の上に乗せ、南泉普願の前から立ち去った。そこで南泉普願はこう言った、「もしお前がそこに居合わせたなら、猫は助かったであろう」。趙州従の行為は肯定でも否定でもなかった。言い換えれば、いかなる問題に対しても唯一の解答は空(欠如)であることを表現し、問題の不存在を指摘することで、決して語られることのない無言の救いの言葉を構成していた。 (ソーンダース,212~213)。 「現在、禅宗の僧院で般若心経(ナーガ蛇がインド仏教の僧ナーガールジュナに与えたとされるもの)が学ばれており、万物の究極の空虚の概念は禅の思想に影響を与え続けている」(ソーンダース,204)。この様に社会に対して否定的な哲学理念が多く存在する。趙州従が子猫について無関心だった反応は、古典的な仏教の“無心” と、大乗仏教の“万物の空虚”(サンスクリット語でスンニャター)の教義を組み合わせたものである。この“究極の空虚”は、万物の中に仏性があるとする信仰(華厳宗の宇宙即神論参照)と対照的である。ただ、これまで見てきたように、禅では理路整然とした一貫性が優先されることはない。 禅の人気作家である鈴木大拙(だいせつ)は、「禅は一神論でも汎神論でもなく、禅は一切その様な呼称を許さない…そうした概念の規定を全て拒む。だから禅は理解するのが難しいのだ」と、書いている(鈴木,41~42)。そして鈴木は、禅とは何 かを“定義”する為に、密雲円悟(みつうんえんご)(1566~1642)を引用している:「禅の偉大な真理とは、誰もが禅を持っているということだ。自分自身の存在を見据えて、他人を通して探究するのではなく…その光の中で全てが吸収される。主客の二元論を黙らせ、双方を忘れ、知性を超越し、理解から自分を切り離し、直接、仏心のアイデンティティに深く入り込みなさい。これ以外に現実はない…」(鈴木,46)。鈴木は、禅が拒んでいるとする円悟の概念メイキングや呼称を引用することで、自分自身に矛盾を生じさせているのである。また、この引用では「禅の光の中に於いてすべてが吸収される」という汎神論的な記述も見られる。禅の信徒は“知性を超越”するよう求められ、論理や常識を置き去りにする非常に危険な場所に連れて行かれる。 上記の子猫の公案で、それがもし人間の赤ん坊だったら、やはり無関心な態度のまま頭に草履(藁のサンダル)を乗せただろうか?キーオンは 1996 年に出版した著書の中で述べている:「日本では…妊娠中絶が合法であり、毎年 100 万件もの中絶が行われている。これを数字で比較すれば、人口が日本の 2 倍以上の国であるアメリカの 150 万人に匹敵する」(キーオン,102)。アメリカという国もまた、すっかり神や胎内の赤ん坊に示すべき慈悲から遠く離れてしまっている。無関心に傍観する態度が、ある事は実に悪であり、ある事は実に善であるという問題を引き起こす。もし人々が無関心で孤立した人生を歩むなら(皮肉なことに無関心の見方に執着しているが)、この人生にかけられるフィルター(運命に対する平静の中庸とも呼ばれている)は、究極の善である神を見逃し、明らかに悪であるものを避けられないようにしてしまう。 ⒉法然と親鸞: 浄土真宗 これは現在、日本国内で最も人気のある仏教である。2004 年の時点で日本国民のおよそ 15.3% が浄土真宗の信徒だと自認している。「阿弥陀仏(浄土真宗)は他力、すなわち阿弥陀仏を通しての救済を強調するが、禅は自己の内なる救済を強調する。全ての人間は仏性を持っており、この仏性は“自己の実現”を通して認識できる」(ソーンダース,228)。「天台宗と真言宗における阿弥陀仏の存在は、密教の神としての存在を証明するものである。従って、他の密教の神々と同様に、阿弥陀仏は瞑想の対象であった…。ただ阿弥陀仏の名(念仏)を唱えるだけでは十分ではなかった…」(ソーンダース,189)。法然と親鸞からの影響を受けて、この天台宗と真言宗が強調したこと(禅のように多くの自己努力を伴う)は変遷を遂げた。 法然(1133~1212)は浄土宗を創始した。これは、人が死んだら阿弥陀仏の助けを借りて浄土に往生できるという考えに基づいている。「カリスマ的なリーダーであった彼は、1日に 7 万回も念仏を唱えるよう説教し、それを自ら実践することで、社会のあらゆる階層から門弟を引き寄せた」(ロビンソン,254)。親鸞(1173~ 1212)は法然の弟子であった。「彼は法然に師事するよう観音菩薩によって夢の中で導かれ、1201 年に弟子入りして学び始めた」(ソーンダース,198)。親鸞は、その後に劇的な構想を得て、最終的に真宗(浄土真宗として知られる)を創設するに至った。 「比叡山で 20 年の歳月を独身禁欲の制約に苦しんだのち、親鸞は夢の中で観世音 (日本では観音菩薩)が現れ、将来に結婚する若い女性の姿となって現れることを約束する」という啓示を受けた(ロビンソン,254)。親鸞は結婚し、それから更に「…阿弥陀仏の救いは唯一、念仏(仏の名前)を唱えればよい」という啓示を受けた(ロビンソン,254)。「親鸞の教義は法然のものと同様に、様々な乱用や誤解を招きやすいものであった。親鸞の実子である善鸞(ぜんらん)は、罪へのあからさまな誘引となるような煽情的な教えを説いた。親鸞は最終的に息子との一切の関係を断ち切らなければならなかった」(ロビンソン,255)。 「法然は、念仏を唱える繰り返しの回数が多ければ多いほど、浄土に往生できる可能性が高くなると考えていた」(メーソン&ケイガー,164)。長年にわたって「阿弥陀仏を 1 回唱えるだけで十分なのか、それとも繰り返し唱える必要があるのか」という論争がなされた。今日でもこの二つの宗派は現存しているが、真宗(1 回唱える)の方がより人気がある。「中国、韓国、それにベトナムでは、阿弥陀仏への帰依と乾坤(けんこん:韓国では Son、ベトナムでは Thien)瞑想とが組み合わされ たものが定着し、一方、日本では浄土宗と禅宗の別々の系統に分かれた」 (コーレス,263)。 中国の道綽(どうしゃく)禅師(562~645)は、「…ロザリオを浄土真宗の修行に導入し、一般の信徒と僧侶が共に数珠の刻み目を利用して記録的な[念仏]の回数を唱えたとされている」(コーレス,253)。これとは対照的なイエスの御言葉がある 「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている 」 『マタイによる福音書6章7節(口語訳)』。親鸞は阿弥陀仏を第一に信仰していたが、観音(日本で最も高く聳え立ち像の数も最多)にも敬意を払っていた。浄土真宗の経典に描かれた阿弥陀三尊画には「阿弥陀仏の両側に彼の慈悲と智慧を表す化身菩薩である大いに慈悲深い観音と大いに力強い勢至(せいし)が居る…」(コーレス,253)。しかしながら、これら二尊(阿弥陀仏と観音)はどちらもキリスト以後に現われている。しかも、彼らは歴史上では実在していない聖人伝の創作である。 「法然が瞑想と功徳を削ぎ落し、信仰と念仏だけを残したのに対し、親鸞はさらに削ぎ落し、他力への信仰だけを残し、自力信仰を全く残さなかった」(ロビンソン,255)。タイの有名な仏教学者ポー・オー・ パユットーは、「仏教がどこに広がろうと、或いは教えがどれほど歪められようと、人間の努力に対するこの強調点は決して変わることはない。この 1 つの原則が失われたなら、それはもはや仏教ではないと自信を持って断言する」と、述べている(38)。パユットーによれば、浄土真宗は仏教と呼ぶべきではない。それは自己努力を強く求める態度が全く欠けているからである。 たった一人の救い主一見したところ、阿弥陀仏はキリスト教における神の役割 ━ つまり善行ではなく、恵みによって救いをもたらすという役割を果たしているようである。しかし、全能の神と阿弥陀仏との間には幾つかの大きな相違点がある。:「阿弥陀仏は…宇宙全体から見れば唯一無二の特別な存在ではなく、多くの仏のうちの一尊でしかない… 彼は宇宙全体を創造したり、維持したり、破壊しているわけでもなく、宇宙全体を存在論的に支えているわけでもなく…宇宙全体のために…存在論的に“いと高き御力”として崇拝者たちの上に立つわけでもない…仏ではない時代があったのだから彼の人生は無限というものではない」(コーレス,247~248)。 浄土教の教義に変更を加えたのは法然と親鸞だけではなかった。「瞑想ではなく読誦であること、そして阿弥陀仏の誓願から利益を得ることが出来る者に罪人を含めること…この2点が、インドの阿弥陀教義からの主な中国式逸脱点である」(ロビンソン,196)。浄土教の教義は長い年月とともに多くの変更が加えられてきた。真宗はただ浄土教の教義から迷走しただけでなく、人を救う権威を持たない架空の人物を追い求めて現実からも大きく外れてしまった。我々が医者を探す時、良い資格と信頼性を求める。保険会社を探す時も同様に、確実性と信頼性を求めるものだ。 救い主を求めるとき、我々はそれ以下を期待すべきではない。むしろ、それ以上のものを期待すべきだ。「ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない」『イザヤ書 43 章 11 節』。「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる 。わたしは神であって、ほかに神はないからだ」『イザヤ書 45 章 22 節』。「きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」『ルカによる福音書 2 章 11 節』。 全能の神はただお一人である!神は「わたしのほかに救う者はいない」と、語られた。それでもイエスは“救い主”と呼ばれている。これは、イエスが全能の神そのものだからである。 イエスの救いは広範囲にまで及ぶものだ。イエスと共に十字架に磔(はりつけ)となり、その時に信仰を持った盗人にまで救いは約束されている。それは空約束ではない。イエスは死から蘇ったとき、その権威を証明した。イエスが死から蘇った復活に関する歴史的な記録には、多くの法律家をイエスへの信仰に導いた力量がある。〖十字架にかけられた犯罪人の片方が、「あなたは救い主キリストではないか。それならば、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言い続けた。もうひとりのほうは、それをたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか?われわれは自分のやった事の報いを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、この方は悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、私を思い出してください。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう 」〗『ルカによる福音書 23 章 39 節~43 節(口語訳)』 イエスはどのような人生を歩んでいる人でも救うことができる。浄土真宗寺の2人の住職、それぞれの曾孫娘 2 人が「どのようにしてクリスチャンになったのか?」第三章をご参照いただきたい。 ⒊日蓮: 日蓮宗 2004 年、日蓮宗の各宗派は日本人口の約 13 %を占めている。日蓮(1222~1282)も天台宗を離れ、法華経のみに着目して彼の仏教宗派を形成した。「日蓮は、法華経だけが純粋な真実のダルマ(仏教における法)を含んでいると考えた。他の全ての仏教宗派は間違っている…」(ロビンソン,256)。「日蓮の人生は仏教の指導者というよりも、神道シャーマンの形態に倣っていた。彼はその勇気と…時には霊媒のそれに似ている彼の個性によって信奉者を惹きつけた」(ロビンソン,256)。「…彼が勧めた修業は極めて単純なもの:即ちお題目(マントラ)━《南無妙法蓮華経》を繰り返すことだった…その後、彼は自分の信仰を表現した御本尊と呼ばれる曼荼羅(まんだら:聖画)を創りあげ、それを注視しながら 帰依の意を表明する拝礼の宣言を繰り返した」(ロビンソン,256)。 “日蓮”という名前は彼の本名ではなく、“太陽の蓮”を意味する彼自身の命名である。「…日(にち)は、真の信仰の太陽のみならず、日本そのものを象徴している。蓮 (れん)は、ハスの花を表わす」(ソーンダース,231)。日蓮はまた多くの著作を残している。「…これらの著作は他の宗派、特に阿弥陀仏や禅、そして後には真言宗や律宗の誤りを指摘することに費やされた。実際、これら 4 宗派に対する不利で敵意に満ちた批判が日蓮宗の不可欠な特徴となった」(ソーンダース,233)。「日蓮は普遍的な救済の教義を推進したが、彼の宗派は日本の宗教史上、最も排他的でしばしば過激な集団へとエスカレードしていく」(Michio,273)。日蓮はかつて、「罪のないモンゴル人の首を刎ね、日本の敵である念仏(浄土)、真言、禅、律の僧を無傷のまま残しておくのは誠に遺憾である」と、述べた。 (メーソン&ケイガー,165)。 「日蓮は、法華経の本来の仏性についての複合瞑想…永遠の釈迦牟尼仏陀と経典の真実、そして全ての存在は究極的に一体であるという確信に信仰を定める…として、その教義を示したのである(ロビンソン、256)。この信仰は日本仏教の他の宗派(華厳、天台、真言、禅)と同様に、非常に汎神論的に聞こえる。 例えば天台宗において、「…人間の生命だけでなく、全ての生命は基本的に同じであるという思想、つまり存在の根底にある統一性の思想があった…。…この思想は法華経に基いている…」(メーソン&ケイガー,102)。このような“存在の統一性”、仏陀と“すべての存在”の究極の一体とされるものは、善悪の区別を付けることは出来ない。あらゆる森羅万象は一つであり、それは善も悪も包含することになる、という汎神論的なものである。日蓮が「善」と「悪」を判別しようと試みても、法華経に基づけば、その根拠はない。日蓮は善悪について無関心ではなかったが、自分の体系の中に、この宇宙の悪とは別の権威を備えた基準を持たなかった。全能の神のみがその完璧な基準を提供することができるのである。 観音 京都には 1000 体の観音像を擁するお寺がある。それらの像の周りには、28 体 の 「護り神」が居り、その多くは頭や腕に蛇を巻き付け、悪魔のような形相をしている。これら 28 体の護り神の大部分は、ヒンドゥー教の教えに従ってそのまま日本へ持ち込まれたものだ。このことは、“神”が悪魔のような存在に護られているということは、何か意味があるのではないだろうか?悪魔が真実を宣伝し広めようとしないのは確かである。ダライ・ラマは男性でありながら観音の化身だと言われてお り、通常、観音は女性の姿で描かれている。「中国では、観音は最終的に女性の外 観として表現された」(ロビンソン,108)。ところで、“Canon”(キャノン:カメラ・プリンター等のメーカー)商標名もまた観音に因んでいる。 (http://www.canon.com/about/history/outline.html) 。 観音は法華経では聖観音(ショウかんのん)という名で登場する。法華経には、観音は女性、少年、少女、ガルーダ(鳥)、ナーガ蛇にさえ姿を変えることができる と記されている (www.bdkamerica.org/digital/dbet_t0262_lotussutra_2007.pdf) 。 「観音経が法華経に編入されたのは、遅くとも紀元前3世紀のことである」(ロビンソン,108)。「…弥勒菩薩(ミロクぼさつ)や文殊菩薩(モンジュぼさつ)、それに聖観音(観音)…これらは史実上の存在ではない。そのうちのどれも、人間の英雄の神格化であるという証拠はない…。「紀元前 3 世紀までは天上の菩薩への帰依を説く経典は無かった…」(ロビンソン、105)。 日本にはアメリカの自由の女神像より高い観音像が 10 体、高さ 17~100mの観音像が 32 体 もある。悲しいことに、この伝説的な実在していない偶像に何百万円もの大金が注ぎ込まれ、一方で、本当に我々が称賛し注目すべきお方、すなわち創造主を無視することになっている。神は偶像崇拝ではなく、イエスが教えられたように “霊と真実(まこと)”をもって礼拝されることを望んでおられる。イエスの存在は、歴史の上で非常に多く確認されている。奇蹟を起こし、完璧な人生を送り、死から蘇り、イエスの生涯は彼が地上に生まれる何百年、何千年も前に、旧約聖書で何百もの詳細な預言が為されていた。イエスは言われた、「…わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」『 ヨハネによる福音書 14 章 6 節(口語訳)』。 足利~江戸時代(西暦 1333 年~1868 年): 停滞 この時代、「曹洞(そうとう)宗と臨済(りんざい)宗(ともに禅宗)以外の全ての仏教宗派は、自分たちの利益を守る為に武装社会を形成したが、数十万単位の夥しい人数が虐殺される顛末となり、国家統一の手段としての仏教の威信が失墜し崩壊した」(ロビンソン,257)。この時、政府の中枢は江戸(現代の東京)に置かれた。鎌倉時代(1185 年)から明治時代(1868 年)初頭まで、日本は概ね将軍(幕府) によって支配されていた。「…長期の平穏無事な体制維持が続き、新しい思想や外国からの挑戦や課題がもたらされなかったことが結局、仏教組織の活力を失わせ、徳川時代の終わり(1868 年)には、その状態はせいぜい“無気力”としか呼びようがなかった」(ソーンダース,247)。「…明治時代の(1868 年)初め、仏教は最も弱体化していた。徳川幕府に統制されてきた空虚の時代、その徹底した長年の支配下での矮小化は、この宗教が幕府の権力と同一視されることで終止符を打った…。 1867 年、幕府は崩壊し、その翌年に仏教は解体され、その大部分が無力化された」 (ソーンダース,255)。 明治時代(1868 年~1912 年): 改革 明治維新は社会の様々な側面に影響を与えたが、しかし当然ながら、「…藤原氏と歴代の征夷大将軍によって簒奪された天皇を正統な地位に戻す」ことから始まった (メーソン&ケイガー,258)。神道の興隆は天皇の興隆と密接に関連していた。 「1870 年、政府は大教、すなわち“偉大な教義”の名の下に神道を国教とすることを宣言した。強力な布教活動が開始され、伝道神官が全国に派遣され、彼らの任務は儒教と仏教の誤りを正し、神道の思想を擁護することにあった」 (ソーンダース、257)。 大正~令和時代(1912 年~現在): 革新 第二次世界大戦後、「…天皇は公的にその自身の神性を否定し…個人は家の宗教に束縛されることがなくなり、農地改革政策が施行された…。国家によるこれらの発令の複合的効果は日本史上初めて、宗教に関係のない政府を樹立し、個人には完全な信教の自由を与えることだった」(ロビンソン,264)。新興宗教が続々と乱立した。その一方で、「世論調査では、日本人の多くが自分を特定の集団に所属しているとは考えていない」(ロビンソン,265)。 ⒈ 創価学会 創価学会の仏教は、日蓮宗の分派である。1938 年に始まり、日蓮の教えをベースにしている。「この宗派は、日蓮の伝統的な修練である読誦を推奨している…ただし読誦のモチベーションは、現世の目的(ご利益)を達成することである:即ち、職場での昇進、経済的成功、家庭の調和、身体的・精神的不調の緩和などである」 (ロビンソン,265)。「御本の巻物は創価学会信仰の宗教的核心である」(デュムラン,259)。「この宗派の特徴には、池田大作会長の霊性が明確に反映されており、「御本尊様どうか本日これを成し遂げられるよう助けてください」と、毎日熱心にお祈りするよう信徒に説いている」(デュムラン,259)。「日蓮の教えの総体、即ち法華経のビジョンに従った絶対的な現実を象徴的に表現する為に創作した曼荼羅の中で 、━ 日蓮正宗と創価学会が格別に重要視しているのが ━ 《御本尊》である …中国の表意文字が縦に書かれた巻物…」(デュムラン,258~259)。デュムランは総本山の大石寺を訪れて次のように書いている:「…私はそこに居合わせた若者たちの、あらゆる人間的恐怖を排除した強烈な信念に感動しただけでなく、同 時に彼らの気質は紛れもなく御本尊との個人的関係を示していると感じた」 (デュムラン,259)。 デイビッド・ヘッセルグレイブは、創価学会仏教徒と日蓮宗(当時の統括組織)の不和について書いている:「四半世紀前に 1 億ドル(今日の為替レートでは優に 2 倍以上)をかけて建てられた正本堂(日蓮宗寺院の境内にあり総本山の中心建物だが、大部分が創価学会の寄進によって建てられた)は、仏教界で最も印象的な建造物のひとつだった。しかし、著名な建築家、政治家、様々な宗教指導者たちの嘆願や抗議があったにも拘らず、日蓮宗の僧侶が3,500 万ドルもかけてこれを取り壊してしまった!権力闘争と派閥争いは 1991 年、遂にクライマックスに達し、法主・阿部日顕は池田(創価学会会長)と彼の全ての信奉者を破門するという急進的な措置を講じた」 www.emsweb.org/images/stories/docs/bulletins/hesselgrave_nichirenists_2_2000.pdf。 日蓮正宗と創価学会の対立は第二次世界大戦後まで遡り、1952 年、当時の創価学会会長の戸田城聖が、日蓮正宗の僧侶の 1 人に、罪状告知書への署名を強要した。 「名指しされたこの僧侶は、戦時中の創価学会への弾圧と、牧口常三郎(創価学会創立者)が指導者として国教である新党との習合と、身延山の他の日蓮宗分派との組織合併を支持したので彼が獄死したことへの責任を追及された」(デュムラン,258)この様な対立はさておき、創価学会の会員は御本尊を重視し、その御本尊とは、 「…日蓮聖人ほど偉大なお方は他に居られません…」と会員が語るのを、デュムランは聴いた(デュムラン,259)。その人格は「時に霊媒に取り憑かれたかの様な」(ロビンソン,256)死者である、日蓮を呼び起こすとされる巻物と関わりを持つことは、言うまでもなく霊的に危険なことである。これについては後ほど“使い魔”について論じる際に詳しく説明したい。 ⒉レイキ(靈氣) レイキは、ヒンドゥー教の思想(例えばチャクラ…人間の身体の中枢にある気やエネルギーが集結し出入りする七つの中心点)を、日本流にアレンジしたものである。 1922 年、仏教の修行を積んだ後に臼井甕男(ウスイミカオ)は、レイキに関する天の啓示を受けたという。その方法は“超自然的な影響力”によって治癒をもたらすことを目的としている。「…看護師、カウンセラー、そして特にマッサージ療法士の多くが仕事の補助としてレイキを用いています」(ユンゲン,95)。「レイキは 1970 年代半ばに日本からアメリカにもたらされました。この特殊な療法の実践者が 50 万人に達するまで約 20 年の歳月を要した…。2005 年には、その人数は全米だけで療法実践者 100 万人という驚異的な数字にまで急増しました!!」(ユンゲン,13)。 レイキは世界中に 500 万人のフォロワーがいると言われている。 (http://www.reiki.ne.jp/reiki_japan/en.html) 。 「…多くのレイキ実践者は、霊界とのチャネリングによるコミュニケーションを言語化したことを報告しています」(ユンゲン,97)。レイキでは“レイキガイド”と呼ばれる精霊によって導きがなされる。あるレイキマスターは、「彼らは私の背後に立ってプロセス全体を指示し導いてくれ、私が思うに、彼らはまた、全てのレイキマスターに対してこれを行っているのだと思う。アチューンメントを受けると、彼らの存在を強く、常に感じることができる。時には彼らを見ることもできる」と、彼女自身の経験を書き綴っています(ユンゲン,95)。これらは、人々を愛する神から遠ざける“偽りの奇跡”なのだ。 ⒊霊友会 霊友会は 1925 年に日蓮宗の分派として設立された。1963 年、会員数は日本人口の 3.6 %を占めると発表した。現在、世界中に 500 万人の会員がいる。 (http://reiyukaiglobal.org/introduction.php)。「それは法華経に基いており、親孝行と祖先への敬虔な尊敬と義務を強調している」(ソーンダース,281)。「…祖先への崇拝がその教えと実践の中核をなしている。一般人にも容易に理解しやすく、シャーマニズムの共同創始者が信奉者に媒介した霊と魂の世界にアクセスできる」(デュムラン,241)。 葬儀と精霊 「…伝統的な仏教は、日本文化的な過去の遺物として以外は、その魅力の殆どを失っている。“葬式仏教”とは、多くの人がこの伝統的宗派を指す時に用いる呼び名で、多くの僧侶が儀式的な役割を担うようになったことを考慮している」(ロビンソン,265)。「多くの寺院は葬儀施設と化し、その管理者たちは主に死者の為の高給な儀式に関心を寄せている」(デュムラン,217)。「地方の武士と農民の支持を取り付ける手段として、曹洞宗(禅の一派)はある程度の人気の高い民衆の信仰や儀式を吸収したが、何よりも死者の為の葬儀や供養を考案し、この特徴は、日本全国の殆ど全ての仏教宗派の特徴の 1 つとなった」(Noriyoshi,169)。 「浄土、真言、天台各宗派の間で今も親しまれている写経の由緒ある儀式は、これは死者の霊を鎮め、修行者の功徳を積み、写された経典への信仰を深める為に行われる」(Unno,323)。同じく“死者の魂を鎮める”ことと関連しているのが、お盆の行事である。「…盂蘭盆会(うらぼんえ:日本ではお盆と呼ばれる)は 6 世紀に中国で始まり、まもなく日本に導入された…盂蘭盆会-祭事の起源は、阿鼻地獄(餓鬼道ともいう)に落ちて倒懸(逆さ吊り)で苦しむ母の姿を神通力の幻視を通して悟った目連尊者(モクレンそんじゃ)の伝説に由来する…母を救う為に彼は仏陀の助言に従って、何百人もの僧侶に食事を振る舞った」(Unno,320)。この物語は随分と後になって創作されたもので、何かと多くの伝説を含んでいるパーリ聖典には載っていない。この物語は、「それは中国由来の経典で『盂蘭盆経』と呼ばれている」に由来する(ロビンソン,215)。「…盂蘭盆会の祭事内容の多くは非仏教的なものである」(Unno,320~321)。お盆祭事の主な目的とは「…死者が適切な旅をするのを助け、彼らが悪意を持って生者に危険を及ぼすのを防ぐ」(ロビンソン,215)ことである。 日本の仏教の多くの宗派では、霊との関わりがトレードマークとなっている。神道はアミニズム的な宗教であり、霊を鎮め、加護を求める儀式など…etc.が、執り行われる。聖書では、“身近な霊”とは、実は悪霊のことである。全能の神は、霊を呼び出し崇めたり、交信したりすることを禁じておられる。人が死んだら、この世に浮遊することはない。「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後、さばきを受けることとが、人間に定まっているように…」『 へブル人への手紙 9 章 27 節(口語訳)』とある。既に死んでしまった人の為に、我々が出来ることは何もない。彼ら が人生で何をしたにせよ、その判断は完全で公正な神によって裁かれるのだ。 この世の霊界にいる霊は故人となった家族メンバーではなく、天使か悪魔のどちらかである。もし我々が神の教えに従わずに、神の家族に迎え入れられたとしたら、慈悲深く力強い存在のふりをした悪魔に欺かれる危険に晒されている。悪魔は人々の注意を神から遠ざけ、霊的に偽り束縛する絆を結ぼうと試みる。神の家族の一員であるクリスチャンでさえも用心するようにと言われている。「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである」『ヨハネの第一の手紙 4 章 1 節(口語訳)』。「ためす」という言葉は“裁判にかけるように調べる”━ という意味である。我々は彼らのメッセージを聖書の基準と比較することによって、これを行うのである。神は、我々が御言葉以外のところから霊的な指示を求めてはならないことを、聖書の御言葉のなかで非常に明確に示された。「あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前 から追い払われるのである。」『 申命記 18 章 10 節~12 節(口語訳)』キリストより約 700 年に生きたイザヤは、全能の神の代わりに死霊を信奉する人々を叱責した。「人々があなたがたにむかって“さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ”という時、民は自分たちの神に求むべきではないか?生ける者のために死んだ者に求めるであろうか?ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない 」『イザヤ書 8 章 19 節 ~20 節(口語訳)』。神は全ての霊を支配する権威を持っておられるので、我々は劣った霊に悩まされる必要がない。全能の神に身を委ねれば、神が我々の人生を導いてくださる。 全能の神道路にコンピュータのマウスが落ちていたとしたら、それに製造業者があることを誰も疑わない。コンピュータマウスはひとりでに出来上がったのではない。たとえ作り手が見えなくても、コンピュータマウスそのものが生産者の存在を示す証拠になる。コンピュータのマウスを製造する工場はある。けれども、本物のマウスを生み出す工場はない。コンピュータのマウスは、その“尻尾”を使ってコンピュータに情報を伝えることができるのが特徴で、“尻尾”がなく“リモート”で情報を伝えるタイプもある。しかし、本物のマウスには自分の脳があり、その脳から自分の身体に命令を伝達することができる。 コンピュータのマウスは“ハイテク”ですが本物のマウスは作れないので、実のとこころ、コンピュータのマウスは“ローテク”、本物のマウスを“ハイテク”」と呼ぶべきであろう。本物のマウスを創ることが出来るのは神のみである!神の姿は見えないが、マウスの存在そのものが創造主の存在の証拠なのだ。コンピュータのマウスよりも遥かに複雑であるため、偉大なデザイナーが存在しなければ、自分で作ることもランダムで生まれることも出来ない。神はまた人間を創造されたが他の動物とは異なり、神はご自分の似姿に人間を創造された。猿には警察猿も裁判所も刑務所も図書館も哲学猿…etc.などもいない。彼らは本能に従って生きている。人間には善悪を選択する自由がある。人間はいつの日か、自分の人生で何をしたのか、また創 造主である神にどう対応したのか、神から責任を問われることになる。 現在のところ、地球上でもっとも高い偶像は中国にある毘盧遮那仏(密教における大日如来)で、その高さは 128 mある。全能の神と比較すれば、その像は塵芥のようなものだ。万物を創造された全能の神を人の手で造った偶像に納めることが出来るだろうか?たとえ、高さ 8000mの頭が雲の中に隠れる偶像や、高さ 12000mの頭が雲の上に突き出す偶像を造れたとしても、それは全能の神に比べれば、まだまだチッポケなものだ。「主はこう言われる、天はわが王座、地はわが足台である。あなたがたはわたしのためにどんな家を建てようとするのか?またどんな所がわが休み所となるのか ?」『イザヤ書 66 章 1 節(口語訳)』 日本仏教においては大日如来が太陽神として崇められ、神道においては天照大御神が太陽の女神として崇められている。太陽は我々の崇拝の対象として相応しいものだろうか?また、宇宙はそれ自体、大日如来の顕現だと言われている。宇宙は我々の崇拝の対象として相応しいだろうか?太陽は確かに質量ともに巨大で驚嘆すべきものである。しかし、宇宙の他の部分と比較すると、それは同様に小さなものだ。太陽と宇宙は神の驚くべき設計を指し示している。全能の神は被造物から切り離され、それよりも遥かに偉大な存在なのである。また、宇宙はいまだに罪によってもたらされた呪いの下にあり、神の力の不完全な反映に過ぎない。我々は被造物ではなく創造主を崇拝すべきである。 ジェイソン・ライルは、太陽と我々の宇宙についての洞察を深めている。「太陽は月の約400 倍の距離にある。驚くべきことに、それはまた 400 倍も大きい。つまり、月と同じ角度で同じ大きさに見え、空の同じ部分を覆っていることを意味する (月は日食で太陽を完全に覆い隠す最適なサイズ)…もし太陽が空洞だったら、100 万個以上の地球を収容できる…1000 億個の星を持つ天の川の広大さに思いを馳せた時…創造主の圧倒的な力を見せつけられる。しかも、銀河系は我々のものだけではなく…天の川銀河には、少なくとも星の数(1000 億個)と同数の銀河があると推定 されている」 (http://www.answersingenesis.org/articles/tba/splendor-of-creation#fnMark_1_1_1) 。 宇宙はとてつもなく広大で(太陽が小さく見えるほど)、全能の神はその創造された宇宙よりも更に偉大である。〖主は言われる、「人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか?」主は言われる、「わたしは天と地とに満ちているではないか?」〗『 エレミア書 23 章 24 節(口語訳)』 数値と心 日本の国土はカリフォルニアより小さいのに、人口はカリフォルニアの3倍以上ある。アメリカ合衆国の全人口は日本の約 2.5 倍しかない。つまり、アメリカ全土の人口の約半分がカリフォルニア州へ移動して、日本の人口密度とほぼ同じになる。日本は他国と比較してかなり小さな国であるにも拘わらず(けれども大規模で非常に勤勉な労働力を持っている)、立派に経済成長を成し遂げた。「…年間生産量の持続的な増加により、日本は今日、経済大国として米国に次ぐ地位を占めるに至った」(メーソン&カイガー,361,著作権 1997)。最近になって中国が第 2 位に躍り出たが、日本は依然として世界第 3 位である(GDP で測定した場合)。 この様な経済的な強さの中で、日本、中国、アメリカの多くの人々の心は、全能の神ではなく、お金に従うことにしたのである。「どの僕(しもべ)でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる」『ルカによる福音書 16 章 13 節~15 節(口語訳)』。 デール・ソーンダースの著書『日本の仏教』では、1960 年と 1963 年に出版された他の 2 冊の本を引用し、日本仏教の各宗派の会員数を示している。1960 年~1965 年の間に、日本の人口は約 9585 万人だった。ソーンダースの本の統計を用いながら、総人口に占める割合で当時、最も人気のあった仏教の 7 つの宗派を紹介する:浄土真宗(真宗ともいう)14.9%、創価学会 10.4%、禅宗 9.6%、浄土宗(浄土真宗の前 身)3.7%、霊友会(日蓮宗の分派)3.6%、真言宗 3.1%、日蓮宗 2.3%である。また、真宗の人気を反映して 1918 年に出版された本(『刑務所の紳士』)には、当時 の刑務所のチャプレンがすべて真宗の僧侶であったと書かれている(石井,49)。 1960 年/1963 年の統計では、日本人口の約 69.6%が仏教徒だった。1995 年の統計では、人口の約 69.6%が仏教徒で、93.1%が神道であることが判明している。キリスト教徒は 1.2%、その他の宗教は 8.1%である(ブリタニカ百科事典)。仏教を信仰する人と神道を信仰する人が重複しているのは明らかである。多くの人が神道と仏教の両方を信仰していると考えている。この 2 つの宗教は、時には強制的に区別さ れることもあったが、互いにシンクレティズムを持った歴史がある。 2004 年の統計と比較すると、当時の人口 1 億 2760 万人に対し、仏教徒は約 44%であることがわかる。奈良系宗教が 0.56%、禅宗 2.6%、天台宗 2.7%、真言宗 9.9%、日蓮宗 13%、浄土宗 15.3%(オブライアン)と、なっている。ここでは創価学会、霊友会、日蓮が日蓮宗という括りになっているようである。まとめると、やはり浄土宗、真宗、日蓮が法華経を極めた宗派が最も多く、真言宗、天台宗、禅宗の占める割合も大きい。 現在、世界で最も高い像は中国にある毘盧遮那仏で、高さは 128m。日本にはアメリカの自由の女神像(高さ 46m)よりも高い観音像が 10 体ある。日本で最も高い仏像は、110mの阿弥陀如来である。高さ 13m から 110m まである日本の仏像のう ち、上位 4 種類は次の通り:毘盧遮那仏(3 体)、空海(4 体)阿弥陀如来(4 体)観音(32 体)( http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_statues_by_height) 。これらの像に注ぎ込まれる巨額の資金は、人々の心が何処にあるのかを物語っている。「あなたの宝のある所には、心もあるからである」『マタイによる福音書 6 章 21 節』。 様々な仏教の人気は、様々な仏教の宗派の人気と比較して、少し異なるイメージを与える。真宗の人気が高いので、阿弥陀如来像が多くなると思われる。観音像は圧倒的な人気だが、観音像だけを扱う宗派がある訳でもない。しかし、観音は法華経に大きく登場し、創価学会、日蓮、霊友会、天台宗が崇敬している。真宗や浄土宗でも、阿弥陀仏の次に観音が位置付けられる。毘盧遮那仏は真言宗の中心仏であり空海(AD774-835)は真言宗の開祖である。だから、この配分はある意味、理に適っている。 締め括り 大乗仏教は日本や中国を中心にその他各地で、様々な形で表現され信仰されている。この大乗仏教の中には、互いに全く正反対な思想の宗派もあるが、“悟りの境地はごく少数の人間が得られる”とする上座部仏教(小乗仏教宗派の中で唯一現存する)に対して、より多くの人を対象としているため、大乗仏教の分派だと見なされている。大乗仏教は歴史的に後発スタートであり、既に欠陥のあるシステム(小乗仏教)に多くの新しい着想を神秘的に付け加えた。この章では日本における大乗仏教の欠陥を幾つか見てきた。 真言宗を始めとする汎神論的な見方を重視する宗派は、もしすべてが含まれるなら(真言はとくにこの点でハッキリしており、他の宗派もそれを示唆している)、悪もまた“仏性”に含まれると考えると、自らを内部崩壊させる。禅は、他者との交避けながら沈黙の説教と“論理を超えた”アプローチに依存し、何かを伝えようとすると自滅する。真宗は自己努力(自力)の虚しさを見抜きながら、限定的で想像上の存在を信じて助けることを提案する。日蓮宗の諸宗派は、法華経にも同様に信憑性の無いものがある。法華経は 200 年頃に編纂されたが(ロビンソン,85)、ゴータマ仏陀の最後の説法であると主張しており、信憑性を高めるには約 600 年遅すぎたことになる。「死者の霊」を呼び出す他の様々な宗派も同様に、それらが実際は欺瞞的な霊を呼び出していることを知らず、限定的で暗中模索の状態である。これに加えて、どんなに劣った霊でも、我々が永遠の救いを見出すのを助けることは出来ない。神は全知全能である。全能であるが故に、神に全幅の信仰を置くことを期待さ れているのであって、神に 50%、他のものに 50%という訳ではない。 これらの思想のどれかを、我々を救って天国に連れて行ってくれる筈の“乗り物”に喩えるなら、それらはガソリンもタイヤも無い、あるいは想像上のものでしかなく、我々をどこにも連れて行く能力のない乗り物のようなものである。この地上には道路を走る立派な乗り物を製造する工場があるが、我々を天国に連れて行く乗り物を製造する工場はない。全能の神だけが人を天国に連れて行くことが出来る。そしてそれは、イエス・キリストを通して聖書の御言葉で啓示されている神の条件に従わなければならない。 元犯罪者の石井藤吉は、1916 年にクリスチャンになった。彼は次のような言葉を書き残している:〖また、刑務所の教戒師や牧師、そして、人の死に立ち会う者たちは、「人が最後に口にする言葉はその人の魂の奥底から出たものであり、嘘を口にして死ぬことはない」ということで一致する。イエスの最後の言葉は、「父よ、彼らを赦したまえ。彼らは自分たちが何をしているのか分からないのですから」でした。だから、この最後の言葉がイエスの真実の心を明かしたものだと信じるしかありません。この御言葉は私に何を明らかにしたのでしょう?それをキリストの慈愛と呼ぶべきでしょうか?それは彼の憐れみなのでしょうか?何と呼べばいいのか、私には分りません。ただ、言い表せないくらいの感謝の心で、私は信じたのです。この簡潔な文章によって、私はキリスト教の全体像に導かれていったのです」〗 (石井,36)。 キリスト教は単なる思いつきではなく、歴史的、預言的な証拠によって立証されている。これは極めて重要で不可欠なことである。体験や夢、あるいは幻影といったものは、現実の霊的な証拠にはならない。そのような“証拠”は、法廷で忽ち退けられてしまうだろう。キリスト教にあるのは、イエス・キリストとその教えに関した、人生を変える素晴らしい真理だけでなく、法廷で証明できるような証拠でもある。我々の創造主である神は、我々の全ての礼拝と信仰に値する。今日、あなたはイエスの御許に来て、彼を信じるだろうか?「そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない」『ヨハネの第一の手紙 5 章 11 節~12 節(口語訳) 』。 参考文献(References) Corless, R.J. 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April 3, 2025
第五章:仏教徒の道標 (2004 年 11 月 6 日) この章では主にスリランカ、タイ、ビルマ、カンボジア、そしてラオスで見られる上座部仏教に焦点を当ててみたい。それはこの仏教形式は釈迦牟尼仏陀の当初の教えの原型に最も近いと主張しているからだ。他の宗派も同様にそう主張しているが、歴史的に言えば(神秘的な話ではなく)、上座部仏教学派の主張が最も実証されているように思われる。仏教について書かれたものの多くは、仏教の教えを理想化した不完全な肖像画を提示している。主題が広大なため致し方の無い難問ではあるが、仏教の肯定的な側面に焦点を当て、より困難な問題をさておき省く人々によって、より充実した良いものになる。この章では包括的な概説の肖像画を提示するとまでは言わないが、仏教のより曖昧であまり知られていない核心的な問題やジレンマを取り上げ、仏教は確かに魅力的にシステム構成されているものの、人がその運命を全うし成就する上で助けになるものではないことを示す試みをする。また、聖書の教理に基づいて上座部仏教とキリスト教信仰との比較を行なってみたい。この論文で私は以下の 8 つの副題、すなわち無我(anatta)、再生、涅槃、カルマ (業)、女性、瞑想、科学、および神について明らかにしていこうと思う。 無我(anatta) デカルトは「我思う…故に我あり」という言葉で知られている。私の高校時代の歴史教師はそれをもじって「我ピンク色に思う…故に我はスパムであり」という駄洒落を言っていた(笑)。こうしたアイデンティティの証明とは全く異なるアプローチをとることにより、仏教は「我、存在せず」という観念で締め括った。ジョン・ギャレット・ジョーンズは、その著書『仏陀物語とその教え:ジャータカ物語(本生譚・前世物語)をパーリ聖典と関連づける』のなかで、ジャータカ物語に見られるような有名で一般的な仏陀の教えの表現と、より正統派であるパーリ聖典の四大ニカーヤを比較検討している。パーリ聖典協会の前会長 I・B ホーナーは、この本の序文で次のような推奨の言葉を述べている:「ジョーンズ氏は本生譚とパーリ聖典の双方に精通しているため、一見簡単そうに利用できるだけでなく、適性と正確さで信頼性の高い資料文書を作成することが出来るのです」 (ⅶ) 。ジョーンズは再生に関する章の中で“無我”の教義に言及し、正統派の信仰によれば魂は生まれ変わらない、何故なら仏教はそのような存在を認めていないからだ、と指摘している。:識(意識 vinnana)というものは、死の時点で消えてなくなる五蘊(ごうん)の一つである。身体そのものの物理的な基盤、或いは我々が望んだとしても身体に関連した物理的な構成要素を奪われた状態で、どうやって死を乗り越えることができるのだろうか?中間の長さの発言集(MLS)I313,320f のなかでゴータマ(仏陀)は実 際に、意識が持続するという“異端”に対してキッパリと反論している(34)。 “無我”の教義は釈迦牟尼仏陀の生まれ変わる再生物語であると想定されている『ジャータカ物語』総ての前提を根底から覆すものである。“魂”なくして生命から生命を繋ぐものとはいったい何であろうか?という問いかけに対して通常与えられる答えは、「人間が背負っているカルマ(業・因縁)は持ち越される」というものである。しかし、もし背負うべき因縁を持つ人がいなければ、この“カルマ”というものは何に付着しているのだろうか?ダニエル・ジョン・ゴーギャリーは、1885 年版 『キリスト教の証拠と教義』(パーリ聖典研究 44 年目にして知った)の中で、次のように書いている: 「我々はまず仏陀の教えとして、ある行為を行った者とその報い或いは罰を受ける者は同じではないこと、つまり行為を行った者と罰せられた者の間に関係があるのではないことを立証してみよう。その関連性は実行者とその行為から生じる善悪の関係ではなく、なされた行為とその結果、その結果の受け手が誰であろうと、その関係であるとされる。このことは、善い行いをした者に報酬を与えるという、あらゆる既知の正義の原則に反するものであるが、仏教に於いて、報いは善行について回り、善行をした者が必ずしも報いを受ける訳ではない。これは輪廻転生を繰り返す魂は人の中に存在せず、生命的存在を構成するパンチャ・スカンダ(五蘊)は死を もって終わりを迎え消滅するという仏陀の教義からきている」(54-55)。 無我を信じるということは例えば、アドルフ・ヒットラーが死に、彼にまつわる一切の“存在”(五蘊)集合体が消滅したときに、彼のとてつもなく悪いカルマが誰か或いは何か(下等な昆虫かもしれない)に付着し、その悪魔的な所業や苦しみの理由については全く意識しなくなることを意味する。これは正義と呼べるのだろうか?一体、“誰”が罰せられるのか?このシステムで報われるのは“誰”なのか?仏教で「自己を磨く」、「己に帰依する」…etc.という風に、“己れ”という言葉が用いられる場合、これは明らかに便宜上用いられているのであって、絶対的な自分を表現している訳ではない。ワールポラ・ラーフラは、その著書『ブッダが説いたこと』の中で、仏教における自己または魂の存在を指摘する人たちに対して次のように反論している:「…仏陀の教えでは、この世における人間の存在はこの五つの集合体 (前述の五蘊━色・受・想・行・識━と同じ)だけで構成され、それ以上のものはない。この五つの集合体以上のものが存在すると、彼はどこにも言っていない。”第二の理由は、仏陀が断固として一度ならず明白な言葉で、複数の箇所で、アートマン(真我)、魂、自己またはエゴというものが人間の心の内外に、或いは宇宙のどこかに存在しないと否定したからである」(56-57)。 我というものはないが再生はあると説いていたにも拘らず、仏陀は依然として、宇宙は非倫理的なものではないという確信を持ち続けていた。これが倫理的な宇宙であるとする仏陀の確信と関連させながら、ジョーンズは次のように結論づけている:「この確信が彼の教えの合理的かつ分析的な部分に健全な根拠があると主張することは出来なかった。実際のところ、これら2つの間には絶望的に両立しがたい矛盾があると言っても過言ではないように私には思える」(36)。しかし、もし魂がなければ、なぜ仏教徒は輪廻転生を免れる為にそこまで大変な努力をするのか、そしてまた、なぜ仏陀はそれが彼の“最後の生まれ変わり”だと宣言したと言われているのだろうか?(釈迦対話集Ⅱ.12)?最後に生まれたのは「誰」?無我(無魂)の教義は大乗仏教の“空”(万物の空しさ)の教義を予見しているのである。上座部仏教では、自己は空であると主張したのみであった。 一方、イエスは魂の計り知れない価値と実在性を宣言された:「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」『マルコによる福音書 8 章 36 節~37 節(口語訳)』。 再生(生まれ変わる) 釈迦牟尼仏陀が最後に生まれ、世俗的な快楽を捨て去る有名な物語では、幾つかの疑問が生じる。もし釈迦牟尼仏陀が前世に数え切れないほどの人生を本当に経てきたのなら、なぜ彼の父親は人生のより過酷な側面から彼を保護する必要があったのだろう…彼は修行のために世間を自身の目で確かめる目的で王宮を出たとき、なぜ死や貧しさや老いを目の当たりにしてこれほど驚いたのだろうか? ジャータカ再生物語を額面通りに受け取るなら、彼は人生のこういう過酷な現実のすべてに精通していたに違いない…というのも、ジャータカ物語によると、彼は時として人生の残酷な側面にも関与していたようである。「…この一連の物語の中で、菩薩(仏陀)自身が何らかの形で殺害または障害に関与していると描写しているものがある。当該箇所はジャータカ物語(本生譚)93、128、129、152、178、233、238、246、 315、319、384 話である」(ジョーンズ,61)。本生譚 547 話のなかで、彼は二度強盗になり、ある時は賭博師となり、また二度ほど巨大な蛇になっている(ジョーンズ 18~19)。また、本生譚 538 話によれば、彼はウサダ地獄で八万年を過ごさなければならなかったとあり、苦難について精通していたことになっている(ジョーンズ,43)。それでは、なぜ仏陀は死や苦しみの事実に直面して、まるで経験したことも見たこともなかったかのように心を打たれたのであろうか?この質問に対する一般的な答えは、前世を思い出すのは心が惑わされることなく不信感から解放され、記憶の深いレベルに達することが出来る瞑想状態の時でなければならない、というものだ。しかし、心や人が構成されていると言われるすべてのもの(五蘊)は死を免れず存続しないと言われている場合、如何にしてその様な情報を心に保持できるのだろうか?ただし実際には、この有名な仏陀の克己(悦楽との訣別)出家の話は 『パーリ聖典』の中には記載されていない。 パーリ聖典では、仏陀は生まれてすぐの赤ん坊の頃に真っ直ぐ立って歩き、これが自分の最後の生まれ変わりであることを宣言したと言われている。「我は世の首長であり、世の長老であり、世の第一人者である ━天上天下唯我独尊━」(Ⅱ.12) 。もし不滅の魂が無いのならば、どうして赤ん坊がこのような高尚な言葉を口にすることが出来るのだろうか?ジャータカ再生物語では、無我の問題が浮上してくる。というのも、仏陀の教義では前世を思い出すための永続的な魂は存在しないのに、仏陀はどうやって前世を“思い出す”ことが出来たのか、瞑想では説明がつかないからだ。正統派の物語の中でもなお無我の問題は残る。それは、永続する魂などは無いという仏陀の無我の教義と、終わりが見えて安堵している永続する魂の視点から語り出す赤ん坊とが対照的だからである。無我と再生の狭間の教義上の不一致は、知性を満足させないまま、作り出された倫理観で良心を宥めようとするものである:「二つの命題が対立する場合、最も簡単な解決策は何れか一つを無視することである━まさに本生譚でなされたように。本生譚においては無我の教義と同一人物の生命が連続するという教義との間に矛盾するところはない。それは無我の教義は単に無視されているからである(ジョー39)。 釈迦牟尼仏陀は倫理観を手放したくなかったが、彼のシステムは知的にも“功徳配分”においても人々を矛盾に導くものであった━悪人も善人も現世から来世への魂の繫がりは無いと言われている━かくて、或る“運命”を受け取った者は、それを“獲得”した者ではないのだ。 しかし、この様な生まれ変わりの難しさとは別に、実際に生まれ変わったと主張する人の現実のケースはどんなものであろうか?アーネスト・バリアは、彼のオンライン記事 (www.comparativereligion.com/reincarnation1.html)『輪廻転生の現代的証拠としての前世回想』) のなかで再生/生まれ変わり研究分野における第一人者のひとりであるイアン・ステイ-ブンソンの言葉を引用している:「私の経験では、催眠術によって呼び起こされるいわゆる前世の人格というものは殆ど全て想像上のもので、催眠術者の暗示に従おうとする患者の一途な熱意の結果である。催眠状態では人は誰でも非常に暗示にかかりやすいということは周知の事実である。この様な研究は実は危険性を含んでいる。ある人はその記憶と思われるものにひどく怯え、またほかのケースでは呼び起こされた前世の人格が長い間、心から消え去ることを拒否して離れなくなってしまった」『オムニマガジン 10(4):76(1988)』。 バリアは、この現象が“偽りの記憶症候群”と呼ばれていることを指摘し、「法廷ではこれらの危険性を認め、殆どの場合、催眠状態で行われた証言や、事前に催眠状態にあった目撃者の証言は受け付けない」と述べている。催眠術によって“記憶”が呼び起こされないその他の場合はどうなるのか?バリアは、通常この対象となる人々の層に注意を促している: 「前世を自然に思い起こす追憶体験の大部分は、特に霊に対する識別力が殆どない 2 歳から 5 歳までの子供たちによって生み出されている。そのため、外部の精霊によって操られ易い状況になっている。子供が成長するにつれて、それら外部のエンティティは子供に影響を与える力を失っていき、そのため、10 歳を過ぎると前世の記憶が失われてしまうのだと思われる。」 イアン・ステイ-ブンソンが調査したケースのなかに、人は実際に自分自身を同時に表現する2つの人格を持っていたという事例がある。子供の場合のように、個人が人生の中で脆弱な時期にあるときに(特に両親が彼らを霊的活動の中心に連れて行った場合)、霊の憑依や“仲介者”である霊媒として行動していたことが説明される場合が多い。この外部の精霊による干渉は、再生研究が極めて主観的な性質のものであることを示している。バリアはステイ-ブンソンの結論で締めくくっている: 「以上の理由により、この現象の研究者として知られるイアン・ステイ-ブンソンは彼の著書『生まれ変わりを示唆する 20 の事例』の中で、彼が研究した事例はこの本のタイトルが示すように再生を示唆しているだけであり、証拠とは見なされないことを認めざるを得なかった。ステイ-ブンソンは次のように続けている:私がこれまで調査した全ての事例には欠点があります。これらをまとめてみても、証拠らしいものは何も提供しません『オムニマガジン 10(4):76(1988)』。もしこれが事実である場合、それらは例の憑依を示唆している可能性もある。」 このように外部の霊が惑わす可能性がある以上、瞑想中の僧侶や尼僧がこの外部の影響を受けないと言えるのだろうか?瞑想とは本来、このような外部からの影響を受ける扉を大きく開いているものである。僧侶や尼僧は瞑想中に様々なことを経験し、それを仏陀の教えの確認に数えることが出来るであろう。しかし、彼らは実際そうしていたのだろうか?そもそも、彼らがそのような“記憶”を得ようと努めたのか、また、その体験が主観的なものである場合、これを確認として数えることが出来るだろうか?たとえ、人が本来は自ら知り得ない情報を明らかにできたとして も、その情報は外部の霊が知り、伝達することができるものなのである。 そのような“記憶”を手に入れる為に、人はなぜ催眠状態であったり、子供のように無知な心を持ったり、瞑想中の変性意識状態になったりする必要があるのだろうか?もし再生が“まこと”のものであれば、なぜ世界の数十億という人々が、文化的背景に関係なく、それを明らかにしないのだろうか?なぜ赤ん坊が“前世”の言語や他のいかなる言語(バブバブ以外の言葉)も話せないのか?これが恐らく無我の教義を生み出した(記憶の欠如を説明する)理由であろう。しかし、この場合ジレンマは倫理的な領域にとどまり(永続的な魂がなければ真の正義はありえず)、生命から生命への接続点を持つという現実的な問題は未だに解決されないでいる。「…そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように」『ヘブル人への手紙 9 章 27 節』。 涅槃 チルダースは彼が編纂した『パーリ語辞典』で、nibbanam(サンスクリット語で涅槃)とは何かについて非常に明確な答えを提示している。彼は次のように述べている:「しかし、存在することは苦しみであるということから始まる信条は、存在からの解放が最高の善であるということで終わらなければならない。したがって、消滅は仏教の最終到達点であり、その教えの忠実な遵法者に与えられる至上の報酬であることがわかる」(265)。“消滅”という言葉はこの場合、あまり良い言葉ではないだろうが、そこには人の考え及ばない他の理由がある。ワールポラ・ラーフラはこう指摘する。「涅槃は自己の消滅ではない。それは、消滅させるべき自己が無いからである。もし仮にあったとしても、それは幻想の消滅であり、つまり自己という誤った観念の消滅である」(37)。 チルダースは涅槃を“至福”と表現する正典と他方で“消滅”と表現する正典がある理由を説明し、双方とも意味するところは同じだが、“至福”は最終的な消滅の前の一時的な状態に過ぎないことを明らかにした:「私は仏教の到達点は消滅であり、そして涅槃は永遠の死に先行するほんの短い至福のひと時であることを示した…釈迦牟尼仏陀が“悟り”の境地を彼の門弟たちが到達する最高レベルの理想としたことは十分考えられる。このことは徳の高い生活による至福の純粋無垢な状態を想像していた人々には信じ難いことに思えるかもしれないが、全てが彼の入滅ということで終わってしまうのである。しかし、彼がこのように行動したことは確かであり、存在の悪と人生の苦痛に対する彼の非難が何であれ、悟りの境地はカルマ(因縁)に発するもので彼がカルマを根絶し、いかなる存在も無くなるかもしれないという意識の至福に基づくことを覚えておく必要がある」(268)。ラーフラはまた、涅槃とは存在しないことであるとも述べている:「涅槃を悟った仏陀や阿羅漢(羅漢と同じで阿羅漢とも綴る)の死を表す般若心経(Parinibbuto)という言葉がありますが、これは「涅槃に入る」ことを意味するものではありません。般若心経とは、仏陀や阿羅漢はその死後に再起しないため、単に“完全過ぎ去る”“完全に吹き飛ぶ”“完全に消滅する”という意味であり、般若波羅蜜多とも呼ばれています」(41)。 仏教の宇宙観では、様々な天界、地獄、地上現世…等々、31 の存在世界があるとされている。これらはすべて永遠ではなく一時的な仮のものだと言われている。これら 31 の世界のどれも涅槃ではない。何故なら、これらの世界はすべて無常と苦しみに陥りやすいと言われているからである。天界でさえ涅槃になりえないとすれば、涅槃は存在を超えたものであることが改めて理解できる。また、31 の世界のうち、上位 20 の世界は瞑想状態と並行していると言われている。言い換えれば、瞑想をしている人はこの上位 20 位までの世界を体験できる筈なのだ。人が達成できる最高の 瞑想状態はまた、涅槃がどうあるべきかを最もぴったりと表すのである。 「また、“無の境地”(nirodha samapatti)と呼ばれる第 9 の段階も、幾つかの経典に記載されている。この段階になると、すべての精神活動が完全に停止し、心臓の鼓動や呼吸さえも停止する。生命は単に身体の余熱という形で存続している。人はこの状態に数日間とどまり、最終的には予め決められた時間になると自発的にこの状態から抜け出せるという。この状態は誰もが生きている間に最終的な涅槃を体験することに最も近いとされ、“身体で涅槃に触れる”と表現される」 (キーオン 91~92)。 精神的な活動さえ中断された時、そこから完全な停止に至るのはそう遠くないということがわかる。そして、これはパーリ聖典の教義である更なる無執着へと段階が 進行し、最終的には実存への無執着に到達するという諦観の教えと一致する。 パーリ聖典において涅槃は“至福”の状態として説かれているのか、それとも“停止” の状態として説かれているのか、という議論のなかで、ジョーンズは次のように注釈している:「もしこれが“至福としての涅槃”だとすれば、私は※第四ニカーヤ (仏陀の法話の本体)の中にその根拠を見出すことができません。私の知る限り、涅槃を肯定的で超越的な状態の至福とする考えを支持するような言葉は、第四ニカーヤの中には一つもありません」(152)。この議論の脚注で、ジョーンズは上座部仏教学者の間で最も一般的に支持されている見解を明らかにしている:「ジャヤティレケが超越論的な涅槃観を採用しているが、彼の元教え子カルパハーナがこれを非難して、(上座部仏教学派内で)より一般的な止観論を主張しているのは興味深いことである」(202)。※パーリ聖典の経蔵を構成する五部のうち第四番目[増支部]のこと。ニカーヤは部と訳す。 A.L ハーマンは彼の論文『仏教における二つの独断』の中で、大乗仏教と上座部仏教の双方に関連させて、涅槃のもう一つの難しさを指摘している。最近の大乗仏教では涅槃を至福とする考え方が主流だが、正統派の上座部仏教では涅槃を止観とする考え方が主流である。ハーマンは、涅槃をどのように解釈しようとも、それはジレンマおける独断であることを示している: 「涅槃のジレンマとは、もし涅槃が情熱・欲望・感情などの完全な欠如であると否定的に捉えるなら、それは死んでいるのと同じであり、死に至る目標を誰が追い求めるのだろうか?涅槃はこの最初の解釈においては自殺である。一方において、もし涅槃が平和と静寂の存在として肯定的に見られ、私が望むすべてが満たされると捉えるなら、欲望は終息したり吹き飛ばされたりせず、涅槃の意図全体が矛盾することになる:即ち、涅槃はこの第二の解釈では一貫性のないものとなる。しかし、涅槃のジレンマは続いており、涅槃はそれを否定的に捉えるか肯定的に捉えるか、どちらかでなければならず、第三の選択肢はない。ジレンマの結論は、涅槃とは自 殺による消滅か一貫性のない継続のどちらかである、ということになる」 (170)。 ハーマンは、次の厳粛な文書をもってこう結論づけている:「この様な哲学的問題に直面して根拠のない独断を保持することの影響は、仏教を経験的真実や理性から彼方へと遠ざけ、真実が単なる有用性によって測られる“疑わしいプラグマティズム”、或いは真実が完全に放棄される“非理性主義や神秘主義”へと近づけることになる(或いはなった)ことであろう」(174)。この結論の脚注で、ハーマンはさらに次のように説明している:「…“疑わしいプラグマティズム”と“非合理主義”や“神秘主義”は、まさしくその後、一方では南方(上座部)仏教が、他方では北方(大乗)仏教が、それぞれ辿った道筋であった」(174)。 もし最近の大乗仏教の見解が正しいと言うなら、それはパーリ聖典の教義に反するもので、釈迦牟尼仏陀が実際に教えたことに最も近いものである。もし大乗仏教徒が異なる解釈を主張したい場合、それはどのような高等権威に基づいているのであろうか?これは仏陀の権威を否定し、代わりに神秘的な啓示に依存することになる。他方において、もしパーリ聖典の止観が実際に仏陀の説いたものだと認めた場合、平たく言えば、仏教の考え方は「あなたが本当に善良であれば、あなたは消滅する」ということになる。大乗仏教徒がこの教義を変えようと試みたのは疑いのないところであるが、その主張をバックアップする権威がないため、それは徒労に終わった。ただし、当初の主張(止観)の背後にある権威も十分ではない。欲望が苦しみに繋がり、苦しみが実存の主な特徴である代わりに、希望と再起への道がある。本来の涅槃とは、仏教の教えはゼロへの道であり、それは空(サンスクリット語でスンニャター)と消滅に相当する。 生きることから抜け出す代わりに、イエス・キリストは渇きを癒し、有意義に、そして永遠に生きるための方法を提案されている:イエスは女に答えて言われた、 「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、私が与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」『ヨハネによる福音書 4 章 13 節~14 節(口語訳)』。 カルマ(業) カルマ(業)とは、「良いことをすれば良いことがあり、悪いことをすれば悪いことがある」というように…幸せがすべて“自業自得”であるかのように思わせる、大衆受けするシステムである。これは世界の不平等や明らかな不正を説明するものだと思う。しかし、このシステムの意味するところをもう少し詳しく見てみよう。カルマはちょうど重力と同じように自然の法則であると言われていますが、ただ、物質を支配するのではなく、倫理観を支配するというだけで、物質も影響を受けると言われている。もし、それが自然法則に過ぎないのなら、遺伝法則が予期せぬ(殆どの場合、有害な)要因によって何かのはずみに影響を受けるのと同じように、それは突然変異の影響を受ける可能性があると言うことではないのか?この様なシステムに信頼を置くことができるだろうか?このジレンマについて、ジョン・ジョ-ンズはこう指摘している:「カルマの結果の倫理性(道徳性)は、カルマのプロセスが厳密に非人格的であることを疑問視しているようである。もし、カルマのプロセスが倫理的なプロセスであるとすれば、我々が経験によって証拠を持っている倫理性の唯一のタイプは、人格に関連するものだからだ。このように、カルマの非人格的な属性と倫理的な属性の間には緊張関係がある」(37)。 カルマの影響によってもたらされるものは、パーリ聖典の中に明確に列挙されている:「この場合は、極めて残酷、無慈悲に生き物を殺傷しようと襲いかかるので、短命なバラモン若者となる」。その反対はこうである:「この場合は、もし人が生き物への強襲から逃れてこれを回避し棒や剣から免れることができれば、すべての 生き物に対して慈悲に満ち心優しい生活を送る事ができる長寿の若者となる」 (MLSⅢ,P.248253)。これらと正反対の結果は容易に推測できるので、簡潔を図るために、パーリ聖典から幾つか否定的な結果のみを列挙してみよう。(これら引用文の省略部分は経典の通りであり筆者が省略したものではない): 「この場合は、元来その手や剣でもって生き物に害をもたらすところから、多くの病に導く。」「この場合は、怒りに燃え憤怒を示しているところから、醜悪さをもたらす。」「この場合は、他人に対する尊敬や敬意をねたむが故に、評価されない。」「この場合は、人にベッドや一夜の宿や灯りを与えないが故に、貧しさをもたらす。」「この場合は、称えるべき他人を称えないので、家族の不幸をもたらす。」「この場合は、人が尋ねるべきところを尋ねないので、知恵を欠くことになる。」━それでは、私がしたことによって私が幸せになる為には、何が求められるというのであろうか? このように、病気、醜さ、卑小評価、貧困、卑しい家柄であることの原因が我々の為に綴られている━これらのことは、前世においてなされた悪行、雑言、悪意によるものである。このようにカルマは人生の不平等を、その人が受けるべき価値に応じて説明している。このシステムでは、貧しい人は貧しいのが当然であり、豊かな人は豊かであるのが当然である、…etc.この様な考え方は、体の不自由な人を刑務所の犯罪者と同じカテゴリーに、物質的な所有物を持つ人をヒーローのカテゴリー に位置付けているように思える。これらの結論は本当に妥当なのか? 人の人生における複雑な倫理的影響はすべて、知的な存在によってではなく、単なるエネルギーの力によって記録されることになっている。そして、更に問題を深刻にするのは、死んだ人には魂がないと言われ、この蓄積された倫理的な銀行口座がいかにして再割り当てされるかという問題が提起されている。カルマとは仏教システム上の良心であるが、その実際の働きや存在については解明されていないままである。ジョーンズは仏陀についてこう述べている:「彼の教えの合理的で分析的な部分━特に無我の教義━がそれをどんなに否定するように見えたとしても、この惑星とその先の感覚的な生命である衆生を支配する低迷は非倫理的なものではないことを確信していたようだ」(36)。仏陀は倫理性を否定できなかったし、かといってそれを自分の教義と同調させることもできなかった。しかし、これらの困難はさておき、厳密に言えば、我々は自分に値するふさわしいものを本当に望んでいるのだろうかと、自分自身に問いかけるべきではないか? カルマのシステムは、善行が悪行を補うことが出来ると想定している。それはまるで追加したり取り出したりすることの出来る銀行口座のようなメリットがあると考えられている。倫理性に適用されるこの種の理屈は、法廷では通用しない(裁判官は被告人の人生における善行と悪行のバランスを考慮して犯罪を赦すことはないのだ) 聖書的に言えば、倫理性は銀行口座のように善行から悪行を引いてバランスを取るようなものではないし、その逆もまた然りである。むしろ、倫理性は人間関係に根ざした一連の期待である。親が子供の世話をすることを期待しているように、子供は親を尊敬することを期待している。夫や妻、友人、仕事仲間、従業員、…etc.誰もが良い関係とはどういうものなのか、一定の期待を抱いているものである。もし夫が浮気をした後で、妻に素敵なプレゼントを贈った場合、収支は帳消しになるのだろうか?あたかもビジネス上の取引であるかのように、彼は自分の違反を修正したのだろうか?人間関係における許しあいはあっても、倫理観というものは銀行預金のように取り扱われてしまう非人間的な公式ではない。同様に、ある人が殺人を認め、自分の一生をかけた蓄えを彼が殺した隣人の未亡人に差し出したとしたら、その裁判官は殺人の処罰を取り消すであろうか?彼は(自分が殺害した)隣人を愛するという義務に背いたのだ。その人物がどんなに多くの善行を積んでいたとしても、殺人の罪は罰せられる。 これとは逆に、もしある人が高潔に暮らし、その国の法律を全て遵守している場合政府はその人の善行に対して報奨金を与えるだろうか? その人は期待されていることを単に果たしただけであり、政府は感謝していますが、ただその人がなすべきことを実行していると見なすだけであろう。それによってボーナスポイントを獲得するわけではない。違法した場合は不利になるが、善い行いをすることは単純に期待されるのみである。善行を 100 回積んでも悪行を 1 回働けば、その人は義務を 100 回果たしたことになるが、1 回違反をしたと記録される。従業員に 100 回給料を支払ったが、すでに 100 回の支払いで彼らは利益を得たからと言う理由で、その次の回には給料を払わないという雇用主をどう考えたらいいか?或いは、ぼんやりした生徒に対して 100 回は癇癪を控えた短気な教師が、その次の回にはカッとなって生徒の一人に蹴りを入れたとしたら?この場合、教師の点数は“99 点”ということ (100 回の善行から 1 回の悪行を引いたもの)になるのか?その教師は 100 回の義務を果たし、1 回の違反をしたことが記録されるのである。 人は、自分になされた罪を犯した他者を許すように求められている。何故なら、自分自身にも罪のリストがあるからである(恐らく、罪を犯した人とは異なる領域において):「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」『マタイによる福音書 6 章 14 節~15 節(口語訳)』。一方、神には罪がないのだから、赦す“義務”はない。法廷における裁判官には罪が無いわけではないが、同様に犯罪を赦す義務はないのである。 聖書によれば、我々に期待されているのは“善行”だけではない。我々がなすべきなのは最善を尽くすことである:「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」『マタイによる福音書 5 章 46 節~48 節(口語訳)』。もし、ある人が恐ろしい人生を送り、残酷な罪の数々の長いリストを積み上げてきたとしても、その後改心して立派な市民として余生を送れば、過去は帳消しになるのでしょうか?改心して生きていることは予想できたが、以前の犯罪のリストはまだなお記録に残っている。同様に、犯罪者がその罪のために刑期を終えたとしても、それで罪が消え去るものではない。何故なら、彼らの最善を尽くすことは最初からずっと期待されていたからである。罪は人の生涯を通じて積み重ねられ続け、そのリストには、我々に対する他人の罪を許さない、という罪も含まれているのである。 聖書のシステムは完全に個人的なものである。ポジティブなモラルもネガティブなモラルも、単なる“点”として人間関係から切り離すことはできない。倫理に背くことは、ただ悪い選択をしたりマイナス点を積み重ねたりすることではない。それには全て関係性がある。聖書の法則は二つの命令に要約される:━すなわち神を愛し、人を愛せよ。倫理を否定することは、生命を創造された生ける神に反抗することである━。求められる義務を正しく認識することは、人間関係の立ち位置を変えることでもある:「このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育係となったのである。それは私たちが信仰によって義とされるためである」『ガラテア人への手紙 3 章 24 節(口語訳)』。まず法律があり、それによって罪の程度を認識することができる。その認識とともに、我々の罪のために十字架の上で死んでくださった罪のないキリストの愛に気づくのである。そのことに気づけば、イエスキリストへ立ち帰ることが出来る。すると、かつては“義務”だったことが喜んでなすものになるのである:「わたしはもう、あなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。私はあなたがたを友と呼んだ。私の父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである」ヨハネによる福音書 15 章 15 節(口語訳)』。一方、倫理を受け入れながらも、道徳の関係的側面を拒否することは、大洋を横断する船からの迎えを断り、信じられないほどの距離を泳いで渡ろうとするようなものだ。聖書はそのような人を呪われた者と表現している:いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである『ガラテア人への手紙 3 章 10 節』。 我らの信仰がキリストにあるかぎり、我らに対する罪は十字架に釘付けされている。そして、我らの創造主として彼は赦す権威をお持ちの唯一のお方なのだ。すべての罪は神に反するものである。他の人に対してなされた罪でさえ、それらの人々に対しても行われますが、神はその罪を犯した悪人の所有者であり、悪用された我々の人生の所有者であられるので、結局は神に反するものとなる。人が自分の能力で悪行の泥沼から這い上がることは絶望的である。しかし、全ての人に希望がある。神の赦しの申し出は、獲得したり要求したりするものではなく、己の罪の深さを自覚し、自分自身ではなく神に信頼を置いて本当に悔い改めるすべての人に与えられる無償の慈悲の贈り物なのである:「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるものである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いよるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである」『エぺソ人への手紙 2 章 8 節~9 節(口語訳)』。 女性 パーリ聖典によると、ある人はある人生では女性として生まれ、次の人生では男性として生まれ変わることができる…etc.などと言われている。しかし、500 話を超えるジャータカ物語(仏陀の生涯を網羅したものではないが)の生涯にも、パーリ聖典のどこにも、仏陀が女性として登場することはない(ただし、一度や二度は女性だった筈だと推論されることはある)。ジョーンズはこう述べている:「最も印象的な事実は、菩薩の姿は非常に多様であるにもかかわらず、彼は一度も女性や雌の動物として現れたことはないということである。木の精や妖精として現れる時でさえ、彼は常に男性である」(20)。彼の多くの人生に登場する親友のアーナンダは、一度だけ女性として登場する(ジョーンズ,113)。さらにジョーンズは、本生譚『ジャータカ物語』の教義と正統派『パーリ聖典』全般とを対比させる:「しかし、ジャータカ物語では悪女の堕落が普通であり、徳の高い女性は例外に過ぎないのに対して、友人が堕落する可能性は非常に低く、殆んど言及されていない。これは聖典の立場とは異なるものである。そこでは、疑いもなくセックスと結婚は悪であるが、愛と友情も同様である。何故なら、これらは個人的な愛着や苦痛を伴う(あるいは苦痛を伴う可能性のある)感情に人を巻き込むものだからである。聖典が祝福することができる唯一の愛は、完全に分離された一般的なもので、 “すべての被造物に対する無限の友好的な心”である」(115)。 この様な徳の高い女性の一人について、ジョーンズはこう述べている:「ジャータカ物語のなかで稀有な存在である徳の高い女性は、その徳を前世の出生時で得た功徳に負っている━男性として!」(43)。パーリ聖典自体、その中で女性についての描写は殆どない:「…しかし、女性は性行為や出産に飽くことがなく(本生譚Ⅰ 72)、“彼女たちは統制が利かず、人を妬み、貪欲で、知恵が足りない”ので、宮廷に座ることも、事業に乗り出すこともないのである(本生譚Ⅱ92f)」(ジョーンズ 78)。尼僧の為の教団設立に関連して、ジョーンズは次のように書いている:「アーナンダがゴータマに女性の為の別の教団を認めるよう説得したとき、ゴータマはこのことについて非常に憂鬱そうな顔をしていたと伝えられている。彼はこう言った━仏教内法の中身が純粋な形式で保たれる期間を半減させることになるだろう」(ジョーンズ,77;本生譚Ⅳ184f)。『修行規律集Ⅴ』でも、仏陀が弟子のアーナンダに向かって、もし女性たちが仏門に入れば、仏教の真理は千年どころか五百年しか持たないと予言している:「真実の発見者によって宣言された教えと規律について道を外れることがなければ、バラモンたちの修行は永続し、仏教の真理は数千年長続きするであろう。しかし、アーナンダよ、女性たちは真実の発見者によって宣言された教えと規律から道を外れたので、いまや、アーナンダよ、バラモンの修行は永続せず、仏教の真理は 500 年しか持ちこたえられないであろう」(356)。 女性が仏門に入り“道を外れ”、既に 500 年が経過していることから、上記の経典上の聖句は誤りなのか、それとも“真実の仏教理”(true dhamma)が 500 年しか続かないというのは真実なのか、という疑問が生じる。もし偽りであると言えば、パーリ聖典に偽りがあることになる。もし真実であると言った場合でも、パーリ聖典に偽りがあるということになる。既に 500 年が経過しているので“真実の仏教理”はもはや存在しない。 この同じ経典の中で、仏陀は女性の影響力をカビに例えて次のように言った:「アーナンダよ、カビという病気が稲田の全体を襲うとき、その稲田は長持ちしないように、アーナンダよ、女性がどんな真理と規律で出家をしても…バラモン(梵天)の苦行は長続きしない」(356)。また同じ経典『修行規律集Ⅴ』には、女性の入門を認める為の 8 つの条件が綴られている。それらの中で、仏教における女性の男 性に対する従属的な役割を浮き彫りにしている二つの事例を紹介する: 「出家した尼僧は(たとえ)100 年経っても、尊敬の念を持って挨拶し、席を立ち、合掌して敬礼し、出家した僧侶に正しい敬意を払わなければならない。そしてこの規則は尊重され、尊敬され、崇拝されるものであり、生涯決して犯されることのないものである」(354)。今日から尼僧による僧侶の教戒は禁じられ、僧侶による尼僧の教戒は禁じられることはない。この規則も尊重し、尊敬し、崇拝されるものである…」(355)。 この基本的な姿勢を練り上げて、チベット(タントラ)仏教はより極端な表現をしている。元チベット仏教徒のヴィクトル&ヴィクトリア・トリモンデイ夫妻は著書 『ダライ・ラマの影:チベット仏教における性愛、魔術および政治』の中で、その 816 ページ(ドイツ語)にわたる内容の大部分を女性差別の話題に割いている: 「このテーマの複雑さを鑑み、我々は演繹的に研究を進め、仮説という形で研究の核心となる記述を本書全体に前置きすることを決意した。したがって読者は、その真偽のほどは、その後の調査によって初めて明らかになる、というステートメントを手に出発し道を歩むことになる。その記述が正しいか誤っているか、自らの方法で判断してほしい。この仮説の立て方はやむを得ず、着手段階では非常に抽象的なものになっている。しかし、我々の研究の過程で、この仮説は血と生命、そして残念ながら暴力と死の表現でも満たされることになる。我々の核心的な声明は次の通りである:タントラ仏教の神秘は、普遍的なアンドロセントリックな力を得るために、女性原理を犠牲にし、エロティックは愛を操ることにある」(この著書は現在、英語のハードコピーとしては入手できないが、ドイツ語の全文英訳はオンラインで閲覧できる:http://www.trimondi.de/SDLE/Contents.htm)。 上座部仏教に話題を戻すと、ジョーンズは本章譚やパーリ聖典に出てくる各場面の 陰に隠れた舞台裏で、女性に纏わる教義上の体操(知的訓練)を説明している: 「なぜ、これほどまでに公正な性に対して猛攻撃がなされるのか?その答えの最も確かな手掛かりを与えてくれるのが、本章譚 61 話だと私は確信している。この物語は、主に若い男性に家庭生活や性的な関わりを思い止まらせる為に作られている。これまで見てきた様に、家庭生活のもつれから目を逸らす正統的な理由は、家庭生活が“束縛”であり、“自己”の幻想と他の“世間”への執着を助長し、無我の実現という “離脱”においてのみ、真の平和を見出すことができるからである。またジャータカ派が無我の教義を慎重に避けていることも見てきた:同じ人間がある人生から次の人生へと移り変わっていく…という彼らの大前提を覆すものとして、無我の教義を避けるのを見てきた。このように、ジャータカ派の立場では無我の教義を避ける必要性がある為に、女性は非常に大きな犠牲を払っている。スケープゴートとなるなかで、彼女たちは自己の尊厳を保つことが極めて困難になったのであろう。ジャータカ派に育てられた上座部仏教の女性は、自分に対して特定の目が出るようにサイコロが細工され大きく傾いていると感じたに違いない…ちょうど、あらゆる確立に逆らって自分の結婚がうまくいくことを望んだ在俗の仏教信者さながらに…」 (99)。しかし、仏教に背くことなく、仏教界の多くの女性は前世からのカルマに基づき、自分の低い身分を当然のこととして受け入れている。クレオ・オザーはその著書『仏教と中絶』の中で、「一般的に、タイの女性は男性に対して過少評価されており、この状況は仏教によって支持されている…」(33)と書き、バンコクのスラム街で女性を研究調査したところ、「大抵の場合、女性は“悪いカルマか十分な善行の欠如のために女性として生まれた”という仏教徒信念のもとに自分の運命を受け入れた」(35)ことが分かったと書いている。 聖書では、女性は“カビ”“商売ができない”“若い男性よりも地位が低い”“男性が汚される原因”“直面するどんな苦しみも受けるべきもの”とは見なされていない。聖書では女性と男性は異なる役割と責任を持つとされているが、神の経済における信者の相続は平等である:「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからであるもしもキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである」『ガラテア人への手紙 3 章 27 節~29 節(口語訳)』。レムエル王の母による教えが書かれた『箴言 31 章』では、徳の高い女性は商取引において賢く、力と名誉をまとい、知恵の言葉を口にし、夫から信頼されていると称賛されている。 瞑想 仏教徒の瞑想は、“宗教的な”活動とは対照的に中立的なもの━つまり単なる瞑想として紹介されることが多い。様々な世界観の背景を持つ人々が、ちょうど身体的運動が肉体を鍛える訓練であるように、それがまさに一種の精神鍛錬であるという前提で自ら進んでそれを試そうとする。これは、仏陀の教義をせっせと買わずに、ただユニークで平和な、或いは有意義な体験をしたい人にとって魅力的なアトラクションである。しかし、瞑想は本当に中立的なものであろうか?パーリ聖典のなかで 殆ど言及されていない箇所で、瞑想の時間が騒動になったと報告されている: 「実際、“比類なき戦車乗り”としての仏陀の名声を著しく損なうような出来事があったのだから、それが捏造されたとは考えにくい。私が読んだ仏教に関する本には、どこにもこの話は出てこなかった。『KS V 284』には、仏陀が 14 日間のリトリートに出かける前に、瞑想の対象として“厭わしく愛されない者”を推薦したことが書かれている。彼が帰ってきたとき、悲しいことに修道会が減少していることに気づいた。というのも、非常に多くの僧侶が指示された“厭わしく愛されない者”について黙想し、は姿を消してしまっていた。“この身体について悩み、恥や嫌悪を感じ、自分を殺す武器を探していた”のであり、…実際に自殺を図った者がいたからである。アーナンダは、仏陀が将来“他の瞑想の方法を教えて下さる”のが良いのではと提案した。ゴータマはこの提案に応え、門弟たちに将来“呼吸に基づいた瞑想をするように”と教えた」(ジョーンズ,76)。今日に至るまで、“厭わしく愛されない者”(人間の死体のような)は仏教における瞑想の対象として有効であるが、呼吸に集中するような他のタイプの瞑想は遥かに一般的である。上記の聖典の一節は、仏陀の全知全能(これは他の聖典の一節で主張されている)についての疑問を提起している。仏陀は僧侶が自殺を図ることを知りながら、とにかくこの様な厳しい形式の瞑想を命じたのか、或いは全く知らずし て、全知全能の存在ではなかったのか?(現在では後者の見解が一般的である) 呼吸に集中する、自分の思考を自分のものでないかのように観察する(“我”という概念から解放され“客観的に”思考を観察する)など、より一般的な瞑想にも危険はある。あたかもそれは自分自身のものではないかのように人の考えを見つめような、一段と基本的な瞑想の中にも危険が潜んでいる。それでもなお、ラーフラはそうした瞑想を勧めている:「科学者が何かの対象物を観察するように、主観的な反応をせずに、外側から観察しているかのようにそれを調べてみてください。ここでもまた、あなたは主観的に“私の気持ち”や“私の感覚”として見るのではなく、あくまで客観的に“ある気持ち”や“ある感覚”として見てください。“私”という誤った観念を再び忘れるべきだ」(73)。パラヴァヘラ・ヴァジラナーナは“呼吸の瞑想”を扱った章で、ヴィパッサナー瞑想と呼吸を関連づけている: 「洞察の瞬間、彼は息を吸い、息を吐き、無常を熟考することによって永続性のアイディアから、苦痛を沈思することによって幸福のアイディアから、無我を熟考することによって自己のアイディアから、反発を沈思することによって喜びのアイディアから、離脱を熟考することによって情熱のアイディアから、停止を沈思するこ とによって発生の原因から、放棄を熟考することによって執着から心を自由にする」(255)。 また、呼吸の瞑想に関連して、ヴァジラナーナはこう指摘している:「かくて、この二つの段階で呼吸という身体的要素は完全に静寂化されると言われている。この状態に到達するために、“彼は息を吸ったり吐いたりのマインドフルネスを実践するのである」(243)。この例では、呼吸の目的は呼吸することではない!脚注で、ヴァジラナーナは『ヴィシュッディ―マーガ』283 に基づいて、「呼吸のない状態が 8 つある:母の胎内、水に溺れたとき、無意識の存在、死者、不苦不楽、無意識の形界、無形界、すべての感情および知覚の停止達成(243)であることを指摘している。アーネスト・ヴァレアは彼のオンライン記事でヴィパッサナー瞑想の危険性をさらに指摘している: 「…精神状態(チッタ・サマパーティ)に関する仏教徒の観想に伴う経験は、感覚と心に異常な働きかけをすることによる周囲の現実の誤認として説明することが出来る:「瞑想者は自分自身の精神状態をコントロールしようとせず、受動的に行ったり来たりするのを見ているうちに精神状態はますます速く、予測不可能に変動し始める。しばらくすると、この混沌とした活動は、観察者自身の心ではなく、何か別の源から、心の出来事が勝手に生じているような強い印象を与えるようになる。瞑想者がこの練習を続けていると、観察されている心の出来事と観察している心との間に明確な分離があることにも気づかされる。瞑想がさらに進むと、心の中の出来事も観察している心も、まるで観察者のものではない、異質で非人間的なものに見え始める。この時点で、瞑想者の“我”の感覚は混乱し、弱まり、ついには短時間のうちに完全に消滅してしまう…」(エリザベス・ヒルストローム『精霊の試練』 IVP1995,p.114-115)(www.comparativereligion.com/Buddhism.html) 人が自分自身を観察する“第三者”になり、「我」という観念を放棄するとき、それは認めないときは、それはまるでハンドルを放棄して助手席に座っているようなものである。このことは、たとえそれが“単なる”欺瞞であったとしても、外部の霊が入りこんできて、非常に現実的危険な影響を及ぼす可能性を示している。なぜ、人は “より高い真理”を受け入れるために、変性意識状態に移行しなければならないのか?不動産業者が、売ろうとしている家の価値を十分に理解する前に、心を変える 薬を飲む必要があると言ったら、我々はこれを疑わずにおられようか? 瞑想の究極の目標は、聖典で言えば涅槃━つまり、個人の非存在による苦しみからの解放である。基本的なレベルで仏教の瞑想を試みる多くの瞑想者は、これを最終目標としていない。彼らの目標は心の平和,心の健康、或いはただ何か他で得られないユニークなことを経験することかもしれない。しかし、瞑想の道をさらに進んで涅槃を目指すようになると、瞑想者は自分の感情からますます離れていき、精神的にハンセン病患者のようになっていく。物理的なハンセン病患者は、触覚を失った人である(そのため、熱いストーブにもたれかかると危険で、引き離す衝動がない、etc.)。感情から完全に離れた人は精神的なハンセン病患者になり、一見非常に平和に見えるかもしれないが、彼らは必要な警告を与え、他の健全な機能を提供する感情にも気がつかない。 瞑想の道筋には至福の状態や超能力さえも得られると言われているが、聖典の教えによれば、これらは究極の目的である完全な止観(涅槃)から逸脱するものとして拒否されるべきものである。したがって、瞑想の“ポジティブ”体験は、止観という“鉤 (フック)”に繋がる“擬餌針(ルアー)”に過ぎない。最高レベルの瞑想(ニローダ・サマーパティ━停止の吸収および消滅の獲得)に関して、ヴァジラナーナは 「しかし、最高レベルの瞑想状態で経験されるのは涅槃の状態、すなわち全ての精神活動の停止であり、これは最終的な涅槃の状態に匹敵する」と、書いている。最終的な涅槃は“カンダ・パーリ・ニッバーナ”と呼ばれ、五蘊の完全な停止であり、阿羅漢は死に際して到達する(467)。 個人的なレベルでの瞑想の危険性は別として、瞑想はそれが主張するような客観的な基準を提供するものではない。瞑想は科学的と言われることがあるが、それは瞑想では仏陀の主張が体験可能であると言われるからである。しかし、先に述べたように瞑想者は、何を経験することが出来るかを予め指示されているのだ。この期待は、人々が期待されたものを生み出すように仕向けるので、客観性を失わせてしまう。インストラクターが「前世を見ることが出来る」と言えば、彼らは既にそのような傾向を持っている。また、パーリ聖典に記されている“間違った”或いは異端の見解があるため、それは客観的ではない。言い換えれば、もしある人が瞑想をして、“私は確かに永遠の魂がある”というような異端的な体験をしたら、それは否定されてしまうであろう。 仏教の瞑想はもともと本質的に強い関係性をもっている人々を対象とし、彼らの心をより機械のように動かしてしまう。“生きとしてけるものに慈悲を与える”という瞑想であっても、その焦点は、この課題に対して心を向ける自分自身の能力に充てられ、慈悲は切り離されたものであることを意味している。瞑想がある一つの対象に集中し他のすべての思考が排除されると、神との関わりを我々に呼びかける良心 の声が沈黙し、代わりに心が離反し孤立を深める方向に向かうのである。 『箴言 18 章 1 節』には、「自分を孤立させる者は、自分の欲望を追求し、すべての賢明な判断に逆らう」と、書かれている。孤立すれば自分の欲望は達成されるかもしれないが、この状況は、美味しい食べ物や親密な交わりを与えてくれる愛情深い両親の世話を拒否して、代わりに森で暮らそうとする子供に喩えられる。食事の提供を拒否し、衣服を着たり、教育の申し出を拒絶したりする…etc.そのような子供は生き延びるのが困難になり、最終的には両親とコミュニケーションをとる能力さえも失ってしまうであろう。聖書における瞑想とは、神の律法とご性質を考察し、神とともに時を過ごすことを意味している。神がご自分の子供たちを“養い”コミュニケーションをとられ、人生の重荷を取り去られ、知恵を授けてくださるという関係性のプロセスである。 科学 これは釈迦牟尼仏陀の全知に対する主張(或いは彼を代弁した『パーリ聖典』の主張)を浮き彫りにする話題である。事実が記された書としてのパーリ聖典はどの程度信頼できるものなのか?もし釈迦牟尼仏陀が直接または間接的にこれらの書物を触発しなかったとしたら、真理を測る基準はどこにあるのだろうか?そして、もしパーリ聖典が仏陀によって触発されたと主張するならば、何故これほど多くの事実誤認を含んでいるのだろうか?もしパーリ聖典が真理と誤謬の混合物であるなら、その教えに自分の運命を委ねることは良薬と有害な薬の両方を処方する医者に自分自身委ねるようなものであり…まさにギャンブルである。この科学セクションの経典の引用は全てパーリ聖典からのものであり、その解説ではない。 ディガ・ニカーヤ(『仏陀の対話Ⅲ』;137~139)には、仏陀または転輪王になるべき人物の 32 の印(しるし)が列挙されている。それらの中で、歯が 40 本であること(なんと赤ん坊の時に!━そのような評価がなされる時期『仏陀の対話Ⅱ』; pp13~18)と、書かれている。通常、子供の歯はその半分の 20 本しかない。成人した大人には合計 32 本の歯があり(ホッケーをあまりしなかったと仮定して)、4 本の親不知歯を抜いた場合は 28 本である。大人の顎に 8 本の余分な歯をはめ込むのはかなりの偉業だが、赤ん坊の顎に 20 本の余分な歯をはめ込むというのは、顎の大きさ的にも信用的にも本当に大変なことなのである! 32 の印のうち、もう一つは、転輪王または仏陀は広く長い舌を持っている必要があるいうことである。では、どの程度の大きさなのか?『マッジマ・ニカーヤ(中観)MLSⅡ』では、セーラと呼ばれたバラモン僧が仏陀に会いに来て、彼にある 32 の印を探した…「そのとき、王はご自分の舌を突き出され両耳を前後方に撫で回され、それからその舌で両鼻孔を前後方に撫で回され、額の全体を舌で覆われた」 (335)。なんとまぁ…驚いた!仏陀像には様々な表情と様々な姿勢のものが数多あるが、私は彼のこの様な解剖学的な側面を際立たせた仏像を見たことがなく、しかもこれは正典の権威によって認められているものなのだ。 地震の原因に関するアーナンダの質問に答えて(『増支部』Ⅳ;pp.208‐210)仏陀は 8 つの理由を挙げている。最初は地球の構造に関するごく自然な説明だが、続く 7 つの理由では、様々な“悟りを開いた者”が記念碑的な偉業を達成すると、地球は震えながら反応すると仏陀は述べている。最初の地震の理由では、我々は彼の言うことと、地球の構造と地震の原因に関する現代科学の知識との間には、幾つかの本当の相違があることを見る:「アーナンダ、この大いなる地球は水の上にあり、水は風の上にあり、風は宇宙のなかに存在しているのだから、大きな風が吹けば、水を震わせ、水の震動は地球を震わせる。アーナンダよ、これこそ大地震が顕現する第一の原因、第一の理由である」。 この例と以下の幾つかの例は“物事の実相”(仏陀が与えると主張する洞察力)との対応関係がないことを示している。これらは単なる奇蹟の事例ではなく、それらの証拠に基づいて是とするか非とするか個別に検討する必要がある。むしろ、現代的で議論の余地のない世界の知識(例えば大陸の配置、最も高い山の高さ、海の大きさ… etc.)と照らし合わせて検証できる“現実の主張”の例なのである。 『仏陀との対話Ⅲ』には、8 万歳まで生きた人類の祖先が、様々な悪行を経て次第に寿命を縮められ、僅か 10 年になってしまったという記述がある。その当時、これらの人々は 5 歳で結婚し、少なくとも 9 歳かそれ以前までに子供を妊娠したであろうと推定されている(9 歳では既に老化が始まっているため)。この経典に於いて、これらの人間は猿ではなくハッキリと人間と呼ばれている。そして、倫理的な生活が増えるに伴い、人間は再び寿命を延ばすと言われている。もしこの語が寓話に過ぎないのであれば、なぜこの経典では、よく知られた都市がこの歴史/預言の一部であるとしているのだろうか?:「そのような人間のなかで、我々の時代のベナレスはケトゥマティと名付けられるだろう…」(73)。また、もしこれが寓話的であるなら、人間の寿命が 8 万年に戻ったときに現れるとされる未来の仏陀メッテーヤの予言もそうだということになる。 “誤りに陥ることができない”者の口から出た別の“現実の主張”(『仏陀との対話 Ⅲ』25)のなかで仏陀は、大海原には 100~500 ヨージャナ(由旬:古代インドにおける長さの単位)の長さの魚がいると言っている: 「そしてまた、僧侶たちよ、大海は偉大な生き物の住処である。これらの生き物は, :ティミ、ティミンガーラ、ティミティミンガーラ、アスーラ、ナーガ、ガンダーバである。大海の中には 100 ヨージャナ(長さ)の個体生物がいて、200…300… 400…500 ヨージャナ(長さ)の個体生物がいるのだ」(『規律の書Ⅴ』333)。 パーリ語テキスト協会辞書によると、1 ヨージャナは 7 マイルに相当すると言われている。つまり、500 ヨージャナの魚は 3500 マイルの長さになる。この距離がアメリカ合衆国の幅(西から東まで)よりも約 700 マイル長いことを考えれば、これは途方もない話である!また、世界の海で最も深い部分は約7マイルで、平均的な深さ は約 3 マイルであることから、これは全く釣り合いがとれない魚だと言える。 霊的領域であろうと物理的領域であろうと、物事を“ありのまま”に表現する全知全能の人なのだから、彼が身体の病気を診断し、適切な治療法を処方することが出来てもおかしくはないように思えるのだが。しかし、『規律の書第四巻』には、仏陀知識が現代の水準に達していないこと、ましてや全知全能でないことを端的に示す語が幾つも出てくる。その一例として、仏陀が豚の生肉を食べ生き血を飲むことを肯定している:「その時、ある僧侶が(原文のまま訳す→)人間以外の病気に罹っていた。教師と訓戒師らは彼を看護したが、回復させることはできなかった。彼は豚の屠殺場に行き生肉を食べ、生き血を飲んだところ、彼の人間以外の苦痛は治まった。彼らはこのことを王に報告しました。彼は言った:“僧侶たちよ、私はある者が人間以外の苦痛を持つときには、生肉と生き血を許そう” 」(274)。 ここで言う“人間以外の苦痛”とは、この行についての脚注で指摘されているように、悪魔の憑依を指している可能性がある。仏陀が認めた治療法は“人ならざる”霊 (悪魔)を生身の肉と血に溺れさせることである。これが実際に賢明な方法となるような病気があるのだろうか?なぜ仏陀は、イエス・キリストがよく行ったように、このような邪まな抑圧者を追い出さなかったのであろうか?また、イエス・キリストの癒しがしばしば“直ちに”という言葉を用いて表現されたミニストリーとは対照的に、仏陀は様々な治療法を許可し、その後にしばしば“彼は良くならなかった” (278~279)という言葉を用いて表現されているのだ。この様な出来事に続いて、仏陀が適切な治療法を持たないことを示す別の一節がある: 「“僧侶たちよ、私は痛むところを覆うために一枚の布を許可する”。 痛みは痒くなった。“僧侶たちよ、それには辛子粉を振りかけることを許可する”。 痛みは化膿した。“僧侶たちよ、それを燻蒸することを許可する” 傷の腫れた肉がめくれ上がった。“僧侶たちよ、塩の結晶の破片でそれを切り取ることを許可する”。傷の痛みが癒されることはなかった」(279)。 誰かが物理的な現実についてあまりにも無知であるとき、我々は、遥かに重々し く、永遠に重要な霊的な現実について、その人を信頼すべきなのか? 最後に、進化論は仏教と非常によく一致しているように見える(創造主は必要なし)からといって、仏教が科学的であることを意味するのであろうか?仏陀は究極の人類の起源を説明せず、起源について推測することは人生において無駄な試みの一つであると述べた(そのような推測は涅槃に繋がらないため)。しかし、もし造物主がいないとしたら、もし全てのものがランダムに、突然変異で、非人格的な偶然によって生まれたとしたら、我々の世界に倫理(或いはカルマの正義)や美しさがあると期待できるのであろうか?進化論と仏教との間に一貫性がないことは別として、もっと根本的な問題がある━進化論は依然として理論であり━ダーウィンによる“発見”から何年経過しても、進化を証明するものは増えるどころか、減っているのだ。例えば、猿から人間に至るまでの有名なラインアップは、でっち上げだったり、完全に猿であったり、完全に人間であることが明らかにされている。ミッシングリンクは依然として見つかっていない 。www.answersingenesis.orgと いうウェブサイトには、博士号を持つ創造科学者が、この世界の創造主を支持する証拠を提示する記事、オーディオ、及びビデオが掲載されている。進化論的思考で育った人にとって、造物主は“非科学的”に聞こえるかも知れないが、公正な検証なくしてこの証拠を却下することは、それ自体が非科学的なことである。我々はそれが同年代の意見であるとか、人生における倫理的嗜好に合致しているというだけで、何かを受け入れるべきだろうか?客観的な人間であれば、たとえそれが神への道を意味したものであっても、それが導く証拠に進んで従うであろう。 神 ジャータカ物語(543)では、創造主に関して質問が投げかけられている:「なぜ彼の被造物は皆、苦痛を背負っているのか?なぜ彼はすべての者に幸福を与えないのか?(中略)」(ジョーンズ 144)。仏教における不可知論/無神論と自己努力の協調は、人類の為に独自の管轄権を主張している。この世において非常に明白な苦しみは、しばしば愛に満ちた力強い神を拒絶する理由として挙げられる。聖書のヨブ記は、この世の明らかな不正の問題を取り扱っている。人は自分の置かれた状況に判断を下すことで、その状況について知り得ることを全て知っていると思い込んでしまう。ヨブも同様の不満を抱いていた。何故なら彼の視点からは、自分が直面していることに正義を見出せなかったからである。それに応じられ、神はヨブに四つの章に相当する質問をされたが(『ヨブ記 38 章~41 章』)、それはヨブにとって自分の知識が実際、如何に限られたものであったかを思い知らせるものだった。神の審判の席に就くということは、我々の有限な視点に基づいて何が正しいかを知ろうとすることである。創造主が未だ考慮しておられなかった知識を、そのような人が持つというのであろうか?この世の虚栄心は、我々だけで問題を処理できると思い込むのではなく、方向性と刷新を求めて我らの創造主に向かわせるべきである。イエスは弟子たちに神の御前にへりくだることの必要性を説かれた:すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」『マタイによる福音書 18 章 2 節~3 節(口語訳)』。我々がこの世でよく目にするものは、往々にして不公平な ものばかりである━不正な繁栄、“罪のない”人々が困難に直面している…etc. しかし我々は、神が世界を正義で裁く審判の日を含む、永遠の視点を知る必要がある。仏教に於いては、神が存在するかどうかという問題は、無駄な哲学的思索の範疇に置かれている━というのも、この問いかけは、人々が涅槃を通して苦しみを終わらせるのに役立たないからであろう。幸いなことに、神を知ったからといって涅槃(無我の境地)には至らない。また、仏陀は全知全能ではないので、何が価値ある探究に値し何が価値ない探究であるかについて、彼の推測を信用することは到底お勧めできない。我々の家の電化製品がうまく機能していない場合、取扱説明書をめくったり、その電化製品のメーカーに電話したりする。それと同様に、我々を創造された神は、人生のジレンマに対する答えをお持ちなのである。 締め括り このように仏教を分かり易く見てみると、仏教を旅に喩えるなら、ロ-ドマップには既知の虚偽の主張が含まれ、もはやこの旅の“発見者”は手助けを提供することもできず、そして最終的には、目的地に到着すると消滅してしまうような旅になるのではないか。仏教は魅力的なシステムだが、それは人を愛する神から遠ざけ、朽ちることのない永遠の生命から遠ざけ、その結果、我らが造られた目的、つまり━罪を洗い流し創造主と関わる人生━“それを獲得する”ことによらず、主イエス・キリストが十字架の上で我々の罪をご自分の身に請け負ってくださった、このことによって可能になったものから我々を遠ざける道を案内する。このことを拒否することは、天国へ至る真のロードマップや旅の手助け、そして我々を裏切らないガイドをも拒否することである。このことを認め受け入れることは、我々の創造主との信頼関係を始めることなのである。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである」『ヨハネによる福音書 3 章 16 節~18 節(口語訳)』。 参考文献(References) Childers, R.C. 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April 3, 2025
今日教会の中でユダヤ人の本当のアイデンティティーについての議論があります。誰がイ スラエルの十二部族の血を引いた子孫なのか、また教会はどこに位置するのか、神は異邦 人教会のためにイスラエルを永遠に諦めたのか、また現代イスラエルの世俗の市民たちは 神の選民なのかなど。これらはクリスチャンの間でイスラエルについて話す時に頻繁に登 場する質問です。 まずはじめに、異邦人の時について語っているふたつの聖書箇所を見ることから始めてみ ましょう。ひとつはローマ 11 章 25 節で、そこでパウロは救いという観点から語っていま す。「異邦人の完成のなる時」。イエスはルカ 21 章 24 節で異邦人の時を、国家の預言的側 面から語っています。「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされま す」 ユダヤ人への神の目的は部分的また一時的に保留されました。しかし個人的にイエスを信 じるユダヤ人はいつの時代でも存在しました。それはただ一日にして終わったのではあり ません。神は「もう終わりだ――私は異邦人に行く」とは言いませんでした。異邦人の時は 使徒 10 章でコルネリオの家で最初に異邦人が信じたときに始まります。その後、使徒 13 章でパウロやバルナバの働きがあります。 異邦人への移行は漸進的な(少しずつ進む)ものでした。一日の間にユダヤ人から異邦人 へ恵みが移ったのではなく、そこには移行期があったのです。そしてそれと同じように異 邦人の時は終わりに至ります。これは神がご自身の恵みを異邦人からユダヤ人に戻される 移行期のことです。 イザヤはメシアが千年王国に到来することを預言しました。初代教会はすべて前千年王国 説を信じていました。そして新約聖書は神が恵みをイスラエルに対して回復される時にキ リストは再臨すると書いています。神がユダヤ人を頑なにしたことは部分的であり、一時 的です。なので神はあたかもこう言っているようです。「私はあなたがたを呼んだが、あ なたがたは私の契約を破った。私はエレミヤを遣わしたがあなたがたは牢獄に入れた。イ ザヤを遣わしたがあなたがたは半分に切り裂いた。私はリバイバルをもたらす義の説教者 たちを遣わした。ヨシヤ王を遣わし、ヒゼキヤ王を遣わした。またエズラやネヘミヤを遣 わしたが、あなたがたはそのようなリバイバルを忘れてしまった。あなたがたは私の契約 を破り、今度は私の息子、メシアを退けた。私は異邦人のほうに行く」 しかしパウロはその状況が入れ替わる時が来ると私たちに語っています。したがってそこ には異邦人とユダヤ人という区別があるのです。それではユダヤ人とは一体誰のことなの でしょう? 創世記 12 章にはアブラハムへの 5 つの約束があります。またパウロはローマ 2 章 29 節で 本当のユダヤ人がどのようなものかを説明しています。パウロはそこで言葉遊びを用いて 書きました。 『かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、 心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです』 誉れという言葉が鍵となる言葉です。“ユダヤ人”という言葉はユダ部族――イェフダから来 ています。その本来の意味は“神の礼拝者(誉れを与える者)”というものです。パウロはこ こで言葉遊びをしています。パウロは誉れが人から来るものではないと言っているのです 。それは“ユダヤ人”の意味――ユダ部族からの神の礼拝者とかけた言葉遊びです。 “ユダヤ人”と再定義される異邦人 私たちが今日“ユダヤ人”と呼ぶものの一般的な定義は主にバビロン捕囚から生じたもので す。本来、彼らはイスラエル人と呼ばれていました。“ユダヤ人”という言葉がユダヤ人自 身からではなく、異邦人によりアブラハム、イサク、ヤコブのすべての子孫へ付けられた ことは興味深いことです。これは福音書でも顕著な事柄です。マルコ 15 章 32 節ではイエ スはユダヤ人から“イスラエルの王”と呼ばれています。しかし同じ章の 2 節では彼はロー マ人たちから“ユダヤ人の王”と呼ばれています。イエスはユダヤ人にとっては“イスラエル 人”だったのです。“ユダヤ人”という一般的な言葉は主にバビロン捕囚の期間またその後に 主に発達したものです。第二列王記 16 章を見ると、南王国ユダに住んでいた住民の地理的 な位置を知ることができます。当時の“ユダヤ人”はただ、バビロン捕囚から戻ってきたユ ダの住民を指す言葉でした。本来彼らは“イスラエル人”と呼ばれていて、それはへブル人 から来ていました。“イスラエル人”はヤコブ、神と闘う者の子孫であり、それがユダヤ人 の特徴を形作っています。ユダヤ人は神と闘う者です。ヤコブは主の御使いと格闘しまし た。ラビたちはその御使いを“メタトロン”と呼んでいます。私たちはそれがキリストの顕 現――旧約聖書でのキリストの顕れであることを知っています。 ここで思い出してほしいのが、ヤコブは主の御使いと顔が見えるまで夜を通して格闘した ということです。夜とは大患難に関して最も一般的に用いられる聖書象徴の比喩のひとつ です。「夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か」彼が戻って来るのは第 二の夜回りか、第三の夜回りか。「夜中の盗人のように来る」「わざを、昼の間に行なわ なければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます」ヤコブは夜の終わりまで格 闘しました。未信のイスラエルは大患難全体を経験し、その後、大患難の終わりにイエス を認めます。聖書中でヤコブという言い方がなされているとき、それはユダヤ民族に特化 した表現です。ユダヤ民族は神と格闘しています。一方彼らが国になる前、出エジプトか ら彼らは“ヘブル人”と呼ばれていました。 新約聖書はこれをさらに展開しています。新約聖書ではユダヤ人とは南部イスラエル人の 子孫、つまり、バビロン捕囚から帰還したユダヤの民、またマカベア家の後のハスモン王 朝を通ってきた者たちのことです。ですがヨハネはそれに特別な見解を加えています。彼 は他の福音書と違った独特な意味で“ユダヤ人”という用語を使っています。そのために誤 ってヨハネの福音書がクリスチャンの反ユダヤ主義を伝えているといわれていますが、私 たちは当時の背景を理解する必要があります。ギリシア語の“ユーダイオス(Ioudaios)” の翻訳に問題があるのです。ヨハネは、ヨハネ 4 章を除いて、“ユダヤ人”という単語を、 エルサレム内外に住みサンヘドリンが支配していた宗教組織のメンバーという意味で使っ ていました。したがって「ユダヤ人のために」や「信じたユダヤ人は」という表現を見る 時、彼らはみなユダヤ人であったことは確かなのです。それが意味していることは、その 宗教組織の一員であった者のこと、たいていがパリサイ人、時に他の分派のこともありま した。しかしそのすべての者がサンヘドリンの支配下にあったのです。使徒の働きはより 一般的な用語を使うか、“ユダヤ人”という単語をより一般的な意味で使っています。それ は異邦人ではない者、ガアル(在留異国人)ではないもの、サマリヤ人ではない者という 意味です。 ユダヤ教には主要な三種類があります。モーセ的ユダヤ教、タルムード的ユダヤ教、イス ラエルの法的ユダヤ教です。このうちふたつは有効で、ひとつはそうではありません。最 初のモーセ的ユダヤ教はタナク、旧約聖書の最初の五書、モーセ五書に見られるものです 。このユダヤ教は紀元 70 年から存在しえないユダヤ教です。預言者ダニエルはメシアは大 事神殿が崩壊する前に来て、死ななければならないと言いました。ミシュナのサンヘドリ ン 96b にもそうあります。実際、人々はイザヤ 53 章を禁断の章と呼んでいます。タルムー ドは事実ダニエル 9 章を読む者には呪いが下ると書いています。なぜでしょうか。それは その箇所にメシアの到来の時期が予告されていたからです。メシアはやって来て、死なな ければなりませんでした。ユダヤ人の多くは尋ねます。「もしイエスがメシアなら、なぜ 今も戦争があるのか」彼らはきちんと理解していません。ダニエルにはメシアが来て死に 、終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められていると書いてあります。メシアはその第二 の到来において世界的な平和をもたらすのです。 ユダヤ教ではふたつのメシア像があります。マシアハ・ベン・ヨセフ、それとマシアハ・ ベン・ダヴィード、つまりヨセフの子とダビデの子です。最初の到来においてイエスはヨ セフの特徴をもってやって来ました。それはユダヤ人兄弟たちに裏切られ、異邦人の手に 引き渡されるという特徴です。彼の兄弟はヨセフを最初の出会いで認識しませんでしたが 、2度目に会った時に彼だと分かりました。そして彼らはヨセフと共に激しく泣き、それ と同じことをヨセフの子にも行うのです。第二の到来においてダビデの子はメシアの王国 を建て上げます。そうです、イエスは平和をもたらします。ですが最初の到来は救いをも たらすために来られました。モーセ的ユダヤ教に関しては、それは紀元 70 年以降は存在し ていません。 誰も自分で聖書を読むだけでは、人々が信じさせようとしているものと同じ結論に至る人 はいません。本当に多くの人がただ新約聖書を読むだけで新生に至っています。誰もただ 新約聖書を読んだだけでエホバの証人になることはありません。誰もただ新約聖書を読ん だだけでモルモン教徒にならないし、(私の母親にこう言ったと言わないでほしいですが )誰もただ新約聖書を読んだだけでローマ・カトリック教徒にはなりはしません。そして ユダヤ人の誰もトーラーを呼んで、タルムード的ユダヤ教がモーセや預言者のユダヤ教だ と思う人はいないのです。“ラビ”という単語はタナク(旧約聖書)に一度も登場しません。 二つ目のユダヤ教がタルムード的ユダヤ教です。それは紀元 90 年のヤブネの会議にてラビ ・モーシェ・ヨハナン・ベン・ザッカイが創設したものです。彼はガマリエルの学派出身 の聖パウロと同級生でした。彼はラビ・ヒレルの孫ガマリエルの元に、ヒレルのパリサイ 派神学校で他のラビたちと学んでいました。これはふたりのラビの物語です。ふたりの同 級生がいました。タルソのラビ・サウルとラビ・ベン・ザッカイです。紀元 70 年に神殿が 崩壊した時、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイはエルサレムから箱、棺桶に入れられなん とか脱出しました。そしてヘブライ語の正典――旧約聖書が定められた会議に集ったので す。彼は神殿の代わりにシナゴーグにしようと言いました。大祭司の代わりにラビたちを 置き換えました。そしていけにえの代わりにより多くのミツヴォート――善行を行おうと 決めたのです。 すべてのユダヤ人はこのふたりの同級生どちらかに従います。救いの確信が無かったヨハ ナン・ベン・ザッカイか、イェシュアを自分のメシアと信じていたために救いの確信があ ったタルソのラビ・サウロのどちらかです。 タルムード的ユダヤ教はモーセや預言者のユダヤ教ではありません。それは混ざり合った のものです――まさに名ばかりのキリスト教と同じです。タルムード的ユダヤ教にはさま ざまな形があり――ハシド派、正統派、保守派とあります。またリベラルな改革派は基本 的に人間主義者です。その宗教は本当の信仰に関するよりも文化や倫理的なことにかりあ っています。これがタルムード的ユダヤ教です。ですが三種類目のユダヤ教があります。 これは有効なものです。これがパウロや使徒たちが守ったものです。それはイエスがトー ラーを成就したメシアだと信じるユダヤ教、「メシアニック的ユダヤ教」です。しかしな がら今日のメシアニック運動の中にはさまざまなものがあります。 ユダヤ人が何でないかという地位の定義について考えてみましょう。パウロはローマ人へ の手紙 2 章 28 節-29 節でこう書いています。「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではな く、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人が ユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人か らではなく、神から来るものです」文字ではなく霊によります。 さて人目に隠れたユダヤ人についてですが、このふたつの節の誤解によって置換神学の考 えに推進力が与えられています。「我々が人目に隠れたユダヤ人なのだ。私たちの心は割 礼を受けている」というものです。しかしながら、もし誰かが手紙を受け取ったなら、手 紙全体の文脈を無視して、ある部分だけを引用することはできません。ローマ人への手紙 は手紙であり、そのような解釈は手紙のその先に書いてあるものと正反対のものです。11 章全体では、この手紙の著者であるパウロが聖霊(ルアハ・ハ・コデシュ)の導きのもと 、本来のオリーブの枝(ユダヤ人)と接木された枝(異邦人)の区別を付けています。 エレミヤ 31 章 31 節ではこのようにあります。「わたしは、イスラエルの家とユダの家と に、新しい契約を結ぶ。その契約は…(父祖たちと結んだもの)のようではない」神は新 契約を誰と結んだのでしょうか?教会でしょうか?イエスは教会とひとつも契約を結びま せんでした。彼はイスラエルとユダヤ人に結ばれたのです。もし神がユダヤ人との関係を 終わらせたのなら、神は教会とも関係を終わらせたことでしょう。もし神がユダヤ人との 関係を終わらせたのなら、私たちとの関係も終わっていました。幸運なことに、契約の有 効性は人の忠実さによるものではなく、神の忠実さによるものです。神は初めからご自分 の民が不忠実であることを知っておられました。イスラエルの背信に関することでも、そ れと同等またはイスラエル以上の背信が実際に教会の中にあります。 信じた非ユダヤ人、すなわち異邦人が信じないユダヤ人に取って代わったのは事実です。 自分の木から切り折られた不信のユダヤ人が信じた異邦人に取って代えられました。しか しそれは新しい木ではなく、同じ木 なのです。根は見ることができません。しかしもし 根が死んでいたなら、木そのものも死んでいるのです。もし神がイスラエルとの関係を終 わらせているなら、自動的に教会との関係も終わらせていることになります。 北王国の失われた十部族についてはどうでしょうか。聖書は彼らに何が起こったかを記し ています。北王国からの忠実な者たちはアサ王の治世に南に下り、自分たちの部族として のアイデンティティーを守りました。そのためにヤコブの手紙は“十二部族”に向けて書か れているのです。ルカの福音書の誕生物語に登場するアンナは、アシェル部族の出身でし た。ミシュナはずっと 3 世紀、4 世紀までそれぞれの部族の記録をたくさん残しています。 十部族は聖書によれば決して失われていないのです。他の者たちはアッシリア人侵略者た ちと雑婚し、サマリヤ人となりました。そしてその他はアッシリア帝国に散らばり、中央 アジアのユダヤ人共同体を形作ったり、ただ吸収されてしまいました。 ローマ人への手紙 2 章 28 節から 29 節を見てみましょう。「かえって人目に隠れたユダヤ 人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です」エレミヤ 9 章 25 節から 26 節は“割礼を受けているが割礼を受けていない者”という言葉を使っています。 そのような者たちに対して「エジプト、ユダ、エドム、アモン人、モアブ、および荒野の 住人でこめかみを刈り上げているすべての者を罰する」と書かれてあります。ユダが異邦 人の国々のただ中に書かれていることに注目してください。これはなぜなのでしょうか。 それは異教徒のようにふるまうなら、ユダヤ人は彼らに勝ったところが無くなるからです 。そのような人はユダヤの遺産を捨て去ってしまっています。自分たちのメシアを退けた ユダヤ人は自分たちのユダヤの遺産を放棄してしまっています。パウロが言うように彼ら はもう一度自分たちの木に戻されることができます。神はユダヤ人をとても簡単に信じさ せることができます。なぜなら神はそれより困難なことをもうすでにされたからです。そ れはエスキモーにユダヤの神を信じさせ、ベネズエラ人にユダヤの神を信じさせ、中国の 民に信じさせ、ヨーロッパ人にユダヤの神を信じさせたからです。イザヤ 11 章 1 節にある 、異邦人がエッサイの根のもとに来るという言葉が諸国の上に成就するなら、また軽蔑さ れたこの小さな国の神を非ユダヤ人に信じさせられるのなら、自分たちのメシアをユダヤ 人に信じさせることはいかに容易なことでしょうか。 割礼は改宗のひとつの象徴です。それでは非ユダヤ人で新生した者はどうなるのでしょう ?私たちはその答えをイザヤ 56 章 3 節とエペソ 2 章 12 節で見ることができます。「主に 連なる外国人は言ってはならない。『主はきっと、私をその民から切り離される』と」(イ ザヤ 56 章 3 節)神はあなたがユダヤ人のメシアに信仰を持つなら、ユダヤ人から切り離し はしません。アブラハムがすべて信じる者の父と書かれていることを思い出してください 。それはアブラハムが異邦人からユダヤ人へ改宗した者であるからです。アブラハムは民 族的にユダヤ人であり、同時に異邦人でした。このためにアブラハムはすべて信じる者の 父なのです。このためにイエスの系図の中に異邦人が登場します。彼がすべての救い主と なるためです。パウロはエペソ 2 章 12 節においてギリシア語で政治的な市民権に関する言 葉を使っています。 『そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約 束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちで した。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中 にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです』(エペソ 2 章 12 節-13 節) 異邦人はイエスへの信仰を通して接ぎ木されました。それは養子にされることと、父祖へ なされた約束のためです。養子をする時、父親は法律的に子どもの父親になります。母親 は法律的に母親となるのです。そしてこれと共に聖書では、父祖の約束にあずかることも 書かれてあります。大半が異邦人で占められていたコリントの教会に対して第一コリント でパウロは「私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました」と書 いています。アブラハムの子孫(種)を信じる信仰によって、アブラハムは人種に関わら ずすべて者の父となりました。 第二に、改宗――信仰の転換によってです。改宗(回心)にもふたつ種類があります。仏教 徒が救われるとき、仏教徒であることをやめます。ヒンドゥー教徒が救われれば、ヒンド ゥー教徒であることをやめます。ユダヤ人が救われれば、その改宗には違った言葉――テ シュバー(立ち返ること)が使われます。その人は罪から神に立ち返り、ユダヤ人として のアイデンティティーが完全となるのです。異邦人のみが改宗できます。ユダヤ人は完成 されるのです。ユダヤ人の完成はテシュバーです。これは異教徒の背景を持つ黒人アフリ カ人の子どもがクリスチャンのポーランド人家庭に養子されることで説明できます。その 子は法律的な養子制度によりポーランド人となり、キリスト教に改宗しました。しかしそ の子が今度は大きくなり、ポーランド人の女性と結婚するとします。そうすると彼は結婚 によりポーランド人となり、ポーランド語を話し始めます。したがって彼は文化によりポ ーランド人になったのですが、彼の肌は黒いままです。これが非ユダヤ人がイエスの信者 となる場合に起こることです。父祖の約束を受けることによりユダヤ人ではありませんが 子となります。それは養子――改宗、宗教的な改宗によるものです。または婚姻関係によ り子となります。それはキリストが主に異邦人でなる教会の花婿であるからです。第一コ リント 9 章では、異邦人が主の聖餐にあずかる場合の文化変容について書いてあります。 彼らは本来の相続者とペサハ、過越の祭りの意義を祝います。これが異邦人クリスチャン の地位です。 貧しさのためにヨーロッパの家族に養子されたこのアフリカ人の子どもを考えてみてくだ さい。いかなる法律的、婚姻的または文化的理由においても彼はポーランド人となりまし た。しかし彼はまだ黒人アフリカ人であるのです。彼はまだ自分のアイデンティティーを 保っています。それでも彼は本当のポーランド人なのです。彼は他のどの子どもとも同じ ように親から愛されています。子どもをひとり生むことと、子どもを養子することは同じ くらいの大きな愛を必要とします。その子どもは同じ法律的権利を持ち、法律的地位を保 っているのです。 次にユダヤ人に関しては法的な立場があります。最初のものはイスラエルの帰還法です。 シオニズム運動の父祖たちはこれを議論しました――数年間ではなく、数十年間にわたっ てです。最終的にベン・グリオンが言いました。「誰がユダヤ人なのか、我々の敵に決め させよう」彼らはその通りにしました。ユダヤ人の祖父をひとりでも持っていれば強制収 容所に行けとナチスが言ったために、イスラエル政府もユダヤ人の祖父がひとりいればア リヤー(帰還)を行い、イスラエルに移住する権利があると定めました。これが本来の帰 還法です。 第二にハラハー的な(ユダヤ法的)法律があります。これはユダヤ人の宗教法で立てられ たものです。ハラハーによるとそれは母系の血筋によるものです。ある人の母親がユダヤ 人で、その人がユダヤ教へのハラハー的な改宗を経ているなら――言い換えるなら割礼で すが――父祖の約束に入ることができるというのです。第三のものは、イスラエルのラビ が定めるユダヤ人の定義で、それは本来ハラハーの定めるものと同じであるべきものです 。ですが現実はイスラエル政権の窮状によって物事は複雑化しています。世界には約 55 の 民主主義の国がありますが、その中で唯一ユダヤ人が宗教の自由を持てない国があります 。それがイスラエルです。これはイスラエルのラビが定めるユダヤ人の地位です。彼らは 数世紀前にラビ・ヨセフ・カロ(Yosef Karo)が定めたミツヴォートの法典『シュルハン ・アルーフ(Shulchan Aruch)』を受け入れなければならないと言います。そしてもし『 シュルハン・アルーフ』を受入れないならば正式にユダヤ人となれないのです。このため にアフリカ系ユダヤ人(ファラシェ)の中で葛藤が起こり、インド系ユダヤ人( イェフデ ィン )また正統派でないユダヤ人の間でも葛藤が起こります。反シオニズム主義のラビは 何の問題もなくラビでいられますが、改革派やリベラルのラビたちは資格を持てないので す。私たちはこれまで人々がどのようにユダヤ人の宗教の自由を奪ってきたかを話してき ました。ユダヤ人の歴史的な惨劇や侮辱を私は認めます。しかしイスラエルもユダヤ人の 宗教の自由を否定し、特にメシアニックジューに対して同じことを行っているのです。 これによりイスラエルの法律的立場が考えられます。数年前に彼らは、他の信仰にかつて 改宗したことのある人はユダヤ人ではないと定めました。特にミクベー・ブリット( mikve-brit)、洗礼を受けた場合です。その当時にあってもそれは政治的圧力の強い決定で した。法律的な立場におけるユダヤ人の定義をこれまで 4 つ見てきましたが、それを見る とそこに共通認識が無いことが分かります。そこには法律的共通認識も、宗教的共通認識 も無いのです。彼らは政治の便宜に合わせてユダヤ人のアイデンティティーの定義を気ま ぐれに定めているのです。 聖書的な分類 聖書はどう語っているでしょうか。旧約聖書、タナクにあるのは主に父方の系図ですが、 歴代誌には母方の系図もあり、ルツ記の記述もあります。これは非常に重要です。正統派 のラビたちは系図に基づいてイエスのメシア性の信用を落とし、新約聖書の正当性を攻撃 します。しかし彼らが言いたがらないことは、ラビ的な文書自体(サンヘドリン 25C)が ルカの系図はマリヤのものだと言っていることです。「いや、ユダヤ人のアイデンティテ ィーは父からでなくてはならないのだ」との反論が返ってくることがありますが、ラビた ち自身がユダヤ人は母方の系図によると言っているではありませんか。ラビたちは自分た ちの中で矛盾を起こしています。一方で、歴代誌とルツ記には母方の系図の前例となるも のがあるのです。 新約聖書はより寛大です。系図は母方であ
April 3, 2025
穀物のささげ物の象徴 ジェイコブ・プラッシュ レビ記はヘブライ語で「そして、主は呼ばれた」という意味の「ヴァイクラー(V'yekra)」と呼ばれます。レビ記 2 章 1 節から 『人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならな い。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らの ところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、そ の乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。』(1 節-2 節) 『その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなければならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、それを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。』(3 節-10 節) 『あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはなら ない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしては ならないからである。それらは初物のささげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。』(11 節-12 節) 『あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの 穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。』(レビ 2 章 13 節-16 節) ほとんどのクリスチャンは、ユダヤ人がタナク(Tenakh)と呼ぶ、旧約聖書での動物のい けにえはイエスの象徴であるなどの何かしらの考えを持っています。過越の傷のない子羊 は、イエスがどのような方であるかを示していたということを知っているかもしれません。神さまにとってひとりの罪の無い者は多くの罪ある者たちにまさっています。それゆえ、 ひとりの人が私たち全員のために死ぬことが出来たのです。またある人は贖いの日(ヨム・キプール)の贖罪のやぎのことについて知っているかもしれません。私たちはヘブル人へ の手紙 9 章から 11 章でそれについて読みます。大祭司は実際に二匹のやぎの頭に手を置き ます。それは罪をやぎの頭の上に置くことの象徴です。そして、彼らはそのやぎを通りに 連れ出し、人々はやぎにつばをかけ、足で蹴り、石を投げ、棒で叩き、罪のためにそれら を呪います。その後、やぎは町の外に連れて行かれ、そこで一匹はほふられ、もう一匹は 断崖に連れて行かれます。これはイエスに起こることの象徴でした。神は私たちの罪を彼 に負わせられ、エルサレムの通りで見せ物とされ、都の外に連れ出され、処刑されました。クリスチャンの多くは、これら動物の血のささげ物がイエスの象徴であったと知っていま す。しかしながら、穀物のささげ物に関してのことを考える人はあまり多くありません。 その本当の名前をタルソのラビ・サウロといったパウロは、イエスが成就されたモーセ五書、「トーラー」を私たちが確立すると教えています。その中のすべてのことがイエスを指し示しています。私たちは新約聖書のみを読むことによって福音を理解し、救われる方法を知ることが出来ます。しかしそれを深いレベルまで理解し、福音の豊かさを理解するためには旧約聖書の背景を知らなければなりません。私たちはイエスさまがどのようにして律法を成就したのかを知るべきなのです。 ここで穀物のささげ物はヘブライ語で「マッツァー(matzah)」といい、種をいれないパンです。もしかすると、マッツァーを見たことがあるかもしれません。ある教会では聖餐式のときにマッツァーを用いるからです。それには筋が入れられ、穴が開けられます。タルムードの中で過越しで使われる種をいれないパンはそうでなければならないと命じられているのです。このことは過越の子羊と関連しているとラビたちは言っています。これはま さにイエスがヨハネ 6 章で語られたことであり、彼の体の象徴です。そのためにパンは筋が入れられ、穴を開けられ、その後、砕かれました。『彼の打ち傷によって、私たちはいやされ』、『彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され』た、とヘブライ人の預言者イザヤは私たちに伝えています。穀物のささげ物はイエスが私たちの罪のためにささげられたいけにえの象徴なのです。 穀物は三つの方法でささげられました。第一に、それは覆いの無い火の上、かまどでささげられます。第二に、平なべでささげられました。それは長い取っ手のついたフライパンのような物です。第三の方法は、私たちがヘブライ語で「ブタナー(b'tanur)」と呼ぶなべの中でささげられます。つまり、穀物は覆いの無い火の上、平なべ、なべの中でささげられたのです。私たちは三次元の生き物です。なぜなら、神さまは私たちを神のかたちに似せて(Imago Dei)、お造りになったからです。私たちは体、たましい、霊とで成っています。この性質は私たちがどのように三位一体の神のかたちに似せて造られたかを示すものです。私たちの三つの側面は創造主の三つの側面を示しています。私たちはある人が「セオポモーフィック(theopomorphic)」と呼ぶものであり、神のかたちに造られています。 この事実を踏まえると、イエスさまが私たちの罪のために死なれたとき、彼は体、たましい、それに霊において苦しまれたということが分かります。罪は私たちの存在のすべての側面を汚します。罪は肉体を汚し、たましいである意思や感情、知性を汚し、私たちの霊を汚します。私たちのすべての側面は罪のために汚れています。それゆえ、その罪を取り去るためにイエスさまは体、たましい、霊をもって贖わなければならなかったのです。 なので、まず穀物のささげ物は覆いの無い火の上でささげられました。かまどの上で穀物がささげられている時、すべての人はそれが焼けていくのを見ることが出来ました。このことは主イエスの肉体的な苦しみと関連しています。イエスはほぼ裸に近い状態で公に吊るされ、ローマ人による処刑を耐え忍んでいました。すべての人は彼が肉体的に拷問にかけられているのを見ることが出来ました。イエスが十字架につけられた時、彼は私の罪のために釘付けにされました。イエスがローマ人兵士たちに打ち叩かれ、その頭にいばらの冠を押し付けたられたのは私の罪を負ったからです。イエスは釘を受け、私は救いを受けした。正しくない者のために正しい者が苦しんだのです。 アメリカの“バイブル・ベルト(伝統的にクリスチャンが多い地域)”には大きな問題があります。その問題とは“文化的プロテスタント主義”です。言い換えると、そのような環境で育ったという理由だけで、福音が宣べ伝えられている教会に行き、福音を信じている人々がいるのです。その人たちはずっとそうしてきました。しかし、全き救いには至っていません。これが、私が世界中のバイブル・ベルトのある地域で見た大きな問題です。南 アフリカや北アイルランド、もちろん南アメリカでもその状態を発見しました。そこには 教理があり、信条があり、主を知っている人たちもいるかもしれませんが、そうでない人たちがいるのです。イエスが十字架に向かったとき、それはあなたのためでした。神はあなたの罪を取り、彼に負わせられました。そしてイエスの義を取り、あなたに着させられたのです。あなたはこれを個人的に受け入れなくてはなりません。そうでなければ何度教会に行こうともクリスチャンではないのです。 彼は肉体において苦しみを受けました。すべての人が穀物が焼けていくのを見ることが出来ました。彼への拷問は言うに耐えないほどのものでした。私はあるクリスチャン病理学者が記した死体解剖のレポートを一度読んだことがあるのですが、それはローマ式に十字架にかけられた死体についてであり、信じられないほどおぞましいものでした。現代の技術をもってしても、人を殺すためにローマ人たちがイエスに用いたほど残酷な方法を見つけることは難しいでしょう。 一方で、穀物は平なべにおいてもささげられました。その上で焼かれているとき、どのような状態であるかはただ部分的に見えるだけでした。そこで起こっていることをいくらかは見えたでしょうが、すべてを見ることは出来なかったのです。レビ記 2 章で見るこの平なべで焼かれた穀物は、イエスの情緒的・精神的な苦しみと関連しています。聖書が「たましいの苦しみ」と表現しているものです。 誰かが情緒的・精神的に苦しんでいるとき、また絶望や死別や何らかのものによって憂う つになっているとき、他の人は何が起こっているかを部分的に知ることは出来ますが、す べてを知ることは出来ません。少し離れると、平なべで焼かれている穀物を部分的にしか 見えませんでした。しかし、焼かれていくさまのすべてを見ようとするなら、真上に立ち、見下ろさなくてはなりません。従って、誰かが絶望や死別、救われなかった親類の死につ いて悲しんでいたとしても、他の人は何が起こっているのかを部分的に知るだけなのです。しかし、あなたを上から見下ろす方はすべてを知っています。主はすべてをご存知です。 他の人は敏感に察し、共感するかもしれませんが神さまはすべてを理解されているのです。 そうです。イエスは私たちの悲しみを負いました。彼は肉体的にも苦しみ、情緒的にも精神的にも拷問を受けました。 しかし、穀物がささげられる三つ目の方法があります。それはヘブライ語で「オーブンの中」という意味の「ブタナー」と呼ばれる物で、誰もその中を見ることは出来ませんでした。 イエスが十字架に向かったとき、三位一体の神の中で特別なことが起こりました。父なる 神が御子に背を向けました。さて、私たちが非常に気を付けないといけないことは、アメリカ南部を起源としたとんでもない異端の教えがあるということです。それは名ばかりの “クリスチャン TV(Christian television)”というものの中で、金銭目的の説教者が広め たものです。彼らは「イエスは霊的に死んだ」と言い、イエスがいのちを引き取るときに、 彼自身「完了した。」「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と言ったにも関わらず、サタ ンが十字架上で勝利を得たと教え、イエスの言ったことは起こらなかったとする、完全に 冒とく的な嘘です。彼らは、イエスはサタンと性質がひとつになり、よみで三日三晩苦し みを受け、そこで生まれ変わったと教えています。これが金銭目的の説教者たちの信じて いることです。このようなことを信じているとイエスの十字架は信仰生活の中心ではなく、救いに関しても十字架が中心ではなくなります。「自分の十字架を負ってわたしについて来 なさい。そして、やがて来るべき世に希望を持ちなさい」と言う代わりに、彼らの信条は、 「名を挙げて要求しなさい(Name it and claim it)・あなたは王様の子どもなんだから・ 神さまはあなたに金持ちになってほしい」というものや、『神の国は今(Kingdom now)』などのものです。これらはひどい異端の教えです。イエスは十字架上で勝利を得ました。悪魔ではありません。しかし、オーブンの中では何かが起こりました。その神性の中で何かが起こったのです。父なる神が御子に背を向けました。神さまは罪を見逃すことは出来ません。私たちはここで何が起こっていたかということについて、完全には理解しきっていません。 私たちはイエスの肉体的な苦しみを少しもないがしろには出来ません。その苦痛は耐え難いほどのものだったのです。そして、彼の情緒的・精神的な苦しみもそうです。聖書は簡素に「たましいの苦しみ」と書いていますが、これも事実です。しかし、イエスにより深い苦しみを引き起こしたのは三位一体の中で起こったことです。父なる神が御子に背を向けました。そのオーブンの中で何かが起こりました。私たちの罪を彼に負わせ、その義を私たちに与えるため、父なる神が御子に背を向けるといったような、危機的状態に神がどのようにして陥ることが出来たでしょうか?肉体の苦しみはひどく、精神的苦痛は耐え難かったのですが、霊的には起こったことはさらに悪かったのです。イエスは、私の罪とあなたの罪のために、その時、父なる神との交わりから切り離されました。 イエスは肉体において、たましいにおいて、霊において苦しみました。このように穀物はささげられなければならなかったのです。かまどでは、すべての人が見ることができ、平なべでは、上から見下ろす以外には部分的にしか見えず、なべ(オーブン)では誰も見ることが出来ませんでした。 そこで、穀物には油が塗られ、油が注がれなければなりませんでした。ヘブライ語での油 の基本的な単語は「シェメン(shemen)」といいます。それは油注ぎに関して使われます。 「キリスト」という言葉はギリシア語の「クリストス(christos)」から来ました。これは、 「油注がれた者」という意味のメシア、つまりヘブライ語では「ハ・マシアハ(ha Mashiach)」という単語のギリシア的な言い方です。イエスはその支配に関して油注がれる以前に、埋葬のために油注がれました。そして、第二コリントの手紙において、パウロが自らの奉仕について油注ぎの証拠を語ったときも、彼は使徒としての奇跡やしるしを初めに語らず、見捨てられたことや遭難したこと、石打ちにされたことなどを語りました。キリストから来る油注ぎ、真実の油注ぎの証拠は何よりもまず、十字架につけられた生活であり、この世に何の望みも置かない生活です。それはいわゆる“クリスチャン TV”であるように、世が見てからかう、ベンツなどの物質的な浪費ではありません。それは油注ぎではありません。油注ぎとは十字架につけられた生活であり、この世に望みを置かない生活、神のみこころであればこの世で苦しむ恵みを与えてくれる神、その方に信頼する者に与えられるものです。もしそれが死に至ろうとも、この世においての自分のいのちを惜しまない者、そのようなものが油注ぎの本当の証拠です。 イエスは埋葬のために油注がれました。油は穀物の上に注がれました。油と乳香です。イエスがお生まれになったとき、東方の博士たちは彼が王であるために、黄金を持ってきました。またその死のために没薬を持ってきました(没薬とは、ご存知のように埋葬のために死体に塗られる物で、それはヨハネ 19 章 39 節で見ることが出来ます)。そして彼らはまた乳香を持ってきました。香とは、黙示録を見るなら、それが聖徒たちの祈りだということが分かります。(訳注…黙示録 5 章 8 節) このことを理解するために、雅歌の 4 章 6 節を手短に読んでみましょう。私たちは雅歌のことをヘブライ語で「ハシェル・ハシェリム(Hashir Hashirim)」と呼びます。これはアレゴリー(たとえ話)であり、ソロモンとシュラムの女との恋愛は、キリストと花嫁との恋愛の象徴です。4 章 6 節では次のように言われています、 『そよ風が吹き始め、 影が消え去るころまでに、 私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』(雅歌 4 章 6 節) 花婿は花嫁のために死ぬという目的で、埋葬の準備にと油注がれていました。それは私たちがカルバリの丘と呼ぶ、没薬の山において、受け入れられるいけにえをささげるためでした。そのようにイエスは受け入れられるいけにえをささげるため、埋葬のために油注が れていたのです。気付いているでしょうか。あなたが祈りに祈っても、讃美歌を何度も何 度も歌っても、それは関係がありません。それがキリストにあってなされたことであり、人が生まれ変わっていなければ、その礼拝は受け入れられません。キリストにあってなされたことだけが重要なのです。あなたは教会に行きたいだけ行くことが出来ます。それは良いことなのですが、それだけでは十分ではないのです。キリストにあることだけが重要です。続けましょう。 穀物は受け入れられる礼拝をもたらすために油注がれました。油と共に香がありました。しかし、穀物と一緒に蜜をささげてはいけませんでした。パン種もそうです。“種を入れないパン”それがマッツァーの意味するものです。なぜ、イエスの体を象徴しているパンにはパン種を入れてはならなかったのでしょうか。パン種とはどのようなものでしょうか?新約聖書は繰り返し、パン種について語っています。 第一コリント 5 章では、パウロは次のように言います、『あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの [ペサハのメシア] 過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。』(5 章 6 節-7 節) パン種やイースト菌はそのパンの栄養価という点に関しては、何の貢献するところもありません。ただそれをふくらませるだけです。『あなたがたの高慢は、よくないことです。』第一に、パン種の示すものは罪ですが、特に高慢の罪に関してです。高慢は影響力の大きな罪です。それは他の罪を引き起こすものだからです。イザヤ 14 章において、最初の罪は高慢だったことが分かります。サタンは神になろうとしました。永遠の時の中で、サタンは神の権威を奪い取ろうとしています。イザヤ 14 章によると、高慢がサタンの最初の罪でした。アダムとエバの誘惑されたとき、人間の最初の罪も高慢でした。高慢は、他の罪を招く種類の罪なのです。誰でも、よこしまであったり、押さえられない欲望を持っていたり、怒りやすかったりする人であっても、根底には高慢があります。このように高慢は他の罪を生み出し、他の罪を引き起こすものです。 イエスさまが十字架の上でなされたこと以外に、私が誇るものがあってはなりません。それがすべてであり、イエスさまが私の罪を取り去り、死者からよみがえられたことだけを私は誇るべきなのです。イエスは神でしたから罪はありませんでした。彼が誇るべきことはすべてのことについてであったにも関わらず、何も誇りはしませんでした。しかし、私のような何も誇るところの無い者が、毎日高慢と戦っています。あなたもそうではないでしょうか。私たちは高慢と毎日戦いますが、イエスはそうされなかったのです。マッツァ ーにはパン種は入っていませんでした。 またイエスはさらに語られます。『パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。』これは彼らの“偽りの教理”についてです。異端や間違った教理を見つけたときには、(偽りの教理を理解するにはただ、名ばかりの“クリスチャン TV”をつけるだけで十分です。その中には真実の教えより、偽りの教えのほうが多いのです)それはパリサイ人のパン種です。ふくらませるもの、それが高慢です。「神に示された!これが出来る!進んで行って征服するんだ!」といったものは霊的な高慢です。偽りの教理や異端があれば、その源泉はいつも霊的な高慢から出てきています。パリサイ人のパン種に気をつけてください。イエスの内には何の偽りの教えも、異端もありませんでした。彼の話されたすべての言葉は 120 パーセント真実です。そのマッツァーの中にパン種はありませんでした。もしそうでなかったならイエスは私たちの罪のために死ぬことが出来なかったでしょう。 もう一度言いますが、罪のあるすべての人より、罪のないひとりの人のほうが神にとって価値があります。あなたがどのくらい善い人かということは問題ではありません。天国に行くには十分に善い人ではないからです。また言い換えると、あなたがどんなに悪くても問題ではありません。神があなたを愛さず、イエスがあなたの罪を負い、そのいのちを与えられないほど人が悪くなることは出来ないからです。これが福音です。 しかし、このことをずっと耳にしながら、育ってきた人たちの場合は難しいものです。そ の人たちは 20 年や 30 年、40 年とこのメッセージを聞いてきて(人によって違いはあるで しょうが)何百回となく聞いてきた人もいるでしょう。その状況で未だに新しく生まれる に至っていない人がいます。これはとんでもない悲劇です。私の家族はイスラエルに住む ユダヤ人です。ユダヤ人は福音を退けたことにおいて、他の人たちよりも罪が重いのです。なぜならイエスはユダヤ人であり、福音はまず初めにイスラエルに来たからです。またロ ーマ人への手紙で言われていることですが、神はまずユダヤ人に責任を問うとあります。 なぜなら彼らは救いを受取ることができ、それを拒否することの結果も彼らに最初に下る からです。従って、福音をくりかえし聞き続けてきた人たちは、福音に容易に触れること の出来なかった人たちより、責任が重くなります。私は大学に入るまでは、新生したクリ スチャンがどのようなものか全く知りませんでした。そのようなことについて聞いたこと すら無かったのです。しかし、多くの人がそれを聞きながらも受け入れずに育ってきてい ます。その人たちは真理を知っているのです。そうでなかったとしても、少なくとも真理 は彼らの手の届くところにあります。私はよくアフリカやインド、中東に行きます。この 真理について、何も聞いたことの無い人々のいる場所に訪れます。しかし、その場所でも、日曜日ごとに教会に行く人たちはいるのですが、彼らの生活に何の変化も見られません。 マッツァーの中には、高慢や偽りの教理のようなパン種は何も入っていませんでした。罪 のないひとりの人が、罪あるすべての人のために死ぬことが出来るためです。 しかし、また、そこには蜜はありませんでした。その穀物にはなぜ、蜜がそえられていなかったのでしょうか?蜜に何か問題があったのでしょうか?私たちは聖書によってパン種とは何であるかが分かります。それなら蜜のいけないところは何なのでしょうか?なぜレビ記 2 章で神は穀物がささげられるとき、蜜が一緒にあってはならないと言われたのでしょうか? 箴言 24 章 13 節を開いてください。聖書はいつも他の聖書箇所によって解釈されなければいけません。そこで『わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。』とあります。蜜は甘いのです。ここで、蜜についてのヘブライ的な考え方を理解しておきましょう。ヘブライ語で蜜は「デヴァッシュ(devash)」といい、それは蜂を表わす「デボラ(devorah)」という言葉から来ています。デボラという女の子の名前はヘブライ語で“蜂”という意味です。一方、神の言葉である聖書を表わすヘブライ語は「デヴァール(devar)」といいます。神の言葉は甘いのです。黙示録の中で(またはエゼキエル 3章で)巻き物は口に甘く腹に苦いものでした。神の言葉は私たちの舌に甘いのです。それはいつも口に対して甘いにも関わらず、腹には苦いものです。聖書はとても興味深くまた励まされるものです。しかし、私たちには責任があります。ただ単に知識を増やすだけではなく、自分の生活を変える必要があるからです。口に甘く、腹に苦いのです。そうです私たちは蜜の部分だけ好み、苦味の部分は嫌います。 ヘブライ人は乳と蜜の流れる地に入りました。なのでいつの日か私たちも、乳と蜜の流れる地である天に入ります。これは象徴です。天においてすべてが愛らしいものとなります。しかしながら、私たちはこの世の象徴であるエジプトを出てから、そこに至るまでは荒野に滞在しています。砂漠は厳しい場所です。イスラエルの民のためにマナが降り注ぎましたが、それはちょうど蜜のような味がしました。今もその“マナ”は降り注ぎ、蜜のような味がします。 しかし、蜜には問題がありました。それは蜜自体に悪い点があるのではなく、私たちが蜜をどう扱うかという点において問題があるということです。箴言 25 章 16 節を見ると、『蜜を見つけたら、十分、食べよ。しかし、食べすぎて吐き出すことがないように。』とあります。蜜を食べすぎたなら、吐き気がします。私自身とても穏やかなペンテコステ派(カリスマ派)ですが、その中のすべての過激主義には反対しています。しかし、ペンテコステ運動の何が間違っていたか、ほぼ 30 年たったにも関わらず何のリバイバルも起こらない 理由について、ひとこと言いたいと思います。蜜が多すぎるのです。すべてのことが愛情 や感情、やさしくすることに基づいていました。彼らはただ口に残る甘さを求め、腹に残る苦味は欲しがらなかったのです。彼らは聖書的な神学の代わりに経験主義の神学を受け入れました。彼らの教理は自分たちにとって気持ちが良いので、そう作り上げたものです。それはこの世の心理学と変わりがありません。気持ちが良いという要因「気持ちが良いので、良いものに違いない」という考え方です。 『蜜を見つけたら、十分(必要なだけ)、食べよ。』――ある程度の蜜は必要なのです。 私たちはみな、愛情を必要としています。蜜は愛情と関連しています。子どもに最も深刻 な害を与える親が二種類います。ひとつは、子どもに厳格すぎる親であり、もうひとつは、子どもを甘やかし過ぎる親です。私には、アメリカ軍にいた叔父がいました。そして、彼 の職務は兵士を戦闘のために訓練することであり、朝鮮では英雄であって、ひとりの良い 兵士でした。しかし、叔父は自分の職業柄と、家庭生活を切り離すことが出来ませんでし た。結果として、子どもたちにとても厳しく訓練のように接しました。これが子どもたち に悪い影響を及ぼし、彼らは次から次へと非行に走りました。最終的には、子どもたちは 自分の人生に対して責任を負うのですが、その育てられ方は厳しすぎたのです。父親であ っても自分の子どもを一度も抱きしめたことの無い人がいるのを知っていますか?聖書は 母親の愛について語るよりも、父親の愛について多くの箇所を割いて語っています。なぜなら、神は父である神だからです。もし、子どもが父親の愛を分からなければ、その欠落 は彼や彼女の、神に対するイメージを不明瞭にします。子どもに対して非常に必要とされ る愛情を一度も示さない父親がいます。 ただ「必要な分だけ食べて」食べすぎないほうが良いのです。「こんな小さなヘンリーのお尻を叩くなんて、ヘンリーは良い子なのよ」と言っていると、ある日、もはや小さくもないし、良い子でもないヘンリーを探しに、警察がドアをノックするようなことになります。これも良くありません。 蜜を見つけたのですか?必要なだけ食べてください。私たちは蜜を確かに必要としていま す。しかし、食べすぎると吐き気がします。感情によって支配されて、霊的であることと、感情や感覚を取り違えている人たちを警戒してください。何が霊的かを決定するのは神の ことばにある教えです。私たちの感情ではありません。 さらに読み進めてみましょう。箴言 25 章 27 節『あまり多くの蜜を食べるのはよくない。しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。(新共同訳――蜂蜜を食べ過ぎればうまさは失われる。名誉を追い求めれば名誉は失われる。)』蜜を食べすぎている(感情に支配されている)人たちに出会ったなら、その人たちは霊的な高慢に陥っています。彼ら は名誉を追い求め、まわりにいる誰よりも自分が霊的であると思い「私はあなたがたより 聖い」という態度を取り、間違って感覚と感情が霊的であることのバロメーターとなっているのです。そして「私たちは裁いてはいないし、批判もしていない」と言います。 私の家族はふたつの文化的背景、ユダヤ人とカトリック教徒の組み合わせです。私のユダヤ人家族たちはメシアなしに地獄への道を歩んでいます。しかし「ユダヤ人を愛している」と言いながらも、彼らに福音を伝えることをしないクリスチャンがいます。実際に、イスラエル人をその国に帰還させたいと考えている人たちが、「クリスチャン大使館(Christian Embassies)」と呼ばれる組織を作っていますが、彼らは“愛”の名を語って福音を伝えずにいるのです。それは「私たちは、あなたたちユダヤ人を愛しています!地獄に行きなさい」と言っているようなものなのです。ユダヤ人を愛しているのならメシアについて語ってください。 「ああ、私たちはカトリックの兄弟たちを愛しています!」と言う人もいるでしょう。私の母は救いに関して主イエス・キリストよりも、マリヤ像に信頼しています。また彼女も地獄への道を歩んでいるのです。もし、カトリック教徒を愛しているのなら、彼らに真実の福音を告げるはずです。キリストの血ですべての罪がきよめられるか、煉獄(魂が天国に行く前に清めのため罰を受けると言われる場所)に行って自分の罪の償いをするかふたつにひとつです。どちらの福音を信じますか?パウロは、もし神の使いが来て別の福音を伝えても、私たちはそれを拒否すべきだと教えました。煉獄というものはありません。私たちは自分の罪の償いをすることはありません。なぜなら、キリストの血はすべての罪から私たちをきよめるからです。しかし、愛の名において人々はカトリック教徒を兄弟と呼び、彼らを死の恐怖につながれたままにします。これは愛ではありません。全き愛は恐れを締め出します。イエスが私たちの罪を負いました。しかし、愛の名において、あるクリスチャンたちは人々をそのような奴隷の状態のままにしておくのです。「ああ、でも私たちはカトリック教徒を愛すべきでしょう!」確かにそうです。だから彼らに真実を告げましょう。ピリピ 1 章 9 節において、私たちは愛と真理が互いに排他的ではなく、むしろ、互いに依存し合っていることが分かります。しかし、カリスマ派運動が穀物にではなく、蜜に目を向けているために、彼らはもはやこのことを知らなくなりました。 「必要なだけ食べて、食べすぎないように」 たましいの機能は意思、知性、感情です。人間の知性はとても良いしもべですが、悪い主人です。人間の感情もまた良いしもべですが、それは命取りになる残酷な、死を招く主人です。もし、神のことばの代わりに感情や感覚を用いて物事を考えている人がいるなら、その人は霊的な高慢に陥っており、霊的に自殺をするような道を歩んでいます。そしても し可能なら、その人は他の者をも引きずり込もうとするでしょう。 そうです、穀物の上に蜜はありませんでした。イエスの十字架の内に感情は全く含まれていませんでした。父なる神は御子に背を向けました。しかし、私は蜜を得ました。――『…ほどに神は世を愛された』――私は蜜を得たのです。私が一晩を共にした女の子、鼻から吸っていたコカイン――イエスはその代価を払ってくれました。彼は釘を受けました。イエスは私のしたことによって木に吊るされ、私は蜜を受けました。イエスは蜜に触れることすらしませんでした。その穀物の上には蜜はなかったのです。 そこには蜜もなく、パン種もありませんでした。レビ記 2 章 12 節には『それらは初物のさ さげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇 の上で焼き尽くしてはならない。』とあります。初物の穀物はなぜ穀物のささげ物として、用いられなかったのでしょうか?初物(初穂)とは何かを理解しましょう。それは 4 月、 過越の週の間のヘブライ人の例祭でした。イエスはその時期に十字架にかけられました。 その週の日曜日、大祭司はキデロンの谷といって神殿の丘とオリーブ山のちょうど中間に ある谷に行きます。日の出と共にオリーブ山の後ろからさしこんでくる光が最初に照らす、その穀物の芽が初穂と呼ばれるものです。四つの福音書はすべて、イエスがよみがえった のは夜明けごろであったと記しています。言い換えると、大祭司が初穂を神殿に持ち帰っ ていたまさにその時、イエスは復活する者たちの初穂として死者からよみがえったのです。これが 1 コリント 15 章 20 節でパウロが言っていたことです。『しかし、今やキリストは、 眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。』彼がその初穂なのです。 それならどうして、穀物の初物は祭壇の上でささげられなかったのでしょうか?それはイエスが死なれたのが、それで最後だったからです。一度私たちの罪のために死なれ、墓からよみがえられたのなら彼が再び死ぬことはありえません。こういうわけで、モーセが岩を二度打ったために、約束の地に入ることが出来なかったのです。それはイエスを繰り返し十字架につけるようなことだからです。イエスは一度だけ死なれ、生ける水である聖霊が注がれました。 今日、エキュメニカル(教会統一)運動という大きな問題があります。ところで、救われた信者が救われた信者と一致するのはとても良いことです。私は新生したバプテスト派が新生した長老派や(過激ではない)新生したペンテコステ派と一緒に集まることに賛成です。私は救われたクリスチャンが一致するのを大いに支持しています。しかし、救われたクリスチャンがリベラルなプロテスタントや未信者と協調し始めたり、ローマ・カトリック教会と近づくことは全く違ったものとなります。ヘブル 7 章 27 節を見ると、『ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日 いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ 一度でこのことを成し遂げられたからです。』とあり、ヘブル 9 章 12 節では、『また、や ぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』と同じようにあり、ヘブル 9 章 28 節には『キリス トも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが』ヘブル 10 章 10 節 には、『このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられた ことにより、私たちは聖なるものとされているのです。』とあります。ただ一度です。もし、何かが完全にされたなら、それをさらに改善することは出来ません。イエスはただ一度だ け死なれました。 それゆえ、コリント人への手紙で言われているように、イエスは初穂なのです。彼は一度 死なれ、一度だけ死者からよみがえられ、再び死ぬことはありません。なぜならそのいけ にえは完全だったからです。ローマ・カトリック教会のミサの教義はこのことを否定します。彼らはミサがカルバリでのいけにえと同じものであると主張し、イエスが何度も、何度も、何度も死なれると主張します。カトリックのミサの教理はイエス・キリストの福音を根本 的に否定しているのです。 ルターやカルヴァン、ツヴィングリなどの宗教改革者たちは、確かに完璧な人たちではありませんでした。彼らは多くの過ちを犯し、再洗礼派(バプテスト)を迫害さえしたのです。しかしながら、その一人ひとりはかつてローマ・カトリックの司祭であって、聖書を読んで救われた者たちでした。また彼らはローマ・カトリックの聖職者であっただけでなく、その中の知識人階層であり、聖書に立ち返り、それを原語のギリシア語で読んだとき何が間違っているかを理解した者たちです。すべての宗教改革者たちが、かつてカトリックの司祭であったが、聖書を原語で読み救われた者たちです。第二バチカン公会議(1962 ‐1965)以降でもカトリックの教理は何も変わっていません。イエスはたった一度だけ死なれました。 穀物はまた塩で味をつけられました。もう一度“ことば”という考えに戻ってみましょう。ヨハネ 1 章『初めに、ことばがあった。』イエスはそのことばであり、聖書こそが“ことば”です。彼のことばが彼自身なのです。またそれは塩味のきいたものです。塩は古代中東で、唯一用いられた保存料でした。塩である神のことばは保存します。イエスの力が保存します。教会が伝道的( evangelistic ) でなくなったなら、次第にそれは福音的 (evangelical)ではなくなってくるでしょう。キリストを捨てると、そのことばも次第に 捨て去るようになります。そしてこれがリベラルなプロテスタントの陥ったことなのです。彼らは「宗教の形を備えているが、その中にある力を否定した」のです。彼らはただ聖書 の道徳的な教えだけ守ろうとし、主との個人的な関係を忘れてしまいました。“ことば” はみことばです。一旦、ことばが見捨てられるとみことばもそれに続きます。言い換えれ ば、一旦、イエスが捨てられると聖書もその後に続くのです。 私はイギリスに住んでいます。ロンドンのウェストミンスターにある英国国会議事堂の外壁には「pater nostra cuis en coeleas(天にましますわれらの父よ)」と記してあります。なぜならその国会議事堂は聖書を信じる清教徒により建てられたからです。しかし、その内側は無神論者やフリーメーソン、イスラム教徒などでいっぱいです。神はその他の者たちをご存知です。 この社会はなぜくだらないものになってしまったのでしょうか?なぜこんなに多くの犯罪があるのでしょうか?なぜ救われた信者や、牧師と呼ばれる者であっても離婚・再婚をしているのでしょうか?塩がその味を失ったからです。彼らはイエスから離れ去ったため、聖書の教えからも離れたのです。彼らが“ことば”から離れたので、みことばから離れたのです。イエスがみことばです。あなたが聖書から離れると、それにつれてキリストから離れるようになります。単純なことです。 塩は保存します。いわゆるバイブル・ベルトと呼ばれるところであっても、“クリスチャン”の間での不品行や犯罪、離婚は驚くべきものです。さらに驚くべきことは、それが今受け入れられてきているということです。私が救われたときクリスチャンが離婚して、再婚するといったことは聞いたことがありませんでした。もしそれが起こったなら、その人たちが救われる以前であったか、未信者の配偶者が去って行ったかのどちらかでした。それだけでした。そうでなければ決して起こりはしなかったからです。しかし今は、何の意味も成さなくなりました。とても有名な人たちがそうしています!新聞に出ていさえするのです!ハル・リンゼイ(Hal Lindsay 1929 年生まれの米国の伝道者)は三度目の離婚と再婚の最中であり、エイミー・グラント(Amy Grant 米国のクリスチャンシンガー)は離婚交渉中です。もはや何の意味も持たなくなりました。塩がその塩味を失ってしまったからです。 さらに詳しく見てみましょう。穀物はふたつの方法でささげられます。そのままの状態と粉々に砕かれた状態です。そのままの穀物と砕かれた穀物の違いとは何でしょうか?それはどちらも神のことばを示していますが、それはふたつの形でやってきます。神のことばが真実の聖霊の油注ぎのもとに教えられるなら、それが砕かれた穀物です。それはみことばを取りすっかり砕いて、人々が消化しやすい形で与えるということです。これは良いことです。しかし、そのままの穀物が最初に来ます。どんな聖書の教師もクリスチャンの本も、あなたひとりで神のことばを読むことに取って代わることは決してありません。『天路歴程』(ジョン・バンヤン著)や『悪魔の手紙』(C・S・ルイス著)、また A・W・トウザーに よる本などはとても良いものであり、砕かれた穀物です。多くの良く砕かれた穀物があり ます。しかしながら、そのままの穀物が最初に来ます。どんな教えや教師、テープ、ビデオ、本、インターネットもあなたの祈りを伴った、個人的に聖書を読むことに取って代わることは決してないのです。 みことばが“ことば”であり、主のことばであり、ことばの主です。主こそがみことばです。イエスは穀物であり、三つの方法でささげられます。イエスが私たちの罪を負ったとき体、たましい、霊において苦しまれました。その穀物はかまど、平なべ、なべ(オーブン)で焼き尽くされました。 イエスは王国の支配のために油注がれる前に、埋葬のために油注がれました。そこにはベニー・ヒン(Benny Hinn)のヘアースタイルもなく、ベンツや豪邸もありませんでした。そこには、油注ぎの証拠として十字架につけられた生活がありました。イエスは主へ受け入れられるいけにえをささげたのです。 蜜はありませんでした:十字架の上に愛情はありませんでした。父なる神は私の罪のために、御子に背を向けたのです。私は地獄のほか何も受ける価値はありません。しかし、私は愛情を受けました。イエスが私の罪を取り去ったので、私は地獄に行くことがなくなったのです。 パン種はありませんでした:そこには何の偽りの教理も、高慢も、罪もありませんでした。しかし、保存するための塩がありました。この塩で味が付けられた穀物は社会を保ち、国 や教派、教会、家族、あなたの人生と私の人生を保ちます。塩は腐るのを防ぎます。 そのままの穀物と砕かれた穀物:神が私たちのために用意されているものであり、神が望まれているものです。ある人々の場合、福音は全生涯を通して啓示されていますが、それは受け入れられていません。しかし、今日というこの時も、それを受け入れることが出来るのです。 クリスチャンは多すぎる蜜に警戒するように。愛情を差し控えてはいけませんが、またそれによって支配されないようにすることです。 これがすべてです。私たちの住んでいる国々は素晴らしいものです。しかし、アメリカやイギリスなどの国に何かが起きています。私たちが先祖たちから譲り受けた聖書的な遺産は急速に衰退しています。私たちの置かれている状況は次第に文化的なキリスト教としか呼べないほどになっています。本当には救われていない人々が何の行いも無しに、口ばか りなのです。私は解決策を持っていませんが、神はすべてご存知です。その解決策とは穀 物です。私たちは問題を抱えていますが、神は解決策を備えておられます。
April 3, 2025
井戸のそばの女 ジェイコブ・プラッシュ 『イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、――イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが――主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその 子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコ ブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。 イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――イエスは答えて言われた。 「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼 拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。 女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。』(ヨハネ 4 章 1 節- 30 節) この“井戸のそばの女”の話を理解するために、最初に井戸が何を意味しているかを見ていきましょう。 聖霊の象徴 聖書の中でさまざまな液体は、聖霊を色々な側面から表しています。 新しいぶどう酒は、礼拝の側面において聖霊を象徴する液体です。もうひとつの液体は油であり、それは聖霊の油注ぎについて語っています。 また聖書において生ける水(湧き水)とはいつも聖霊が注ぎ出されることについて語っています。イエスは次のような形で説明されました。 『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。』(ヨハネ 7 章 38 節-39 節) イエスは生ける水は、聖霊が注ぎ出されることだとはっきり語られました。 イエスがこの生ける水について教えられたときは、スコット――仮庵の祭りの時期で(ヨ ハネ 7 章 2 節・10 節)、その祭りで行われていた儀式のひとつは、行列を組みながらシロアムの池の水を汲み、レビ人に導かれて、水を注ぎ出すためにガバタ(*1)と呼ばれるところに行くというものでした。 このようなことを背景に、イエスは自分が生ける水を与える者だと言い、だれでも渇いているならわたしのもとに来て飲みなさいと言われたのです。 『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節) 聖霊は注ぎ出されるものであり――降った雨は地下水となり湧き水を生み出します。 ラインハルト・ボンケのような人がアフリカにおいて大きな成功を収めているのに、彼がドイツやイギリス、オーストラリアに行っても何も起こらないのはなぜでしょうか? 『わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、 一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。』(アモス 4 章 7 節) 今日、世界には多くの福音派教会の指導者たちがいて、彼らは間違って「正しいプログラムを組めば、それに応じた結果がついてくる」と考えています。 この考え方は教会成長運動(Church Growth Movement)から来たもので、人々が技術的に高度化した世界観を教会に当てはめようとした例です。 「ハードウェアに合ったソフトを買えば、パソコンでの操作は思うがまま」 このように彼らは聖書によらず、高度技術の世界観をもって教会論と宣教論を再編してしまっています。 聖霊はアフリカやブラジル、中国、インドネシアなどの場所で雨のように降り注いでいます。しかし、イギリスとオーストラリアは干ばつに襲われているのです。 聖書が教えているのは、神の命令によって、一つの場所には雨が降り、他の場所は雨が降らずかわききってしまうということです。 神には主権があり、嘆願されることはあっても操られることはありません 聖霊は注がれなくてはなりません。しかし、人がどんなに多くのプログラムを練って、多額の金をつぎこんでも、自分たちで雨を降らせることはできません。 神には主権があり、嘆願されることはあっても、誰かに操られることはありません。 さまざまな種類のユダヤ人 次に私たちはイエスの時代のサマリヤ人を理解する必要があります。当時ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持ちませんでした。今日、同じような関係が、北アイルランドのプロテスタント信者とカトリック信者の間に見られます。 イエスが最初に来られたときに存在していたユダヤ人は、今日存在するクリスチャンと確実に関連性を持っています。 サドカイ人:サドカイ人たちは超自然的なものを否定する合理主義者でした。彼らは復活や超自然的なこと、御使い、死後の世界などを否定していました。今日、英国国教会の主教たちは処女懐胎とイエスの復活を否定しています。サドカイ人はリベラルなプロテスタントにとてもよく似ています。 熱心党(ゼロータイ)/ ヘロデ党:当時、自分たちの政治観と教えを区別できないひとたちがいました。その中で左派であったのが熱心党です。ヨセフスは彼らについて多くの箇所を割いています。イエスの弟子たちの中にも熱心党員たちがいました。 今日そのような考えは“解放の神学”と呼ばれるもので、聖書の中での中心的な出来事はイエスの復活ではなく、出エジプトだと主張しています。それが国家を政治的に解放したものであったので、彼らはその教えをマルクス主義の弁証法と混ぜて主張しています。 そのような左派は南アメリカのローマ・カトリックや、リベラルなプロテスタントのツツ主教、他にはアフリカなどに存在しています。 一方、右派はヘロデ党と呼ばれました。それは今日でいうなら南アフリカにあるオランダ改革派教会、アメリカ南部の根本主義、北アイルランドの厳格な長老派などです。彼らは自分たちの持つ政治観と聖書を切り離せずにいます。 エッセネ派:三つ目のグループは奇妙な異端でした。彼らはユダヤ人の歴史に起ころうとすることを知っており、終末論的なことやメシアの重要性を知っていました。しかし、彼らは他者から自分たちを切り離し、そのようなことについての奇妙な信条を発達させました。最も注目すべきなのがこのエッセネ派で、死海文書からその存在を知ることができます。 現代では、キリスト教の中にいる再臨を強調する風変わりな異端がこれにあたります。 サマリヤ人:北の十部族が捕囚として連れて行かれたときに、イスラエルに少数の者たち が残り、彼らはアッシリヤ人と結婚し、混血の者たちが生まれました。 この人たちは聖書と異教の宗教を混合し、シオンの山以外に自分たちの山(ゲリジム山)を持ち、ダビデの家からではない王をいただき、レビ人以外の者たちを祭司として立てました。 サマリヤ人はエズラやネヘミヤの敵であった者の子孫であり、エルサレムの城壁と神殿を再建しようとしたときに妨害しようとした者たちの子孫です。 ユダヤ人はサマリヤ人を嫌っていました。ユダヤ人は彼らを混血の民と見なし、ユダヤ教を混ぜ物にした者たちと考えていました。 現代ではそれはカトリックやアングロ・カトリック、東方正教会などの聖書と異教を混ぜ合わせる者たちです。例えば、ローマ・カトリック教会はレビ人以外の祭司制度を持ち、別の聖都を持っています。 しかし最も重要な特徴は、サマリヤ人がもうひとつの救いの教理を持っていたということです。旧い契約と新しい契約の双方において鍵となっていたことは、罪がどのように贖われるかという問題でした。 旧い契約の下ではそれは神殿であり、適切な場所で、適切な時期に、適切な祭司たちによってささげられるいけにえによって贖われました。サマリヤ人たちはそれに対して相対する祭司と山を持っていたのです。 罪はどのように贖われるのでしょうか? 彼らは土地のことについて意見を異にしていたのではなく、救いについて違った意見を持っていました。 パリサイ人:彼らの教理は他のどのグループよりも正しく、最も真理に近い者たちでした。イエスは彼らと多くの事柄に関して同じ意見を持っていました。イエスがサドカイ人と議 論したときは、唯一イエスを陥れようとしたときだけです。普段彼はサドカイ人たちを無 視していました。イエスは主にパリサイ人を相手にしたのです。 パリサイ人の中にも二つの主なグループがありました。シャンマイ学派の弟子たちと、ヒレル学派の弟子たちです。タルソのラビ・サウロ(パウロ)はこのヒレル学派で学んでいました。 パリサイ人たちは多くの事に関して正しかったのですが、ある問題を抱えていました。 そのひとつは口伝律法(*2)でした。彼らは自分たちの伝統に聖書と同じ権威を持たせたのです。 もうひとつの問題は彼らの目を盲目にさせた宗教的なごう慢さでした。パリサイ人は物質主義的な貴族社会を作り、自分の羊を養わずに、自分たちの地位を高めていました。 ミドラッシュ パリサイ人たちはミドラッシュを理解していました。彼らはラビ・ヒレルが考案した七つの基準(ミドロット)を理解していました(その内容はかなり以前から存在していたものです)。パリサイ人たちは聖書に隠されている奥義を知っていました。 例えば、1 世紀のユダヤ人クリスチャンがヨハネの福音書を読んだなら、ヨハネ 1・2・3 章が創世記 1・2・3 章に対するミドラッシュであるということを認識していたでしょう。ヨハネの福音書での“新しい創造”は創世記の“創造”に対するミドラッシュなのです。 神は創世記のはじめで地を歩いており、ヨハネの福音書でも神が地を歩いています。 創造において、神はやみと光を区別されました。またヨハネの福音書の新しい創造において神はやみと光を区別されました(ヨハネ 3 章 20-21 節参照)。 創造において、霊は水の上を動いて被造物を生み出しました。『水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。』(ヨハネ 3 章 5 節)――と書いてあるように、ヨハネの福音書において御霊は新しい創造をもたらしにやってきたのです。 創世記では小さな光と大きな光がありました。またヨハネの福音書では小さな光――であるバプテスマのヨハネと、大きな光――であるイエスがいるのです。 創世記ではいのちの木が登場し、それはエゼキエル書、ヨハネの福音書、黙示録に登場します。 ヨハネの福音書では、いのちの木がいちじくの木に象徴されています。ナタナエルが『どうして私をご存じなのですか』(ヨハネ 1 章 48 節)と聞いたとき、イエスは『あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです』と言われました。ユダヤ人の象徴、ミドラッシュによって、イエスが彼に言おうとされていたことは、ただナタナエルが文字通りいちじくの木の下にいたということだけではありません。(もちろんそのことも含まれています)イエスはナタナエルに「わたしはあなたを創造のときから見ていた。この世のはじまりからあなたを知っていたのだ」ということを言っていました。 イエスはパリサイ人たちに向かって、『おまえたちは知識のかぎを持ち去り』(ルカ 11 章 52 節)と言われました。それはこれらのことを理解するためのかぎだったのです。 教会は何世紀にも渡ってこの知識のかぎを失っていました。教会はユダヤ人の書物を異邦人の書物として読み、ヘブライ的なものをヘレニズム的に読もうとしてきたのです。 私たちの解釈の方法は西洋の影響を大きく受けています。その読み方は 16 世紀の人間主義から来ており、新約聖書の著者たちからのものではありません。 新約聖書が旧約聖書を扱っている方法を見てください。そうしたときに分かるのは、教会が一部の理解しか持っていないということです。私たちの文法的・史実的な読み方は、中世ローマ・カトリックのグノーシス主義(*3)とスコラ学(*4)に対する反発なのです。 原点に戻るためのかぎは、使徒たちが理解していたように、聖書がユダヤ人的な書物であ ることを再び認識することにあります。 福音書の中でイエスはみことばを理解するためのかぎを取りました――そのかぎとはパリサイ人たちが政治的、財政的、社会的な権力の基盤としてきたもので、それを用いて自分たちをエリート化し、宗教的な貴族制を作り出してきたものです。イエスはそのかぎを取って一般の民衆に与えました。 そのためにパリサイ人たちはイエスを嫌いました。彼らは本来であれば一般の者たち、民衆を養うべきでしたが、そうはしませんでした。 イエスが少年の頃、バル・ミツバ(*5)のためにエルサレムに上られたときのことを読むとそれが分かります。大人たちは彼の知恵に驚嘆していました。彼らはどこでのこのような知恵を得たのだろう。この子はどうやってミドラッシュを学んだのだろうと思っていました(ルカ 2 章 47 節)。 イエスは聖書を理解するための知識のかぎを一般民衆に与えました。 例をあげると、イエスはイザヤ5 章1 節から7 節のぶどう園のたとえを繰り返されました。 マタイ 21 章 33 節から 46 節では、『祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。』とあり、なぜ彼らがそのことに気づいたかというと、ミドラッシュを理解していたからです。 一方でイエスは、自分の弟子たちにはたとえの意味を個人的に教えられました。そのためにパリサイ人たちは彼を嫌ったのです。イエスはパリサイ人たちの手の内を明かしていました。 サマリヤでのユダヤ人ラビ 今日、厳格な長老派の牧師が――オレンジ色の帯を付け長い帽子をかぶって、カトリック教徒の多いイギリスの西ベルファストを歩かないように、普段サマリヤを通るユダヤ人ラビを見かけることはありません。 過越の時期にエルサレムから戻って来るラビが、ガラリヤ湖を背にして、サマリヤを通るということも同じことなのです。その行為は当時ラビたちが常識と考えていたことと正反対のことでした。 今日まで、正統派ユダヤ人たちは次のように祈ります。「神よ、私が犬や異邦人、女として生まれなかったことに感謝します」(キリスト教とユダヤ教が女性差別をしていると思っている人は、異教が行われている地での状況を見る必要があります。そこで女性は所有物であるかそれ以下です) イエスはこのサマリヤ人の女に会うために、すべての社会的な慣習に反する行動を取りま した。イエスは彼女に対して心を開いており、愛情深く、彼女のことを気遣っておられ、 直接的に関与され、ご自身のことを明かされました。その時点では自分のユダヤ人の弟子たちに対するよりも多くのことを彼女に明かされました。イエスは自分がメシアであることをはっきりと告げたのです。 二つの悪 イエスは彼女に生ける水を与えることを望んでおられました。ここで用いられているのはミドラッシュの考え方です。イエスがなされたことはエレミヤ 2 章 13 節から取られています。 『わたしの民 [ユダヤ人] は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。』(エレミヤ 2 章 13 節) エレミヤはユダヤ人が二つの悪を行うことを予告しました。最初の悪は湧き水の泉であるメシア(聖霊を与えられる方)を捨てるということ。二つ目の悪は自分たちで水をためることのできない、こわれた水ためである他の宗教を作るということです。 今日のユダヤ教はラビ的ユダヤ教というもので、モーセとトーラーを基にしたユダヤ教で はありません。神殿も無ければ、祭司制度も無いのです。それは人が考案した宗教であり、何世紀にも渡って発達した宗教なのです。 ローマ・カトリック教が新約聖書のキリスト教でないのと同じように、ラビ的ユダヤ教はタナク(*6)のユダヤ教ではありません。 正統派のすべてのシナゴーグ(会堂)の屋根には、“イ・カボデ(ichabod)”――栄光は去ったと書かれています。彼らは神殿が崩壊したことを知っているのです。 ユダヤ人クリスチャンは過越の祭りに子羊を食べて祝います。彼らはひとりの大祭司がいるのでそうすることができます。その大祭司の名はイェシュアです。 一方で、正統派ユダヤ人や他のユダヤ人は過越の祭りに鶏肉を食べます。それは彼らが過越の祭りを正しく守ることができないという証となっています。 ラビ的ユダヤ教の始まり ダニエル 9 章 26 節には、メシアは第二神殿が破壊される前に来て、死ななければならないと書かれてあります。そのときに旧約聖書のユダヤ教は終わったのです。 タルムードを読むと、贖いの日(ヨム・キプール)に至聖所の前に緋色のひもが吊るされ ていたとあります。その緋色のひもの色が白く変わると、人々の罪は赦されたということを示していました。タルムードの中で、神殿が破壊されるまでの 40 年間、そのひもの色は白く変わらなかったということが記されています。言い換えると、イエスの時代からユダヤ人の罪は赦されなかったということです。(この話はタルムードの中に記されてあり、ラビたちもこれを認めています)ユダヤ人たちは律法ののろいの下にいます。 新しい宗教がヤブネ(パレスチナにある町)で始まりました。それを始めたのは、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイといって、ヒレル学派でタルソのラビ・サウロ(パウロ)と一緒にラビ・ガマリエル(ラビ・ヒレルの孫)から教えを受けていたパウロの級友です。 当時その学派には数多くの著名なラビがいました。そのひとりはラビ・オンケロスであり、聖書のタルグムという翻訳を行った者です。 しかしその中で、疑う余地がなく有名だったラビは、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイとタルソのラビ・サウロの二人でした。神殿が崩壊した後、すべてのユダヤ人がこの二人のラビどちらかに従ったのです。 当時、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイは後にラビ的ユダヤ教となるものの兆しをもたらしました。ラビ的ユダヤ教はレビ人の祭司制度をラビに、神殿をシナゴーグと取り替え、トーラーのほとんどを自分たちの伝統や非聖書的な書物と置き換えてしまいました。 ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイはその名を“力強い金槌”として知られていました。彼が死の床にあったとき、弟子たちが来てみると泣いているのに気づきました。彼らがなぜ泣いているのかと聞くと、「私はもうすぐ“ハ・シェム(*7)”に会おうとしている。その御名がほめたたえらえるように。私の前には二つの道が用意されている。ひとつはパラダイスに続いており、もうひとつはゲヘナに続いている。私は自分がどちらを宣告されているのか分からないのだ。そのために涙を流している」と彼は言いました。 ラビ的ユダヤ教の創始者は死が迫っているときに、救いの確信がなかったのです。一方で彼の級友であったタルソのラビ・サウロは次のように言いました。 『私が世を去る時はすでに来ました…今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。』(2 テモテ 4 章 6 節-8 節) ミドラッシュ ― つながりを見出す ユダヤ的な観点で聖書を読むとき、二つのことが地理的に同じ場所で起ったとき、たいていの場合、そこには神学的・霊的なつながりがあります。 例えば、ダビデ王はベツレヘムにおいて生まれ、“ダビデの子”であるイエスもベツレヘ ムで生まれました。 エリヤとエリシャ、バプテスマのヨハネはみな同じ霊を持っていました。エリヤの奉仕はエリコの平原で終わり、エリシャはその同じエリコの平原で奉仕を開始し、バプテスマのヨハネもその奉仕をエリコの平原で行いました。 井戸のそばにいたリベカ 1 世紀のクリスチャンなら、ヨハネ4 章を理解するために、旧約聖書のどの箇所で女が井戸のそばにいたことがあったかを考えたことでしょう。「以前このようなことはどこで起こったのだろう?イエスさまはそれをどのように成就したのだろうか?」 ミドラッシュは同じような出来事が以前どこで起こったかを問います 私たちは象徴やたとえに基づいて教理を作りはしません。私たちは象徴やたとえを用いて、聖書の他の箇所にはっきりと記されている教理を論証するのです。私たちはグノーシス主 義には陥っていません。 ミドラッシュを理解するためには、何かが起こったとき、その場所で以前何があったかをさかのぼって見る必要がります。 アブラハムが老齢になったころ、彼は息子の花嫁を探すためにしもべを遣わしました(創世記 24 章)。アブラハムは贈り物――宝石――をらくだの背に乗せました。それは自分の親類に与えるため、またそのしもべがアブラハムに遣わされた者だということを証明するためでした。 父はその子に花嫁を準備するためにしもべを遣わしました。神はイエスのために花嫁を整えるため、聖霊を遣わしました。(それは神の三位一体を示すものだったのです) そのしもべはイサクの花嫁となるべく定められた者を見つけられるように、神に導かれるよう祈りました。 『こうして彼がまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはアブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘であった。この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉 [井戸] に降りて行き、水がめに水を満たし、そして上がって来た。 しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」』(15 節-17 節) リベカの兄のラバンは最初、そのしもべのことを信用していませんでしたが、アブラハム からの贈り物を見たとき確信を持ちました。 『その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。リベカにはひとりの兄があって、その名をラバンと言った。ラバンは外へ出て泉のところにいるその人のもとへ走って行った。 彼は鼻の飾り輪と妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人がこう私に言われました」と言った妹リベカのことばを聞くとすぐ、その人のところに行った。すると見よ。その人は泉のほとり、らくだのそばに立っていた。 そこで彼は言った。「どうぞおいでください。主に祝福された方。どうして外に立っておられるのですか。私は家と、らくだのための場所を用意しております。」』 (創世記 24 章 28 節-31 節) 贈り物(賜物)はしもべが御子の花嫁を得るために遣わされたことを証明するものなのです。(これは使徒の働きでのことです) “井戸のそばにいる女”というこのテーマは、ヨハネの福音書においてもう一度表れています。それは『ヤコブは私たちにこの井戸を与え…』と言った女です(ヨハネ 4 章 12 節)。 井戸のそばにいたラケル 『ふと彼 [ヤコブ] が見ると、野に一つの井戸があった。そしてその井戸のかたわらに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。 その井戸の口の上にある石は大きかった。群れが全部そこに集められたとき、その石を井戸の口からころがして、羊に水を飲ませ、そうしてまた、その石を井戸の口のもとの所に戻すことになっていた。 ヤコブがその人たちに、「兄弟たちよ。あなたがたはどこの方ですか」と尋ねると、彼らは、「私たちはハランの者です」と答えた。それでヤコブは、「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか」と尋ねると、彼らは、「知っています」と答えた。 ヤコブはまた、彼らに尋ねた。「あの人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ご覧なさい。あの人の娘ラケルが羊を連れて来ています」と言った。 ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありませ ん。羊に水を飲ませて、また行って、群れをお飼いなさい。」すると彼らは言った。 「全部の群れが集められるまでは、そうできないのです。集まったら、井戸の口か ら石をころがし、羊に水を飲ませるのです。」』(創世記 29 節 2 節-8 節) 復活の後に石がころがされるまで、聖霊は与えられませんでした。 ラケルとレアのように ヤコブはふたりの妻を持ちました。彼はラケルを望みましたが、最初にめとったのはラケルではありませんでした。彼はレアをめとったのです――彼女は本来の目的ではありませんでした。 ヤコブがレアをラケルと同じように愛せるようになってから、その後にラケルをめとることができました。最初はレアが子どもを多く産みましたが、最終的にはラケルの胎が豊かに祝福されました。 イエスはユダヤ人のために来ました(ヨハネ 1 章 11 節)。しかし、彼は異邦人の教会をめとり、彼らをイスラエルやユダヤ人と同じように愛せるようになってからしか、ユダヤ人をめとることはできません。 その後ローマ 11 章にあるように、ユダヤ人はイエスの元に帰ってきて、イスラエルは花嫁となることができるのです。 最初は異邦人の教会が子どもを多く産みましたが、最終的にはイスラエルが実り豊かなぶどうの木となります(ローマ 11 章 25 節-26 節)。 ルツ記は“シャヴォート(七週の祭り――ペンテコステ)”の時期にシナゴーグで朗読されます。ルツ記とは、裕福な男がユダヤ人の妻をめとり、ベツレヘムで生まれたその子が買い戻す者(贖う者)と呼ばれるという話です(ルツ記 4 章 14 節)。 そこで人々はボアズに向かって言いました。 『どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように』(ルツ記 4 章 11 節) このように彼らが言ったのは、教会がユダヤ人と異邦人とで構成されるべきものだからです。 霊的な次元で語る ヨハネの福音書では、ナタナエルに始まりニコデモに対しても繰り返されていることがあ ります。それはイエスが霊的な次元で語っていたということです――新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません――しかし、それを聞いていた人々は物質的な意味にとっていました。『もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか』(ヨハネ 3 章 4 節) このことの例はヨハネの福音書を通して見受けられます。また他の福音書にも見られることですが、新約聖書の中ではヨハネの福音書において一番目立つものとなっています。 イエスがベテスダの池の近くにいた足なえをいやしたとき、彼にこう言われました。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』(ヨハネ 5 章 8 節)この男がいやされて床が必要でなくなったのなら、なぜイエスは「床を取り上げて歩きなさい」と言われたのでしょうか。なぜなら、床とは十字架の象徴であるからです――これから自分の体をずっと離してはならなかったからです。 言い換えると、イエスはミドラッシュ的に「あなたの十字架を取り、わたしについてきなさい。十字架の道を歩みなさい」と言われていました。 イエスはしばしば霊的な次元で物事を語られましたが、話しかけられた人たちは物質的なことしか考えていませんでした。井戸のそばにいた女も同じようです。 イエスが彼女に会ったとき、彼はすべての社会的な慣習を破って彼女の存在を認めていることを示しました。そして、まだご自分の弟子たちにさえも明かしていないことを彼女に明らかにしたのです。 イエスは、ユダヤ人から見て不道徳で、しかもサマリヤ人だと忌み嫌われていた女に大きな愛を示し、彼女を受け入れる心を示されました。 罪の贖われる方法 ふたりは会話をし始めました。彼女はユダヤ人が信じている多くのことを信じているようでした。彼女は族長たちを尊敬しており――私たちの父ヤコブと言い、トーラー(モーセ五書)を信じていました(サマリヤ人たちは聖書すべてを聖典としませんでしたが、トーラーを固守していました)。また彼女はユダヤ人と同じように、メシアが来ることを信じていました。 最終的に彼女はイエスがメシアであることをはっきりと信じさえしました。 ある人はこう言うかもしれません。「それで十分じゃないか。彼らは聖書を持っているし、族長を信じていて、イエスを信じているのだから。何かいけないところがあるのです か?」 しかし、その女はすぐさま『私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます』(ヨハネ 4 章 20 節)と言いました。イエス はこれに対してどう言われたのでしょうか? これは土地の問題でも、周辺的な問題でもありません。これは中心的な問題です。罪はどこで贖われるのでしょうか? 罪はどのように贖われるのでしょうか?ということです。 ローマ・カトリック教会は、救いが主に洗礼とざんげの秘蹟によって与えられると教えています。 これは秘蹟主義や洗礼による再生と呼ばれるものです。 救いは秘蹟によって与えられるものではありません。救いは生まれ変わることによって与えられます。 『しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。』 (ガラテヤ 1 章 8 節) パウロはそのような人たちから離れなさいと書いています。それは彼らと何の関係を持たないということです。それが神の御使いであっても退けるべきなのです。モーセが岩を杖で打ったとき(出エジプト 17 章 6 節)、水が溢れ出しました。それはイエスが十字架にかけられて、聖霊が与えられることと同じことでした。 モーセがその岩を二度打ったために(民数記 20 章 11 節)、彼は約束の地に入ることができませんでした。それは大きな罪と見なされました。まさにイエスをもう一度十字架につけるようなことだったのです。 モーセが岩を二度打ったことは、 イエスをもう一度十字架につけるようなことでした ローマ・カトリック教会はミサを行うごとに、何度もその“岩”を袋叩きにしているのです。彼らはミサがカルバリの丘でささげられたのと同じいけにえだと主張します。ということは、イエスは何度も何度も死ぬということなのです。 これがローマ・カトリックの教えです。 ただ一度だけで 私たちの大祭司は『まず自分の罪のために、その次に、(旧約のもとで)民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。』(ヘブル 7 章 27 節) イエスはただ一度だけ死なれました。カトリック教会のミサの教えのように毎日死ぬとい うものではありません――彼らはミサが同じいけにえだと主張し、キリストは礼典的に死なれると主張しています。 『また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』(ヘブル 9 章 12 節) 『キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。』(ヘブル 10 章 14 節) サタンは絶えず、クリスチャンに十字架の完全さを否定させようとします。サタンに歪められたキリスト教のすべてが何らかの形で十字架を否定しています。 すべての欺きは信者であるあなたを十字架から離れさせるのです。 すべての欺きは信者であるあなたを十字架から離れさせます 繁栄だけを約束する説教者たち(ヘーゲンやコープランドなど)は、イエスが地獄に下り、そこでサタンと同じ性質を持ち、地獄で生まれ変わったと教えています。そこでイエスが勝利を得たと言うのです。 彼らの考えは十字架が救いにおいての中心でないために、十字架が信仰生活の中心でなくなっています。聖書が教える生き方とは、十字架を取りイエスに従い、十字架につけられた生活をすることです。 エホバの証人は十字架のことを“苦しみの杭”と呼びます。彼らはそれを十字架とさえ呼 びたがりません。彼らは救いが自分たちの組織から与えられると信じています。 また、内なる癒しと解放という分野で教えられていることのほとんどは、一種の巧妙な霊的誘惑であり、十字架の完全さを否定するようになっています。このことを信じている人たちは、祖母が占い師であったりする人(信者)を見つけては、彼らにそののろいから解放され、救い出されなくてはならないと言います。 聖書に基づいた癒し 聖書の中にあるすべての癒しは、ふたつのことに基づいています。それは赦しと十字架です。 人が私に対して何をしたかに関わりなく、私は神に対して最も酷いことをしました。私が どれだけ傷つき退けられたかに関わらず、私は神に対して最も酷いことをしました。 神は私を赦したいと願っておられ、私も赦してほしいと望んでいます。しかし、そうなるためには条件があります。それは私が他者を赦すための恵みと力を神に求めることです。これがクリスチャンの内なる癒しの最初の基礎です。 二つ目は、『このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。』(ローマ 6 章 11 節)という原則です。 私たちはキリストと共に十字架につけられました。あなたは新しく造られた者です。昔虐待された子どもであっても、夫に捨てられた妻であったとしても、どんな人であったとしてもその人は死にました。あなたは新しく造られた者です。 『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(2 コリント 5 章 17 節) 悪魔は絶えず、十字架の完全性を忘れるように仕向けさせます。彼のすることといえば、古い人を掘り返し、何らかの形で古い人のままで生きさせようとすることです。 私はここで、そのような良くない環境にいた人たちが色々な方法でのカウンセリングや、回復するための手段、助けを必要としないと言っているのではありません。そのような人たちは手助けを受けることが必要です。しかし、その基礎はいつも二つの原則、赦しと十字架となるべきなのです。 ローマ・カトリックもまたイエスの十字架の完全性を否定します。 イエスと井戸のそばの女はただ「私たちにはこの山があって、あなたたちにはあの山がある」と言っていたのではありません。 問題はどこで罪が贖われるのか。私たちはどのようにしたら赦されるのかということです。 イエスはその話を進める前に彼女に言いました。「女の人。あなたは良い人だ。わたしはあなたを悪く思っていない。あなたと会話をするためにすべての社会的な風習に反した。なぜなら、あなたはサマリヤ人で、女であり、遊女のようであるからだ。わたしはあなたと話をするためにすべてのマナーを破った。しかし、言っておかなければならないことがあります。救いはユダヤ人から来ます」 霊とまこと イエスは霊とまことが大切だと言われました。彼女は正しい霊を持っていましたが、まこ とを持っていませんでした。おそらくパリサイ人たちはまこと(真理)を持っていたでし ょう。しかし彼らは正しい霊を持っていませんでした。 神にとって比較的容易なのは、正しい霊を持っている人たちにまことを与えることです。たいていの場合、まことだけを持っている人に正しい霊を与えることは容易ではありません。 それは極端なカルヴァン主義を持った人たちの態度の中に見ることができます。予定説とそこから発生するエリート意識はしばしば人種差別という形となって現れます。 実際に、超カルヴァン主義の教会がずっと存在していた場所のすべてに、社会的な不公平の歴史がありました。超カルヴァン主義が存在したアメリカ南部では人種差別と奴隷制があり、また超カルヴァン主義のオランダ改革派教会があった南アフリカにはアパルトヘイト(人種隔離政策)がありました。同じ超カルヴァン主義を持った厳格な北アイルランドの長老派の地域もそうです。これはカルヴァンのジュネーブでの警察国家にさかのぼることなのです。 人が食べるものではない イエスは井戸のそばの女に対して、悪霊につかれた娘を持つスロ・フェニキヤの女に対するとのと同じような態度を取りました。『子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。』(マルコ 7 章 27 節) 表面的にはイエスはひどい人種差別をしていたかのように見えます。しかし、私は保証しますが、イエスさまはユダヤ人の少女と同じように、スロ・フェニキヤの少女を愛していました。 イエスがその女に言っていたことというのは、「あなたの宗教は人の食べるようなものではない。あなたがそのようなものを信じている限り、わたしが持つものを与えることはできない」ということなのです。 イエスさまは会話を先へ進める前に、彼女が信じる偽りの宗教を正しました。 ローマ・カトリックは人にはふさわしくありません。偶像礼拝をすることや、死者に向かって祈ることは忌むべきことです。救いは秘蹟によって与えられるものではなく、私たちために十字架上で流されたイエスの血から来ます。 霊とまこと。正しい霊を持たないなら、まことだけでは十分だといえません。またまことを持っていなければ、正しい霊だけで十分ということはありません。 イエスさまは何と言われたでしょうか。「女の方よ。救いはユダヤ人から来ます。あなたがたは知らないで礼拝しています。まことは彼らのものです」 救いは福音主義からやってきます。ローマからではありません。この井戸のそばの女のようなローマ・カトリック教徒たちが多くいます。正しい霊を持つ人たちです。 使徒の働きで、使徒たちがユダヤ人に退けられたとき、多くのサマリヤ人たちが福音に対 して心を開き始めました。同じように今日多くのローマ・カトリック教徒が心を開いています。 カトリック教徒たちの中で働かれる神 カトリック教国の中で神さまは働かれています。イギリスでペンテコステ派は衰退する一方で、イタリヤやフィリピン、ブラジルなどにいる何百万のカトリック教徒たちがキリストに導かれています。 ヨーロッパでは、宗教改革の影響が全くなかった東方正教会やカトリック教国の中で教会は成長しています。現代のアイルランドでは、プロテスタントよりも多くのカトリック教徒たちがキリストに導かれています。 同じことがイタリヤやスペイン、ポルトガル、ルーマニア、アルバニア、ロシアなどの宗教改革の影響を全く持たなかった国で起こり、福音は前進しています。 それではどのような場所で教会は衰退しているでしょうか?イングランドやウェールズ、スコットランド、オランダ、ドイツ、スイス、スカンジナビアなど、何世紀にも渡り真理を持っていた場所です。 カトリック教徒たちは正しい霊を持ち、まことを得たいと望んでいます。彼らは飢え渇いているのです。神はカトリックの人たちを愛しています。彼らは未来を代表していて、プロテスタント主義は過去のものとなってしまいました。 チリのサンチアゴでは毎週 2 万人もの人が救われ、ローマ・カトリック教会を離れていった時期が最近ありました。フィリピンでも同じようなことが起こっています。 グアテマラでは過去 10 年間で、人口の 10 パーセントがローマ・カトリック教会を去っています。 このようなことが起こっているので、教皇は事態を取り繕うためにその国々へと向かいます。 「アヴェ・マリア あ~会えて嬉しいや どうか去って行かないで」 イエスは何と言われたか イエスは何と言われたでしょうか。イエスはカトリック教徒たちに対してリック・ウォレ ンのように話しかけられたでしょうか?またダーリン・チェックやヒルソングのようにカトリック教徒たちに話しかけられたでしょうか? (注…日本のキリスト教書店では、マザー・テレサやザビエルの映画を販売して、まるで彼らが聖書的な救いの道を知っていたかのように思わせています) 「死者に向かって祈ってもよろしいですよ。救いの教理が違ってもかまいません。聖書とイエスを信じていればそれで十分なのです」と彼らは言います。 それは間違っています。十分ではありません。救いはユダヤ人から来ます。その山ではなく、あなたの罪が赦されるのはそのような方法ではないのです。秘蹟は罪を贖いません。 これがイエスの言われたことです。そして私たちもカトリックの人たちを愛するならば、同じことを彼らに言うべきです。 エキュメニズム 『ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」しかし、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」』(エズラ 4 章 1 節-3 節) エキュメニカル運動は何を主張しているのでしょうか? 「私たちもあなたたちといっしょに建てたい。私たちはみなひとつじゃないか。イエスを 信じ、聖書も持ち、あなたたちの信じていることを信じています。妊娠中絶にも反対だし、同性愛にだって反対していますよ(私たちの中の多くの祭司は同性愛者だけど)」 ヒゼキヤは良い王でしたが、ひどい間違いを犯しました。自分の宝をバビロンの王に見せてしまったのです。そのことがあってから、イザヤが予告したようにバビロンの王が来て宝を奪っていきました。 福音派がローマと宝を共有してしまうと、その宝はいつかローマによって奪い去られるこ とでしょう。ローマ・カトリックのエキュメニズムについての文章のすべてが同じこと、 ローマに戻ることについて書いています。彼らは公にそれを認めています。何も分かっていないのは思慮のないプロテスタントだけです。 人々はエキュメニズムがリバイバルをもたらす方法だと言い、ローマ・カトリック教徒たちが救われる方法だと言います。 しかし、ローマ・カトリック教徒が救われている場所(ブラジルやメキシコ、フィリピンなど)を見ると、その何千、何万、何百万もの人たちがローマから出てきたことが分かります。その人たちは「私たちはバビロンから去って来ました。今私たちはクリスチャンです」とあなたに言うでしょう。 エキュメニズムという異端を受け入れている社会はほとんど次のような社会です。過去にキリスト教国だった社会、そしてもはや真理に立っていないカリスマ派運動、みことばを知らない指導者たちやみことばに気を留めない指導者たちのいる社会です。 「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい」と彼らは言うでしょう。しかし、ゼルバベルとヨシュアは言います。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない」 グノーシス主義 ローマ・カトリックはグノーシス主義を基礎にしていることを思い出してください。グノーシス主義を信じている人と関わりを持つとき、彼らは同じ用語を使っていますが、彼らにとっては違う意味を持っています。 例えば、ニューエイジ(基本的にグノーシス主義)に関わっている人と話すとき、あなたが「私は光を見た」と言うと、彼らも「私も光を見ましたよ」と言うでしょう。 私たちにとって光とは唯一イエスのみ(ヨハネ 1 章 9 節)ですが、彼らには違う定義があり、内なる自己が照らされたことという意味で使っており、どちらも「光を見た」と言うのです。 また復興主義者たちが“神の国”や“勝利”といった言葉を使うとき、聖書と違う意味をもたせて使っています。 ローマ・カトリックとプロテスタントの神学者たちのエキュメニズム的な会議では、プロテスタント側が「私たちは恵みによって救われた」と言うと、カトリック側も同意して「私たちも恵みによって救われました」と言うでしょう。 英語の“グレース(恵み)”という言葉の意味は“受けるに値しない恩恵”というものです。ヘブライ語で恵みを表す言葉は“ケセッド(chesed)”というもので、“神の契約の中にある慈しみ”という意味です。またギリシア語で“恵み”とは“カリス(charis)”であり、 “賜物”を意味します。 つまり、福音派が「私たちは恵みによって救われた」と考えるとき、神の賜物、契約の中 にある神の慈しみ、自分たちが受けるに値しない神の恩恵について考えているのです。 しかし、ローマ・カトリックにとって“恵み”とは秘蹟によって得られる、何かこの世のものではない物質なのです。 なので、彼らはどちらも同意して「私たちは恵みによって救われた」と言う一方で、その用語に対する二つの違う定義を持っているのです。 水がめは置いていくが、その中にいる人たちは 霊とまこと。サマリヤ人の女はイエスが言われた生ける水に関しての言葉をそのまま受け取りました。 『女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」』(ヨハネ 4 章 28 節-29 節) 彼女はイエスに会った後自分の水がめを置いて、町の中の人たちのもとへと行きました。 彼女は自分の宗教を置いていきましたが、その中にいる人たちは置いていきませんでした。改心したローマ・カトリック教徒はローマ・カトリック教会を去るべきですが、その中に いる人たちは置いていってはなりません。 唯一の仲介者 救いは秘蹟によっては与えられません。生まれ変わらなくてはならないのです。ローマ・カトリック教会は、救いが秘蹟によって与えられると教えており、膨大な数の人たちを地獄に引き込んでいます。 マリアに祈ることは死者に向かって祈ることであり、神にとって忌むべきものです。ロザリオの祈りの中では、ひとつの祈りの中で 10 回はマリアに対して祈っています。 『女の中の祝福された方…』これは事実です。しかし「聖なるマリア、神の母」ということは聖書には出てきません。それは神に対する冒涜です。 「今我々罪人たちのために祈ってください。また私たちの死の間際にも」これはイエスとマリアを取り違えることです。聖書は『神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです』(1 テモテ 2 章 5 節)と言っています。 聖書はまたイエスのみが唯一の贖い主であると言います。しかしローマはマリアが共贖者 (イエスと共に罪を贖う者)であると言います。これらすべてのことはバビロンを起源と する異端の宗教からやってきました。聖書からではありません。 ローマ・カトリックの中でも本当にイエスを愛し、神を求めている人たちがいます。正しい霊を持つ人はまことを受け入れます。しかし、正しくない霊を持つ人はまことを受け入れません。 答えられないほどの疑問 ローマ・カトリック教会の枢機卿であったヘンリー・エドワード・マニング(1808-92)は自伝の中で、祭司として人々がローマ・カトリック教徒になる何千もの理由を知っていると書きました。 しかし、彼は人々がローマ・カトリック教会を去る理由をひとつだけしか知りませんでした。それは神のことばを読み、結局どの祭司も答えられなくなるような疑問でいっぱいになる場合でした。 学者たちは少なくとも、カトリックの儀式の 70 パーセントが異教から来ていると言ってい ます。ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿は、彼の論文『キリスト教という宗教の発達』の中で「聖域や香、燭台、奉納の供え物、聖水、聖日、勤行の時期、行進、土地への祝福、聖職者の祭服、剃髪式(祭司や修道僧、修道女などの)、像などはすべて異教から来たも のである」と書いています(p.359)。 カトリックの中で最も偉大な二人の神学者、トマス・アクィナスとヒッポのアウグスティヌスは無原罪懐胎(マリアが原罪の無い状態で生まれたとする説)を否定していました。カトリックの聖者である聖ベルナルドは化体説を否定しました。ローマ・カトリック教会の中で生まれ変わったと主張し、真理を示されたときにそこを去ろうとしない人たちは、初めから救われていないか、反抗心へと陥っている人たちです。 正しい霊を持ったローマ・カトリック教徒がまことを聞くと、彼らはそれを喜んで受け取ります。 世界中に井戸のそばの男と女がいて彼らはイエスを待っています そして私たちを待っているのです (*1) ガバタ=エルサレムの総督官邸にある舗装された地域。ピラトがイエスを十字架に かけるためにサンヘドリンに彼を渡した場所 (*2) 口伝律法=モーセ五書に関する教えや格言を集めたもの。律法についての“ここまでして良い”という境界を定める注解書の役割をなしている (*3) グノーシス主義=救いが信仰や行いによらず、神秘的な知識を得ることによるとする教え。(グノーシス=ギリシア語で知識の意味) (*4) スコラ学=中世ヨーロッパで後に“スクールマン”として知られるようになる学者たちが発達させたキリスト教哲学・神学のこと (*5) バル・ミツバ=文字通りには“義務の子”。ユダヤ教で大人の一員として認められるためになされる儀式 (*6) タナク(Tenach)=旧約聖書のヘブライ語の名称。トーラー(モーセ五書)、ネヴィーム(預言書)、ケトゥヴィーム(文字通りには“諸書”、詩篇や、特定の歴史・知恵文学)の頭文字を取った言葉 (*7) ハ・シェム=文字通りには“その名”を意味するヘブライ語。ユダヤ人が神の名を口にすることを避けるために一般的に使っていた婉曲表現
April 3, 2025
スミルナ――『没薬』より:『埋葬のための油注ぎ』――第 2・3 世紀  スミルナの都市 スミルナ(現代のイズミル)は「ト・アガルマ・テス・アシアス――アジアの喜び」とし て知られていた宝石のように美しい場所でした。スミルナは当時も今も深い海に接する港 街であり、35 マイル(約 5.6 キロメートル)南にあるエペソとは激しいライバル関係にあ りました。紀元前 600 年頃にその町は地震によって破壊され、紀元前 4 世紀まで再建され る事はありませんでした。10 万人の人口を抱え、海の傍にはキュベレーの神殿を持ち、さ らにはアポロや、アスクレーピオス、アフロディーテー、またゼウスに捧げられた目を見 張るような神殿がありました。この都市は、発展した科学とぶどう酒の貿易で繁栄し、ラ オデキヤのように薬でも有名でした。 『また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。 初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。 「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は 富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタ ンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けよ うとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために 、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十 日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあ なたにいのちの冠を与えよう。 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して 第二の死によってそこなわれることはない。」』』(黙示録 2 章 8 節-11 節) 注目すべき事柄は、スミルナという名前がギリシア語の『没薬』を意味する言葉から取 られたことです。没薬は基本的に埋葬の時、死者の体に塗るために使われていました。ヨ ハネ 19 章 39 節では、ニコデモがイエスの体に塗るための没薬を持ってきたとあります。 雅歌の中で没薬は、花婿が没薬の山に上ると描かれている箇所でそれとなく触れられてい ます。 『そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、 私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』(雅歌 4 章 6 節) 乳香とはいけにえをささげる時に焚かれたもので、その山は当然のことながら、イエス が処刑されたカルバリの山を指し示しています。 スミルナは、おおよそ使徒の活躍した後の 2・3 世紀、つまりニケア公会議以前の時代か ら、コンスタンティヌス帝(紀元 321 年)やニケア公会議(紀元 325 年)までの時代と関 連しています。 イエスは黙示録 1 章のご自身の描写の中から、それぞれの教会が思い出すべきひとつの 側面を教会に念押ししました。スミルナはイエスが死に、そしてその死からよみがえった ことを思い起こす必要がありました。迫害は終わりではありません。その後に永遠のいの ちがあるのです。 「わたしは、あなたの苦しみを知っている」すべての教会と同じように、イエスは悪い ことを扱う前にまず何が正しいかを示します。スミルナは(フィラデルフィアと同じよう に)イエスが何の悪い点も見出さなかった教会です。その理由は、その教会が迫害を受け ていたからでした。文字通りにひどく迫害されながらも、信仰を保っている教会を批判す るのは非常に難しいことです。 ロンドンのソーホー(Soho)という町はフランスから来たユグノーと呼ばれる人たちが定 住した町です。ユグノーとは聖書を信じるクリスチャンで、ローマ・カトリック教会の手 によって激しく迫害された人たちです。「聖バーソロミューの日(8 月 24 日)」に人々は聖 バーソロミューの虐殺を思い起こします。当時のローマの権威者たちは、彼ら(ユグノー 達)に平和と安全とを約束し、公の会合を開くために招きました。しかしユグノー達が現 れた時、ローマの聖職者たちは彼らを処刑したのです。それは虐殺でした。このような迫 害のためにユグノーの生存者たちはイギリスへ移り住みました。ある者は北アイルランド に行き、帽子や織物、レースなどの貿易を始めました。他の者たちはホワイトチャペル周 辺のロンドンの東の端に定住しました。 結果としてソーホーは言うならばイギリスの「バイブル・ベルト(聖書の影響が強い地 域)」となりました。そこには当時おそらく世界のどこよりも多くのクリスチャンが密集し ていたでしょう。彼らは毎日祈祷会を開き、聖書研究を行っていました。そしてユグノー たちは家から家へと回っていました。しかし今日ソーホーはロンドンの売春街となってい ます。かつては主が崇められ、みことばが学ばれ、福音が宣べ伝えられ、クリスチャンた ちが日ごとに祈りや礼拝のために集まっていた場所が、ポルノと売春の巣窟となったので す。物事が逸れていくのに長い時間はかかりませんでした。そしてこのようなことこそが 今日の西洋世界で私たちが目にしていることなのです。  未来の歴史的・預言的な対型 サタンがスミルナの教会を地域的な迫害によって『十日の間』苦しめたことは、一般的 にキリスト教に敵対的だった一連の皇帝たちによる大きな迫害の 10 の期間を指すと言われ ています。皇帝たちはしばしばユダヤ人に対して反ユダヤ主義的な傾向を持っていました 。これは蛇と女の間に敵意を置くと書かれている創世記 3 章 15 節の預言と関連しています 。帝政ローマから教皇制によるローマ、また異端審問、鉄のカーテンの時代のソビエト主 義、また現代の原理主義イスラムに至るまで、アブラハム、イサク、ヤコブの神学的子孫 に敵対する者は、ヘブル人族長たちの人類学的子孫にも敵対します。真実の教会と、イス ラエルの両方が神の契約の民であり、預言的な神の救いの計画がその民にかかっています 。それゆえ、真実の教会とユダヤ人はこれまで、繰り返し同じ迫害者の標的となってきた のです。 ユダヤ人の絶滅にやっきになっているサタンの霊は、真実の教会をも絶滅しようと精を 出しています。ローマから始まり、教会に敵対した国々の大部分がどれもユダヤ人に対し ても敵対しました。ティトスが行った紀元 70 年のユダヤ人に対するエルサレムでの衝撃的 な出来事は、教会を迫害したネロによって受け継がれました。同じような傾向がクラウデ ィオス帝の治世にも顕著でした。二世紀に入ると、使徒の後の教会が始まりました。時を 同じくして、シメオン・バル・コクバに率いられたユダヤ人第二の反乱により、ユダヤ人 はエルサレムから除き去られ、聖書のイスラエルの地からのディアスポラ(離散)へと至 りました。ディアスポラはハドリアヌス帝の治世に勢いを増しました。その事と同時に、 それに続く一連の気の狂ったような皇帝たちによる教会への多くの恐ろしい迫害が起こり ました。その皇帝たちすべてが多神教を信じる異教徒であり、大半の者がバイセクシャル (両性愛者)でした。 ローマ皇帝たちが自ら招いた道徳的退廃のために、それまでキリスト教徒に突き付けられ た故無き訴えがユダヤ人にも突き付けられ、すべてのことに関して彼らが責められていた ことは驚くべきことです。この種の非難はキリスト教徒の虐殺を正当化するために使われ 、コンスタンティヌス帝がローマ帝国を外見上だけキリスト教化した時に終わりましたが 、ユダヤ人に対しては継続されました。それはただ帝政ローマの権力によって実行されな くなっただけであり、教皇制ローマの教皇権によって継続されました。教皇制ローマの教 皇権は、いわゆる神聖ローマ帝国の下にその放蕩を続けました。この過程はネロとティト スによって初歩的な面を見せていましたが、スミルナの教会の性質をもって表される 2 世 紀から 4 世紀の時代にはっきりとした様相を呈しました。スミルナのクリスチャンが現地 で直面していたものは、2 百年間、ローマ帝国の中にあった教会を襲ったことの前触れで あり、縮図であったのです。 ドミティアヌス、マルクス・アウレリウス、セプティマス・セベリトゥス、カリグラ、 デキウス、ディオクレティアヌスらは、集中して迫害が行われた 10 の主要な期間を指揮し た皇帝たちです。異教ローマのポンティフよりも、教皇制ローマのポンティフ(教皇)た ちの方がより多くのキリスト教徒とユダヤ人を殺すことのできる鋳型を形成しました。実 際、私たちがすでに見てきたように、真実の教会はポンティフのパンテオン(古代ローマ の神殿)の外に置かれるレリギオ・イリシタ(違法な宗教)となりました。再び現代世界 において、私たちは同じことをヨハネ・パウロ 2 世(本名カロル・ボイティワ)とベネデ ィクト 16 世(本名ジョセフ・ラッツィンガー)の教皇権において目撃しています。どちら も自分達がいかなる全ての信仰とローマ・カトリック(彼らが主張する使徒ペテロの正当 なるキリスト教)との間の『橋渡し』だと自称しており、新生した、聖書的な福音主義を 非難しています。このような人たちはペテロの後継者ではなく、本来のポンティフの後継 者、帝政ローマの反キリスト的皇帝たちの後継者なのです。  神に背くことは政治的、道徳的退廃へとつながる 私たちが目にしている西洋民主主義国家での、政治的また経済的、社会的退廃が、西洋 の道徳的、霊的退廃の反映であることは疑う余地がありません。イギリスの国会の外壁に はラテン語で、「パテル・ノステル・クイ・エス・カエリス――天におられる我々の父」と 掲げられています。最近のテレビで発表された統計によると、現代、国会議員の大半が全 く何の宗教も信仰していません。その中で多数派なのが名ばかりの英国国教会員たちです 。その次に来るのが多くの無神論者や不可知論者たちで、次にイスラム教徒、仏教徒、ヒ ンドゥー教徒、ユダヤ教徒(救われていないユダヤ人たち。昔のディズレーリ首相はユダ ヤ人クリスチャンでした)、カトリック教徒などが続きます。これらの人々が、イギリス で実行されていたエラストゥスの教会システムを採用した政府のもとで、投票により司教 たちを任命しています(エラストゥス 1524-1583 ハイデルベルクの医者で、教会の権威 が世俗の政府を従わせるべきだと教えた人物)。このイギリス国会の中で神の存在さえも 信じていない幾人かの者たちが、英国国教会の聖職者を任命しているのです!  誰にも惑わされないように エバはイスラエルの象徴、また教会の象徴であり、彼女は蛇によって惑わされました。 聖書中で蛇は欺きを表しており、一方、竜は迫害を表しています。スミルナでは蛇と竜が 同時に教会を攻撃していました。 マタイ 7 章 15 節や使徒 19 章、第二ペテロ 2 章はすべて偽預言者や偽教師について警告 しています。初代教会は外側にいた偽預言者からだけではなく、内側の者からも挑戦を受 けており、そちらのほうがはるかに破壊的でした。初代教会では当時アリウス主義者たち がいました。アリウス主義者とはアリウス(紀元 250-336)から名前を取られた者たちで 、イエスが創造された存在であるとし、イエスの神性を否定しました。今日それはエホバ の証人として再び現れています。「日の下に何も新しいものはない」――逆にその反対の主 義も存在し、『イエスだけ』が神であると信じ、御父をないがしろにする人たちもいます 現在カンタベリー大主教のローワン・ウィリアムズ(Rowan Williams)は、ドルイド教 (ケルト人社会における宗教)の式典に参加することに何の抵抗も感じない人物で、複数 の信仰を受け入れるリベラルです。彼は明らかに同性婚の許可や、同性愛者の任職に精を 出しています。ウィリアムズ大主教は、あのブレア政権(国会の民主主義的権威の多くを ブリュッセルの選挙によらないヨーロッパ政治へと手放した政権)によって任命されまし た。彼らはイギリスの経済的先行きとイギリスポンドを、選挙で選ばれた政府とイギリス 銀行の手から取り上げて、実質的にドイツ連邦銀行の後継である、フランクフルトの欧州 中央銀行の手に置きたがっています(訳注…ユーロ圏に入り通貨を統合し、EU とイギリス 経済を一体化しようとする試み)。イギリス女王は自身の持つ『国王の裁可(国王が持つ 法を発効させる権利)』を一体どのように 1972 年の欧州共同体議員立法(European Communities Act 1972)に与えてしまったでしょうか。女王はその決定によって自身の主 権、すべての統治者が守ると誓うものを明け渡してしまいました。 最近、BBC の国会記者は個人的な意見を表明しました。彼の立場は、国会民主主義制度 がヨーロッパの官僚主義に変換されたことで、ヨーロッパが今まであった民主主義の原則 から実質的に離れたと語っていました。非選出者たちからなる委員会は提案を作り、ただ ヨーロッパの国会へ助言を求めるだけになっています。国会はただの諮問機関(参考意見 を聞くだけの団体)となっているのです。 過ちや、失敗、問題があったとしても、ピューリタンたちが民主主義の伝統を設立する のに大きな役割を果たしたことは忘れてはならないことです。現代まで受け継がれた民主 主義の制度は、宗教的自由や良心の自由、信心の自由、また福音宣教の自由の出現と密接 に関連していました。ピューリタンと彼らの先駆者たちはローマ教会と英国国教会双方の 手によって非常に苦しめられました。彼らは今ある民主主義の伝統を聖書の価値観によっ て設立したのです。聖書的なユダヤ・キリスト教の道徳的原則から逸れてしまうとき、そ れらの原則の上に建てられている制度はひび割れ、それと共に消滅してしまいます。これ が今基本的に起きていることです。物事が良い状態から悪い状態へ、悪い状態から最悪の 状態へ変わるのに大した時間は必要ではありません。 ソビエト連合や、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなどの東ヨーロッパの連邦国家は 崩壊し、選挙によらずに選ばれた中央集権的な社会主義エリートによって国々は支配され なくなりました。その一方で、西ヨーロッパは連邦国家に破滅を招いたその中央集権化さ れすぎた体制に傾こうとしています。現在の政府はイギリスをまさにこの方向へと推し進 めようとしているのです。聖書的なキリスト教から離れると、聖書的キリスト教がその形 成に貢献した議会民主主義から離れてしまうのです。 ローワン・ウィリアムズ大主教はドルイド教の祭典に参加し、ウェールズの神話の中で ドラゴンとして表されるケルト人の神の子の名前を儀式的な名前として受け取りました。 今日では黙示録が反キリストを竜と象徴していることは何の興味も引かないようです。そ れゆえ、彼が黙示録を『さまよう文章』と呼んだことが 2002 年 1 月 6 日のデイリーテレグ ラフ紙に引用されたのは何も不思議ではありません 「安っぽい紙に文字がびっしりと書かれ、次から次へと偏執的な妄想と 悪意で満ちている。それは聖職者がよく受け取る悲惨で、精神不安定な 者の手紙のようだ」 カンタベリー大主教にとって、イエスさまによって与えられたヨハネの黙示録は神の聖 なる言葉でもなければ、「偏執的な妄想と悪意で満ちている」ものなのです!  迫害への備え イエスはスミルナの教会に、差し迫った迫害について警告されました。 『まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示 さないでは、何事もなさらない。』(アモス 3 章 7 節) 多くの国の歴史を通して、真実に新生したクリスチャンたちは当たり前に享受できるべ きもののために迫害されました。これが東ヨーロッパやローマ・カトリック教国、イスラ ム教国、社会主義国家などでの現実でした。現代、私たちが当たり前に受けている自由が 存在する理由は、16 世紀や 17 世紀の聖書を信じるクリスチャンの血によってそれが勝ち 取られたからです。しかしいったん人が聖書の真実に背を向け、主とその戒めから離れる やいなや個人の自由はそれと共に無くなってしまいます。そしてそのことが今起ころうと しているのです。イエスさまが現代西洋世界の教会に迫害に備えるよう呼びかけているこ とには疑う余地がありません。それはスミルナの教会に警告を与えたことと同じなのです 初代の信者たちの信仰はヘブル人への手紙に見出せます 『…またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されるこ とを願わないで拷問を受けました。』(ヘブル 11 章 35 節) 初代信者たちは、この人生とこの世で繁栄するためにイエスさまが死なれたと考えてい ませんでした。彼らは来るべき御国で自分たちが繁栄するためにイエスさまが死なれたと 考えていたのです。 『また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に 入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切 り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、』(ヘブル 11 章 36 節-37 節) メルセデス・ベンツやキャデラックに乗って移動したわけではありません 『乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、――この世は彼らにふさわしい所ではあり ませんでした――』(ヘブル 11 章 37 節-38 節) 今日有名で、繁栄した説教者の多くがしているように、五つ星ホテルに泊まるなんてこ とはありえなかったことでしょう! 『荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。この人々はみな、その信仰によ ってあかしされました…』(ヘブル 11 章 38 節-39 節) これが初代教会の信仰でした。彼らはイエスがこの世でのリッチな生活を送らせるため に死なれたとは考えませんでした。イエスが死なれたのはもっと良い世界で、遥かに素晴 らしい生活を与えるためなのです。  『神の国は今』神学 そのような偽りの教理を信じることは「支配主義神学」であり、または「神の国は今」 神学とも呼ばれます。これは現代のカリスマ派やペンテコステ派の大半で非常に多くなっ てきています。基本的にそれはイエスが戻って来る前に教会がイエスのために全世界を征 服し、イエスのために御国を設立するという考えです。教会が今、その神の国だと主張し ます!それはまた「実現された終末論(over-realized eschatology)」とも呼ばれます。こ れは大きなムーブメントで、現代のイギリスやアメリカの多くの主要な福音派指導者によ り暗黙的に承認されています。よくある表現の中では、それは後の雨/神の子らの現れと いう異端的な要素とひとつになっています。それは 1940 年代のペンテコステ主義の主流に よって批判されていたもので、超カルヴァン主義的な再建主義と一緒になっています。そ の超カリスマ派の支持者たちの中にはアメリカ人で反イスラエルの説教者リック・ゴドウ ィン(サンアントニオにあるイーグルズ・ネストチャーチで、あからさまになった金銭ス キャンダルの件で有名)がおり、一方、改革派再建主義者たちはローザス・ラシュドゥー ニー(Rousas J. Rushdoony)やギャリー・ノース(Gary North)、デイビッド・チルトン (David Chilton)などさまざまな神権主義者たちを引き込んでいます。 この種の非聖書的な教理はとても嘆かわしいもので、全く間違っており、キリストの体 にとって潜在的に非常に危険なものです。そして突き詰めれば聖書的ではなく、ただの希 望的観測です。イエスご自身が次のように明らかにされました 『人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノ アが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだ りしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり 、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その 日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。』(ルカ 17 章 26 節-30 節)  パックス・ロマーナと国際化の中でのスミルナの生活 貧しい国での人々への搾取など植民地主義には否定的な面がありますが、肯定的な面も あります。たとえばより最近の『パックス・ブリタニカ(イギリスによってもたらされた 平和)』ではイギリスははるかに危険な帝国を寄せ付けませんでした。東にはロシア、西に はフランスやスペインなどローマ・カトリック帝国が存在しました。イスラエルではイギ リス政府がバルフォア宣言を破棄し、ユダヤ人を約束された地に帰さず強制収容所で滅ぼ されるままにしたことなど、イギリス政府が行った悪事をみなが知っています。しかし現 代のイスラエルには道路設備、ハイファ港、空港などが存在します。その国の大半の社会 基盤はイギリスによって建設されたものなのです。 世界には人々が植民地主義をただ純粋に求めていた場所があります。ジブラルタルの人 々にスペイン人になるべきだとか、フォークランド諸島の人々にアルゼンチン人になるよ うに、また香港の人々に中国人になるように言ってみたらどうなるでしょう。彼らはむし ろイギリス人になることを望みます。それはコインの裏表です。またアジアやアフリカの 多くの国々でイギリスが去った後に何が起こったかを見てみてください。 これは搾取的な植民地主義や帝国主義を擁護しているのでは決してありません。しかし 言わんとしていることはコインに別の面があるということなのです。パックス・ブリタニ カの下でイギリスは状況が異なっていたなら極度の問題を抱えていたような世界に、相対 的な安定と、相対的な繁栄をもたらしました。イギリスは当時、その社会に存在した聖書 的な影響によって神に祝福されていたと多くの人々が個人的に信じています。イギリスは 200 年間にわたって、どの国よりも多くの宣教師たちを送り出しました。ウィリアム・ケ アリーやハドソン・テイラーなど多くの宣教師たちを思い出してください。今日もオペレ ーション・モビライゼーション(Operation Mobilization)や、ユース・ウィズ・ア・ミッ ション(Youth with a Mission)、クライスト・フォー・ザ・ネイションズ(Christ for the Nations)などの団体がありますが、かつてイギリスから出て活動していた真実で聖書的な 宣教団体と比べると、影もかたちもありません。 第二次世界大戦の後に『パックス・アメリカ』が訪れました。当時ソビエトの脅威があ りましたが、NATO の下にアメリカはイギリスと手を組み、基本的にヨーロッパに平和を もたらしました。征服した国々を占領し、搾取することとはかけ離れて、アメリカはドイ ツや日本を自由市場を持つ西洋的民主主義国家に変え、繁栄と豊かさをもたらしました。 これはすべてを肯定しているのではありませんが、イギリスが多くのクリスチャンで溢れ 、多くの宣教師を送り出す国となったとき神がイギリスを祝福されたように、その同じ理 由で神がアメリカを祝福されていたのです。第一にアメリカはどの国よりもイスラエルを 祝福し守ってきました。また第二にアメリカは現在宣教師を最も多く送り出し、多くの国 に最も多い額の宣教費を捻出しています。今日では宣教に使われるお金の 4 分の 3 がアメ リカから出てきたものです。もしこのような現実がなければアメリカの妊娠中絶率だけを 考えてみても、神の裁きはもっと早い時期に下っていたことでしょう。 一方でスミルナの時代には『パックス・ロマーナ』が優勢でした。ローマ人は他の勢力 を抑えながら、さまざまな学派から自分たちの哲学を作り出していました。フェニキヤ人 からは交易路を取り、あらゆる場所に道路設備を建設し、そのうちのあるものは現在も残 っています。イスラエルでは『ヴィア・マリス』と呼ばれる『海の道』の跡が見受けられ ます。ローマ南部の地下墓地の近くには『ヴィア・アッピア』と呼ばれる『アッピア街道 』が残存しています。ローマ人たちは社会正義のための裁判のシステムを作りました。ま た彼らは自分たちの言葉であるラテンを国際公用語(リンガ・フランカ)とはせずに、ギ リシア語をもってきました。そしてその決定によって福音が広がったのです。バビロン捕 囚の後には非常に大規模なユダヤ人のディアスポラ(離散)が起こりました。それゆえ、 ローマ帝国中の主要な町々には確立されたユダヤ人共同体がありました。それだけではな く、ヘブライ語聖書(タナク)のギリシア語翻訳である七十人訳が登場し、当時の国際公 用語で利用可能となったのです。それゆえパックス・ロマーナの時代に福音は異邦人の間 で広がる条件が揃えられたのであって、神は実際にそれを用いていました。その反面、パ ックス・ロマーナは自分たちに頼り、従順である者たちだけに平和と繁栄を与えました
April 3, 2025
エマオへの道 ジェイコブ・プラッシュ ユダヤのカレンダーでは、今の時期、私たちは“ハグ・ハマヅォット(Hag Ha’Mazot)”と“ハグ・シャブオート(Hag Shavu’ot)”との間にいます。それは過越の祭りと週の祭り、つまり、イエスのよみがえりからペンテコステの日にかけての時期です。この時期にこそ、よみがえられたイエスは弟子たちに現れ始めました。園でのよみがえりを始まりとし、エルサレムで壁を通り抜け、ガリラヤ湖の岸辺で彼は現れました。そして有名なエマオへの道での顕現があります。それをここで見ていきたいと思います。 イエスに起こったことは、私たちにも起こる ヘブライ人預言者ホセア――“ホシェア・ハナヴィー”――を見てみましょう。 『「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを 打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三 日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のよ うに、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」』(ホセア 6 章 1 節 -3 節) この三節はイエスに関する預言ですが、ホセアは何らかの形で私たちにも同様に当てはまると語っています。 「主に立ち返ろう」この“立ち返る”という言葉は“テシュバー(teshuvah)”といい、ヘブライ語の“悔い改め”という単語で、神に立ち戻ることを意味します。私たちは自分たちが新生した時の悔い改めのことを考えますが、正しい教理を持ち、良い行いを持っているエペソの集会に対してイエスさまは最初の愛に戻るよう言われました(黙示録 2 章 4 節 -5 節)。 『…主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。』(6 章 1 節) とあります。イエスに起こったことは打たれることでした。同じ概念がイザヤで使われて います。(イザヤ 53 章 5 節)――ヘブライ語で“パガ(paga)”という言葉は切り込みを入れることを意味します。この“パガ”という言葉――“打たれた”“切り込みを入れる”――はヘブライ語の“仲裁する”という言葉、“誰かの代わりに打たれること”を意味する言葉の語源です。傷があっても、主が癒しをもたらします。十字架上でイエスは私たちの代わりに打たれ、もちろん復活において言うなれば癒されました。そして主が私たちを打たれるときも、私たちを包んでくださいます。 『主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。』(6 章 2 節) イエスに起こったことは私たちにも起こります。この箇所はただイエスが三日目によみがえると言っているだけでなく、私たちが三日目に立ち上がると言っています。イエスの死は私たちの死です。それゆえ、イエスの復活は私たちの復活なのです。復活を多くの実を結ぶものだと考えてください。 私たちは“携挙”や復活を待っているのではありません。携挙と復活はすでに進行中です。私たちはその中での自分の役割を待っているのです。復活は初穂の祭りにおいて始まりました――イエスは復活の初穂と呼ばれています(1コリント 15 章 20 節)。彼の死が私たちの死であるために、彼の復活は私たちの復活なのです。復活はすでに始まっており、私たちは単にその中での自分の役割を待っているだけなのです。キリストの昇天のように携挙はすでに始まっています。私たちはその中での自分の役割を待っています。このためにヘブル人への手紙 1 章は『この終わりの時には』という文脈をもって語っているのです(ヘ ブル 1 章 2 節)。それは私たちがすでに終わりの時にいるからです。携挙と復活はすでに始まっています。 これを説明するのに最も分かりやすいのは、“ノルマンディー上陸作戦(第二次世界大戦時の連合軍のドイツ侵攻作戦)”であり、1944 年 6 月の“D-デイ”と呼ばれるものです。表向きには“D-デイ”は 1944 年の 6 月 6 日です。ですが、それは実際に 6 月 5 日、アメリカとイギリスの特殊部隊がパラシュートでドイツ戦線の後方に降下し、伝達手段を断ち切っていたときに始まっていました。この行動は極秘事項で、実際に起こったことは当時知られていなかったのです。ノルマンディー上陸作戦が 6 月 5 日に始まっていても、ただ限られた人しか侵攻作戦だと知りませんでした。次の“D-デイ”になって初めて、浜辺に陸軍と海軍が上陸してから、すべての人は何が起きているのかを知りました。 これは終わりの時に関しても同じことです。終わりの時はすでに始まっていますが、ただそれに“加入した者”だけが知っています。唯一私たちだけが知っています。それはイエ スの復活と昇天をもって始まりました――この世はそれを分かっていません。私たちはま るで、ドイツ戦線の背後にパラシュートで降下して、大きな侵攻作戦のために準備してい たイギリス人やアメリカ人のようなものです。私たちがここにいるのは、ただ来るべき時、イエスの再臨の先導役をするためなのです。イエスは確かに戻られ、その“侵攻”も実際 に到来しようとしています。この“侵攻”はすでに進行中です。私たちはただすべての人 にそれが明らかになるのを待っていますが、今もすでに起こっていることを知っています。 イエスの死は私たちの死であり、イエスの復活は私たちの復活です。続けて見てみましょう。 『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、…』(6 章 3 節) 四福音書すべてが語っているように、イエスは週の最初の日、ヘブライ人の初穂の祭り―― “ハグ・ハマヅォット”のまだうす暗い夜明けによみがえりました。そしてペンテコステの日の預言にあるように、 『大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。』(6 章 3 節) 雨が降り注ぐと地下水が形成され、そこから湧き出す“マイム・ハイーム”―― “生ける水”は聖霊の隠喩です。 『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節) 降り注がれる雨は聖霊の象徴です。それはイエスさまが聖霊と言われたヨハネ4 章、また7 章の生ける水を形作ります。このようにして読むとホセア 6 章 1 節には、まず打たれるとありますが、同様に復活もあります。その後、復活の後に聖霊が与えられることが書かれています。イエスに起こったことは私たちにも起こります。イエスの死は私たちの死、イエスのいのちは私たちのいのちであり、イエスの御霊の力は私たちのうちに現わされるものです。 バラバの集団共有 “集団共有(corporate solidarity)”と呼ばれる神学用語があります。“集団共有”とは大きな集団をひとりの人が代表するもので、その中でひとりの男性や女性が、ひとつのより 大きな集団の象徴となっています。受難物語、イエスの死と復活の箇所では多くの重要な “集団共有”――私たちの象徴である人たちが登場します。最も重要な者のひとりが、アラム語で“バル・アバス(Bar Abbas)”――“父の子”と呼ばれる者です。私たちはルカの福音書で彼がピラトに引き出されたときに集団共有を見出します。 『しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」』(ルカ 23 章 18 節) 「バラバを釈放しろ!」ピラトはイエスを釈放することを望んでおり、この問題をヘロデに任せようとしていました。ヘロデは、イエスが見世物になっている限りは彼を放免することを良しとしていました。奇跡を行いさえすればヘロデは放免することに心を決めていたのです(ルカ 23 章 8 節)。ここで注目してほしいのはイエスが十字架に行かないためにすればいい事はただ、“ベニー”や“ケニー”のしていることを行うことでした。イエスが十字架を逃れるためにできたことは、しるしと不思議でいっぱいの奇妙な宗教のショーを行うことだったのです。 主イエスはしるしや不思議―― ヘブライ語で“セメイオン・ミプラオット( semeion mipla’ot)”と呼ばれるもの――癒しや奇跡が、ご自分のメッセージや奉仕の中心になることを一度も許されませんでした。イエスの奉仕はそのようなものについてではありませんでした。これらのしるしは伴うものです。しるしや不思議は人が救われるための鍵だと主張する人たちがいます。これがジョン・ウィンバーの論拠です。ですが実際にはヨハネ 10 章には正反対のことが語られています。『…どのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか』(ヨハネ 10 章 32 節) 『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』(ローマ 10 章 17 節)とあるように、信仰はショーを見ることによるのではありません。反キリスト とにせ預言者は見世物を行い、国々を欺こうとします(黙示録 16 章 13 節-14 節)。彼らはユダヤ人を欺こうとし、背教した教会を欺こうとします。(実際、この人たちはすでに欺かれているのであって、より大きな欺きを待っているにすぎません) ヘロデがイエスを送り返したので、ピラトはこう考えました、「さて、私はこの男をどうやって釈放しよう――彼は無実だ――そうだ、あのテロリストを使おう!」 バラバは、新約聖書で“熱心党員”と呼ばれている者たちのひとりでした。ヨセフスは熱心党員たちについて広範にわたって記し、彼らが“シキーム(シキム人)”であると告げていました。彼らは基本的に殺人やテロ行為を覆い隠すものとして宗教を用いていた者たち で、現代のアルカイダ(イスラム系武装組織)や IRA(アイルランド共和国軍)などに非常に似ており、言葉にも出来ないほどの犯罪行為を行うために、宗教を傘や宣伝道具――外側の覆い――とする者たちでした。シキム人は自分の民を餌食にしました。ヨセフスはローマ人がユダヤ人に行ったことよりも、シキム人が同胞に行ったことのほうがいかに残酷であったかを書き記しました。バラバが属していたこの“シキーム”はローマ人が行ったことよりも、はるかに悪いことを行いました。 ここで出てくるのがその“バラバ(Bar Abbas)”です。この名前はヘブライ語ではなく、アラム語で文字通りには「父の子」という意味です。「誰を釈放しようか。バル・アバスかラビ・イェシュア・バル・ヨセフか?このテロリスト、殺人犯、犯罪者、この略奪者を釈放してほしいのか、それともガラリヤ出身で愛、平安、赦しを説いたこのラビ、少女を死者からよみがえらせ、盲目の者を見えるようにし、耳の聞こえない者の耳を開き、足なえの者を歩かせた――この愛の人をか?どちらにするのか。バラバかラビ・イェシュアか?」 そして「ホサナ!」と数日前には歌っていたその同じ群衆が、今度は「十字架にかけろ!バラバを渡せ!」と叫んでいました。 勝利の入城の際、イエスが見世物になっている限り、民衆は彼の側についていました。しかし、彼らの条件に合わなくなり、ほしいものが得られないと民衆は興味を失いました。 「十字架にかけろ!バラバだ!」すべてではなくとも多くの者たちが宗教機関によって煽り立てられていました。サンヘドリン(議会)は人々に「バル・アバスを渡せ!父の子を渡せ!」と言うように煽っていたのです。 私たちはみなバル・アバス 人が新生し、罪を悔い改め、イエスを受け入れると新しい名前が与えられます。その名前とは“バル・アバス”です。私たちひとりひとりが御父の子となったからです。「バラバを渡せ!」イエスさまが私たちの罪ゆえに御父からのろわれたため、私たちが御父の子となりました。「バラバを渡せ!」いつも現実はこのようなものです。 「東ニューヨーク出身のコカイン密売人、ジェイコブ・プラッシュを引き渡しなさい」「では死者をよみがえらせ、病人を癒し、足なえを歩かせ、愛と平安と真理を教え、少女に命を与えたこのラビをどうしますか?殺してしまいなさい!ジェイコブ・プラッシュを渡して、その人を殺しなさい!」無罪であるのに私の代わりとなってイエスさまが裁判にかけられたので、私が“バル・アバス”となりました。私は実際、イエスに向かって偽って訴 えられていたことについて――扇動の罪、私が犯した反抗の罪、冒瀆の罪、他の人を騙した罪、これらのこと、イエスさまが裁判にかけられていた罪状すべてに関して私は有罪でした。 私のことを“ジェイコブ”と呼ぶのは構いませんが、ただ分かってほしいのが本当の名前は――そしてあなたの本当の名前は――“バル・アバス”、バラバであるということです。私がどうしてバラバなのでしょう?私がどうして御父の子なのでしょうか?なぜなら本当の御父の子に対して人々が「十字架につけろ!」と叫び、彼が死んだために私が神の子となったからです。これが最初の集団共有です。 クレネ人シモンの集団共有 ですが、また別に集団共有が存在します。ローマ法によると、人がローマ式の十字架にかけられ処刑されるとき(ユダヤ人たちは処刑の方法として石打ちを用いました。十字架刑は純粋にギリシア・ローマ式の処刑法です)、その人は自分の罪状を背負わなくてはならず、自分の十字架を背負うことによって罪状が公に表明され、明らかにされていました。罪過を負った者が自分の十字架を運ばなければならなかったのです。それがローマ法でした。しかしここではまた違ったことが起こります。 『彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。』(ルカ 23 章 26 節) なぜイエスは自分でその十字架を運ばなかったのでしょうか?なぜならローマ法によって、十字架を運ぶことはその人がこれから処刑されることのために有罪であることを意味して いたからです。イエスはその後の処刑について有罪ではありませんでした。シモンが有罪 であり、私も有罪であり、あなたも有罪なのです。クリスチャンになったユダヤ人信者でリチャード・ワームブランド(Richard Wurmbrand 1909-2001 “The Voice of the Martyrs” の創設者)という人がいますが――私の妻の家族は、彼がルーマニアでユダヤ人社会から救われる以前から、彼のことを知っていました――その人はユダヤ人としてナチスから迫害を受け、その後にクリスチャンとして共産主義者から迫害を受けました。共産主義者たちは彼を 14 年間拘留し、その妻を逮捕し、彼らに対してひどいことをしました――拷問を行ったのです。私の妻は彼にルーマニア語で話すことが出来たのですが、彼が説教でこう言っていたのを思い出します、「イエスはただ単に『わたしはあなたの代わりに死にます』とは言いませんでした。『私はあなたの代わりに死にます、ですがあなたも立ち上がって私と共に死ぬのです』と言われたのです」。『主は二日の後、私たちを生き返らせ、 三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ』(ホセア 6 章 2 節) 彼の復活が私たちの復活となり、彼の死が私たちの死となる必要があったので、シモンは彼のうしろを進みました。それはイエスさまの“うしろ”であったと書かれてあります。『自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』(マタイ 10 章 28 節、16 章 24 節)『わ たしの荷は軽い』(マタイ 11 章 30 節)イエスさまが本当の働きをなされたので、私たちはただその十字架を負うように召されています。イエスさまがそこにくぎ付けにされなくてはなりませんでした。 十字架を取りなさい!古い性質を十字架に付けなさい!古い人を十字架に付けなさい!古い女、古い人を十字架に付けなさい(ローマ 6 章 6 節)!自分の十字架を負って、わたしについて来るのです!もし誰かが古い人に関して有罪なら、それを十字架に付けて、わたしについて来なさい。 そうです、私たちはもうひとつの名前を持っています。あなたの名前は“ジャック”であるかもしれないし、“ジル”であったり、“ハリー”や“ハリエット”であるかもしれません。しかし名前がどうあれ、あなたの名前は同じように“クレネ人シモン”なのです。もしあなたが本当のクリスチャンなら十字架を負いましょう。 盗人の集団共有 まだ三つ目の重要な集団共有の例があります。私たちはそれを十字架刑の同じ章で見ることができます。 『十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」』(ルカ 23 章 39 節-43 節) ここは重要です。私たちすべてが盗人、私たちすべてが嘘つき、私たちすべてが殺人犯です。私は盗人であり、嘘つきであり、殺人犯です。もし誰かが他の人の物を欲しがるなら、それは聖であられ、完全な神の目からすれば盗んだことになります。もし私たちが誰かの 妻に情欲を抱き、誰かの夫に情欲を抱いたり、自分が結婚していない誰かと寝たいと思っ たなら、神の観点からはその人がそれを欲したためにすでに姦淫を行ったと見られています(マタイ 5 章 27 節-28 節)。私たちはみな姦淫を犯した者であり、盗人であり、みなが嘘つきです。誰かを正当な理由なしに嫌ったことがあるため、私たちはみな殺人犯なのです(マタイ 5 章 21 節-26 節)。 フォックス・ニュース(Fox News)や、この世での政治腐敗や、偽善、メディア、イスラ ム教徒のことを見ているとき、私は怒らないようにしようとする霊的な闘いを経験します。私は罪を嫌っているのであって、罪人を嫌っているのではありません。イエスさまの恵み を離れては、私も同じようであったことを思い出します。私たちすべてが殺人犯なので す。 ヨブ記や哀歌で言われているように、誰にも不平を訴える権利はありません。人生で本当に悲惨な経験をした人がいるかもしれません。それについては残念に思います。つらいことです。しかし、人に何が起こったとしても、神の目から私たちが罪人であるため、自分たちの人生がどんなにひどいか文句を言うことは出来ないのです。イエスさまだけが罪を持っていない唯一の方であったにも関わらず、最もひどい扱いを受けました。彼は完全に無罪であったのに不満をもらさず、口を開きませんでした(使徒 8 章 32 節)。私たちみなはまさに文句を言い、愚痴をこぼし、不満をもらします。イエスはそうなされませんでした。ここで三つ目の集団共有の例があります。盗人たち、すなわち“良い盗人”と“悪い盗人”です。 十字架上でひとりの男は「おいイエス、あんたがメシアだろう――こんな状態から抜け出させてくれ!」と言いました。彼がイエスに望んでいた唯一のことは、この人生、この世で自分に何かをしてくれることでした。そのような人たちが今もいます。そのような人たちはクリスチャンと名乗ることやキリストのもとに来るのを好み、招きの呼び掛けに手を挙げて応答し、イエスさまがこの人生とこの世で何かをしてくれると思う限り、伝道集会で前に出ます。 私はここで、イエスさまがこの人生とこの世で何かを出来ないとか、何かをしないと言いたいのではありません。イエスさまは確かにそうなされますが、それが本来の目的ではないのです。この世界には刑務所以外のことを何も知らないクリスチャンたちがいます。私はときどき、シャリーア法の下にありクリスチャンが迫害され、殉教しているインドネシアやバンダ・アチェで聖書を教えています。イエスさまが彼らに渡す唯一のものといえば殉教の冠です。しかし、驚くことに彼らは不満をこぼさないのです。 “良い”ほうの盗人は言いました。「見てください、私に何が起こったとしても私は自分の 罪を知っています。イエスさまはひとつの罪も持っていません。あなたの御国で私を思い出してください」 ふたりともイエスに声を掛けましたが、その動機はどのようなものだったのでしょうか。 自分がただこの世での無料チケットのようなものや、この世での良い生活を欲しいがため にイエスに話しかける人がいますが、そのような人たちは全くの的外れです。一方、イエ スに声を掛けた“良い”盗人は言いました。「私は自分がどのような者か、私のうちに善が 無いことを知っています。ですがあなたがどれほど完全に良い方であるかを知っています。どうか私をあなたの御国で思い出してください」 私たちはすべてが盗人なので、問題は“良い”盗人になりたいか、“悪い”盗人になりたいかどちらなのかということなのです。その“良い”盗人は逮捕されなかった者ではありません。“良い”盗人は自分が逮捕されるべき者であることを知っていた者で、自分を赦したいとイエスさまが思っておられることを知っていた者です。 復活の後の集団共有 これらが集団共有ですが、イエスの十字架刑の後にも集団共有は存在します。イエスの復活の後にも集団共有が見られます。そして毎年この時期、私たちはルカの次の章にある素晴らしい物語を読みます。この物語は多くの面で、クリスチャン生活がどのようであるべきかをまとめているものですが、ごくわずかな人たちしかこれを本当には理解していません。 『ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。』 彼らの目はさえぎられていて、イエスだとは分かりませんでした 『イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」』(ルカ 24 章 13 節-18 節) もう一度確認しますが、これがペサハと週の祭りの間の期間であったというのを理解する ことが重要です。ペサハと週の祭り――過越の祭りとペンテコステ――どちらも巡礼祭でし た。ユダヤ人たちはそれらをエルサレムで祝うために他の地域から来る必要がありました。従ってユダヤ人たちはもと来た場所へ戻り、引き返し、再びやって来るよりかは、できる ならただエルサレムに留まっていました。彼らはそうすることを好んだでしょう。多くの 人がエルサレムに滞在したので、人口は膨れ上がりました。それはちょうど休暇シーズン 中に人が増え、また休暇シーズン――休日の期間――が終わると人が減少するリゾートと同 じようなものです。 『イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエ スのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある 預言者でした。それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。』(ルカ 24 章 19 節-20 節) 宗教組織に責任があったことを注目してください。気付いてほしいのが、当時のそれはサンヘドリンであり、今日のそれはローマ教皇庁や世界教会協議会(ジュネーブを本拠地とし、340 を超える教会が所属するエキュメニカル組織)であるということです――彼らは未だにイエスさまを十字架に付けています。 『しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、』 三日目とは、聖書の象徴の中でいつも何らかの形で復活の経験をほのめかしています 『また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみま したが、イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたち の幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。そ れで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」するとイエスは言われた。「あ あ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリ ストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではな かったのですか。」それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。彼ら は目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。それで、 彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおか た傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。』 彼らがイエスを迎え入れたことに注目してください 『彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡 された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼ら には見えなくなった。そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」す ぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まっ て、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた」と言っていた。 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった 次第を話した。』(ルカ 24 章 21 節-35 節) 今日まで正統派ユダヤ人たちは過越の後の週に小さなセデル(過越の祭りの最初の晩餐) を営み、小さなセデルの食事を食べます。ですがイエスが子羊の婚礼まで過越の食事を食 べないと言われたため、使徒たちはこのように祝うことは出来ませんでした(ルカ 22 章 14 節-18 節)。使徒たちがこのパンを割いた場所にいることはありえませんでした。しかし、イエスはパンを割くことによってご自身を明らかにされ、それはホセアによって語られた ようにいつも「三日後」でした(ホセア 6 章 2 節)。 三日目 これはよく尋ねられる質問です、「三日三晩というのはどこから分かるのですか?イエスさまは水曜日に亡くなられたの?それとも木曜日?」話しを進める前に一度それを脇に置いて、次の箇所を読んでみましょう。 『そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。』(ルカ 23 章 44 節) (原語は第六時から第九時となっている) ユダヤ人は時間を日没から日没までという様に数え、いつも創世記の創造物語――“オール (owr)”から“ホシェク(choshek)”、“光”から“暗やみ”――を基礎にしています。その日に何時間残っていても、太陽が一旦沈んでしまえばそれはひとつの日なのです。上の箇 所の記述が日食ではないといえる二つの理由があります。最初の理由はこれがニサンの 14日であったからです。ユダヤ人たちは太陰暦を用いていました。日食が起こるには月の周期が正反対でした。これは日食ではありません。太陽に何かが起こったのです。ホセアは三日目に主が私たちを生き返らせると書いています(ホセア 6 章 2 節)。 次のヘブル人預言者はこれが未来、また終末的な意味を持っていると伝えています。 『その日には、――神である主の御告げ――わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、』(アモス 8 章 9 節) イエスさまが亡くなられたとき、太陽は沈みました。アモスは太陽が沈むと預言しました。聖書の中で神が時間に干渉されたときがいくつかあります。パウロによると聖書的には三 つの天が存在します。(2コリント 12 章 2 節) 第一の天――地球の大気圏第二の天――宇宙空間 第三の天――永遠など 一方、時間はいつも第二の天、惑星運動を基礎にして算出・測定されています。厳密にいえば、惑星運動によらず粒子の放出によって動く原子時計というものがありますが、この時計さえも 10 億分の一秒単位でその計算を表さなければなりません。時間は第二の天に依存しています。 イザヤ書や黙示録で“シャマイム(shamayim)”――“天(複数形)”が巻き物のように巻かれると書かれているとき(イザヤ 34 章 4 節、黙示録 6 章 14 節)、それは宇宙空間が消えうせ、永遠が地上と接するということを意味しています。それは実際起こることであって、もはやそこには時間自体が存在しません。実際、ギリシア語で時間を表す言葉は“クロノス(chronos)”と“カイロス(kairos)”のふたつがあります。“クロノス”とは物事の順序であって、永遠において順序があるということを示唆していますが、永遠に時計はありません。永遠とはもはや時計自体が無いので、進み続けるものではないのです。 神は時間に干渉されます。ヨシュア記で日を動かさなかったと書かれてあるときに、神は時間に干渉されました(ヨシュア 10 章 12 節-13 節)。黙示録 8 章 12 節で神はもう一度 それをなされます。その日は一日が 24 時間から 16 時間へと短縮されます。ヒゼキヤ王が 癒されたときは、神は太陽を戻らせました(2列王記 20 章 9 節-11 節)。 ヒゼキヤがその治世に何歳であったかを読むと、イエスさまと同じ年齢であったことが分 かります――彼が 30 代のときに時計は戻ったので、時計は進められなくてはなりませんでした。言い換えると、イエスの十字架の時に太陽が沈み、日は前に進み、ヒゼキヤの治世に起こったことの埋め合わせをしたということなのです。ヒゼキヤは時計の影が戻り――日が戻ったことによって命を引き延ばされたのであり、同じ年齢のイエスは日が進んだためにその命は縮められました。 これはヒゼキヤに対して起こり、黙示録で起こり、ヨシュア記で起こりました。神が時間に干渉された時がいくつかあります。そうです、神はここでそれをなされました。イエスが死なれたとき、太陽は二度沈みました。二度の日没があったのです。何も問題はありません。十字架刑は金曜日に行われたのでしょうか?それは聖金曜日(Good Friday)ではありません。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネは十字架刑が太陰暦の過越に行われたと言っているのであって、太陽暦のイースターではありません。イースターは異教を起源とするものです。しかしながら4世紀にローマ・カトリック教会はそれを変えてしまいました。イエスは聖金曜日に死んだのではなく、ただ私たちが言えることは彼がある金曜日に死なれたということです。 金曜日に太陽は沈み、イエスが十字架から降ろされ、3時には太陽が戻り、また金曜日の夜には太陽が沈み、土曜日には昇ってきて、土曜日の夜に沈んだので、こうすると私たちは三日三晩を数えることができます。文字通りの三日三晩です。もしイエスが木曜日に十字架にかけられていたのなら、三日の代わりに四日となるので問題があります。しかしイエスの復活までの時間は三日三晩でなくてはならず、ラザロ(ヨハネ 11 章 14 節)や二人 の証人(黙示録 11 章 9 節)、ヨナ(ヨナ 1 章 17 節)と同じでなければなりませんでした。 クレオパともうひとりの弟子の集団共有 いずれにせよ、それは三日目であり、イエスさまはエマオへの道を歩いていました。そしてこの道を進むうちにイエスはクレオパともうひとりの弟子に会われました。しかし、彼らの目はふさがれていて、見ることができませんでした。イエスは彼らと歩いておられたのに、彼らは実際のところイエスだと気付いていませんでした。「話し合っているその話は何のことですか」と聞かれると、彼らはイエスがそれを知らないかのように起こったことを全て話しましたが、彼の返事は 『…ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて…』 でした。 その者たちが聖書を理解していないことに不満をもらしていたことに注目してください。 『それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。』(ルカ 24 章 25 節-27 節) 聖書、聖書、聖書です。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち」すべてが聖書の中にあったのです。 私たちの大半はお気に入りの節や、お気に入りの聖書箇所を持っています。小さな子どもでさえ、“ダビデとゴリアテ”のような寝る前に読んでもらうお気に入りの物語がありますが、それに何ら問題はありません。しかしそのお気に入りは全てを含んだものではありません。大事なのは聖書全体です。三回にわたって(ルカ 24 章 32 節を含めて)イエスは聖書、聖書、聖書と不満をもらされました。イエスこそが肉体をとられたみことばです。彼が“ロゴス”です。聖書はイエスが文字となって表された――聖なる書物です。 イエスは彼らと歩き続けていましたが、彼らはそれを知りませんでした。聖書を彼らに説明しようとされましたが、彼らはつかめませんでした。イエスさまは実際によみがえったのに、それが真実であっても理解することができませんでした。ここでイエスご自身の弟子たちは聖書を理解をしておらず、彼と共に歩んでいるという事実さえつかめず、ほとんどイエスのことが見えず、彼の言っていることを聞いていないという状況であったにもかかわらず、それでもイエスさまは彼らと歩んでいました。イエスは弟子たちと共にいましたが、実際には弟子たちはイエスと共にはいなかったのです。 イエスさまが私と共におられることは確かですが、問題は私が本当にどれだけイエスさまと共にいるかということです。ここにおられますが、私は彼を見ているでしょうか?もし聖書を理解しそこねているなら、見えてはいません。イエスさまはここにおられ、私に話しかけておられますが、彼の語っていることを理解しているでしょうか。もし聖書の言っていることをつかみそこねているなら、理解していません。私は人をキリストに導くとき、祈ることは神に話しかけていることだと言いますが、彼らが聖書を読むときは神さまが彼らに話しかけているのです。それは双方向の会話です。 教会に来て、このような説教を聞く時、私はイエスさまと歩んでいますが、交通渋滞にはまり、片手に携帯電話を持ち、もう一方にタバコを持っているような運転手を銃で撃ちたくなるようなとき――イエスさまは私と共にはおられますが、私は彼に気付いているのでし ょうか。 イエスさまが目に見える形で隣に座っていたなら、私は引き金を抜くでしょうか。イエスさまが目に見える形で隣に座っていなくても、実際私の隣にいるという事実は否定することができませんが。イエスさまは私の言っている内容を聞いていますが、私は彼の語っておられることを聞いているでしょうか?イエスさまは見ておられますが、私は彼を見ているでしょうか?イエスさまは私に説明しようとなされていますが、私は本当に聞いているのでしょうか? 私は復活の力にあって生き、歩んでいるでしょうか? 大事なのは、イエスさまが実際に死なれた方であるということです。イエスの十字架刑の歴史性について私は何の疑いも持っていません。彼が私の代わりとして死なれたこと、十字架にかけられたこと、私はそれらを全く疑っていません。私がここで問題にしているのは、ジェイコブ・プラッシュがどのくらい、私がどれほど、私自身がどの程度イエスさまと共に死んでいるかということです。イエスが十字架に向かわれたこと、これについて私ははっきりしています。ですが、私はシモンのようにどれほど忠実にその十字架を運び、彼の足跡に従っているのかということです。これが問題です。 イエスは復活されましたが、ある人たちはそれを疑います。彼は実際に復活したのでしょうか?キリストがよみがえったことについて私は何も疑っていません――それは問題ではないからです。イエがよみがえったことについて、疑う余地が何もないほど私は確信しています。問題としているのは、私がイエスさまと共に、復活の力にあって生き、歩んでいるかどうかということです。これが私についての問題です。彼が死んで、よみがえられたことを私は確信しています。ですが、私は死んでよみがえったでしょうか?これが問題です。聖書はここにありますが、私はそれをどのくらい理解しているでしょうか。イエスさまは共におられますが、私は彼を見て、彼に気付いているでしょうか。イエスの語っておられることを私は聞いているでしょうか。しかし気付いてほしいのが、彼がご自身の姿を明らかにされたのはパンを割いたときであったということです。イエスさまが彼らと食事を共にする必要がありました。 聖書の中で、誰かが死者からよみがえった後に物を食べたと書かれててあるのは、それが文字通りに起こったことを証明するためです。イエスが少女を呼び起こされたとき、何か食べさせなさいと言われました(マルコ 5 章 43 節)。またラザロがイエスと食事をともに したという箇所もあります(ヨハネ 12 章 2 節)。 復活は文字通り、肉体的なものではないとエホバの証人が主張する以前から、神はエホバ の証人のことを知っていました。霊は食べる必要がありません。イエスが文字通り食事をしておられたのは、文字通りの復活が起こったからです。イエスが食事を取ったという事実は、文字通り、肉体的な復活があったということを証明しています。一方、イエスが姿を明らかにされたのは、パンを割いたときでした。 気付いてほしいのが、イエスはまだ先へ行こうとされていたかのようでした。ただその道を進もうとされていたのです。「まだ先へ行きます、また会いましょう、私はこの道を進んで行きます」そして弟子たちは言わなければなりませんでした。「待ってください!お入りください!」「我々と一緒に泊まりましょう」「私たちはもっと聞きたいのです!」「聖書についてもっと説明してください!」「あなたのみことばについてさらに説明してください!」「イエスさまについて私たちにもっと教えてください!」「さらに聞きたいのです!」 「泊って行ってください!」弟子たちはイエスを招き入れなければなりませんでした。 イエスを招き入れる必要性 これは今日でも同様です。いまだにエマオへの道を歩き続けているクリスチャンの一団がもしいるとしたなら、その人たちはラオデキヤのクリスチャンです。そこでイエスさまは言われます、『わたしは、戸の外に立ってたたく』(黙示録 3 章 20 節)。また言われます、 「見てみなさい。あなたは私を見えていない。あなたは私の言うことを聞いていない。あなたは実際の自分の裸に気付いていない。実際の霊的な状態を理解していない。物質主義や豊かさによって惑わされている。あなたはこれらのものが祝福のバロメーターだと思うのか?」 それらは祝福ですが、祝福を測るものさしではありません。それらは試金石ではないのです。ただ聞く耳のある者を除いては(黙示録 3 章 22 節)、彼らは見もしないし、聞きもし ない(黙示録 3 章 17 節-18 節)。これがイエスの言われたことです、 『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』(黙示録 3 章 20 節) 私と同じような人のほとんどはこの箇所を伝道の指針として用いますが、それは一向に構わないことです。私たち――私はいつもこの箇所を未信者に福音を伝えるときに用いているし、それは全く構わないことなのです。それは有効な適用ではありますが、聖書解釈の文脈において、ここで第一に語られていることではありません。この箇所が未信者の人た ちに何らかの意味で適用できるにしても、イエスは主に未信者に向かってこれを語られま せんでした。彼は私たちに対して語りかけています。「入って、あなたと共に食事をしよう」「あなたと共に食事を取ろう」「あなたは私と共に食事をし、私はあなたと共に食事をする」「私はこれらのことをあなたに説明しよう」 イエスさまはまだ先に行こうとされ、その道を進もうとされていました。イエスはあたかも進み続けるかのように振る舞っていました。弟子たちは彼を招き入れる必要がありました。彼らが招き入れたその時に、イエスさまはご自分を明らかにされました。その後、彼らは聖書を理解し、その後、実際のイエスの姿を見たのです。ただその後にだけ、彼らは実際に語られていたイエスのみことばを悟りました。ただその後にだけ、見ることができて、ただその後にだけ、本当に聞くことができました。 そうです、イエスさまはよみがえられましたが、私たちは復活の力にあって歩んでいるでしょうか?確かに彼は死なれましたが、私たちは死んだでしょうか?イエスのみことばは真実ですが、三度も弟子たちが聖書を理解していないことで彼らを愚かだと言われました。彼らは見ることができず、聞くことができませんでした。私たちはイエスさまとその同じ道を歩んでいます。イエスさまはおひとりでその道を進まれることに意を決し、そうしようとされていましたが、ディナーの誘いを断ることは決してありません。 神の祝福がありますように。
April 3, 2025
モーセのような預言者 ジェイコブ・プラッシュ モーセのような預言者 申命記 18 章 18 節はメシアについてであるとタルムードは言っています。 『わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。』 私たちはこの箇所がイエスに関してであると知っています。彼がモーセのような預言者なのです。 外国の圧政の下で生まれる 『さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。 「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取 り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼 らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。』 (出エジプト 1 章 8 節-11 節) モーセは外国の圧政の下で生まれました。 『そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。』(ルカ 2 章 1 節-2 節) イエスは外国の圧政の下で生まれました。 邪悪な王によって脅される 『また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフ ラ、もうひとりの名はプアであった。彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」』(出エジプト 1 章 15 節-16 節) 邪悪な王はモーセとヘブル人の男の子が殺されるように命令しました。 『その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。』(マタイ 2 章 16 節) 邪悪な王はイエスとユダヤ人の男の子が殺されるように命令しました。 両親の信仰 『女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。』(出エジプト 2 章 2 節) 『信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。』(ヘブル 11 章 23 節) モーセの命は彼の両親の信仰によって救われ、保たれました。 『彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、』(マタイ 2 章 13 節-14 節) イエスの命は彼の両親の信仰によって救われ、保たれました。 エジプトで守られる 『その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その 子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中か ら、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。』(出エジプト 2 章 10 節) モーセはエジプトでひと時の間、保護を受けました。 『そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプト から、 わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。』(マタ イ 2 章 14 節-15 節) イエスはエジプトでひと時の間、保護を受けました。 彼の知恵を上回る者はいない 『そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。」主はこれを聞かれた。さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。』(民数記 12 章 1 節-3 節) モーセの持っていた知恵のために争おうとした者たちがいました。 『そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。』(ルカ 2 章 46 節-47 節) その幼少時代から、イエスはその素晴らしい知恵と理解を示し、他の者たちは彼と競おうとしましたが、出来ませんでした。 ユダヤ人によって拒絶される 『民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」』(出エジプト 32 章 1 節) モーセはイスラエルの民によって、ひと時の間退けられました。 『しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」』(マタイ 27 章 21 節-22 節) 彼の地上での生涯が終わりに近づくにつれて、イエスはユダヤ人に、『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。』(マタイ 23 章 39 節)と言いました。 『兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義と は、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであ り、』(ローマ 11 章 25 節) イエスはイスラエルの民によって、ひと時の間退けられました。 異邦人に受け入れられる 『次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか。」と言った。するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか。」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。…モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。』(出エジプト 2 章 13 節-15 節・21 節) モーセはユダヤ人に退けられましたが、異邦人に受け入れられました。 『そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。』(ローマ 11 章 20 節) 『わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者た ちに、見つけられた。…それゆえ、神である主はこう仰せられる。「見よ。わたし のしもべたちは食べる。しかし、あなたがたは飢える。見よ。わたしのしもべたち は飲む。しかし、あなたがたは渇く。見よ。わたしのしもべたちは喜ぶ。しかし、 あなたがたは恥を見る。見よ。わたしのしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う。しかし、あなたがたは心の痛みによって叫び、たましいの傷によって泣きわめく。 あなたがたは自分の名を、わたしの選んだ者たちののろいとして残す。それで神で ある主は、あなたがたを殺される。ご自分のしもべたちを、ほかの名で呼ばれるよ うにされる。』(イザヤ 65 章 1 節・13 節-15 節) イエスはユダヤ人に退けられましたが、異邦人に受け入れられました。 家族から非難を受ける 『そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。』(民数記 12 章 1 節) モーセは黒人のアフリカ人の女をめとっていました。 『イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。 「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。』(マルコ 3 章 20 節-21 節) モーセは異邦人の妻をめとったために、自分の家族から非難されました。イエスはその予型や象徴において、主に異邦人である教会をめとったので、ユダヤ人たちは彼を非難します。ルツ記はペンテコステの日にシナゴーグで朗読されています。ユダヤ人が異邦人の妻をめとり、その子どもはベツレヘムで生まれ“買戻す者(贖い主)”と呼ばれたという話です。 罪を負うことを受け入れる 『そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を 犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もし、彼らの 罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」』(出 エジプト 32 章 31 節-32 節) モーセは民の罪が赦されるよう神に祈り、その罪の結果と咎とを彼自身が負うことを受け 入れました。 『あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』(1ペテロ 2 章 21 節 -24 節) イエスは民の罪が赦されるよう神に祈り、その罪の結果と咎とを彼自身が負うことを受け入れました。 四十日四十夜断食をする 『モーセはそこに、四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、彼は石の板に契約のことば、十のことばを書きしるした。』(出エジプト 34 章 28 節) モーセは神の民に契約をもたらすために、四十日四十夜断食しました。 『そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。』(マタイ 4 章 2 節)イエスは神の民に契約をもたらすために、四十日四十夜断食しました。 神と顔と顔を合わせる 『モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。』(申命記 34 章 10 節) モーセは神と顔と顔を合わせるような関係にありました。 『いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神 を説き明かされたのである。』(ヨハネ 1 章 18 節) イエスは神と顔と顔を合わせるような関係にありました。 顔が輝いた 『モーセが主の前にはいって行って主と話すときには、いつも、外に出るときまで、おおいをはずしていた。そして出て来ると、命じられたことをイスラエル人に告げ た。イスラエル人はモーセの顔を見た。まことに、モーセの顔のはだは光を放った。モーセは、主と話すためにはいって行くまで、自分の顔におおいを掛けていた。』 (出エジプト 34 章 34 節-35 節) モーセが神と顔と顔を合わせて会った時、彼は超自然的に光を放ちました。 『そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。』(マタイ 17 章 2 節) イエスはモーセのように超自然的に光を放ちました。 声が聞こえる 出エジプト記で神は天から直接モーセに話しかけられ、声が聞えたとあります。 『すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。 「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」』(ヨハネ 12 章 23 節-28 節) 神は天から直接イエスに語りかけられました。 墓が御使いによって守られる ユダの手紙の 9 節の中で、御使いがモーセの墓を守っていたとあります。 『すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわ きへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、 その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上 がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。』(マタイ 28 章 2 節-6 節) イエスの墓をひとりの御使いが守っていました。 神の御名を明らかにする 『モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」』(出エジプト 3 章 13 節-14 節) モーセは神の御名を神の民に明らかにしました。 『わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。…わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。』(ヨハネ 17 章 6 節・11 節-12節) イエスは神の御名を神の民に明らかにしました。 民を養う 『その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンで す。』(出エジプト 16 章 14 節-15 節) モーセは超自然的に、多くの神の民を養いました。 『そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、 弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余り を取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。』(マタイ 14 章 19 節-20 節) イエスは超自然的に、多くの神の民を養いました。 しるしと不思議を行う 『モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。それは主が彼をエジプトの地に遣わし、パロとそのすべての家臣たち、およびその全土に対して、あらゆるしるしと不思議を行なわせるためであり、また、モーセが、イスラエルのすべての人々の目の前で、力強い権威と、恐るべき威力とをことごとくふるうためであった。』(申命記 34 章 10 節 -12 節) モーセは彼以前の誰もしたことのないような、奇跡やしるし、不思議を行いました。 『しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行なっているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。』(ヨハネ 5 章 36 節) 主イエスは誰もしたことのないようなわざやしるし、不思議、奇跡を行いました。 血で契約を結ぶ 『そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の 仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、 主があなたがたと結ばれる契約の血である。」』(出エジプト 24 章 7 節-8 節) モーセは山へ上り、血で契約を結び、神の民を血で覆いました。 『また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。』(マタイ 26 章 26 節-28 節) 『しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』 (ヘブル 9 章 11 節-12 節) 主イエスは山へ上り、血で契約を結び、神の民を血で覆いました。 旧約聖書には、エリヤやイザヤ、エレミヤ、サムエル、ダビデのような偉大な者が数多くいました。 しかし、モーセのような預言者はひとり主イエス・キリストであり、イスラエルの真実のメシアです。
April 3, 2025
結婚披露宴のたとえ ジェイコブ・プラッシュ 『イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、』 ――良い人でも悪い人でも集めたということは興味深いことです 『宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『{友よ。}あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」』(マタイ 22 章 1 節-14 節) この御国のたとえを理解するために、まずイエスの時代のユダヤ的な結婚の伝統を理解する必要があります。ユダヤ教においてイエスの時代は“第二神殿期”と呼ばれます。イエスの時代の結婚には三つの段階がありました。聖書本文に対する歴史的・文化的背景を見ることは、ドイツ語で“シツ・イム・レベン(Sitz im Leben)”と呼ばれることを見ることです。これは当時の状況での生活環境を見るという意味です。これをしない限り、私たちはイエスさまの語られていたことを理解することはできません。ユダヤ人の結婚は三つの段階から成っていました。 婚約・婚礼・成立 この三つの段階すべてが、結婚を有効にするために重要なものでした。結婚が有効なものとなるためにこの三つすべてが完成されなくてはならなかったのです。 このことは、マリアが永久に処女であったとするローマ・カトリックの教理的帰結と真っ向から反対します。ヨセフとマリアが性的に成立していない結婚生活を送っていたとすると、ユダヤ法によれば法的に結婚していないことになります。もしそうであるならば実質的にイエスが非嫡出子(正式な結婚をしていない関係で生まれた子ども)として育ったと言っていることになります。これはイエスとその地上での両親をいかに侮辱することでしょうか。しかしそれがローマ・カトリック教会の教えなのです。しかしながら、それは新約聖書の教えではありません。 婚約 婚約は現代の婚約とは異なっていました。私たちが婚約と呼ぶものと違い、古代ユダヤ人の婚約は法律的に拘束力があるものでした。これに最も近いものはここアメリカのいくつかの州――ほんとうに数は少ないですが――に見られるもので、ある人が正当な理由無しに婚約を破棄すると、民事裁判において契約破棄で訴えられるというものです。しかしこの婚約はそれをはるかにしのいでいました。婚約とはそのカップルがすでに法的に結婚したというものでした。それは私たちが考えるような単なる誓約ではなく、その人が法的に結婚したということを意味していたのです。婚約は契約上のものであり、法的な事柄でした。 古代中近東からの慣習を引き継いだ同じような契約は、“宗主権(suzerainty)”と呼ばれるものです。“宗主権”の慣習の中では、交わりの食事において印が押される契約があり、何らかの血を流すことによって契約が成立します。このために最後の晩餐においてイエスは 『これは、わたしの契約の血です』と言われたのです(マタイ 26 章 28 節、マルコ 14 章 24 節、ルカ 22 章 20 節)。イエスは古代中近東の“宗主権”の儀式に従っていました。彼は文字通り契約を“切る(ヘブライ語で契約を成立させること)”と言ったことでしょう。このように婚約が最初の段階であり、(私たちの婚約とは全く違い)これによって法律的な目的のために法的に結婚したのです。実際、当時作成されていた契約書は“ケトゥバー (ketubah)”と呼ばれていました。 しかしその後、花婿はおよそ一年の間、花嫁から身を遠ざけました。このような結婚は大 抵、過越の祭りのあたりの春の時期に行われました。いつもそうであるとはいえませんが、 大抵がそうでした。その時期が一年で最も一般的な婚約の時期でした。花婿はおよそ一年の間身を遠ざけ、自分の父の家の離れを造ることになっていたのです。花婿は自分が戻る正確な日にちを知りませんでしたが、およそ一年で戻れるということを知っていました。父親が仕事の出来を調べて、「今行って来なさい」と彼に言ったことでしょう。父親はその時を知っていましたが、息子は知らなかったのです。息子は自分が戻れる正確な日を知りませんでしたが、およそ一年の期間だと知っていました。花婿が正確な日にちを知らないため、花嫁もそれを知りませんでした。花嫁はただ二つのことだけを知っていました。戻るのがおよそ一年であること。そして二つ目は、花婿が戻るのが夜になるということです。花婿はきまって夜に来ました。花嫁は眠りに入り、花婿が今夜戻って来るか、明日の夜になるかを知りませんでした。これが雅歌の背景です。花婿が戻って来るのは今夜でしょうか? 夜は、聖書の中で大患難とその近づきに関する最もよく用いられる比喩です。世の終わりには暗やみが襲ってきます。このため聖書は 『夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か。』(イザヤ 21 章 11 節) 『主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても』(ルカ 12 章 38 節) 『主の日が夜中の盗人のように来る』(1テサロニケ 5 章 2 節、黙示録 16 章 15 節) 『わざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます』(ヨハネ 9 章 4 節) 雅歌においても、花婿は花嫁に会いに夜にやって来ます(雅歌 5 章 2 節) マタイ 25 章においても、花婿は夜にやって来ます(マタイ 25 章 6 節) このように語っているのです。 イエスさまが来られる直前の世の終わりはとても暗くなります。この世は大患難を経験しますが、イエスさまはそこからご自分の花嫁を救い出されます。 婚礼 花婿は一年間身を遠ざけ、一年のうちに婚礼のために戻ってきます。婚礼は儀式であり、証人たちの前で“ケトゥバー”が読み上げられる式典でした。そのようなものが婚礼です。従って、最初に婚約がなされ、その一年後に婚礼が持たれたのです。 古代ユダヤ人にとっての婚礼は、私たちが慣れ親しんでいるものと同じではありませんで した。婚礼は数日間続く宴会でした。婚礼の過程のある時点で、花嫁と花婿は結婚を成立 させたことでしょう。これが第三の段階、言うまでもなく――肉体的なものであり、性的なことを指します。 結婚がユダヤ法によって有効となるために、この三つの段階すべてが必要でした。婚約と婚礼、そして性的な成立です。一方、この三つが契約という観点において、それぞれ役割を持ちます。婚約は契約が開始されるときであり、婚礼は招集されるとき――証人たちが結婚の結合に招かれるときです。(これらは雅歌のソロモンとシュラムの女との恋愛に登場する証人たちと関連していて、天の万軍(1列王記 22 章 19 節)を反映しています) 成立 “成立(Consummation)”とはとても訳しにくい言葉です。より良い言葉を望むなら、“結合”と訳したらよいでしょうか。しかしこれはヘブライ語の“アハドゥート(achdut)”― ―“複数からなるひとつ”を訳そうとする私の最善の努力にすぎません。イエスが最も大切な戒めが何かを尋ねられたとき、『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である』(マルコ 12 章 29 節)――「シェマー イスラエル アドナイ エロヘイヌ アドナイ エハッド(echad)」と言われました(申命記 6 章 4 節より)。アハドゥートの由来の元であるこの“エハッド”という言葉は、アダムとエバが一体になるときに使われたのと同じ言葉です(創世記 2 章 24 節)。結婚を成立させるときに使われるヘブライ語の慣用 句は「そして彼は彼女のところに入った」というものです(創世記 29 章 30 節)。ひとりの人がもうひとりの中に入り、第三の人が生み出されます。そこではひとりが三人であり、また三人がひとりになっています。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて』(創世記 1 章 26 節)このように、結婚を成立させる行為と三人目が生み出されることは、神の位格の永遠の一致、また複合体の一致を反映すべきものなのです。(これが、神さまが離婚を憎まれるひとつの理由でもあります。クリスチャンの結婚が永遠に続くことは神の位格における永遠の結合を証明すべきものです。私たちは神の御姿に似せて造られています)これが“アハドゥート”です。 まとめると、結婚には契約が開始される婚約があり、それは契約であり、法的なものでした。そして一年後、招集が行われる場所で婚礼が開かれます。これは証人たちが“ケトゥバー(結婚契約書)”を読み上げる儀式、式典でした。そして第三に肉体的・性的である― ―成立は神の御姿が再現され、反映されるときでした。 終末的な意味 これらは終末論的に非常に重要なものです。“婚約”はキリストの初臨(最初の到来)です。 “婚礼”――小羊の婚宴は再臨です。“成立”は花嫁が下って来て、夫のために着飾っている黙示録の箇所と関連しています(黙示録 21 章 2 節)。この箇所は神の民が天で持つことになる永遠の神との親密性について語っています。 このように“婚約”はイエスの初臨と関連しており、“婚礼”はイエスの再臨、“成立”は永遠と関連しています。それは黙示録で書かれている主がご自分の花嫁と持たれる親密性に関連しているのです。このすべての段階がイエスの時代のユダヤ人の結婚を形作っていたものでした。これを理解しない限り、イエスさまがそのたとえの中で私たちに語られていることを正確に理解することは出来ません。 ご自分の“兵隊”を出す 最初に読むと、イエスさまは紀元1世紀のこと、招かれていたのに来ようとしなかった者たちについて語っていたのは明らかです。 『この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』(ヨハネ 1 章 11 節-12 節) 大半のユダヤ人が自分たちのメシアを退けました。イエスの初臨においてただ忠実な残りの者だけがイエスを受け入れ、イエスさまは恵みを他の人々に向けられました。 使徒たちとユダヤ人信者らはラビたちに迫害されたので、神はご自分の兵隊を出したと書かれてあるのです。そしてイエスさまとダニエルが予告した勢力である、ローマ人が都を破壊しました(ダニエル 9 章 26-27 節、11 章 31 節、マタイ 24 章 15 節)。ローマ人はち ょうどイエスさまとダニエルが預言したように、エルサレムを紀元 70 年に滅ぼしました。神殿は破壊されたのです。 これらのことは部分的に1世紀に実現しました。しかし、「ご自分の兵隊を出された」ということを私たちはどのように捉えたら良いのでしょうか。 “ご自分の兵隊”は天使ではありません。“ご自分の兵隊”は人間です。しかしその兵隊が良い人たちであるという意味ではありません。反対にこの“ご自分の兵隊”は全く違ったものを意味します。士師記やイスラエルの歴史全体をさかのぼって見ると、私たちはそこに同じパターンを見出します。神の民が契約を破り、不信仰に陥り、――偶像礼拝や不品 行に陥り、悔い改めず、神が悔い改めを知らせるために遣わした預言者たちを迫害し始め たとき――神は神の民より悪い人物や国を用いて、彼らを攻められるということです。神さまは完全に異教徒である者でも用いられます。それがときにはペリシテ人、アマレク人であり、後にはアッシリア人を用いて紀元前 721 年に十部族を捕囚にしました。神は紀元 前 585 年にバビロン人を用いましたが、それに先だってアッシリア人を用いていました。 紀元 70 年にはローマ人です。神の“兵隊”は自分の民より悪い者なのです。神は彼らより悪い者たちを用いられます。ペリシテ人、アッシリア人、バビロン人、ローマ人であっても――神さまはいつもそうなされます。一方、ヨエル書で語られていることを見ていきましょう。 『いなご、ばった [他の訳では「群がるいなご、忍び寄るいなご」…NKJV,NASBなど] 、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。』(ヨエル 2 章 25 節) ヨエルによると、四種類のいなごが存在します。群がるいなご、忍び寄るいなご、食い荒らすいなご、かみつくいなごです。ヨエルはダニエルが獣や猛獣を用いたように、昆虫を用いて表現しました。ヨエルは政治的組織についての象徴や比喩のためにいなごを用いました。ネブカドネザルの支配下にあったバビロン人は四度侵略し、バビロン人が行ったことは、群がり、忍び寄り、食い荒らし、かみつくいなごのようなことでした。計四度の侵略がありました。 一旦民が悔い改めると、神はバビロンを滅ぼされます。ヨエル、イザヤ、エレミヤはみな 「倒れた。バビロンは倒れた!」と語っています(イザヤ 21 章 9 節、エレミヤ 51 章 8 節、 黙示録 14 章 8 節)。バビロンが登場する前であっても、神はバビロンの崩壊を語っていました。言い換えるならば民が悔い改めず、契約を破り、預言者を迫害するとき、神はペリシテ人やアッシリア人、バビロン人、ローマ人でさえ用いられるということです。しかし神が、一旦その者たちを自分の民の懲らしめの道具として用いると、その異教徒たちを滅ぼしてしまわれるのです。彼らの最期は定められています。彼らは自分たちが行っていることに非常に得意になっていますが、最期は定められているのです。神はただ、一時の間、ご自分の民を取り扱う目的で特別に彼らを立たせるにすぎません。神は未信者のことに関心があるのではなく、ご自分の民に関心があるのです。 これがヨエルの軍隊でした。王はご自分の軍隊を遣わすのです。王は民よりも悪い者たちを用います。ユダヤ人たちは神がバビロン人を用いると信じることが出来なかったでしょう。(これがエレミヤ書に書かれていることです)ユダヤ人たちはバビロン人のような異教徒を神が用いられると信じられませんでした。同じように、紀元前 70 年に神がエルサレム を滅ぼすためにローマ人を用いるなんてことは考えられませんでした。そのようなことが 起こるとは思いもよらなかったのです。「我々は彼らほど悪くはない。彼らは契約の民ではないのだから」 しかし神は言われます。「こうなるのは当然ではないか。彼らはただ――野蛮人――そのままであるだけだ。あなたがたは聖なる民であるはずではないか」 神はより邪悪な者たちを用いられます。一旦預言者たちが迫害されると神はより邪悪な者を立てられます。 これは前 721 年サマリアにおいてアッシリア人に関して起きたことであり、前 585 年エルサレムでバビロン人に関して起きたことです。ユダヤ人がエレミヤなどを迫害し、バビロン人はエルサレムにある第一神殿を滅ぼしました。彼らは神殿を 8 月、およそ 8 月 9 日の “ティシャー・ベ・アブ(Tisha’ b’Av)”と呼ばれる日に破壊しました。ローマ人たちは第二神殿を紀元 70 年の同じ日――5 世紀後のまた同じ日に第二神殿を破壊しました。一旦、エレミヤが退けられると、バビロン人は第一神殿を破壊しました。一旦、イエスが退けられるとローマ人はその年の同じ日“ティシャー・ベ・アブ”に第二神殿を破壊したのです。この日にラビたちは神殿の崩壊を嘆き、哀歌を朗読します。 バベルの塔(創世記 11 章)をもって始まった神秘宗教――バビロン帝国において絶頂期で あったものは――特に“ペルガモ(黙示録 2 章 12 節-17 節)”という都市を通ってギリシア・ローマ世界に入りました。従って、イエスの時代にはバビロンはその本拠地をローマの中に見出していたのです。それゆえペテロは手紙の中で『バビロンにいる…婦人がよろしくと言っています』(1ペテロ 5 章 13 節)と書いたのです。ペテロは実際ローマからその手紙を書いていましたが、バビロンからの同じ神秘宗教がそこに来ていたのです。初期のキリスト教徒たちはローマをバビロンと同一視していました。 彼らは同じ日に神殿を破壊しました。言い換えると、前 585 年に起こったことは、再び紀 元 70 年の同じ日に起こったということなのです。神の民が悔い改めようとしないならば、神は彼らよりも悪い者たちを用いられます。そしてこれが1世紀に起こったことであり、ユダヤ人のほとんどが自分たちのメシアを退け、使徒たちを迫害したので神がご自分の兵隊を出され、ローマ人はその都市を崩壊させたのです。 婚礼は間近 『だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』(マタイ 22 章 9 節) 神は異邦人の国々の上に恵みを施されます。それが 1 世紀に起こったことですが、このたとえが第一に語っていることはそれについてではありません。それはこのたとえが部分的に語っていることにすぎません。なぜならその結婚披露宴は間近に迫っているからです。結婚披露宴はこの世の終わりに行われます。これはただイエスさまの最初の到来についてだけではなく、それは繰り返され――再臨においても再び実現することです。婚礼は間近に迫っています。来るべきものは婚約ではなく、婚礼――結婚披露宴であり、祝宴です。「ご返事お願いします」と結婚式の招待が送られてきています。しかし人々は来ようとしませんでした。そこで王は他のしもべたちを遣わし言わせました、『さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました…』第二のしもべたちは単に「どうぞよろしければ」というものへの応答を得るために出て行ったのではありません。彼らは切迫感を持っていました。「婚礼は間近に迫っている――花婿が来ようとしている」これが私たち、またマタイが『御国の福音』(マタイ 4 章 23 節、9 章 35 節、24 章 14 節)と呼んでいるものです。 御国の福音 福音は福音です。神は私たちの罪を取り去りご自身の義を与えるために人となり、永遠の命を与えるために私たちを死者からよみがえらせました。福音は福音です。しかし福音にはさまざまな側面があり、それが宣べ伝えられるときにさまざまな性質を持っています。エペソ 6 章とイザヤ 52 章では“平和の福音”(イザヤ 52 章 7 節、エペソ 6 章 15 節)と書 かれていて、至るところで“救いの福音”(ローマ 1 章 16 節、エペソ 1 章 13 節)と呼ばれています。しかしここでは“御国の福音”と呼ばれていますがそれはどのような意味なのでしょうか? マタイ 24 章、オリーブ山の訓戒を見てみましょう。弟子たちはイエスに世の終わりとイエスが戻られるときのしるしは何かと尋ね、イエスさまはいろいろなしるしを予告され、その後にこう言われました、 『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて…』(マタイ 24 章 14 節) “御国の福音”とは、“御国”のテーマが何度も繰り返されているマタイの福音書で見られるものです。この御国というテーマは他の福音書におけるよりも、マタイで多く登場しています。マタイの“御国の福音”の中でイエスさまは、天について話すよりも3倍多く地獄について話されました。 バプテスマのヨハネは“御国の福音”を宣べ伝えました。『「悔い改めなさい。天の御国が 近づいたから。」』(マタイ 3 章 2 節) 終わりの日に宣べ伝えられるべき、この“御国の福音”とは一体どのようなものなのでしょうか。「花婿がやって来る」それは私たちの伝道において、終わりの時代の預言を用いる時であるということです。 1970 年代に書かれたある本があり(悲惨にもその本の著者は今五度目の結婚に至っていますが――私はもう彼と一緒に教壇に立つことはありません)、その本は『地球最後の日(The Late, Great Planet Earth)』という名の本でした。その本を通して本当に多くの人が救われました。 この本は終わりの時代の預言を単純化し過ぎた本ですが、多くの人がこの本を通して救われました。著者は人を救うために終わりの時代の預言を用いました。終わりの日において私たちが専念すべき伝道の方法は救いの道を知らせるために、イエスの到来――終わりの時代の預言を用いることです。 最初に遣わされたしもべたちは「婚礼に招かれていますよ」と言いました。しかし、婚礼が間近に迫り次に遣わされたしもべたちは、「花婿がやって来る!すべてが整いました!婚礼の祝宴が迫っています!」という切迫感をもって遣わされました。 私が 1970 年代初期に救われたとき、すべての人がイエスの再臨について話していました。 すべての人です!今私たちはキリストの再臨に 40 年近づきましたが、終末論に関する関心は極度に少なくなっています。終わりの日に関しても誰も興味を持っていません。40 年キリストの再臨に近づいたというのに、40 年前より今のほうがイエスの再臨に興味を失っています。この現状自体が一種の欺きです。西洋世界の“キリストのからだ”において悪魔が付くほとんどすべての嘘は、この人生とこの世に注目させるように設計されています。告白の力、御国の繁栄の福音、神の国は今などや、社会的福音、世界 P.E.A.C.E.プランなど――このようなものはすべて、私たちの望みをキリストの再臨に置かせず、この世を信頼させるように設計されています。 しかしイエスさまは「これらのことが起こるのを見たなら」と言われましたが――今私たちはこのことを目撃しているのです!かつてローマ帝国だった国々は非民主主義のヨーロッパに再編され、エキュメニカル運動(世界連合の偽りの宗教であるローマの下に集まること)があり、黙示録に『地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時』(黙示録 11 章 17 節)とある ように環境破壊が起こっていて、聖書中で世界情勢の中心であった国々が再び世界情勢の 中心に返り咲いています。これらのことはすべてイエスの再臨を指し示すことです。現代のこの状況のようになったことはかつて一度もありませんでした。ユダヤ人たちは約2千年間あの地に存在しませんでしたが、今イエスさまの言われた通りにそこにいます。そして彼らは再びキリストの元に立ち返りつつあります。これらのことはかつては実現しませんでしたが、終わりの日に実現することだと聖書が告げているのです。 人々はなぜナンシー・レーガン(米レーガン元大統領の夫人)のようなことをするのでしょうか?彼女は占星術師のもとへ足しげく通い、自分の夫が大統領である時期にどう国を動かすかを告げていました。なぜ人々はナンシー・レーガンのように占星術師のもとへ行くのでしょうか?なぜ人は星占いやタロットカードを読んだりするのでしょうか?なぜでしょう。それは彼らが未来を知りたいからです。未信者は未来についての好奇心を持っています。ですが私たちは未来を知っています。私たちは教会が最終的にどうなるかを知っており、世界の国々がどうなるか、中東情勢がどうなるか、この地球がどうなるかを知っています。私たちは未来を知っているのです。そして、イエスの再臨に近づけば近づくほど、私たちはより明らかに――少なくとも忠実なクリスチャンはより明らかにそのことを理解します。 私たちは人々の必要とするものを知っています!人に福音を伝えるために終わりの時代の預言を用いるべきなのです。「ほら、今中東で起こっていることを知っているかい?イラクで何が起こっているかを。それは聖書の中のバビロンなんだ。今アメリカ軍がそこにいるだろう。イエスさまの言ったことを見てごらん。『異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます』(ルカ 21 章 24 節)ゼカリヤ書ではすべての国々が終わりの日 にイスラエルに対して向かってくると書いてあるんだ(ゼカリヤ 12 章 3 節)。ほらここに!」 中国の天安門広場で8千人の学生が殺されるのを世界の 20 億人が目撃しました。ですが、国連は中国に対してひとつの決議も通過させませんでした。イスラム教徒はスーダンとダルフールで 11 年間のうちに 330 万人のキリスト教徒を殺害しましたが、彼らに対して何の決議もひとつの不買運動さえも国連からはなされませんでした。しかし国連の半分以上の不買運動がイスラエルに対してのものです。D・ジェームズ・ケネディー(米長老派のテレビ伝道者)のようなクリスチャンたちでさえも、イスラエルに敵対するように同胞に教えています。彼らはアラブ系キリスト教徒を迫害するイスラム教国に敵対せずに、アラブ系キリスト教徒の権利を保護しているイスラエルに敵対しろと言っているのです。このようなことが教会の中で教えられています。これらのことは預言の成就です。 未信者に世界情勢を見てもらいましょう。イラクに関心が無い人はいるでしょうか?中東 はどうでしょう?環境問題はどうでしょう?世界経済のグローバル化はどうでしょうか? 私たちはこのようなことを伝道のために使うのです。(日本の若者でさえも北朝鮮や中国の核兵器入手を知っていますが、それも「主の日」を示す事柄です) 切迫感 第二のグループはその呼び掛けの強調点が違っていました。それは同じ婚礼で、同じ招きですが、切迫感をもって伝えられました。預言が成就しているのを見る時、私たちがすべきことはイエスさまが言われた通りにそれが近いと告げることです。さて、イエスさまが何かをしなさいと言われたなら、サタンはクリスチャンにそれをしてほしくないことは確かです。イエスさまが何かをしなさいと言われるとサタンは反対に「それをするな」と言うのです。 この国(アメリカ)にはバプテスト派の素晴らしい説教者たちがいます。次の人を好きであろうとなかろうと――私はこの人が完全と言っているのではなく、ただ神の人だと言っているのですが――ジョン・マッカーサー(米のマスターズ神学校校長)なら、現代の中東情勢が預言を成就していると言ってくれるでしょう。彼は知っています。 バプテスト派の中でもジョン・パイパー(米ミネソタ州の牧師)のような人たちは「いいえ、それは違います」と言うでしょう。 このような人は欺かれています。中東での出来事はキリストの再臨のしるしです。ですが、サタンはそれがキリストの再臨のしるしであると誰にも気付いてほしくありません。クリスチャンたちにそれをしるしだと分からせたくないのです。サタンはクリスチャンたちに花婿の到来に備えてほしくはありません。そして確かに言えることは、福音を効果的に伝えることを彼は良しと思っていないのです。 私をとても恐れさせているものがあります。“ハイライト&削除・カット&ペースト”という新しい聖書解釈、新しい解釈のやり方です。エホバの証人でもこのような尊大な行為はしないのに、『人生を導く5つの目的』を著したリック・ウォレンは実際にこれを教えています。 これは驚くべきことです。シリア人がレバノンのキリスト教指導者ピエール・ジュマイエル(Pierre Gemayel レバノン首相)を暗殺した時でさえ、リック・ウォレンはシリアに向かい、イスラエルにミサイルを撃ち込み、クリスチャンたちを殺害しているヒズボラを援助する政治体制を賛美し、シリア人は非常に素晴らしいと語りました。これがウォレン 氏です。そして彼は戻って来て、自分を非難する者は政治的な福音を望んでいる者だと語 りました。ですが、彼はシリア人にイエスの救いを宣べ伝えずに、ただそこにいた時に政治を宣べ伝えていただけなのです。これは信じ難いことです。 一方彼は――これは出版され、彼のウェブサイトに載せてありますが――終わりの時代の預言から遠ざかるように教え、それが脇へ反らせるものだと言っています。終わりの時代の預言は彼にとって、“脇へ反らせるもの”なのです。そして彼の証拠箇所は使徒 1 章 6 節です。彼が言ったことを私はそのまま引用しますが、「あなたの来られる時や世の終わりにはどんな前兆があるのでしょうと聞かれた時、彼は言われた。『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。わたしの証人となります』」このようなものです。 それではこの箇所が本当に語っていることを見てみましょう。使徒の働きには 『そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。 「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。』(使徒 1 章 6 節-7 節) 弟子たちはリック・ウォレンが誤って引用しているようにイエスに対して「あなたの来られる時や世の終わりにはどんな前兆があるのですが」とは聞きませんでした。彼らは『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか』と聞いたのです。 彼らはユダヤ人で、使徒たちはユダヤ人でした。したがって彼らは単に「いつイスラエルのために王国を再建してくださるのですか」とイエスに聞いていたのです。 メシアはダビデの家、ダビデの王座を再建する必要がありました(アモス 9 章 11 節、使徒 15 章 15 節-18 節)。彼らは「旧約聖書の預言の残りをいつ成就されるのですか。ダビデ王の家系をいつ再興されるのですか」と聞いていました。 彼らは千年王国がいつ来るのかと尋ねていました。千年王国は不可欠のものです。イエスさまは最初の到来において旧約聖書の預言をすべて成就はしませんでした。まだダビデの家に対してなされた約束を成就しなければなりません。もし千年王国が無ければ、イエス はメシアではありえません。彼はそれについての預言を成就していないからです。彼は残 りの預言も成就しなければなりません。 ひとりのメシア ふたつの到来 ユダヤ教ではメシアのふたつのイメージがあります。“ヨセフの子なるメシア”と“ダビデの子なるメシア”――“ハマシアハ・ベン・ヨセフ”と“ハマシアハ・ベン・ダヴィード”です。ラビたちは創世記に出てくるヨセフとダビデ王のどちらもがメシアの象徴だと語っています。そしてあるラビたちは、ふたりの異なるメシアがいると言います。ひとりはヨセフの性質を持つ者であり、もうひとりはダビデの性質を持つ者です。 創世記に登場するヨセフは、自分のユダヤ人の兄弟たちに裏切られ、異邦人の手へと渡されました。神はその裏切りを好転させ、全イスラエル、全世界が救われる道とされました。 その同じヨセフはふたりの犯罪人と共に判決を受けました。ヨセフが預言した通りに、ひとりは生き、ひとりは死にました。イエスはふたりの犯罪にと共に判決を受け、彼が預言したように、ひとりは生き、ひとりは死にました。 ヨセフは罪の宣告を受ける場所から、栄誉を受ける場所へ 1 日の間に移されました。イエ スもまた罪の宣告を受ける場所から、栄誉を受ける場所へ 1 日の間に移されました。 ヨセフに向かって全てのひざはかがまなければなりませんでした。イエスに向かっても全てのひざはかがみます。 栄誉を受けた時に、ヨセフは異邦人の花嫁をめとりました。栄誉を受けるにあたって、ヨセフの子であるイエスも、言うなれば教会である異邦人の花嫁をめとりました。 ヨセフの兄弟たちはヨセフが穴の中にいないことを証明するために、彼の長服を持ち帰りました。弟子たちも、イエスさまが墓の中にいないことを証明するため埋葬布を取りました。 ヨセフは兄弟の“イェフダ”――“ユダ”によって銀貨 20 枚で裏切られました。イエスも また“イェフダ”――“ユダ”によって銀貨 30 枚で裏切られました。 ユダヤ人であるヨセフの兄弟たちは最初ヨセフに会った時に気付かず、二度目に彼に会った時に気付き、激しく泣きました。同じようにゼカリヤ 12 章ではユダヤ人であるイエスの 兄弟たちが最初の到来では彼に気付かず、二度目の到来で気付き、激しく泣くとあります。 これが“ヨセフの子なるメシア”、ユダヤ教における“苦しみを受けるしもべ”です。しかしこの次には、ダビデの性質を持ち、神の支配と征服をもたらす“ダビデの子なるメシア”が現われます。使徒 1 章 6 節で使徒たちが尋ねていたのは『私たちはあなたが“ヨセフの子”であることを知っています。ですがいつ“ダビデの子”になられるのですか?いつ“征服する王”になられるのですか?』ということでした。イエスがメシアであるためには、旧約聖書の預言全てを成就する必要がありました。“ヨセフの子”の預言と“ダビデの子”の預言です。 最初の到来において、イエスは“苦しみを受けるしもべ”として、“ヨセフの子”を成就しました。再臨において彼は千年王国を建て上げ、ダビデへの約束を確立させます。もし千年王国が存在しなければ、イエスはメシアではありません。もし“イェシュア”がメシアでなければ、彼はキリストでもありません。無千年王国説や後千年王国説などのくだらないものは忘れてください。それらは初期のローマ・カトリックが作り上げたものです。それはコンスタンティヌス大帝の後に力を得ました。コンスタンティヌス大帝がローマ帝国を間違った方法でキリスト教化した後、ローマ帝国は千年王国を霊的なものとして片づけてしまわなくてはなりませんでした。一方、初期のクリスチャンたちは千年王国を信じていたのです。イエスは残りの預言を成就しなければなりません。 従って、彼らが使徒 1 章 6 節で尋ねていたのは「国を再興してくださるのはこの時ですか?」ということなのです。御国が教会のために再興されることは決してありません――ただイスラエルのためです。イエスの御国はこの世のものではないのです(ヨハネ 18 章 39 節)。イエスはただイスラエルのために国を再興されます。これが彼らの尋ねていたことなのです。 カット&ペースト神学 それではリック・ウォレンの行ったことをみんなでやってみましょう。使徒 1 章がパソコ ンのスクリーン上にあると想像してください。マウスを動かして、第 6 節をハイライトし て、削除してください。そして次にマタイ 24 章 3 節から 4 節に移ると 『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。』(マタイ 24 章 3 節 -4 節) イエスさまの口から出た第一声は、欺きに注意しなさいということであり、注意をすべき事柄を多く挙げていきました。その第 3 節をハイライトして、使徒 1 章 6 節の上にカット &ペーストしてください。実際、リック・ウォレンが行っていたことはマタイ 24 章から第 3 節を取り、使徒 1 章 6 節と置き換えていたということなのです。そして、そうした後、終わりの時代の預言を学ぶな、それから離れなさい、脇道へ反らせるものだからと教えているのです。エホバの証人でさえ、神のことばに関してそのような離れ技をする大胆さは持ち合わせていないのに、リック・ウォレンはそのようなことを行っているのです! 私を恐れさせることは、いかに多くの牧師がこのくだらないものを教え、リック・ウォレンとその世界的な P. E. A.C.E.プランに耳を傾けているかということです。平和ですって?平和の君が戻って来られるまで平和というものは存在しません。私たちは戦争や、戦争のうわさを聞くようになります(マタイ 24 章 6 節)。これは私たちが平和のために働くべきではないと言っているのではありません。しかし、世界的な平和を教会がもたらすと考えるのはどうしたものでしょう?それは聖書の教えることではありません。加えて、神のピースプランは福音です。『足には平和の福音の備えをはきなさい』(エペソ 6 章 15 節)。 イザヤは『良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え』る者の足はと語っています(イザヤ 52 章 7 節)。 リック・ウォレンの P. E. A.C.E.プランには伝道(evangelism)は含まれていません。頭文字の中にふたつの“E”があるにも関わらずです。彼は自分自身のピースプランを持ち、それがどういうわけかキリスト教的なものだと考えられています。この種の欺きこそが終わりの時代において、私たちが注意するように言われているものなのです。にせキリストは『できれば選民をも惑わそうと』するのです(マタイ 24 章 24 節)。 イエスは「御国の福音を宣べ伝えなさい」と言われました(マタイ 24 章 14 節参照)。終わりの時代の預言を用いましょう。花婿が来つつあることを人々に知らせましょう。子羊の結婚披露宴の招待状がここにあります。時間は迫っていて、もういくばくもなくイエスは来ようとしています。これが私たちが取るべき伝道の方法です。しかし、これがイエスさまの言われた伝道の方法であるがために、サタンは教会の中にメッセンジャーを使わし、違ったメッセージを持って欺こうとします。私たちはパーパス・ドリブンを信じるか、新約聖書を信じるかどちらかであり、両方ともを信じることはできません。イエスさまに同意するか、リック・ウォレンに同意するかどちらかなのです。ですが、両方に同意することはできません。 それぞれの道へ出て行ってしまった イエスさまは私たちに何を語っておられるのでしょうか?彼はしもべたちを遣わし、披露宴が近いことを告げました。 『ところが、彼らは気にもかけず…』(マタイ 22 章 5 節) イエスさまが戻って来られる前に私たちが目撃することになるのは、増大する無関心です。イエスとペテロはどちらも、ノアの時代を用いて終わりの日々がどうなるかを説明しました。イエスさまはクリスチャンに警告をされ、ペテロは未信者に警告をしました。私たちが裁きは近いと未信者に伝えれば、『何事も創造の初めからのままではないか』(2 ペテロ 3 章 4 節)と言い返されるようになるとペテロは語っています。 終わりの時代はノアの時代と同じようになります。ノアは福音を力の限り伝えました。終わりには彼を除くたった 7 人が救われ、皆が彼と家族関係にありました(2 ペテロ 2 章 5節)。人々は手遅れになるまで信じず、ノアが箱舟に入るまで信じませんでした。終わりの時代はそのようになります。福音へのさらなる無関心を私たちは見るようになり、その無関心はこうなります… 『ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、』(マタイ 22 章 5 節) 人々が神のことばから逸れてしまうと、彼らはそれぞれの道へ行くようになります。聖書的な福音を宣べ伝える代わりに、“求道者を傷付けない(seeker sensitive)”福音を好むようになります。聖書的な宣教の考えを持つ代わりに、心理学やマーケティングの方法に走るようになります。 ここで理解してほしいのが、ユダヤ人にとってこれがどのような意味を持っていたかです。 『私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。』(イザヤ 53 章 6 節) 先のマタイの箇所はイザヤ 53 章 6 節からそのまま取られたものでしょう(日本語訳では微妙に違って訳されています)。人々はおのおの、自分かってな道に向かって行きます。人々は純粋に“主観的な”――“自分にとって都合の良い”それぞれの宗教の考えを作りだし、 発展させていきます。 ある名ばかりのバイブルスタディー・グループでは、みことばが説き明かされる代わりにある箇所を読み、それについて話し合います。「私にとってこれはこのような意味だ。このように私の心に語りかけられた」。誰かの心に語りかけることはあるでしょうが、最初にする必要があることは客観的な意味をはっきりさせることです。「神からに違いない。私は祝福を感じます!」とある人たちは言います。 私はカナダのトロントで人々が床に転がりながら動物の真似をし、「自分を押さえられない!神さまからのものに違いない、押さえようがないんだ!」と言っている光景を見ました。ですが、御霊の実は自制(1 コリント 9 章 25 節、ガラテヤ 5 章 22 節-23 節)――ギリシア語での“エンクラテイア(egkrateia)”とあります(これは聖書で二度言われています)。彼らが自分でコントロール出来なかったという事実に基づいて考えると、神さまからのものではあり得ないことが分かります。人が自分を制御していないなら、神はその人を制御していません。御霊の実は自制であり、自制が欠けていることではありません。そのような人たちはおかしくなっています!しかし、彼らは自分かってな道に行ってしまったのです。彼らは自分なりに何が霊的であって、神に受け入れられるものかを決めてしまいました。彼らは自分たちの宗教を作ったのです。 金銭目的の説教者はこのようなことを行うのに長けています。新約聖書はほんのわずかしかお金について語らず、語られているとすればその大半がお金への警告です。その説教者たちは他の何事よりもお金について語ります。彼らも自分かってな道へ行ってしまったのです。 一時的な関心を持つこと 第三に 『ある者は畑に、』(マタイ 22 章 5 節) 農耕は神が定められた最初の生活手段です。農業よりも自然な仕事があるでしょうか。人は本来顔に汗を流して働くべきものではありませんでしたが、働くことは定められていました。神はアダムを園に置き、世話をするようにされました。これを考えてみてください。この世で最も卓越した二つの職業、大抵給料が高く、大学院生にとって最も就くのが難しい仕事が法律と医療関係です。この二つが一番給料が高く、一番名誉があり、一番就くのに難しい職業です。しかしこの二つの職業が存在するのは人の堕落の直接的な結果のためなのです。人が罪を犯さなければ私たちには法律家はいらないし、医者の必要もなかった のです。また歯医者や、葬儀屋、看守、警察などの多くのものが不必要でした。一方、罪 を犯さなかったとしても、農家は必要だったことでしょう。 農業には何も悪いところはありません。しかしながら、ペテロはノアの時代を用いて救われていない人たちがどうなるか、イエスはオリーブ山の訓戒の中でクリスチャンたちがどうなるかを説明しました。彼らは『人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました』(マタイ 24 章 37 節-39 節)。 飲むことや食べること、まためとることやとつぐこと自体に何も悪い点はありません。問題なのは、人々が一時的な関心に夢中になるということなのです。 米カリフォルニアにある「パーパス・ドリブン」の教会がありました。そこでの説教が― ―私は紛れもない真実を話しているのですが――「ガレージをどうやって掃除するか」でした。それが説教だったのです。 フロリダにいる母を訪ねる時、母がユダヤ人の高齢者居住地区にいたので私はある大きな “求道者向けの”教会へ何度も行きました。私はその教会にはもう長い間行っていません。クリスマスの時期に母を訪ねていたとき、私はキリスト教系のラジオ局をつけました。そこではJ・ヴェルノン・マクギーやエイドリアン・ロジャースのなつかしい説教や、あるものはクリスマスキャロルで、とても素晴らしいものでした。その後にこのメガチャーチの牧師が登場したのです。彼のクリスマスの説教は「クリスマスツリーを飾る時にどうやってイライラしないか」でした。これが福音派の教会なのです! 終わりの日には大きな危険が潜んでいます――人々が一時的なものだけに注目するようになるのです。それ自体では間違っていないもの、またそれ自体では正しいもの――確実に自然なもの――が人々の注目するものとなります。聖書的に私たちが行うすべてのこと― ―結婚、キャリア、職業、ビジネス――これらすべてのことはキリストにあって私たちの神との永遠の関係に照らし合わせて、評価し、定義されるべきものです。私たちがなすすべてのことは、永遠にどう影響を及ぼすかという観点において考えられなくてはなりません。私たちが一時的なもの、結婚やキャリア、ビジネス、家族などを永遠の観点から見ているなら、それは良いものとなるでしょう。しかし私たちの注目が良いものであるが一時的なもの――自然なもの――に向かってしまうとそれは障害となるのです。 『ある者は畑に、』しかしその次には 『別の者は商売に出て行き、』(マタイ 22 章 5 節) 私たちが第二テモテ 3 章で言われているのは、終わりの日には困難な時代がやって来て、人は自分を愛する者となり――またこれは心理学――金を愛する者となるということです (2 テモテ 3 章 1 節-2 節)。そしてこれはこの世だけではありません。それはマモン(富の神)を崇拝し、繁栄だけを宣べ伝えている説教者たちが神の民を堕落させていることなのです。彼らは実際、貪欲の罪を“信仰”と呼んでいます。彼らはマモン崇拝を行いながら、それを“キリスト教”と呼んでしまっています。彼らは“信仰”への信仰を教え、それをイエス・キリストにある信仰のように見せかけています。これが現代の教会の状況なら、この世から何を期待することができるでしょうか? 無関心が迫害に変わる そして 6 節には 『そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。』(マタイ 22 章 6 節) 彼らの態度は無関心で始まったかもしれませんが、それは迫害へと変わりました。 そうです、カリフォルニアの学校はイスラムを教え、それを「文化の啓もう」と呼びながら、キリスト教を教えることを違法としているのです。合衆国最高裁判所判事であったサンドラ・デイ・オコナーはアラバマの裁判所から十戒を取り除く決定を下しました。70 パーセントの人が十戒があることを望んでいたにも関わらずレーガン時代の共和党主義者だったその人は「取り除け」と言ったのです。この国(アメリカ)の大半の人が世界の始まりに関してインテリジェント・デザイン(知性による設計)を信じているにも関わらず、ペンシルバニアでジョージ・ブッシュ大統領に任命されたまた別の共和党系判事は、誰もインテリジェント・デザインを教えてはならないと最近言いました。 私は民主党主義でも共和党主義でもありません。私はどちらが選ばれてもそのために祈りますが、私にとって彼らはソロモンの王座の後継者たちのようなものです。ヤロブアムとレハブアム。どちらの“ブアム”がお望みでしょうか?(ブアムという言葉が英語では“bum” =怠け者と同じように聞こえます)私はどちらが選挙で選ばれるかに関心はありません。彼らは役に立ちません。それが共和党員であっても、民主党員であっても当てにはなりません。私は彼らのために祈ります。私は役に立たない人たちのために祈りますが、彼らが役に立つだなんてことは言わないでください。国家はそれにふさわしい指導者を選びます。私たちが社会全体として神に背を向けたために、不道徳な指導者たちを招くのです。 しかし、これらのことに反対して立ち上がる者は迫害を受けます。私たちが同性愛に反対 して語るなら、“差別発言”というレッテルを貼られるでしょう。離婚に反対して語ってもそれは“差別発言”となるのです。政治家たちは次第に法的に迫害をし始めます。スウェーデンやカナダ、イギリスではすでにそれが起きており――彼らはそれをここでもしようとします。 政治家たちのために祈ってください。しかし彼らに信頼してはいけません。建国の父たちの信じていたようなことは忘れてください。それは過去の歴史です。今日の政治家の神はお金です。イエスが言われるには、迫害は「わたしの名のためにすべての国の人々に憎まれる」(マタイ 24 章 9 節)ということです。 ロージー・オドネル(アメリカの有名なコメディアン)はキリスト教根本主義者がイスラム教根本主義者と変わらないくらい危険だと言いました。私は彼女を中東に連れて行って、現状を見せてあげたいと思います。一度私は目の前で 17 人が粉々に吹き飛ばされる光景を見ました。彼女を中東に連れて行ったら私はこう言うでしょう。「バスに乗ってみなさい。バスに乗るのと、バプテスト派の教会に行くのとどちらが安全なんだい、ロージー?」しかし人々は彼女のほうに耳を傾けるでしょう。人々は聖書に耳を傾けません。 王が怒る 迫害はやって来ます。しかし迫害が来たときに何が起こるのでしょうか。7 節にはどう書いてあるでしょう 『王は怒って…』(マタイ 22 章 7 節) 王はただ「不機嫌になった」とか、「動揺した」とは書かれてあらず、王が「怒った」と書かれています。生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。神は怒っています。 以前にも話したと思いますが、アブラハムには二種類の子孫がいます。人類学的な子孫と、神学的な子孫です。それは誕生による子孫と、第二の誕生による子孫です。 『あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。』(創世記 12 章 3 節 a) 驚くべきことです。ユダヤ人または真実の教会を迫害したどんな文明も神の怒りの下に置かれてきました。 私はインドネシアで聖書を教えています。インドネシアではここ数年で3千もの教会がイ スラム教徒により焼き打ちに遭いました。東ティモールでは、イスラム教徒は少なくとも 12 万人のクリスチャンを殺しました。誰も気にしません。大半の人がその事実さえも知りません。しかしインドネシアでも最悪な場所が“シャリーア”――イスラム法――が強制されている“バンダ・アチェ”と呼ばれる場所です。 私はバンダ・アチェで講演をし、インドネシアの神学校で話をし、そこで若いインドネシア人伝道者たちや講演者たちを奉仕のために訓練しています。彼らはイスラム教徒の村々に行き、そこで新しい教会を建て、福音を宣べ伝え、迫害と殉教の可能性を知りながらそれに直面しています。彼らはまだ 18 歳や 19 歳、20 歳などです。彼らの態度は、当然ながら「イエスは私のために死んでくれた。イエスのために死ねるのなら光栄だ」というものです。彼らはアメリカのお金儲けの説教者たちのようではありません。「苦しまなくていい。あなたは王の子どもだから!口に出して、つかみ取りなさい!」インドネシアにいるその人たちはクリスチャン、本当のクリスチャンです。 アメリカでも“本当の”クリスチャンがいることを私は認めます。テネシーでも“本当の”クリスチャンがいます。しかし真実のキリスト教に会える唯一の場所は教会が迫害されている場所だけです。テネシーでも、イングランドでも、オーストラリアでも本当のクリスチャンを紹介することができます。しかし本当のキリスト教を見たいなら、私と共にインドネシアに来てください。ケニアに来てください。そこで本当のキリスト教を見ることができます。そこには大きな違いがあるのです。 バンダ・アチェではイスラム教徒たちはクリスチャンをひどく迫害します。ですが CNN は気にしません。ABC も気にかけません。BBC ならそれを称賛するかもしれません。誰も気にかけていないのです。 「どうぞムハマド、クリスチャンたちを好きなだけ迫害してもいいですよ」ですがそういう人たちは水泳を真剣に習ったほうがいいでしょう。 津波の被害者にもたらされた 90 パーセント以上の支援がキリスト教国から来ました。石油 から来る収益が前年の 2 倍であったにも関わらずサウジアラビア人と湾岸アラブ人たちは つまらないものしか与えませんでした。しかし 90 パーセント、それ以上の支援がキリスト 教国から来たにも関わらず、実際被害者の 95 パーセントがイスラム教徒でした。それはパキスタンで起こった地震と同じように、神の裁きです。 多くの教会や教派にいる人たちは、プロテスタントの改革者たちが福音を再発見したと間 違って考えてしまっています。ルター、カルヴァン、ツヴィングリなどです。これは真実 ではありません。そこには昔から真理を一度も失ったことのない人々がいたのです。イングランドではそれは“ロラード派”と呼ばれるジョン・ウィクリフの信奉者たちでした。中央ヨーロッパでは“ボヘミア兄弟団”と呼ばれるヤン・フスの信奉者たち。ヨーロッパ西部では“ワルドー派”と呼ばれる者たちでした。そういう人たちはいつでも存在したのです。新生したクリスチャンが絶えてしまったときはかつて一度もありません。それはただ神聖ローマ帝国の時代(神聖でもローマでもありませんが)、教皇がいつも福音の拡大を防ぐ手段を持っていただけのことです。真実の信者たちは激しく迫害されました。ヨーロッパの 40 パーセントの人口が滅ぼされるのをあなたは想像できるでしょうか?それが実際に起こりました。クリスチャンとユダヤ人に対する大虐殺が行われた後、ヨーロッパ人口の 40 パーセントが滅ぼされました。40 パーセントのカトリック系ヨーロッパ人が一夜のうちに滅ぼされたのです。中世には“腺ペスト”と呼ばれるもの、“黒死病”が流行りました。王は怒っていたのです! ご自分の兵隊を出す しかし主が本当に怒るとき、誰かがご自分の民を迫害するとき、彼はご自分の兵隊を出します。神はいつも彼らより悪い者たちを用います。イスラエルは神がペリシテ人やアッシリア人、バビロン人、ローマ人などを使うなんてことは信じられませんでした。しかし神はそうしました。神は彼らより悪い者たちを用います。そしてその者たちを裁きの道具として用いた後、彼らを除き去ってしまいます。 現代の神の裁きの兵隊は誰なのでしょう?聖書で世界情勢の中心にいた国々が、現在の世界情勢の中心にいるのは偶然ではありません。イスラムは背教したアメリカ、イギリス、ヨーロッパへの神の裁きです。イスラムは自分の民イスラエルへの神の裁きです。それは神の裁きなのです。その脅威にも関わらず、私たちの政治家、大統領は国境を守りません。これは神の裁きです。同時多発テロから1年経っても大統領は――私はこれを政治的に言っているのではなく、ただ事実として伝えているのですが――サウジアラビア人入国のためのビザ・エクスプレス・プログラム(Visa Express 身分証明無しでの入国制度)を継続していました。彼らは1年だけでも、この国(アメリカ)に入り住むために1万のビザをサウジアラビア人に提供していました。これは侵略です。フランスのパリは燃やされました。イングランドのブラッドフォードも燃やされました。ロンドンは爆破されました。私の故郷のニューヨークも爆破されました。スペインのマドリッドも爆破されました。 『王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。』 (マタイ 22 章 7 節) そうです、殺人です。同時多発テロでは3千人が殺され、私の妹の夫もそのひとりでした。 3千人です。毎年アメリカで中絶されている赤ん坊の数はこれと同じでしょうか?違います。これは日毎にアメリカで中絶されている赤ん坊の数と同じです。殺人です。4千万人ですって?“ロー対ウェイド事件”から4千万人ですって?私たちの国は殺人者の国です (現在は5千万人です)。王は怒っています!私たちは彼の裁きの下にいるのです。 ですが心配しないでください。『倒れた。バビロンは倒れた』(イザヤ 21 章 9 節、エレミヤ 51 章 8 節、黙示録 14 章 8 節、18 章 2 節)と書かれています。バビロンがその目的を果たすと、神は彼らを除き去ってしまいます。彼はアッシリア人を除き去り、彼らすべてを滅ぼしました。イスラムの最期は定められています。イザヤや他の箇所にはアラブ・イスラム系の首都に対する未だ成就していない大規模な破壊の預言があります。ダマスカスはイエスが来られる前か、彼が来られるとき破壊されるはずです。それはケダル(サウジアラビア)やアモン(ヨルダン)も同じです――これらの預言は未だ一度も成就していません。 そしてそのヘブライ語はただの“破壊”ではなく、“全滅させる”というものです。それはソドムとゴモラに起こった事に対して使われたのと同じ言葉です。これらのアラブの首都は地球の面から消え去ります。神は彼らを滅ぼされます。神はアラブ世界、イスラム世界に戦争を仕掛けられ、ご自分を裏切ったユダヤ・キリスト教世界に裁きと矯正の道具として用いた後、それらの国を滅ぼされます。 それが第一世紀に起こったことであり、それが最後の世紀にも起こることです。そしてそれが今現在起こっていることなのです! 祝宴での“不正装” 次に何が起こったでしょうか。 『それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。』 再び言います。これは救いの衣を着ていないことであり、子羊の祝宴にきちんと正装をしていないということです 『そこで、王は言った。『{友よ。}あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入っ て来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。』(マタイ 22 章 10 節-12 節) 福音を退けた不信者が主の前に立つと、彼らは黙ります。無神論者は黙ります。彼らに言うことは無いのです。王に口答えすることは何もできません。 ユダヤ教でヤハウェは王です。ヘブライ語の祈祷は典礼による序文で始まります。「バルーク アター アドナイ、エロヘイヌ メレク ハオラム(Baruch Atah Adonai, Eloheinu Melech ha’olam)」――主なる神、宇宙の王に栄えあれ。ヤハウェは王なのです。 彼らは何も言うことが無くなり、黙り込みます!ダーウィン主義者も黙ります!ゲイやレズビアンの活動家たちも黙ります!中絶主義者たちも黙ります!NOW(アメリカ最大のフェミニスト団体)も黙ります!彼らは口をつぐみます!それはリベラルの神学者たちも同じです。今大きな口を聞いている者たちはどうなるのでしょう?黙り込みます!私たちも全員も次の三つの言葉を除いては口をつぐむようになります。「サンキュー・ジーザス (Thank you Jesus)」私の場合は「トダー・イェシュア」の二言です。 『そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。』(マタイ 22 章 13 節) ここ 10 年、12 年のうちに大きく広がったのが“霊魂消滅説(Annihilationism)”です。イギリスではこの教えは国教会の神政主義者であるジョン・ストットによって推進されました。「地獄は永遠で感じることのできるものではなく、ただ霊魂が消滅するだけだ」というものです。救われた――救われているはずのクリスチャンでもこれを教えている人がいます。彼らの苦しみの煙が永遠にまでも立ち上ると書いてあるギリシア語は興味深いものです(黙示録 14 章 11 節)。それは「アナバイネイ エイス アイオーナス アイオノーン (anabainei eis aionas aionon)」といいます。これは単にヘブライ語の「とこしえからとこしえまで」をギリシア語的に訳したものです。彼らの苦しみは立ち上った、「アナバイネイ エイス アイオーナス アイオノーン」。この同じ言葉がイエスの永遠の大祭司職を表す際にも使われており、神の永遠の栄光に対して、また私たちの救いに対しても使われています。言い換えると、もし地獄が永遠で意識のあるものでなかったなら、天国が永遠で意識のあるものであることをどうやって分かるのでしょうかということです。これは同じ言葉です。ジョン・ストットは著書の中でこの問題を扱っていません。 地獄以上の“地獄” ここで言われていることを見てみましょう 『そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこ で泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」』(マタイ 22 章 13 節-14 節) 地獄以上の地獄があるとはどのような意味なのでしょうか。それは次のことです。聖書自体が地獄以上の地獄があると語っています。 それはただの“火の燃える池”ではなく、ただの“外の暗やみ”、そこで泣き歯ぎしりするだけの所ではありません。またただ“苦しみの煙”が永遠に立ち上るだけではありません。地獄はそれ以上のものです。この人は実際に披露宴に入り、それをその目で見、主を見ました。地獄はただの地獄だけではありません。それは天国に入れないことを意識するものとなります。その人たちは自分たちの得ることのできたもの、得るはずだったものを見ます。彼らは自分たちがあるべきだった姿、なることのできた姿を知ります。悔い改め、イエスを受け入れた者たちが持つことのできるものを彼らは知ります。どのようにかしてこの男は中に入ったのです!彼らは意識的に知るようになります。彼らが持っているものと逃してしまったものを。地獄には地獄以上のものがあります。 「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」
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