Midrash - Japanese

ミドラッシュ

ジェイコブ・プラッシュ

新約聖書の著者が旧約聖書を扱った方法

ミドラッシュとは、イエスやパウロの時代の古代のラビが用いた聖書解釈の方法です。改革者たちが 16 世紀の人間主義から拝借した、西洋の聖書の解釈、つまり文法的・史実的な解釈を含んでいますが、ミドラッシュはそれを単に第一歩と見なします。

聖書の様々な文書のジャンル-物語、知恵文学、ヘブライ的な詩や黙示文学-を扱うときに、それぞれを考慮に入れて理解するため関係性を探求します。そのアプローチの方法は書かれた順序に従うというよりかは、テーマに注目した読み方です。(※最初に必要な第一歩は、書かれた順序に従って読むことです。例えばそれはヨハネの福音書を章ごとに学んでいく方法です。テーマに注目した読み方は、ヨハネ 10 章の「わたしは良い牧者です」

という箇所によって、詩篇 23 篇「主は私の羊飼い」やエレミヤ 23 章「牧者たちについてこう仰せられる」のような箇所を理解するということです)

最も明らかなミドラッシュの指針は、ラビ・ヒレル(Hilell) による七つの基準(七つのミドロット)です。ヒレルは「ヒレルのパリサイ派神学校」の創設者で、そこでパウロがラビとしてガマリエル(使徒 5 章 34 節) に教えられました。ガマリエルはヒレルの孫にあたります。

ミドラッシュは教理を例証し、教理を明らかにするために、たとえ話や象徴を大いに用います。しかし、象徴は決して教理の基礎となりません。それは聖書の本文にある複数の層のようになったより深い意味を見出しますが、象徴的な解釈をする、フィロン(Philo

20B.C.-50A.D.) やオリゲネス(Origen 185-254 A.D.) と関係のある、グノーシス主義やアレキサンドリア学派のようなものとは基本的に違っています。ヘレニズムの哲学観や神学観よりも、むしろヘブライ的なものを反映させます。

ミドラッシュは預言を、反復し、繰り返す、歴史的なパターンであると解釈します(預言が複数の成就を持っているということ)。そして、最終的な成就は、贖いの中心である終末と関連しています。ユダヤ教の中の古典的なミドラッシュの文献は、「創世記のミドラッシュ・ラッバ(Midrash Rabba)」ともう一つは「哀歌のラッバ」です。

ミドラッシュはある形式に従います。ひとつは、マシャル・ニムシャル

(Mashal/Nimshal)形式です。それは箴言に見られ、物質的なものが霊的なものを象徴するというものです。新約における比喩的なミドラッシュの説明は、例えば、ユダの手紙やガラテヤ人への手紙の 4 章 24 節から 31 節に見られます。ミドラッシュが、新約聖書が旧約聖書を扱う方法を明らかにしているのです。

もうひとつの形式はパラシヨット(parashiyot)です。これは注解が節の後に続いているものです。聖書を解釈するミドラッシュに加えて、説教のミドラッシュもあります。これらは福音書の中でイエスによってしばしば用いられた、イェランメデヌ・ラベヌ

(yelammedenu rabbenu)形式に従います。この二種類のミドラッシュはどちらもハガダー的なものです。広範囲に及ぶ、ミドラッシュ的な文献であるハラカーもありますが、新約を学ぶ上で、これはそれほど重要ではありません。

もし、ユダヤ教、ヘブライ語や神学の教育を受けていない人であれば、ミドラッシュを解説するよりは実際に適用することのほうが簡単です。モリエル・ミニストリーズではいろいろなテープやビデオを提供しています。それらの中で、みことばを読み解くときに、ミドラッシュ的な解釈を実際に用いて論証しています。そのひとつはヨハネ4章のミドラッシュ的な解釈である、『井戸のそばの女』です。これはローマ・カトリックに関して解説しているものです。

新約が旧約を引用している方法を見るなら、使徒たちが西洋プロテスタントの解釈や、 解説の方法を用いなかったことは明らかです。イエスはラビでした。パウロもラビでした。彼らはミドラッシュと呼ばれる手法にしたがって、他のラビも用いた方法で聖書を解釈し たのです。

ところが初代教会で問題が起こりました。そのユダヤ的なルーツから遠ざかってしまったのです。そして、多くの異邦人がクリスチャンになるにしたがって、パウロが警告していたこと(ローマ 11 章)が起こってしまいました。人々はそのルーツを失ってしまったのです。

世界観の変化がある時はいつでも、神学にも変化が起こります。その変化の肯定的な扱 い方は「再文脈化」と呼ばれるもので、否定的な扱い方は「再定義」と呼ばれます。ウィ クリフ聖書の翻訳者がイザヤ 1 章 18 節を、赤道直下のアフリカの部族のために訳したとき、福音を「再文脈化」しました。『たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のよ うに白くなる。』雪を一度も見たことが無い人たちのために、彼らはこの箇所を、「ココ ナッツのように白くなる」と訳したのです。これが「再文脈化」、同じ真理を誰かの言語、

文化や世界観の背景に合わせることです。再定義に対して、これは完全に有効です。メッ

セージに何の害も与えません。

「再定義」は聖書が何を意味しているかを、再び説明する代わりに、聖書の意味していることを変えてしまいます。これは間違っています。そして、これが初代教会で起こったことなのです。コンスタンティヌス大帝(272-337 A.D.) がキリスト教を国家の宗教に変えてから、人々は福音をますます、極端な方法で「再定義」し始めました。初代教会の教父たちの中には、トーラー(旧約聖書)がユダヤ世界にイエスの到来の道備えをしたように、ギリシアの神智学で最高のものだったプラトンやソクラテスの唯神論の考えは、ギリシア世界に対しての道備えであったと信じる人もいました。この点までは、もっともな意見だと言えるでしょう。

ギリシア(ヘレニズム)的な考え方があれば、ヘブライ的な考え方もあります。パウロは両方使いました。パウロがユダヤ人と話すとき、ヘブライ的な考え方を用いました。しかし、アテネのアレオパゴスで福音を伝えているときには(使徒 17 章 22 節-31 節)、ギリシア的な考え方を用いました。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を要求します。もし、聖書的に使われるならばどちらも有効なのです。

問題は人々がユダヤ的な信仰を、ヘレニズム化しようとするときに起こりました。ギリシア人のために福音を再文脈化する代わりに、ギリシア的な表現をもって、再定義してしまったのです。これは特に、オリゲネスの時代のアレキサンドリアで起こりました。しかし、それが大きな問題となったのはコンスタンティヌスと、ヒッポのアウグスティヌス

(354-430 A.D.) の教え、また彼に影響を与えたカルタゴのキプリアヌス(Cyprian 200?

-258 A.D.) やアンブロシウス(Ambrose 339?-397 A.D.) がやって来た後です。

ギリシア人はプラトンやソクラテスの教えから、人は神の御姿に似せて造られたというような真理を多く知っていました。しかし、ユダヤ・クリスチャンの背景や聖書とつながりを持っていない人でも、本能によって誰でも、ただひとりの神がおられることや、人が罪深いということは知り得ます。(ローマ 1 章 18 節-20 節)

私たちは聖書と一致する点まで、ギリシアの神智学と同意します。しかし、人々がギリ シア的な世界観の理解をもって、福音を再解釈し、再定義し始めるなら、それは問題です。ギリシア人は二元論、すなわち、すべて物質的なものは悪で、すべての霊的なものは善で あると信じていました。『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことば は神であった。』(ヨハネ 1 章 1 節)この言葉を読むとき、意見の一致はするでしょう。し

かし、ギリシア人は『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。』(ヨハネ1章 14

節)という主張に賛成することは出来なかったのです。ギリシア人はただそれが物質的であるというだけで、物質的なものは悪だと信じていたのです。聖書は霊的なものと物質的なものは、お互いの調和によって働くべきだと教えています。そこに何の矛盾や争いがあるわけではありません。確かに肉は堕落していますが、物質的な要素自体に悪いことは何もないのです。

アウグスティヌスが現れたときに、彼はキリスト教を再文脈化するのではなく、ギリシアのプラトン的な宗教として再定義してしまったのです。アウグスティヌスは次のようなことを言いました。「結婚について唯一価値のあることは、独身者になる者を産むことだ」結婚の関係が最初の罪であったと教える、マニ教がこの考えをギリシア世界に持ち込んだのです。そういうわけで、今日まで、ローマ・カトリックは性を扱うことが出来ず、多くの制限や悩みがあり、夫婦間の営みについてさえも、ためらいがあるのです。

人々はユダヤ的なミドラッシュの方法を用いずに、ギリシアの方法を用いて聖書を再解釈し始めました。ミドラッシュは型やたとえ話(象徴)を用います。それは教理を例証し、教理を明らかにするためです。たとえば、イエスは「過越の子羊」です。ユダヤ人の過越の象徴は贖いの教理を完璧に例証しています。しかし、決して、贖いの教理が象徴に基づいているわけではないのです。象徴は教理を例証し、その教理自体は、みことばの中のどこにおいてもはっきりと主張されています。ギリシア的な考えのグノーシス主義の世界では、反対のことが起こります。グノーシス主義は象徴に対して、自分たちが神秘的な洞察力(グノーシス 訳注…1テモテ 6 章 20 章)を持っていると主張し、そのグノーシスの理解を持って、本文の明らかな意味を解釈するのです。古代のユダヤの方法と違って、グノーシス主義にとって、象徴が教理の基礎なのです。

このような手法は初め、フィロンによって影響された人たちを通して、教会に忍び込ん できました。彼の教えはだんだんとローマ・カトリックに入り、アウグスティヌスが「も し、神がパウロを回心させるために暴力を使ったのなら、教会も人々を回心させるのに暴 力を使うことが出来る」と言うまでに至らしめたのです。その結果として十字軍やスペイ ンの宗教裁判などがあります。再文脈化の代わりに、彼らはみことばを再定義したのです。彼らはユダヤ的な本を、ギリシア的な本であるかのように読みました。これが誤りだった のです。

東はオリゲネス、西はアウグスティヌスから端を発したこの教えは、何世紀にも渡って、徐々に悪化の一途をたどりました。それはスコラ学と呼ばれるものと合わさって、中世に さらに悪化しました。アリストテレスの考えはイスラムに吸収され、後に十字軍がヨーロッパの中世ローマ・カトリックに持ち帰ったのです。モーセ・マイモニデス(Moses

Maimonides 1135-1204) はユダヤ教をアリストテレスの宗教に書き換え、トマス・アクィナス(1225-1274)もキリスト教をアリストテレスの宗教として、書き換えました。

宗教改革者が現れると、彼らは中世ローマ・カトリックの間違いを正そうとしました。残念なことに、宗教改革者たちは力強い性格の持ち主でしたが、思想家としては力強くなかったのです。宗教改革は人間主義と呼ばれるものから生まれました。(注:最初の人間主義者は無神論者ではなく、クリスチャンでした)人間主義者の中で名高いのは、トマス・ア・ケンピス(1380-1471)、ジョン・コレット(John Colet 1467-1519)やルフェーヴル・デタープル(Jacques Lefevre 1450?-1536)などです。しかし、その中で最大なのはロッテルダムのエラスムス(1467?-1536)でした。ルター、カルヴァンやツヴィングリなどはほとんど彼から意見を得たような人たちです。エラスムスと他の人間主義者たちは、中世ローマ・カトリックの行っていたみことばの悪用を防ぐために、聖書をその文字通りの意味で学び、教えようとしました。彼らは聖書を文学や歴史として読むことを強調し、今日のプロテスタント教会で使われるような、文法的・史実的な解釈のシステムを構築したのです。

改革者たちの問題は、そこまでしか行かなかったということです。彼らは中世ローマ・カトリックに異議を唱えるために、その文法的・史実的なシステムを適用するルールを作って、そのルールは現在まで神学校でも教えられているのです。そのようなルールのひとつはこれです。「聖書箇所の適用は多く存在するが、解釈はひとつしかない」全くくだらないことです!複数の解釈が存在するとタルムードは教えています。イエスは誰に賛成するでしょうか?改革者でしょうか?それとも他のラビでしょうか?

『イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。』(マタイ 12 章 39 節)「ヨナのしるし」とは何だったのでしょうか?ひとつの箇所でイエスは『ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。』(マタイ 12 章 40 節)と言っています。しかし同時に、ニネベの住民がヨナの説教によって悔い改めたことであると言いました。(ルカ 11 章 32 節)ユダヤ人が悔い改めなかったのに、異邦人は悔い改めました。これもまた預言者ヨナのしるしでしょう。イエスは、何がしるしかということに関して、共に有効なふたつの解釈を与えたのです。従って、プロテスタントの解釈がひとつだけで、あとは適用という原則はイエスの教えと違うものです。

もうひとつの聖書解釈学のルールは、聖書の簡単な言葉遣いが意味をなしているなら、 他の意味を探してはいけないというものです。文字通りにとって、そこで終わりなのです。

これもまた全くくだらない考えです!

一世紀や二世紀のユダヤ人クリスチャンがヨハネの福音書、1 章、2 章、3 章を読むと、

「新しい創造」の物語だと言ったことでしょう。創世記では神が地の上を歩いているのを見、ヨハネの福音書の「新しい創造」の中では、再び神が歩いているのを見るのです。創世記では、水の上を御霊が動いて被造物を生み出しました。ヨハネの福音書では、水の上を御霊が動いて新しい被造物を生み出すのです(ヨハネ3章5節『人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません』)。創世記の創造では、小さい光と大きい光がありました。ヨハネの福音書の新しい創造では、小さな光であるバプテスマのヨハネがいて、大きな光であるイエスがいます。いちじくの木は、ミドラッシュ的に、ユダヤ人の象徴では、創世記の園、エゼキエル 47 章や黙示録にあるいのちの木を表わしています。なので、イエスがナタニエルに『あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。』

(ヨハネ 1 章 48 節)と言ったとき、ただ単にナタニエルを、文字通りのいちじくの木の下

で見たということではなく、(それも含まれていますが)イエスは彼を園から、創造のときから、世の初めから見ていたということを言っているのです。

人間主義者たちがしていたように、文学や歴史として読むことによっては、聖書を部分的にしか理解出来ません。人間主義者たちはローマ・カトリックが基礎を置いていた、中世のスコラ学やグノーシス主義に反応していたのです。とはいえ、彼らの手法は人々がみことばの深みを理解するのを妨げたのです。文法的・史実的な方法によって、彼らは信仰義認やみことばの権威などの真理を発見したのですが、それが理解したことのすべてでした。その範囲を越えることは出来なかったのです。マルティン・ルターはローマ人への手紙を聖書の中で中心になる本だと言いました。そして、黙示録を完全に退けました。しかし、黙示録は終わりの時代のための本なのです。ルターも、その本をプロテスタントの考えでは理解出来ないと認めました。

何が問題なのでしょうか?黙示録が悪いのでしょうか?それともプロテスタントの考えが間違っているのでしょうか?よく注意してください。ダニエル(ダニエル 12 章 4 節)と

ヨハネ(黙示録 10 章 4 節)は終わりのときまで「このことを封じておけ」と書きました。神の時が満ちるとき、これらの本の解釈は忠実な者に明らかにされるのです。誰かが図や表を書いて、黙示録が示しているすべてのこと、すべての終末の計画を理解したと言うときは、用心してください。それは適切なときまで封じられているからです。神はみこころに合う方法とその時にそれを明らかにされます。しかもそれを段階的になされます。その第一歩は聖書をギリシア的な本としてではなく、ユダヤ的な本として読むことです。

書簡(手紙)は他の聖書の注解書です。それらは他の聖書箇所の実際的な意味について

教えています。書簡を文法的・史実的な方法を用いて、文学や歴史として読むことは構わ

ないことです。しかし、聖書にはさまざまな種類の文学があり、神さまがさまざまな理由のために、違った文学のジャンルをそこに置いたのです。詩篇(ヘブライ的な詩)や黙示録(黙示文学)、福音書(物語)、箴言(知恵文学)です。

あなたは詩を読むように手紙を読まないでしょう。ふるさとにいるナツ子おばあちゃんからの手紙を、ナルニア戦記(C・S・ルイス著)を読むようには読まないでしょう。あなたが書簡を読むとき、使徒たちは他の聖書箇所を、文法的・史実的な方法で解釈していなかったことが分かるでしょう。ヘブル人への手紙は、レビ人の祭司制度や神殿の象徴に関しての注解書です。ガラテヤ人への手紙 4 章 24 節を読み進めてみると、ふたりの女の話があり、それは律法の目的に対してのミドラッシュです。ユダの手紙はミドラッシュ的な文献です。使徒たちはみことばを、プロテスタントの文法的・史実的な方法をもって扱わなかったのです。

聖書にはさまざまな種類の預言があります。終わりの時代を理解するために、重要な二種類の預言は、メシアに関する預言と、これに関連した終末的な預言です。聖書の預言を理解するにあたって、これはとても重要です。なぜなら、16 世紀の人間主義に基づいた西洋の考えによると、預言は予告と成就で成り立っていると言うからです。古代のユダヤ人にとって預言は、予告されて成就するというものではありません。むしろ、彼らにとって預言とは、繰り返すパターンだったのです。預言が複数の成就を持つということです。そして、それぞれの成就、それぞれのサイクルは最終的な成就について教えているのです。例を挙げると、飢饉のとき、アブラハムはエジプトに下りました。(創世記 12 章 10 節-

20 節)神はパロを裁き、アブラハムとその子孫はエジプトの富を携えて、エジプトを出、

そして約束の地に入りました。アブラハムの子孫も同じ経験を繰り返しました。すなわち、飢饉でエジプトに下り(創世記 42 章)、神は邪悪な王であるパロを再び裁き、アブラハム の子孫はエジプトの富を携えて、エジプトを出、そして約束の地に入ったのです。

アブラハムに起こったことはその子孫にも起こります。そして、イエスにも同じことが 起こりました。『彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言っ た。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」そこで、ヨセフ は立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこ にいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出し た」と言われた事が成就するためであった。』(マタイ 2 章 13 節-15 節)

マタイは、邪悪な王ヘロデが死んで、イエスがエジプトから出てきたとき、ホセアの預

言が成就したと言いました。『イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子を

エジプトから呼び出した。』(ホセア 11 章 1 節)とてもはっきりと、ホセア 11 章はモーセに関して起きたこと、出エジプトのことを語っているのです。文法的・史実的な文脈において、メシアのことではなく、出エジプトのことを語っています。しかし、マタイはすべての可能な文脈から一節を取って、イエスに合わせてゆがめているように見えます。果たしてマタイが間違っているのでしょうか?それとも、プロテスタントの聖書の解釈の仕方に問題があるのでしょうか?

マタイにも、新約聖書にも何も問題はありません。プロテスタントの考え方に問題があるのです。ユダヤ的な預言の考えは、予告ではなく、パターンです。アブラハムがエジプトを出て、パロは裁かれました。彼の子孫もエジプトを出て、邪悪な王が裁かれました。そして、また別の邪悪な王が裁かれ、メシアがエジプトを出ました。預言には複数の成就があるのです。ミドラッシュ的には、「イスラエル」がメシアであるイェシュア(イエス)を暗に示しています。「イスラエルはわたしの栄光、わたしの長子」というような箇所を見つけたなら、ミドラッシュ的な隠喩なのです。

1コリント 10 章ではもうひとつのことがあります。パウロが言うには世の象徴である、エジプトから私たちは出てきました。エジプト人に神格化され、神として崇められていたパロは、悪魔、この世の神の象徴です。モーセが山に行って、血で契約をし、人々に振りかけたのと同じことをイエスはしました。モーセは四十日間断食しました。イエスもそうです。イエスこそ申命記 18 章 18 節に予告されたモーセのような預言者です。モーセがイスラエルの子らを、水を通してエジプトから連れ出し、約束の地へ導いたように、イエスも私たちをバプテスマを通してこの世から連れ出し、天に導くのです。これはパターンです。

そして、馬と乗り手は海に投げ出されました(出エジプト 15 章 1 節)。私たちは黙示録

の 15 章 3 節で、――馬と乗り手が海に投げ出されたことについてである――モーセの歌を歌います。なぜでしょうか?パロと彼の戦車が紅海に投げ出されたように、白い馬に乗った反キリストと彼の軍隊は燃える海に投げ出されます。それはパターンだからです。「エジプトから出ること」の最終的な意味は復活と教会の携挙です。出エジプト記でなされた裁きは黙示録で再現されます。なので、パロの魔術師たちがモーセとアロンの奇跡を真似ることが出来たように、反キリストとにせ預言者はイエスとその証人たちの奇跡を真似るでしょう。彼らはエジプトを出るときに、ヨセフの骨を携え上りました(出エジプト 13 章

19 節)。なぜでしょうか?なぜなら、キリストにある死者が初めに上げられるからです(1

テサロニケ 4 章 16 節)。パターンなのです。

新約聖書を生み出したユダヤ的な考え方は預言を、予告ではなく、パターンであると見

なします。未来に起ころうとすることを理解するには、過去にあったことを見る必要があります。複数の成就があり、その一連の成就は、最終的な成就に関することを教えているのです。

黙示録を理解するためには、プロテスタントの神学校で教えられているような、限定された聖書の解釈法によっては無理なのです。ミドラッシュはたとえて言うなら、二次方程式や、とても複雑な二階微分方程式、13 や 14 の手順を経て解ける方程式のようなものなのです。ある人は最初の文法的・史実的な解釈の段階を経て、方程式は解けたと考えるかもしれません。彼らのしていることに何も問題は無いのですが、彼らのしていない多くのことが問題なのです。方程式は解けていません。文法的・史実的な解釈に何も問題はありません。それは必要な最初の段階であり、必要な準備であって、書簡を読むには最適なのです。しかし、それだけなのです。

これらのことを理解するには古代の知恵が必要です。『思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。』(黙示録 13 章 8 節)16 世紀の知恵ではなく、紀元 1 世紀の知恵が必要なのです。

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